2016年1月31日日曜日

考えたくない病

  1月20日に「伊方の祈り」を書いたが、その記事の冒頭に書いた八幡浜市有権者の32%に達する市民から要請のあった伊方原発再稼働の可否を問う住民投票条例案が28日、市議会で賛成6、反対9で市長の意向どおり否決された。
 利権に繋がるムラの圧力の結果だろう。
 
 また1月29日、高浜原発が再稼働した。
 フクシマ第1原発事故の折り、フクシマの人々が語る「東北電力ではないのですよ。東京電力ですよ。東京の人々のために東北の人々が泣いているのですよ」というような声がよくテレビで流されていたが、その伝でいけば、福井県の高浜原発は、「北陸電力ではないのですよ。関西電力ですよ」ということになる。
 
 だがしかし、「都会の悪い奴らの為に純朴な田舎が犠牲になった」論に乗っかって意見をいえば、過疎化につけこまれたということはあろうが、札束に尻尾を振るような首長や地方議員を少なからず選んできた地元の責任はある。(都会の者に責任がないということを言っているのでもないが)
 地元経済にとって必要悪で止められないというのは、覚せい剤依存症を肯定するのと変わらない。同種の意見を「街の声」だと言って垂れ流すマスコミもマスコミだ。
 事故が起こってから「想定外だった」「知らなかった」と言ってすべて免罪されるわけではない。少なくとも、フクシマ以後の現下の再稼働に関わってはそう断言できる。

 伊方にしても高浜にしても、マスコミ等では「絶体絶命」の30キロ圏の外はまるで安全であるかのような論調が振りまかれているのもおかしいことだ。
 風向きと風速と地形で大きく異なることは小学生でもわかる。事実、フクシマ事故では200キロ前後の群馬県で高い汚染が観測されたりしている。
 それどころか、フクシマ第1による汚染が最大規模のもので、あれ以上の飛散が今後ないという科学的根拠などどこにもない。

  そこで高浜だが、近畿中部・南部の人間はなんとなく福井県イコール北陸のことだと認識していないだろうか。
 実際には、福井県知事は高浜から概ね100キロ離れた福井市に居る。
 その100キロ圏というと、滋賀県のほとんど全部、京都府のほとんど全部、大阪府の北半分、兵庫県の東と北の大部分が含まれている。フクシマでいえば那須塩原に相当する距離になる。

 人間の脳というものは、あまりに悲惨な未来は想像しない、そういう情報はシャットアウトしようとするらしい。強度のストレスで鬱病(思考停止)を発症するのもそういうメカニズムだろう。
 だから自分自身の壊れることを守るために、冷静に考えれば信用できないことでも、安心のために信じようとするらしい。
 集団的原発性軽度うつ症状とでも言おうか。
 だから、黙っていては流される。おかしいことはおかしい、信用ならんことは信用ならんと百も承知のことをお互いに口に出して言い続けることが大事だと思う。

 以上、原発事故は桁違いに恐ろしいことだ、だからそんなことを考えるよりも、日本の技術水準からすると対応可能だ、フクシマの経験を踏まえたらこそ安全だろう、死亡者数は交通事故以下だ、などという言辞で自分自身を納得させようとしている。それは自然な脳のメカニズムであって、集団的な軽度うつ症状(防御のための思考停止)だと私は書いた。
 だとしたら、メンタルヘルスの常識に属することだが、論駁してもその患者の症状は改善しない。それよりも先ずは傾聴だというのが定石だろう。そこが「メッセージの伝え方」の要石のような気がする。

2016年1月29日金曜日

猿の腰掛

  庭のミモザと私とは相性が悪かった。
 放っておけばやたらと大きくなりすぎるし、剪定すると剪定した枝の周辺が枯れたりした。
 その上に、その見事に黄色い花の満開は、杉やブタクサの花粉症を連想させたりした。
 そんなもので此方が気に入っていないというのがミモザに伝わったかのように、思わぬ方向に枝を伸ばし、またあちこちの枝が枯れていった。
 で、結局幹から伐採したのだが、野鳥の餌台を吊り下げるために、その柱代わりに一定の高さを残して伐採した。

 その柱代わりの枯れ木にサルノコシカケが生えてきた。
 面白いのでそのままにしてあるが、道行く人々は不思議そうに見つめていく。
 腐朽菌はあまり目出度いものでもないから「阿呆な家だ」と思われてか、あるいは「癌に効く漢方薬(霊芝)」として値打ちがありそうだと思われてのことなのかは解らない。

 元気な植物の一方で枯れ木に宿る茸があり、これが我が庭のコンセプト=諸行無常だと自分では言いたいのだが、気に入っていた樹木を何本も枯らしているのでただのやせ我慢のようにも思えて自省している。

 「花鳥風月を言うようになったら人間終わりでっせ」と忠告してくれる友人もいるが、四季の移ろいは自然からの贈り物であり教師である。
 開花にしても落葉にしても通常は1年に1回限りのことであるから、逆算すると私はこの光景をあと何回見ることができるかと考えると、一期一会を大切にしたいと考える。
 劉廷芝は「年年歳歳 花相似たり」と歌ったがそんなことは全くない。花も人も「歳歳年年 同じからず」が真実だろう。
 年賀状を基に住所録の手入れをしたりするとそんな実感が胸に広がる。

2016年1月27日水曜日

蘇我氏の古代

  12月中旬の新聞に岩波書店の広告が出て、吉村武彦著『蘇我氏の古代』(岩波新書)が12月新刊と載っていた。
 経験的には、この毎月中旬にでる広告を見て飛んでいっても未だ手に入らないので、12月末近くに発刊されるだろうとにらんで、年末に書店に行き、「もう絶対に発刊されているはず」と言って探してもらったら、ようやく奥の方から出してもらうことができた。(新刊がなかなか出てこない書店なんて・・・?)

 私は年末も正月も特にない生活を送っているが、せっかくの新刊だからと、別に深い意味もないが正月から読みたくて12月中はあえて1ページもめくらずに飾っておいた。
 そして正月を迎えて読み始めたのだが、これがけっこう学術的で読みが進まず、面白くないわけではないが近頃の本としては珍しく出だしから手古摺った。

 スタート直後から、蘇我氏の「蘇我」は「氏(うじ)」であるが古代の氏は中国・朝鮮の影響を受けて成立したがその実態は異質なものだった・・というところから始まったので、頭の整理のために書架を掻き回して、「〝祖の名"とウヂの構造」(熊谷公男)という短くない論文(展望・日本歴史4「大和王権」東京堂出版)の読み直しからやり直した。

 そんなこともありノツコツしながら読み進め、その分10日間ほどじっくり楽しませてもらった。
 後半は歴史的な分析が中心になっていったので私の興味とも一致した。

 そしてエピローグから引用すると・・・・・
 蘇我氏は、壬申の乱以降、蘇我氏の名前で活躍することはなかった。 
 しかし、蘇我氏の足取りを振り返ったとき、日本の古代社会が、律令制国家の成立によって「東夷の小帝国」を完成させる直前まで、蝦夷や入鹿の横暴さにもかかわらず、日本列島の文明化に果たした役割は大きいものがあった。 
 とりわけ渡来系移住民との強いつながりと進取の気風、それが仏教受容への姿勢に強くあらわれたと思われる。 
 蘇我氏の本宗家が滅亡した改新後は、傍系が政権の大臣として相応の働きをしたが、旧来の氏族の殻を破ることはできなかった。 
 その点で、律令法の導入により、新たな官僚的氏族として羽ばたいた藤原氏とは、顕著な違いがでてしまった。 
 その藤原氏の生き方を、蘇我氏から改姓した石川氏が歩んでいくことになる。 
 新生の石川氏は、歴史の教訓を学んだと思われる。 
 「奢れる人も久しからず」とは『平家物語』のモチーフであるが、古代の蘇我氏の来し方には、まだ物語として文学化する歴史的条件はなかった。 
 蘇我氏の時代は、日本の国のかたちを整えていく上で、人の一生における青年期の初期にたとえることができるだろうか。・・と美しくまとめられていた。

  それでハッとしたのだが、私などは何やかんや言いながら結構日本書紀史観に影響されているなと気がついた。
 「蘇我氏の時代は日本のクニの青年期」などという素直な見方ができていなかった。
 何となく刷り込まれている常識ほど怖いものはない。 

2016年1月25日月曜日

三十一字に歌ってみたいが

 1月25日の朝日歌壇、永田和宏選10首のうち前から5首。

「沖縄のすべてのものはそこに住む人々のもの」文太は激す(秋田市)小松 俊文
知るまいと思う心の貧しさよ沖縄の自治・国の身勝手(横浜市)田口二千陸
忘るなと陛下が語る戦争を過ぎしことだと宰相は言う(奥州市)及川 和雄
もういかん黙っていてはもういかん日本がほんとうに戦争をする(横浜市)沓掛 文哉
平然と難民なじる候補者の支持率あがる恐ろしき国(アメリカ)中條喜美子

 いずれも朝日歌壇の良心のように感じられた。

 特養の家族会会報の正月号の巻頭言の中に、『過ぎた2015年は将来の目で振り返ってみた時に「大きな曲がり角を曲がった」年であったような気がしています。古い市民運動のスローガンに「大砲よりバターを」というのがありましたが、憲法の解釈を変え世界中で後方支援を行う「普通の国」が、高齢者や障害者や福祉を厄介者と考え迷惑と考えるような国にならないように願うばかりです』と書いたが、それを三十一文字(みそひともじ)に凝縮する「才能なし」が悲しい。

2016年1月24日日曜日

ソマリアの海賊

  今日の記事は、自分自身で確認できていないネット上の情報なので、以下、その程度のこととして読んでもらいたい。
 ネット上で、「すしざんまい」の社長がソマリアの元海賊たちにマグロ漁業を教えているという話である。

 ハーバービジネスオンライン(2016.1.18)というWeb上で木村社長は要旨こう述べている。
 ・・・ ソマリア沖はキハダマグロのいい漁場なんです。
 それでさっそく、伝手を頼って海賊たちに会いに行きました。
 そこでわかったことは、彼らだってなにも好き好んで海賊をやっているわけじゃないということです。
 だったらこの海で、マグロを獲ればいいじゃないか。と、彼らと話し合ったんです。

 口で言うのは簡単ですが、まず彼らはマグロ漁の技術を持っていないし船もありません。
 冷凍倉庫も使えなくなっている。
 売るためのルートも持っていない。IOTC(インド洋まぐろ類委員会)に加盟していないから輸出もできなかったんです。
 じゃあ、仕方がないと、うちの船を4隻持って行った。漁の技術も教えた。冷凍倉庫も使えるようにした。ソマリア政府に働きかけてIOTCにも加盟した。獲ったマグロをうちが買って、こうやってマグロ漁で生活ができるようにしていったんです。
 一時は年間300件、海賊の被害があったそうですが、この3年間の被害はゼロだと聞いています。
 ジブチ政府から勲章までいただきました。・・・というものである。

 これに対しては、海賊がゼロになったのは各国の軍隊の結果であり、そうなれば彼の地は商売のタネになると見越した社長の戦略が功を奏しただけだろうという意見もある。
 しかし私は、素直に共鳴してもよいように思う。
 なぜなら、かりに軍事力で海賊を押さえたとしても、貧困の原因を取り除かなければテロやなんかの火種は残るからで、「恒産なくんば恒心なし」だからである。
 ほんとうは後者の指摘どおりかもしれないが、それであってもよいことだろう。
 「北風と太陽」をいうまでもなく、日本の各「社長」は見習ってほしい。
 しかし日本人、ちょっとマグロを獲りすぎ(食べ過ぎ)と違いますか。

2016年1月22日金曜日

保良ばなし

 3年ほど前に『保良宮(ほらのみや)でホラを吹く―藤原仲麻呂の遷都計画―』という講義を奈良大学寺崎保広教授から受けたことがあるが、そのタイトルの奇抜さと私の基礎学力の不足のため、保良宮は、なんとなくパッとしない仮宮程度という理解で済ましていた。
 今回、考古学と文献史学を縦横に論じる小笠原好彦・滋賀大学名誉教授の『藤原仲麻呂と保良宮の造営』という講義を再び聴き、唐王朝の安史の乱を受け、新羅征討計画が具体化し、紫微中台の光明皇后・仲麻呂(恵美押勝)と、太政官の諸兄・豊成という両頭政治が微妙に進行する中で造営された、素晴らしい立地条件の宮であったこと、そしてその場所が、滋賀の石山・田辺台地(瀬田の唐橋の西南方向)の住友第2代総理事伊庭貞剛の別荘であった、現在の住友「活機園」の場所と想定されることを、数々の発掘成果をつなげて推理小説の謎解きのように教えていただいた。充実した講義だった。
 荒っぽく言えば、古い瓦の出る国分遺跡は国昌寺(国分僧寺)であろう、大きな礎石(へそ石)のある国分2丁目は石切り場(の少し下)であろう、石山寺は石山寺そのものであろう。そして、田辺台地の新幹線と名神工事で発掘された遺跡こそが保良宮であろう。そこは素晴らしい台地である。
 そして現在、先生も調査・研究中ということだが、なぜ伊庭貞剛が数ある土地の中からこの保良宮跡を選んで立派な別荘を建てたのだろうかという疑問には、先生同様に大きな興味が湧いてきた。
 続日本紀では悪者とされてしまった仲麻呂が、夢枕で伊庭に顕彰を頼んだのでは・・というとホラ話になるが。
  活機園の洋館は大阪の中之島図書館等を手掛けた野口孫市の設計になり、現在は重要文化財。


2016年1月20日水曜日

伊方の祈り

  伊方原発再稼働の賛否を問う住民投票条例を求める請求署名が、伊方町に隣接し全域が原発から30キロ圏に入る八幡浜市で、全有権者の32.3%に当たる9,939人から提出された。
 30キロ圏というと、フクシマやチェルノブイリでいえばその多くが居住禁止区域になっているから市民の不安は当然だ。
 ただ、地形や風向きによっては100キロ圏でも高汚染地域が出る。そうなると愛媛県は当然、高知県、大分県、山口県も多くの地域が含まれる。

  ウクライナではチェルノブイリ事故後5年時点で年間被曝量が10ミリシーベルトで強制避難だったが、日本政府は事故後3年で20ミリシーベルト/年で帰還できるとした。
 この違いは国民一人一人が考えて判断しなければならないと思う。
 そうでないと、いつでも「知らなかった」「教えてくれなかった」と繰り返すことになる。チェルノブイリの消防士や家族のように。
 2015年ノーベル文学賞受賞作家スベトラーナ・アレクシェービッチの記録した「チェルノブイリの祈り」(岩波現代文庫)のとおり。

  リューシャの夫は夜中に呼び出され朝の7時には病院にいると教えられた。10時には最初の死者が出た。夕方には夫はモスクワに連れていかれ、街には疎開の指示が来た。毎日ちがう夫に会い、毎日耳にした。死んだ、死んだ、死んだ。チシューラが死んだ、チチェノークが死んだ。死んだ。彼は礼装用制服を着せられ、胸の上に制帽が置かれた。靴は履いていなかった。足が腫れすぎて合う靴がなかった。制服も切られていた。普通に着せることができなかったからだ。最後の2日間は私が彼の手を持ち上げると骨がぐらぐら、ぶらぶらと揺れていた。目の前でセロハン袋に押し込まれ、木の棺に納められ、棺はさらにもうひとつの袋にくるまれ、つぎに亜鉛の棺に入れられた。「ハンダ付けをし、上にコンクリート板が乗せられるのでこの書類に署名願いたい」。出産4時間後に娘の死が告げられ、そしてまた、娘を私にわたさないという。・・・・・

 この記録を読んで、私は無知というのは犯罪行為を止めようとしなかったという意味で共犯者となるとつくづくと思った。

2016年1月18日月曜日

佐田岬のポンカン

  友人の故郷・愛媛県佐田岬のポンカンを「お裾分け」と言って戴いた。
 息子ファミリーにも「孫分け?」した。娘ファミリーにも孫分けする。
 甘くて皮が柔らかいうえに温州ミカンにはない独特の香りもした。

 その佐田岬だが、長さ約50キロ、幅5キロ未満、急斜面の細長い半島で、柑橘類の名産地である。
 しかし、輸入物の柑橘類に押され、その上に生産者の離農(過疎化)や高齢化と合わさってその農業は振るっていないようだ。

 そこを見越して? 四国電力は半島の付け根に伊方原発を造り、その再稼働が現在問題になっている。
 中央構造線活断層の上に位置することも大問題だが、岬の住民は地図のとおり「袋のネズミ」となる。
 万が一のときは、急斜面の家々の高齢者を船で大分県に避難させるという絵に描いた餅のような避難計画がある。

 さて、震源分布を世界地図上で見た場合、西ヨーロッパやアメリカ東部と比べるだけでも日本列島の特異さは一目瞭然だ。
 マグニチュード6以上の地震回数は、なんと全世界の20.5%が日本列島で起っている。
 でもそのとき、きっと偉い人々は言うのだろう。「想定外だった」と。
 全原発が停止中でも電力は不足しなかった。
 先進国では自然エネルギー発電の技術革新が驚異的に進んでいる。(原発に拘るあまり日本は大幅に取り残されつつある)
 しかし安倍内閣の強権的な統制の下でマスコミは「再稼働の動き」を粛々と報じるのみ。
 否、原発をなくせば電気代がかさむだの、原発関連事業がなくなれば収入が減る、過疎化が進むだのといった、まるで犯罪者が「私の人を殺す自由を奪うのか」と言わんばかりのロジックを当然のように流している。
 1.17にポンカンを食べながらこの国の将来が悲しくなった。

2016年1月17日日曜日

伝統を踏みにじるもの

 国会が始まり、予算委員会の始まりの始まりに自民党の進藤議員、「伝統的な数え方でいえば今年は皇紀2676年」との言葉から今年が始まった。
 つまり、紀元前660年に神武天皇が即位したという。
 因みに、その話の前提となる日本書紀では、16代仁徳天皇までの歴代天皇の年齢は、127歳、84歳、67歳、77歳、114歳、137歳、128歳、116歳、111歳、119歳、139歳、143歳、107歳、49歳、111歳、143歳という。

 これは人間の寿命ではない。だから「日本書紀はそう書いている」と言うことであれば何の異議もない。しかし、これを歴史的な事実、真実と教えたのが戦前の皇国史観であり、軍国主義のバックボーンの思想であった。

  なにが「伝統的」なものか。明治から昭和20年までのおよそ80年は、日本歴史の上に咲いたあだ花であった。
 真実を真実と語ることを禁ずる狂気の時代であった。
 廃仏毀釈で寺院を打ち壊し、神社にしても村の鎮守の神様を壊して統廃合した時代であった。

 この時代を「伝統的な社会」の見本とするなら、小林多喜二が拷問で殺されたのも、婦人に参政権がなかったことも、オキナワもヒロシマもナガサキも称えるべき歴史になる。
 という性格のことを国会議員が発言したことの意味は大きい。
 それを受ける側の安倍首相は本格的に憲法改正をしたいと答え、「緊急事態条項」なる「戒厳令」を新設するという。

 重ねていうが、彼らの主張は日本文化の伝統などでは決してない。
 こういう狂気ともいえる軍国主義者を「アホな奴」「アホな発言」と軽視してはならない。・・ということこそが戦前の歴史の教える教訓だ。

 ※ 前660年(神武元年)を縄文時代と見るか弥生時代と見るかについては考古学会でも論争があるが、弥生時代に分類したとしてもその開始期だろう。その「文明」の歴史的意義を過小評価する気はさらさらないが、少なくとも後の天皇になぞらえる大王の出現は古墳時代直前(早くて西暦200年代)まで待たなければならない。それが事実を誠実に承認する大人の教養だろう。
 それが建国という概念に合致するかどうかはさらに別の問題である。
 

2016年1月16日土曜日

明日は1.17

  先日、昼の11時少し前に「洋食の店もなみ」に入ったら、開店早々の一番客だった。
 いつもなら外にお客さんが行列をつくっているのに、さすがに11時前だ。
 そんなもので、オーナーシェフと「ついこのあいだ元日だったのに時の経つのは早い」という話になり、「もう日曜には1.17だ」という話になった。

 この店は元々六甲道で有名な店であったが、阪神大震災で壊れ、廃業を決意していたのがファンの熱い声援で大阪で再出発した店である。

 なので、私が「JRで大阪駅を西に行くと街が綺麗になった」と言うと、オーナーは「美しい街が借金の固まりのように私には見える」と意外な回答。
 オーナーの商売人仲間や、融資を回収できない銀行に勤めた友人の話など、美しい外形の底の未解決の悩みを語ってくれた。
 高齢者の二重ローン問題、借り上げ住宅からの追い出し問題も解決していない。
 難しい議論をしたわけではないけれど、直接の被災者の吐く言葉の重みのようなものを感じた。

 そういえば、あの年、北河内の某消防署の「防火管理者」の講習を受講していたとき、講師が講習の本筋から離れて神戸に応援に行った経験を話し、「停電もしていて、地獄のような現地から東の方を見ると、淀川の向こう側(大阪)には煌々と電気がついていて嘘のようにショックだった」と涙を浮かべ声を詰まらせて語った状景を今も思い出す。
 
 あれから21年。オーナーシェフは「毎年のように神戸に向かって黙とうします」と語ってくれた。
 それにしても、追悼の向こうには災害に強い街づくりの知恵の抽出が必要だが、先に交通事故で亡くなった貝原元知事の「大都市は市民を守り切れない」、「災害に強いのは中都市農村だ」との言葉が、頭の中で未整理ながら今も印象に残っている。

 さて、おおさか維新の松井知事は、地震欠陥ビル(大阪府咲洲庁舎)に対策本部を設置するつもりだろうか。
 防災の第一人者・河田恵昭先生は「大阪都構想には防災の観点が全くない」と指摘されているし、喫緊の地下街対策も無策で来ている。
 日本列島で見れば海岸に原発を並べて順に再稼働を予定している。
 このことに向き合わないと、「忘れない」も「語り継ぐ」も空虚な言葉に終わってしまう。
 「大変な時に頑張った」、「助け合った」という美談でストップしたのでは語り継いだことにもならないと私は強く考える。
  
 1.17から数週間後、伊丹から九州に向かう飛行機から見た被災地はブルーシートばかりだった。ラジオは延々と行方不明者の安否情報を繰り返していた。
 あんな光景を二度と見ないで済むように(といって3.11を見てしまったが)、利益だ効率だ・・・有り体に言えば利権だという政治を止めさせ、安全な街、安心のコミュニティーを目指す政治に変えていかなければならないのではないだろうか。

2016年1月15日金曜日

どやどや

  14日に大阪で複数の用事があり、いつもの様に乗車駅で「近鉄ニュース」を手にして電車に乗った。
 このニュースは月刊で、沿線の行事を記したカレンダーのページがある。
 で、14日を見ると「四天王寺の『どやどや』」とあった。
 実はこの歳まで大阪周辺に住んでいて『どやどや』はテレビニュースで見ただけで、実見はしていなかった。なので、予定していた仕事の順序を換えて、午後からは四天王寺に行くことに決めた。

 『どやどや』は四天王寺の古くからの修正会の結願の行事で、天井から降ってくる護符を奪い合う裸祭。
 現代社会、こんな大都会でどんな人が裸祭をするのか? と疑問に思っていたが、四天王寺と縁のある高校等の生徒たちだったので納得。
 だから、般若心経を唱和したりもしていたが、宗教行事というよりも高校の体育行事に見えた。
 先生の叱咤に「おう!」と応える生徒たちも健気で、偏差値の高い男子校に思われた。
 シールズの学生や今の若者にはどう映るか知れないが、わっしょいわっしょいと臭い体育会系のノリと管理教育の匂いがした。私が生徒だったら反発していたかもと思わないでもない。
 ところが不思議なことに、何十年も前に青春ドラマを見て、ベトナム反戦デモに行っていた昔とある種感情がオーバーラップして、「生徒たちにとって、これも懐かしい記憶になるに違いない」と、大いに共鳴する自分がいた。チームスポーツで勝利したときの高揚感と似ているかも。

 寒風の下、生徒も先生も締め込みで、周りからはひっきりなしに水を浴びせられ、声の限りにわっしょいわっしょいもいいものだった。

 行事が終了後、お堂で「お菓子」が頂けるというアナウンスがあったので並んだら、お坊さんから頭に牛王宝印楊枝というのを押し付けて御真言を唱えてもらって、ありがたい「お加持」を頂いた。

2016年1月14日木曜日

街路樹の剪定

  家の前(裏?)の街路樹であるケヤキの剪定があった。
 落葉樹の正しい剪定時期ではあると思われるが、1か月ほど早く来てくれていたのなら、あの膨大な落葉掃きの労力が軽減されていただろうにと思わないでもない。
 実際、すぐ先の道路の街路樹は落葉前に剪定されていた。
 ただし、少し離れた奈良市側のナンキンハゼは、これから紅葉が始まるという段階で丸裸にされていたが、あれも如何なものかと思う。
 同じように、例年このケヤキの下の椿は3月ごろの花盛りに剪定にやって来る。これもバッドタイミングだと思っている。

 とはいえ、単年度会計を担当してきた仕事の記憶からすると、年度末までアクシデントに備える予算を留保しておかざるを得ず、ほゞ先の見通しの立った段階で執行を解禁する自治体の苦労も理解できる。
 軍事費などは事実上複数年会計が認められているが、庶民の生活に関わるところはこういった状態だ。
 ニュースで見る不当会計の問題も、最初は円滑に執行するための流用であったように想像するケースもある。その流用が重なると、会計の不正の温床になる。
 だから単年度会計の一部見直しのことをブログ等で提起したことがあるが、どこからも反応はなかった。

2016年1月13日水曜日

七分袖

ネットにはあるのだが
  インナー、・・・肌着の話だが、半袖では寒いし長袖が手首に見えるようなのも嫌だし、ということで私は七分袖のインナーを着ている。
 それが、今年は七分袖のインナーが全く売られていない。

  近所のイオンモール2箇所、平和堂、それならと覗いてみたしまむらまで、置かれていなかった。
 現に私が何着も持っているのだから、以前は普通に売られていたのだが、今年はどうも見当たらない。不思議なことだ。
 需要がないから供給されないのだろうか。寒ければ長袖、やせ我慢なら半袖にしろ、七分袖は中途半端だというのが。
 私の好みがどうも世間の大勢と若干ズレているような気がしないでもない。
 昔、福助のふくらはぎのところが開いているハイソックスが気に入っていたときもそうだった。直ぐに生産中止になったようだ。

 ただ今回の七分袖はただの見栄ではなく、血圧を測るときに簡単に腕まくりができるという、非常にリアルな利点を考えてのことである。
 半袖はちょっと寒い。長袖の比較的絞まった袖口をまくりあげると腕が締め付けられる。インナーを脱いで計るのはなお寒い。で、比較的袖口が緩い七分袖というのは合理的選択だと私は思うのだが・・・・。
 そして、ついに見つけた七分袖のインナーというのは前開きとセットになったインナーだった。ご想像のとおり、それって俗にいう介護服だろう。いくら合理主義者だといっても、この歳でこれを着るのには躊躇する。
 メーカーの皆さん、普通の七分袖作ってください。
 七分袖! なんでそんなに人気がないのかなあ。

 そんなこんなで、長袖を鋏でチョキチョキチョキとしたら、目分量でやったので五分袖になってしまった。これこそ、中途半端やなあ。

2016年1月12日火曜日

帰り花と言って欲しい

  正月早々記録的な暖かさで、雪を前提にした旅行やお商売の方には申し訳ないが、高齢者にとっては有難かった。
 そんな日の散歩がてらに撮った2枚の写真。
 「狂い咲き」などと言って欲しくない。

 上の写真はサクラ、下の写真はヤマボウシ。
 やはり「狂い咲き」よりも「帰り花」がいい。
 しかし、この花たちで春の訪れを感じるというよりも、やっぱり自然の神が不機嫌な様子なのではないかと想像してしまう。
 
 以前に書いたが、春日の神は政治が乱れるとそれを怒って春日山の木々を枯らしてしまう。それを山木枯槁というらしい。(春日権現験記)
 なので、神は安倍政権に怒り心頭なのだろう、昨年は春日山を始め京阪奈周辺広い範囲で「ナラ枯れ」が発生し、我が庭の主木であるヨーロッパブナも枯れてしまい、この正月にそれを伐採した。
 主木ですよ 主木。
 赤銅色の葉っぱが自慢だったのに。
 とんだとばっちりである。

2016年1月11日月曜日

家内安全

  私の場合、お正月というと、三が日の初詣よりも十日戎の方がより親しい新年の行事のように感じている。
 祖父以前が商家であった名残りなのだろう。
 ということで、10日に京都ゑびすと八坂ゑびすのハシゴをした。
 昨夏以降いろいろあったので夫婦で外出したのは半年ぶり。
 大難小難。難はあったが考えようによっては小難?で今日を迎えられていることに感謝している。
 ほんとうは世界の平和や広く国民の福祉の充実を祈願しなければならないのだろうが、今年はいたって小市民的に家内安全をお願いした。
 もっと言えば、孫の凜ちゃんのことだけをお願いした。

 この、それほど遠くない二つのえべっさんのハシゴのよいところは、京都ゑびす神社には社殿の横にドンドンドンと叩く場所があり、そこを叩いて耳の遠いえべっさんに「たのんまっせ」と言えること。やっぱりこれをしないとえべっさんの気分にならない。
 八坂の方はこじんまりしている上に大黒さんもあり、えべっさんでも大黒さんでも参拝者一人一人に鈴を振ってお祓いをしてくれる。ただしその前に賽銭箱が置かれているのでなかなかロハでは素通りできないから小銭がいる。

 福笹には今年は箕をつけてもらった。この種の吉兆は1~2点に抑えておくようにというのが家訓である。何かの年に派手につけて翌年減らすのは良くないという。道理である。
 そして例年どおり先斗町で少し御酒を戴いて帰ってきた。

 ご利益信仰など低レベルの精神かも知れないが、これで今年も頑張ろうと思えばいいかもと思っている。
  非合理的な俗信とのご批判もあろうが、信仰だとか神詣りというよりも季節の年中行事だと感じている。
 そもそもこういう年中行事というのは、庶民が神さんを出汁にして季節の折々に楽しむ口実ではなかっただろうか。
 もしそうだったとしても、神も仏もそれだけでも存在意義があるように思ったりする。
 ただその地で憲法改正の署名をするようなこと(神社本庁)は論外だが、ふたつのえべっさんではそういう場面がなかったので良かった。ニュースによると今年の初詣ではそういう光景があったようだ。
 ただ近所では正体不明の「恵まれない児に」云々という例の寄付を募っていた。統一教会の行動だろう。

 もう一つ気になったことは、人の流れが「空気」に大きく誘導されていること。
 電車の窓から見た伏見稲荷も人が多かった。
 先日来テレビで紹介された京都ゑびすも多かった。錦市場も。そして一歩横にそれた祇園白川は立派な街並みなのに人がまばらだった。マスコミ・・、テレビや雑誌が推薦する地に誘導されていることが明らかだった。
 特定の観光地に誘導されている分には、戦場に誘導されるよりは何万倍もましだろうが。少し気にかかる。

2016年1月10日日曜日

GDPの大いなる勘違い つづき

 昨日の記事で日本の一人当たりのGDPは先進国中最低ラインと書いたが、その「貧しさ」を少なくない日本人は理解しておらず、「我々は恵まれているんだ」と誤解していないだろうか。
 こんなことをいうのは、私自身がこの「最低ライン」という事実を知らずに、なんとなくトップクラスの経済大国の国民だと思っていたからである。
 そういう、「日本は経済大国だ」という誤解ゆえに、総じて政治の無策や不正を甘く許してこなかっただろうか。
 トリクルダウンは、先日竹中平蔵氏が「ありえない」と発言をしたが(この間までそのように言ってきた張本人であるのに)、一方で、言葉ではトリクルダウンを批判していた者の中にも、心の底では「大企業の収益増が必須要件で、シャンパンタワーとまではいかなくとも、いくらかは滴り落ちてくると、どこかで思っていなかっただろうか。
 どこかで、今は少々停滞しているが、日本は驚異的な経済成長を実現した経済大国で、そのうちに再び回復するだろうと根拠もなく信じていないだろうか。
 そういう「信仰」を支えてきたのは書籍を含むメディアなどだろうが、いわゆる一億総中流という状況もそれを肯定させるものだったと私は思う。
 それが今、労働の場では非正規雇用が半数近くになり、社会保障では自己責任論が取り上げられ、中流の下流化、労働人口減、高齢者増、各種インフラの更新期・・・を迎えている。
 「君たち日本人は素晴らしい」だとか「今はどん底でも必ず良くなる」という言葉は耳触りがいい。
 人はそうあって欲しい言葉を信じようとして、根拠もなく信じてしまうものなのだ。
 消費者の購買力が上がっていないのに株価は高いという、こんなことが何時までも続くはずがないとは誰もが思っている。
 それでも、超高学歴の専門家がその渦中にいるのだからまさか破綻まではいかないだろうと信じたい・・が、「信じる」になっていないか。
 リーマンショックやサブプライムローンのときも、こんなバブルが果てしなく続くはずはないと誰もが考えながら、それでも「専門家がそんな破綻を許すだろうか」・・「破綻はしないだろう」と自分自身を信じさせたのだと思う。
 無知は犯罪にも似る。冷静に経済を直視しないと、やっぱり「想定外の事態だった」と説明されるという状況に落ち込んでから泣きを見る。
 想定できることを想定しないというのも反知性主義の一側面といわれている。
 国民一人当たりのGDPは先進国中最低ラインという事実を直視して考えをすすめたいと反省している。

2016年1月9日土曜日

GDPの大いなる勘違い

  先日、BS日テレの『久米書店』にイギリス人アナリスト、デービット・アトキンソン氏が出ていて、人口を計算外にしたGDP論はナンセンスだと言っていた。なるほど日本は結構人口大国である。
 また、戦前のGDPの水準からも決定的に崩壊した終戦直後を起点にして経済成長を論じるのも同様だと。
 一言でいえば世界第2位(今は3位)の経済大国とか経済成長率というのは・・そんなものは・・意味がないと。
 そういえば、かつて、マルクス経済学者故辻岡靖仁氏が戦後人口の急増が経済成長を演出したと言っていたなと思い出した。
 そう、なんとなく日本は世界に類を見ない経済成長を達成して経済大国になったという神話を、私たちは誇らしく?信じすぎてきたようだ。
 アトキンソン氏は、日本の国民一人当たりのGDPは先進国中最低だと指摘していた。

 確かに、内閣府が12月25日に発表した2014年国民経済計算確報によると、国民一人当たり名目国内総生産(GDP)はOECD34か国中20位で、その数字は民主党政権時から2割以上落ち込み過去最低だと井上伸氏は指摘している。
 それでもアベノミクスを評価し内閣支持率が一定程度あるのは全く持ってマスコミのせいだろう。

 私たち(多くの国民)は、先進国中最後尾の経済状況で、かつ、さらに低下しつつあり、さらに加えて格差拡大で下流国民へと捨てられていっているにもかかわらず、我が国は経済大国だと信じ込み、そんな無策で棄民政策の政府を一定支持し続けているのである。
 これはマインドコントロール、催眠状態でしかないように思う。
 多国籍企業となった大企業本位の経済政策をすすめれば、いつかは「おこぼれ」が庶民に滴り落ちてくるという神話(アベノミクス)をいつまで信じれば気が済むのだろう。

 応能負担原則に立って、儲かっているものが税金を負担して庶民の暮らしと福祉を充実させ、その購買力で日本列島内の経済を循環させるという当たり前の原則でこの国を立て直したいものである。
 社会保障充実のために消費税が導入されたと未だ信じろというのだろうか。

2016年1月8日金曜日

野良鳥に愛を

すぐ後ろがガラス戸
外部から撮影
  街に「野良猫に餌を与えないでください」という貼り紙があった。
 そのうちに「可愛いのなら家に連れて帰って育ててください」と追加されていた。
 そのとおりだと私は思った。
 愛犬も愛猫もよいが、他人の家の周辺で野良猫に餌だけやるという優しさは偽善のような気がする。
 
 そこで、ふと思ったが、野良鳥(のらどり?)に餌をやるのは問題ないだろうか。
 以前の記事に書いたが、窓のすぐ側に餌台を追加した。
 餌はハムスター用として売っているヒマワリの種である。
 やって来るのはヤマガラで、その他の野鳥は室内の人間が間近に見えるそんな窓際まではやって来ない。
 ヤマガラは餌台が空だとニイニイニイニイと催促する。明らかに催促している。
 そして補給したのを見たならば間髪を入れずに飛んでくる。
 このヒマワリの種だが、みんな殻を被っている。
 だからヤマガラは種をくわえて近くの木の枝や電線に留まり、そこでコツコツコツコツと殻を割って中身を食べる。バラ用の鉄パイプのアーチ上でそれをやったら驚くほど大きな音だが、そんなことには無頓着だ。食べ終わったら又やって来る。

  その結果、我が家の周辺(道路や隣家)にはヤマガラが捨てたヒマワリの種の殻が散らばっている。
 ごく普通の市民はそれがなんであるかは気づかない。まあ普通はそうだろう。
 しかし、そのうちに「あれはあの家から発生したヒマワリの種の殻だ」と気づく人が出て来るかも知れぬ。
 そのとき、「野良鳥に餌を与えないでください」と貼り出されたら嫌だなあと取越苦労をしている。
 それまでは知らぬ顔をして、ごく普通に周辺道路を清掃してくれている善意のおじさんでいようと思う。ああ、これも偽善かも。
 「ヒマワリをやるなら連れて帰ってください」と貼り紙をされてもそれはできないし違法になる。
 実際には、そんな悩ましいことはほとんど気に介せず、孫の凜ちゃんにヤマガラを見せて喜んでいる。

2016年1月7日木曜日

抑止力って?

  北朝鮮が水爆実験を行ったと発表した。
 爆発規模が小さいので誇張があるという報道もあるが、大筋のところはほんとうだろう。
 狂気の沙汰だと思うし、許すべからざることだと考える。

 同時にこれは、安倍首相らが唱えてきた強い軍事力が抑止力になるという呪文が全く意味のないものだったことを示している。
 究極の軍事力による抑止力というなら、特殊部隊が彼の国の首脳陣を根こそぎ暗殺するか、一般国民もろとも大量殺人するしかなく、それをロシアンルーレットのように度胸試しするしかない。
 その途中で誰かの頭がプチンと切れたら日本列島全体の被爆を覚悟しなければならない。日本海側に多数の原発を並べた国が何を寝ぼけているのだろう。

 ただ、こういう場合に為政者やマスコミが恐怖感や危機意識を情緒的に声高に叫ぶなら国民が熱狂する恐れがある。9.11後のアメリカがそうだった。
 強がりをいう者こそ怖がりだというのが真理だが、人はシバシバ強い言葉に逃げて自分を正当化しようとする。
 安倍内閣の外交無策を指摘しながら、外交こそが平和を作るという王道について語り続けたい。
 弱そうに見える言葉がほんとうは一番強い。

 因みに、世の中の出来事は冷静に検討しなければならないという証拠を二つ。
 ひとつは、2008年9月、防衛省が足摺岬沖で国籍不明の潜水艦が領海侵犯したと大きく発表。軍事アナリスト小川和久氏は中国海軍の潜水艦に違いないと。しかし1週間後それは鯨を誤認したものと小さく訂正された。
 ふたつは、1994年にクリントン大統領が北朝鮮空爆を一旦決定。そのときの統合参謀本部のシュミレーションは、開戦90日間で52,000人の米軍が被害を受ける。韓国軍は490,000人が死亡。在日米軍と在韓米軍62,000人の約8割に被害。米国人80,000人~100,000人を含む民間人1,000,000人が死亡するというものだった。

2016年1月5日火曜日

当事者民主主義

  日頃、「新聞を読んでるだけではあかん。本を読まなあかん」と言ってきた私だが、正月のしんぶん赤旗は、このブログの3日の記事に書いたように読みごたえがあった。さらに4日の新春対談は作家の高橋源一郎さんと文芸評論家の斎藤美奈子さんでこれも印象に残った。

 先ず中見出しの「観客民主主義から当事者民主主義へ」がいい。ただ正直にいうと、これまでの民主運動を束ねて「動員の運動」だとか観客民主主義と規定するような昨今の風潮には当事者として異議もある。大阪で黒田革新府政が生まれた時代の運動には随所に創意工夫があったと思っている。また、それだけではない。
 ただ、総体として見た場合、戦争法案以前に、動員待ち指示待ちで工夫のない経験主義が少なからずあったことは明らかだ。

  そこで記事の中に入って元日号の中野晃一・志位対談の続きのようになるが、「学生たちの運動と巨大ネットワーク」という中見出しの中で高橋さんが、「SEALDsは、まずデモのプロモーションビデオを作るという、その発想にびっくりした」「デモのビラは受け取られにくいけど、プロモーションビデオは面白いって見てもらえる」と述べていたのには私も正直感心した。
 そして、「SEALDsはインターネットのラインを使ってますよね。それぞれが、また別の人とラインでつながっているから、巨大なネットワークが、潜在的にできているんですよね」というくだりにも・・・。
 こうして対談は、2015年の戦争法案反対の運動を、当事者民主主義の出発点だったと評価している。

 まとめのところで高橋さんは、「民主主義の理想の形は、真ん中に障害者や認知症の老人、子どもなど、いわゆる社会的弱者をおいて、それを囲むように、みんなが平等で同じ権利を持っている、そんな状態ではないかと思います。弱い彼らがいるおかげで周りの力が引き出されて活性化する。多様性が実現している社会が一番強いんです」、「格差が広がってくると、他者を排斥する圧力が強まってくる」と述べ、斎藤さんは、「効率は悪くても多様性を確保しておく方がずっと合理性が高いんですよ。長い目で考えると、そういう社会の方がはるかに豊かでうまく回る」と応え、「私は『ついでに作戦』と呼んでるんですけど、用事のついでに『ところで安倍政権は困ったもんだ』と書いたりするわけ、メールに。茶飲み話のついでにポロッと言うとか。相手も同じ思いかもしれない。そうやって広げていく」と語っていた。
 いろんな形の当事者民主主義! それっていいんじゃないでしょうか。

 元日の志位さんも、「戦争法に反対するたたかいは、一人ひとりが主権者として、自分の頭で考え、自分の言葉で語り、自分の足で行動する、自由で自発的な行動がおこったという点で、戦後かつてない新しい国民運動といえると思います」と述べていた。
 民主的な陣営の人々が、この二つの新春対談を自分のものにしたなら社会は変わるように私は感じた。
 

2016年1月4日月曜日

金箔を食す

  ちょっとバブル期のような他愛のない話で恐縮だが、孫の夏ちゃんファミリーから正月休みのお土産に食用金箔をもらった。
 が、「戦後」を知っている我が夫婦などはこういうもったいないお土産を持て余してしまって、いつまでも使わないままなおしてしまってしまう。
  でも、全く使わないのも好意に応えることにならないので、今回は決断をしてお酒や料理やデザートにみんなで振掛けて盛り上がった。(ああ、なんという貧乏性だ)
  なお、夏ちゃんに「みんなの料理に振掛けて」と言ったら鼻息でわあ~と吹き飛ばして、みんなが「もったいない」と大慌てで、それも楽しかった。
 それに、吹き飛ばされた金箔は座卓に引っ付いて取れなくなった。ほんとうに取れない。だから、蒔絵のようでそのままにしている。

  おまけに、私の知らなかった能登名物という荒巻鮭ならぬ「巻鰤」も貰った。
 これは予想以上の絶品だった。
 テレビのグルメレポーターなら「美味い!」「甘い!」と叫びまくるだろうが、基本は塩味で〆て寒風に干したもので甘くはない。
 それに土産用なのだろうが藁と縄で巻いたその姿も立派だった。
 
 お節料理というものは本来が代わり映えしないものだが、金箔と巻鰤が今年のお節を思い出深いものにしてくれた。

2016年1月3日日曜日

メッセージの伝え方

 しんぶん赤旗元日号のトップ記事は、上智大学中野晃一教授と共産党志位委員長の新春対談で、全体では3頁半もあるものだったが、「立憲デモクラシーの会」の中心メンバーで2015年の市民運動の立役者の一人であった中野氏だけに内容の濃いものだった。
 「科学的社会主義と個人の尊厳、個人の尊重」など興味のある話も多かったが、「メッセージの伝え方」という小さくない「中見出し」の部分の対談も新鮮な話題が多かった。中野氏の発言のごく一部を摘んでみると、

  ・・例えば、シールズの皆さんと理念などを議論すると、ではどうやってそれをビジュアル化するのかということを徹夜作業並みの時間をかけて議論する。
 ・・「学者の会」などはおそらく自分たちは正しいメッセージをもっているから、それは伝わるだろうという、ある種のおごりもあるんだと思う。
 ・・もう一つは、伝えたい相手に対する敬意、若者の言葉でいうとリスペクトで、われわれに欠けていた。
 ・・われわれ大学の教員と共産党というのは似ていて、同じようにうっとうしいように思われている(笑い)。常に正しい答えを知っていて説教しているようなところが多分にある。
 ・・メッセージの伝え方について、もっと謙虚にあるべきではないか。・・・・など。

 これは私などがミニコミ紙などを作る時にも大いに参考になる意見だとつくづく思った。
 ともすれば、どこかで読んだ文章をつなぎ合わせたようなお説教口調になっていないか。
 一本調子で政治や社会への不満や怒りの言葉だけになっていないか。
 仲間にしばしば「読んでくださる方へのお手紙のような気になって書こう」と言っても「そんな難しいことを言われるならよう書かん」と反発されてきたが、やっぱり大事なことなのだ。
 仕事で「名ばかり管理職」であったころ、私は「気配り・心配りを大切にしよう」と言ってきたが、同じことで、それはメッセージの手練手管ではなくリスペクトの問題だ。

 そういえば、何時かの記事にも書いたが戦争法案の頃ターミナルで、「これは、あんたらのことなんやで」と若者に説教口調で演説をしていた人がいたが、その口調から「ああ、あの演説は若者の心には届いていないなあ」と私は感じた。そんなこともある。
 正月から再認識させられる内容豊富な対談だった。
 2016年、心して歩みたい。

2016年1月2日土曜日

めでたくもなし

  旧冬某日、義母が誕生日に施設からプレゼントをもらったのに機嫌が悪かった。
 妻が解説するには、誕生日で‟歳をとった”という事実を突き付けられたことによる老いの恐怖からくるものだと言う。

 そういえば、私が元日に歳時記をめくってみたら、去年今年あつといふまに吾れ老いし 草間時彦 というのが最初に目についたのも同じ心の波長かも。
 門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし は一休宗純の狂歌と言われて広く知られているが、まさに真理だろう。

 で、その俳句と狂歌だが、その大前提は数え年である。生まれた時(年)が1歳でお正月ごとに歳をとる
 友人たちと飲んでいた折に「数え年の正しい数え方は?」という話になったほど近頃では影が薄いが、閏月があったりした昔では満年齢の方が出る幕もなかったに違いない。
 と考えてみて・・・・・そこで、腰を抜かさんばかりに私は驚いた。下世話な表現を使えば びっくりぽんや!
 つまり、まだまだ先のことだと考えてきたが、正しい数え年で数えると、私は元日に古稀を向かえていたのである。
 あの杜甫が「曲江」と題する七言律詩で歌った「人生七十古来稀なり」・・・・である。
    酒債尋常 行処に有り
    人生七十 古来稀なり
    酒代の借金は当たり前のこと 行く先々についてまわる
    どうせ人間 昔から七十まではめったに生きられるものでない・・・・といささかやけっぱちであるが、後に続く句は詩的に結んでいる。鑑賞は別途各自でお願いする。

 だとすると、私はいわゆる「早生まれ」「得生まれ」だから前年の4月から12月生まれの同窓生たちは昨年古稀だったことになるが、誰もそんなことを話題にしたことがなかった。
 それどころか、大晦日にわざわざ「来年は古稀です」とアップしていた友人もいた。同窓のちょっと先輩!貴方、数えでは71ですよ!
 先の酒席でも、ほとんどの人が「数え年の数え方」に自信がなかったのだからこれもあたりまえか。

 お偉い方々には、年金開始年齢の引き上げなんかを議論するのでなく、長寿の祝いの引き上げを検討してもらいたい。少なくとも古稀の祝いは不要なように思う。
 実際、長寿の祝いって「めでたくもあり めでたくもなし」で、本人には誠に微妙である。 

2016年1月1日金曜日

迎春

 月並みですが、明けましておめでとうございます

 写真のお猿さんは12年前の年賀状にも掲載したもので我が家の鬼門の守り神。
 夜中に市中に出かけてワルサをしないように金網に入れてある。
 そういう古い陰陽道の迷信など全く信じていないが、この国にそういう迷信があったという歴史をあれこれ考えるのが大好きなので鬼門の隅に鎮座してもらっている。

 申年なので今年の年賀状にはきっと三猿が多く登場していることだろう。
 「見ざる、聞かざる、言わざる」が、長いものには巻かれろ的に俗な処世術として理解されるのは論外だが、社会の巨悪に対して「今年はよく見て、よく聞いて、はっきり言っていく決意です」的な安易なコピーも少なくないように想像する。失礼。
 この三猿、古代エジプトやアンコールワットにも見られるものでなかなか奥が深い。

 日本では日光東照宮の左甚五郎作のものが有名だが、講談、落語、浪曲、松竹新喜劇などでは飛騨(高山)の匠といわれている左甚五郎のルーツが大阪の泉州にあると言うと驚く人が多い。
 和泉国三ツ松(大阪府貝塚市三ツ松)生まれ番匠・岸上甚五郎左義信・・・・十歳之節より日々山林に入、職分修業いたし夜々彫物等迄修業いたし十六歳之節大和国多武峰十三重塔建之、泉州堺妙国寺門建之、蟇股猿彫物刻之、伏見石清水八幡宮拝殿建之、彫物共彫刻之・・・・と、江戸和泉(岸上)家の由緒書にある。
 建築技術者集団の番匠であった永正元年(1504・室町時代)生まれの岸上甚五郎左義信の子孫が徳川幕府に招かれて江戸へ行き、和泉国の和泉と姓を変え、江戸城や東照宮の造営・造替工事に参画したのである。
 このため、泉州の「だんじり」や「ふとん太鼓」の彫物には素晴らしいものが多く、中には左甚五郎作というものもあり、その真偽は別にして、確かにその流れをくむ大工や彫物師の手によるものと思われるものがある。〔雑誌「堺・泉州」第3号見學稔氏の論文から〕

 まあ、こんなどうでもよいような記事(事実、甚五郎の出身地については各地に諸説ある)を今年も書き続けてみたい。
 だいたいがこのブログのコンセプトは「京阪奈の役にも立たない些細な日常」だから許してもらおう。
 記事の粗製濫造とのご忠告を聞き流し、「継続は力なり」と言い張ろう。そも「量質転化の法則」は弁証法の基本法則のひとつといわれている。これ牽強付会ですか。
 どうか、よければ今年もお付き合いをお願いします。