2016年12月31日土曜日

祝箸

   お正月の準備というといくつかあるが、ここ数年の私の大きな仕事のひとつは祝箸の箸袋の制作である。

 箸袋を自作しようと考えた理由は三つある。
 一つは、私が悪筆のためパソコンで名前を書くことにしたこと。
 二つは、近くの有名なショッピングモールは住所が京都府であるにもかかわらず置いてあるのが全て東京風の「頭から差し込むスタイル」で、わが家のしきたり通りの関西風の下から差し込む箸袋が容易に手に入らないこと。
 三つは、習字をしない罪滅ぼしでもあるが、オリジナリティーのある箸袋にしたいこと。・・・である。

 問題はオリジナリティーであるが、今回は一般的には「寿」のところを「吉兆」とした。(ちなみに昨年は「笑門来福」)
 この文言は、言わずと知れた「めでたいことが起こる前触れ」で、悪政の推進者達の数々の破綻とそれに代わる市民運動と野党共闘の成長を思い浮かべて選択した。
 そして、この言葉が空振りに終わらないよう向かう一年努力したいと思う。

   だいたいが、願いや祈りというものはあまり具体的で生臭いのはよくない。
 なので今回は「吉兆」という文字の選択で満足している。

 ちなみに、わが家では初詣に行かない年があっても、十日戎にはほとんど欠かさず行っている。
  その福笹につけてもらう小宝が吉兆で、銭叺(ぜにかます)・銭袋・末広・小判・丁銀・烏帽子・臼・小槌・米俵・鯛等の縁起物を束ねたもので、「野の幸」・「山の幸」・「海の幸」を象徴したものと今宮戎のHPにある。
 さらに続けて、江戸期に作られた歌謡にも「十日戎のうりものは、はぜ袋に取鉢、銭かます、小判に金箱、立烏帽子、米箱、小槌、たばね熨斗、笹をかたげて千鳥足」と歌われていたと書かれている。(らしい)

  パソコンでつくる箸紙ゆるされよ

  節料理吉兆の字の箸袋

 安倍晋三氏は、酒席でもてなしたマスメディアの「真珠湾訪問礼賛」記事を利用して、年明けにも解散総選挙を仕掛けるかもしれない。
 そうなれば、「しめたガッテン」と東京弁で応じたい。
 2016年一年間、拙いブログのご愛読に深謝、深謝。
 2017年、吉兆を正夢に・・・。
 どうか好いお年をお迎えください。

2016年12月30日金曜日

2016年沖縄であったこと

   裁判官は人事異動で法務省という行政府の官僚になることもあることをご存知だろうか。
 行政府のトップは内閣総理大臣で、かつては各省庁で決定されていた上級幹部の人事が現在は内閣府が一元化している。
 つまり、三権分立の建前はあるものの、司法の中心を担う裁判官の人事も事実上行政府(内閣)の意向が大きく関与している。

 ところで福岡高裁那覇支部は、通常、裁判官の在任期間はおおよそ3年であるところ、前任者がわずか1年で転出し、赴任してきた多見谷裁判官も前任地を1年2ヵ月で異動してきた。
 辺野古代執行訴訟対策のための政治的な人事異動といわれている。

  結果(判決)は予想どおり「基地問題は国が考えることだから地方自治体は文句を言うな」というものだった。
 そして最高裁は12月20日沖縄県の上告を退け、敗訴した沖縄県は26日「埋立承認取消処分」を取り消した。

 奇しくも26日、琉球新報や東京新聞に元日本兵飯田直次郎さん(95)の手記が紹介された。
 それによると、1945年6月、摩文仁の壕に潜んでいたとき周辺住民や海軍兵から「ひどい軍曹がいる」と聞いた。
 住民や子どもを殺害したり女性を強姦したり食料を略奪したりするほか、その一帯で水が飲めた唯一の井戸を独り占めしているというものだった。
 飯田さんは実際にその悪行を目撃し、ある晩、井戸で住民に嫌がらせをしているのを見つけ、「もう限界だ」と考え軍曹を射殺したという。(思うに、この軍曹もきっと靖国に奉られているのだろう)

 また、本島南部の激戦時、食料が尽きた日本兵どおしが殺し合う事態も「よくあった」という。
 「戦場では人間が人間でなくなってしまう」と振り返り、「沖縄の人々にとって戦後は終わっていない」と語っている。

 この記事を読んだからというのではないが、安倍政権の姿勢には対米従属だけでなく、沖縄の人々に対する差別意識があると私は思う。
 なので、それの批判をしないというのは間接的ではあるが加害行為に手を貸していることになる。
 原発問題しかり、いじめ問題しかり、見て見ぬふりこそ現代日本の病巣ではないだろうか。
 「見て見ぬふり」! どうすれば法律以前に倫理がある社会ができるのだろうか。
 心ある宗教家の力をお借りしたい。

    (さる)師走美ら海(ちゅらうみ)黙れと判決文

 沖縄県は、官房長官の慇懃無礼な言い方をなぞれば「法治国家ですから、最高裁判決を受けて『取消しの取消し』をおこなった」。しかし、辺野古の工事に関しては今後もまだまだ地方自治体の権限に属する手続きは生まれてくる。そのとき、法治国家ですから国はその手続きに従っていただこう。つまり、闘いはまだまだ続くし、どうしようもなく敗北したわけではない。

2016年12月29日木曜日

証拠隠滅

   外務省のHPからPKO参加五原則を引用すると・・・、
  1)紛争当事者の間で停戦合意が成立していること
 2)国連平和維持隊が活動する地域の属する国及び紛争当事者が当該国連平和維持隊の活動及び当該平和維持隊への我が国の参加に同意していること。
 3)当該国連平和維持隊が特定の紛争当事者に偏ることなく、中立的立場を厳守すること。
 4)上記の原則のいずれかが満たされない状況が生じた場合には、我が国から参加した部隊は撤収することができること。
 5)武器の使用は、要員の生命等の防護のための必要最小限のものを基本。受入れ同意が安定的に維持されていることが確認されている場合、いわゆる安全確保業務及びいわゆる駆け付け警護の実施に当たり、自己保存型及び武器等防護を超える武器使用が可能。

・・・と書かれているが、自衛隊が派遣された南スーダンではとっくに「停戦状態」は終了し「戦争状態」、否もっとひどい「民族浄化」が進行中といわれている。

 そこで、政府軍(大統領派)と前副大統領派が戦闘を行った7月7日から12日の派遣部隊の活動日誌をジャーナリストの布施裕仁氏が行政文書開示請求したところ、「すでに廃棄して不存在」と防衛大臣名で不開示の通知があった。

 これは秘密保護法以前の証拠隠滅ではないだろうか。
 結局、国民には何も知らされないまま、自衛隊員が死に、住民を殺し、そしてわが国民が戦争に動員される「いつかきた道」と言っていい。

写真は太田理著「たてつの飛行場」から転載
   2011年7月9日に「松下飛行機と盾津飛行場」に書いたとおり、私の父は松下飛行機(株)の結構な幹部社員だった。
 父は私が小学生の時に死んだから詳しくは聞いていないのだが、敗戦時には徹底して軍に関わる書類等を焼却したと語っていた。
 ただ、自分の歴史が全て抹消されるのが惜しかったのか、本当は焼却隠滅すべき印箱が家にあり、そこには軍関係のゴム印が入っていた記憶がある。
 あちこちの軍の部署でも同じような証拠隠滅が行われ、影響なしと選ばれた証拠と、隠滅できなかったわずかな証拠だけを我々は現在知り得ているだけなのだ。

 2011年に私が国立国会図書館に行ったときも、「残念ながら軍需工場の史料」はほとんど残っていない」ということだった。

 現代も70年前と同じでないか。
 なので、我々は「何もかも知っている」などと決して思わない方が良い。
 否、相当取捨選択された情報に誘導されていると思った方が良い。

    スーダンの日誌は雨林の闇の奥

2016年12月27日火曜日

2016年新潟で起こったこと

 テレビは特番ばかりだ。
 それを見ると、売れている芸能人は皆海外旅行に飛び立ち、「庶民諸君はこの程度の特番で喜んでおいてくれたまえ」との置手紙を読まされたような気分になる。
 だからほとんどテレビなど見ないのだが、やはりこの時期になると「この1年を振り返って」というような内容が目につく。
 
   そういう風に振り返ってみると、2016年の出来事で忘れてはならないのは新潟県知事選挙ではなかったかと思う。
 年末までの国会を見ると、年金切り下げ、TPP承認、カジノ推進法、等々の強行採決が続けられ、正直なところ気分が塞ぐ。ともすれば無力感に覆われる。
 しかしそれが、実は、自公維の強さの表れではなく、虚構の強さ、本質部分での行き詰まりの表れであることを示しているのが、時系列では後先になるようだが新潟県知事選挙であったように思う。

 新潟では、連合が反対派を推薦し、民進党が党としてまとまらなかったものの野党共闘が事実上出来上がり、民進党支持者の9割、共産党支持者のほぼ100%、無党派の6割強、自民党支持層の2割ほどが「脱原発」を掲げる米山隆一氏に投票して当選した。
 市民連合の山口二郎法大教授の言葉を借りれば「これが勝利の方程式」だろう。

   参議院選挙の当時、「民主党政権時の体たらくを思うと民進党なんかと共闘するのは反対だ」という声もあった。
 しかし、このまま自公維3分の2体制を続けさせていいのかというと、市民運動と歩む野党共闘しか選択の余地がないことも広がっている。
 蓮舫、野田体制の民進党の姿もあって、少し冷え気味の気分もあるが、やはり2017年の課題は市民運動と歩む野党共闘で自公維を追い払うしかない。

  上の写真は出所不明の謀略ビラ。その内容とこれまでの全国各地での事実と一斉配布の動員力からして、KM党によるものだと私は推測する。
 内容も1970年代からの非常に使い古した言い方で、相も変わらず「赤旗を県庁に立てさせてもいいのですか」という。
 語るに落ちるとはこのことで、作戦本部・製作者が県外の東京(信濃町?)あたりだと新潟では笑われている。
 なぜなら、新潟県旗は下の写真のとおり、自民党県政時代からずーっと赤旗なのだった。

    年末や笑い飛ばしたきこと多し
 

2016年12月25日日曜日

メリークリスマス

   24日は老人ホームのクリスマス会だった。
 デイサービスのみんなで作ったという大きなクリスマスケーキの中に入れ!と要請され、サンタクロースの衣装をまとって中に屈んだ。
 『乞われれば一差し舞う』しかない。

 写真はシャッターチャンスのタイミングで幽霊のように写っているが、すぐに両手を広げてメリークリスマス!と登場し、「家族会からクリスマスケーキをプレゼントにやってきました」と報告すると「ありがとう」の声や歓声が広がった。

 そのあと、トナカイやサンタの衣装で各部屋を回ってケーキをプレゼントした。 
 鈴を打ち鳴らして楽しい祝祭のムードが広がったせいだろうか、いつもは表情の乏しい方々も喜んでくれた。
 こんな楽しいひと時が過ごせたのも施設介護のおかげだが、明日になると全員が「昨日、そんなことあった?」というように忘れているかもしれない。それでもいい。

 夜は孫のなっちゃんファミリーがわが家にパーティーにやってきた。
 なっちゃんが手巻き寿司を作って配ってくれた。
 こんな時代がずーっと続いてくれたらと思ったりするが、テレビでは「今年逝かれた人々」を流していて、私の年齢とあまり変わらなかったり若い人もいた。
 先のことはいい。毎日毎日の単位で感謝して生きるだけだ。

    サンタ役誰より福をもらいけり
 

2016年12月23日金曜日

太陽の復活

   前の記事で「クリスマス行事の基層にはキリスト教以前の冬至の各種お祭りがある」と書いたが、冬至→太陽の復活のお祭り→太陽神の誕生日→救世主の誕生日と発展したようだ。
 基層の信仰は一般にアニミズムと呼ばれ、何となくレベルの低い原始的宗教と言われているが私はそうは思わない。

 そこで私は、大晦日の追儺の行事を連想するのだが、洋の東西を問わずこの時期にお祭りをしたくなるのはみんな一緒だと少し愉快になる。
 自分が寒がりのせいもあるだろうが、厳冬期は生命力が萎える感じがするし、この時期に、その先の春から始まる1年の平穏を祈るのは万国共通ではなかろうか。ただし熱帯地方はそうでもないかもしれないが。
 
 キリスト教の厚い歴史のあるヨーロッパでも、多様な神々が人々の眼前から消えたのはそんなに遠いことではないようで、アイルランドの妖精たちが消えたのも戦後の経済成長期のようだ。
 日本でも狐や狸が人々を騙さなくなったのも同じ頃か。

 アイルランドの妖精の話の中の他愛のないものを拾うと、1950年代に道路を造るために木を切ろうとすると木から血が出た話がある。その後その道路計画は変更され、1999年にハイウェイ計画も変更されたらしい。
 大阪でも谷町7丁目の道路のど真ん中に御神木が今も残っている。
 非合理だと笑うのは容易いが、私はこういう話が嫌いではない。
 人間は非力だと悟り、自然や他人や自分と違う考えに畏敬の念を払うことは悪くない。
 というようなことを考えながらクリスマスを祝ってもいいのではないか。
 あるいは、イエス様の誕生日にバカ騒ぎを・・などと眉をひそめずに、極東のアニミズムの国で原初の冬至のお祭りが継承されている・・などとこじつけて騒ぐのもありかも。

    妖精の祭りは遠くクリスマス

2016年12月21日水曜日

一陽来復

   少し以前から、新しい算額が東大寺の大仏様の脇に掲示されている。
 新しいといえば、そこにはQRコードが付いていて、そのQRコードをスマホで読み取ると解説が出てくる。
 算額というと冲方丁著『天地明察』を思い出す。そして先人の天文や暦に関する高度な知恵にはほとほと感心する。

 「調査無くして発言なし」はルイ・サイヤンの言葉だっただろうか、日蝕、月蝕、それに星の出現(時と方角と高さ)「ご明察」の大前提は精確な観測でもある。
 私などは、「カレンダーを使わずに2016年12月21日が冬至であることを証明せよ」と言われても途方に暮れる。
 京・大阪あたりで日の入りが一番早いのは11月30日から12月9日であったらしい。
 日の出が一番遅くなるのは2017年1月4日から11日とされている。
 日の入りや日の出の時の山の場所(大阪であれば生駒山や淡路島の山)にどれほどの違いがあるのだろう。
 真南をどのように特定するかもあるし、その南中の太陽高度の低さは棒を立ててその陰で測って解るのだろうか、そんなことも解らず1億人が「今日は冬至だ」と信じていることも考えようによっては怖い。
 先日は『持統3年12月8日は西暦690年だ』と書いたが、「難しすぎて解らん」とのコメントもいただいたが、「今日が冬至だ」ということの方が難しい。
 それでもきっと太陽は今日、南回帰線(南緯23度27分)を通っている(厳密に言えば見かけだが)のだろう。

 陰陽道に基づく旧暦では「陰陽交互の季(とき)、陰極まって陽に復するとき」と言われ、それが『一陽来復』ということである。
 そして私は毎年冬至を迎えると、「一陽」という名の非常にお世話になった先輩を思い出す。
 そろそろゆっくりと酒を酌み交わして昔語りをしたいと思っている間に逝かれてしまった。

 さて「一陽来復」は、感覚的にも春の遠くないことを教えてくれる。
 義母から聞いた諺では「冬至十日はあほでもわかる」で、冬至から十日もすれば日が長くなり始めたなあとあほでもわかるという。
 全国では、「冬至十日前から藁の節だけ日が長くなる」とか「米の粒だけ日が伸びる」「畳の目だけ日が伸びる」というのもあるらしい。

 『日本の七十二候を楽しむ』という本には「古代には冬至が一年のはじまりでした」とあるが、先のブログ記事に書いたとおり旧暦正月は「雨水を含む月」であり冬至ではない。
 それよりもヨーロッパのキリスト教以前の古い各種冬至のお祭りが収れんされて「クリスマス行事」が形成されたので、西暦の方が冬至と親和性が高い。
 毎年、柚子湯と南瓜ぐらいは実行しているが、今年はささげご飯(赤ご飯)でも炊こうかと思っている。
 鳥インフルエンザがいつのころからあったのかは知らないが、冬至から始まる冬季を畏れて春の農作業の無事を祈った先人の心はよくわかる。
 高齢者にとっては自然現象でも政治の局面でも厳しい季節である。
 だが「一陽来復」には「よくないことが続いたのち良い方向に転じること」という意味もある。

    母曰くあほでもわかる冬至哉

2016年12月19日月曜日

お餅つきは介護に欠かせない

   特養の家族会に施設から秋に「今年のお餅つきはスタッフの人手が足りないので、餅つき機を購入してそれで蒸して、その後杵でつきたい」と話があったので、それなら「蒸す作業一式は家族会が担当したい」と申し出て、今般実際に担当した。

 そこで、先日の記事で紹介した薪カマド、羽釜、蒸し器等々付属するいろいろを含めて私が持参してお米を蒸した。
 薪をくべて、薪の煙の匂いともち米の匂いが広がると、何人かの入居者が心の底から懐かしそうにカマドの周りに集まって来てくれた。

 作業をしている当の家族会、つまり息子や娘の方はこんなのを本格的に見るのは初めてというような人が多かったが、入居者の方はかつて「へっついさん」で煮炊きしていた経験者がほとんどだ。
 主婦やなんかで、ある意味現役バリバリの頃を思い出したのだろう、ほんとうに日ごろ見なかったような笑顔が広がった。
 その笑顔だけで準備をした甲斐があった。
 特に義母には、「このカマドもお釜も蒸し器も、みんなお祖母ちゃんが使うてたもんやで」というと、少し恥ずかしそうにそして自慢そうに笑ってくれた。

 杵は、子ども用よりもう一つ小さい幼児用というのを持参したら、入居者で元気についてくれる方もいたし、スタッフが止めたが「つきたい」と出てこられる方もおられた。
 さらに発泡スチロールで作った杵を3本用意して、あちこちで「エア餅つき」をしてもらった。さらには何人かには車いすに乗ってでもその杵?でついてもらった。
 発泡スチロール製かどうかなどは問題ではない。みんな本気でついてくれたし、そういう風に周りも応援してくれた。

 自画自賛ではないが、楽しいひと時と懐かしい回想を提供できたと思う。
 ある入居者の家族などは「こんな楽しい見納め?ができてよかったね」と親御さんに話されていた。おいおいおい。
 自慢ではないが、蒸し加減もよく見事なお餅がつきあがった。計画どおりの時刻に丁度よく蒸し揚げて、結局自慢である。

    親孝行昔ながらのお餅つき

2016年12月18日日曜日

鐘が鳴るなり東大寺

   奈良・東大寺転害門の少し南に天平倶楽部という日本料理店があり、子規の庭という庭がある。
 ここには江戸末期から大正時代にかけて對山楼・角定(たいざんろう・かどさだ)という旅館があり、著名な文人、学者、政府要人などが数多宿泊した。
 正岡子規も人生最後の旅行の際、明治28年10月に4日間逗留した。

 その時の日記に、「下女は、直径2尺5寸もありそうな大丼鉢に山の如く柿を盛ってきた。・・・柿も旨い。場所もよい。余はうっとりとしてゐるとポーンという釣鐘の音がひとつ聞こえた。彼女は「初夜※が鳴る」といふて、尚柿をむき続けてゐる。・・・あれはどこの鐘かと聞くと、東大寺の大釣鐘が初夜を打つのであるといふ」とある。

 このため、このときの印象を温めたまま法隆寺に行って、かの有名な俳句を詠んだと言われている。
 素人には法隆寺でなく東大寺でも一向に構わないと思うのだが、天平時代創建の東大寺よりも飛鳥時代創建の法隆寺にする方が空間と時間の広がりを感じさせると、ものの本にある。
 つまり、素直に写生すれば、「柿食へば鐘が鳴るなり東大寺」なのである。
  
 写真は東大寺勧学院近くの柿の木。東大寺福祉療育病院の前。

    これでもかと東大寺の柿は言ひ



 ※ 初夜(そや) 広辞苑では「漏刻で亥の二刻から子の二刻までの称」とある。外に、「戌の刻。その時間に行われる勤行」や「夜を三分した最初の刻。その時の勤行」や「夜の最初の鐘(初夜の鐘)」という解説もあり、下女(実は子規の勘違いで對山楼の女主人との説もある)がどういう意味で使い、子規がどう理解したのかは私は知らないが、上述の日記(くだものという随筆になっている)に、「ある夜、夕飯も過ぎて後・・」とあるから夜の6時から8時頃と想像しても大きくは外れていないように思う。

2016年12月17日土曜日

真田丸の堀の上

   16日にNHK歴史秘話ヒストリアが真田丸の堀を考古学的に調べていたが、実は私の(父親の)家は先の大阪大空襲までその堀の上にあった。 
 正確には堀の外(南側)かもしれない。
 その地の旧家ということで、東高津神社の鳥居には父親の名前もある。

 私は三男坊の末子ということもあり、あまりわが家の家系などに興味もなく過ごしてきたし、私自身が戦後生まれであるから、この地で育ったという郷愁もない。
 しかし、その番組を見て少しだけ興味が湧いたので、過去帳の写しを眺めてみた。

 すると、少なくとも11代前からそこに住んでいたようで、初代の妻が亡くなったのは享保年間(1716~)だった。
 50歳で亡くなったとすると寛文年間(1661~)頃に生まれたことになるから、徳川第4代将軍家綱、5代綱吉の頃に大阪に住んでいたことになる。

 なお、そのころ宗門改めの徹底がなされたというから、わが家の過去帳が整備されたのがこの頃ということで、もっと以前から住んでいたのかもしれない。
 いずれにしても、大坂夏の陣(1615年)が終ってからそう遠くなく住み始めていた可能性が高い。

 誰だって木の股から生まれたわけではないから、どの家系にも歴史はある筈だが、武家でももちろん公家でもない家で、たまたま過去帳の写しがあり、大坂夏の陣近くまで想像できたので、ちょっと感慨深いものがある。

 真田丸の堀の南側というと、大坂冬の陣で幸村が大勝し、徳川の兵の屍累々だったと言われているが、大阪では元墓場の上に家を建てると商売が繁盛すると喜ばれていた。

    冬ざれや浪速の丘の真田丸

2016年12月16日金曜日

陰陽石

   一昨日に太陰暦と太陽暦に関わる記事を書いたからではないが、続いて陰と陽の話である。

   古くは縄文の遺跡からも石棒(せきぼう)=陽石は出土し、豊穣を願う素朴な信仰と考えられているが、弥生、古墳、奈良時代、否それ以降もそれは多々ある。

 秋に貝塚・寺内町をOB会で散策したときも、女性の願いをかなえてくれるという摂社を持つ感田神社の環濠跡の池の中にそれは屹立してあった。

 「日本文化の根底をなしているのは道教である」とは故福永光司先生の指摘だが、その教えでは「陰陽二気が交わって和気を生じ、その和気が万物を生じる」という。
 なので、少なくとも古墳時代以降は、「素朴な信仰」というよりも「道教」の具現化だったのかもしれない。きっとそうだろう。
 そしてその思想は、現代でも脈々とこの列島で承認されているように思う。

 蛇足ながら福永光司先生は「道教の教えの根源は飲食男女である」と述べておられる。
 さらに余談ながら、日本中が儒教の教え、縦型の文化で統一されていた頃、大阪の文化、より正確には大阪の堺の文化だけがそれについて行かなかったと述べて西鶴まで論を展開されている。以上、余談。

 陰石は春に遠足に行った春日大社の裏参道、水谷神社の前の道にもあり、「子授け石」との表示があるがあまり目立たないから、知らずに跨ぐと想定外のことが起こるかも知れぬ。 

 さて、大阪市内に仁徳天皇ほかを祭る高津宮(高津神社)がある。
 歌舞伎役者の襲名のお練りの出発点であったり、大きな芝居の成功祈願でも有名な上に、上方落語「高津の富」で大阪人なら、少なくともその名前を知らぬ人はない。
 そして、ここの本殿の周辺に摂社があったりするのだが、その一角に陽石と陰石が祀られている。
 目的意識的に祀られたのか、結果としてそのように見立てられて後年祀られたのかは知らないが、きちんと注連縄と鳥居もある。
 陰石の横に北新地奉納の燈籠があるのには、「いったい何を祈願したのだろうか」と想像を逞しくしたくなる。
 「建立しよう」と言い出した人がいて、ああでもないこうでもないと意見が出て・・・・、そのいきさつに興味が尽きない。
 北新地のホステスさんの守り神なのだろうか。男性客を吸い込んでしまおうというのだろうか。解らない。

      北風や新地の名前の石灯籠

2016年12月14日水曜日

持統三年十二月己酉朔丙辰

   カジノ法案が急展開した日にこんな呑気な記事をアップすることを許してほしい。

   さて、日本書紀持統天皇三年に「十二月己酉朔丙辰雙六禁斷(しはす つちのととり の ひのえたつ のひ  すごろくをいましめやむ)」とある。
 この記録を引いて清水ただし衆議院議員が国会で「持統天皇の689年以来この国では賭博は禁止されている」とカジノ法案を批判し、毎日新聞なども少し含み笑いをしながらもこれを報じた。

 この例えは、今回は清水議員発ではあるが以前に大門議員も引用していたもので、当時私は、枝葉末節のことながら、「持統三年十二月八日は西暦では689年ではなく690年ではないか」と大門さんのFBにコメントしたが、何方からもご教示はなかった。今回も私のFB等に載せてみたが同様だった。
 なので、もう一度自分で確かめようと調べ始めたが、いざ手持ちの本やインターネットでは材料不足で遅々として進まなかった。

 まず、日本書紀の中の暦にはいくらかの混乱があったりするところから引っかかってしまったが、結論を言えば、日本書紀の多くの部分は儀鳳暦で記述されているが持統三年時点は元嘉暦であることだった。ただし、持統紀の中でも「持統元年から五年まで」は結果として元嘉暦と儀鳳暦が一致するということだった。ここまで理解するのに時間がいった。

 次に「己酉朔丙辰(つちのととり朔 の ひのえたつ)」を確かめるのにあちこちの本を読んでみると、この意味は「この十二月の朔(一日・ついたち)は六十干支の己酉であり、その丙辰の日」つまり己酉から順に・庚戌・辛亥・壬子・葵丑・甲寅・乙卯・丙辰と六十干支を数えて「八日目」、つまり「八日」だということにたどり着くのにもひと汗かいた。

 以上で、「持統三年十二月八日」は確定した。
 次は「和暦・西暦換算」だが、ネット上に「和暦・西暦対照表」というのがあり、それによると、持統三年十二月八日はグレゴリオ暦(要するに西暦)690年1月26日、ユリウス暦なら1月23日、干支年は己丑、干支日は丙辰とあった。
 だが、他に同様のデータは見つからなかった。
 国立天文台か古代史学会あたりが公表してくれてもいいようなものだが、残念ながらその種の権威あるデータにはたどり着けなかった。

 そうではあるが、和暦(いわゆる旧暦)と西暦のおおよその関係は現代の暦からも推測は十分可能である。
 そこで、そもそも和暦(太陰太陽暦)の正月元日の決め方だが、まず最初に新月(朔)を一日(ついたち)として29日の小の月と30日の大の月で月が決まる。太陽周期との誤差は閏月で調整する。
 そういう「ひと月」を前提として、太陽周期(つまり1年)を冬至や立春や春分などというように二十四等分や七十二等分した二十四節気、七十二候の中の「雨水」を含む月が正月で、その頭の新月の日(朔)が正月の元日である。雨水は二十四節気の第2番目、正月中。立春の次が雨水。
 誤解が多いのは立春だが、立春は月の満ち欠けとは関係ない。だから、旧正月は立春の前後になることが多いがリンクはしていない。場合によっては、正月前の「去年」の内に立春が来ることがあり「年内立春」と呼ばれる。二十四節気、七十二候の筆頭が立春であることや、「旧暦では立春を基準に日を数え始める」というような記述が本の中に多いので誤解を生じることが多い。

 そんな薀蓄は聞かなくても、1月下旬から2月上旬あたりに旧正月があり、中国では大型連休で帰省の大旅行が起こったり、日本にも爆買いツアーがやってきたり、神戸・南京町や横浜・中華街で春節の獅子舞が出ることはニュースで誰もが知っている。

 ということは、旧暦(和暦もそう)の11月や12月の一部が新暦(西暦)の新年になっていることは誰もが感覚では十分に知っていることで、全くもって珍しい話ではない。
 だから、ネット上の「和暦・西暦対照表」はほゞ正しいと認めてもよいのでないか。
 普通、年単位で対照する場合は、「持統三年イコール西暦689年」で何ら差支えないのだが、以上のとおり、旧暦の年末近くになると、旧暦では未だ正月には達していないが、新暦では既に新年の正月(1月)ということになる。
 横道のついでに、新暦を太陽暦と呼ぶのなら、1月1日は冬至の翌日か立春の日にしておけばいろいろと解りやすかったようにも思う。これは横道。

 結論として、持統三年十二月八日は西暦では既に新年になっていて西暦690年だった。
 故に、真実を貴ぶ革新陣営の人々は、「誰かがそう言った」というようなことではなく、はっきりと「それは690年のことだった」と語ってほしいと私は思う。
 ただ、基本的に私は門外漢であるので、以上の説に誤りがあればご教示をいただきたい。

    冬の夜あっそうだったと独りごと

2016年12月13日火曜日

イルミネーションが見られない

   老人ホームでは紅葉のライトアップの時期が終了し、今度はクリスマスのイルミネーションが始まった。
 しかし、入所者の夜は早く、夕食が済んだら就寝する人も少なくない。
 それに、車椅子と窓の位置の関係で、2階の方々にはほとんど見ることができないので、窓の下のイルミネーションをスマホで撮って、「実は毎晩、窓の外はこうなっているのだよ」と教えてあげなければならない。
 老人ホームでは世間がこのように近くて遠い。
 
 完全空調の室内には季節の変化も届きにくい。
 「今日は雨ですね」と話しかけたら、「雨なんか降ってるのを見たことない」との返事が返ってきたこともある。
 長寿が暦の月日だけの問題だとしたら悲しい。
 だから明日はスマホを持って行って近くて遠い庭の話をしようと思う。

 イルミネーションは点滅し、色を変え、サンタやトナカイは動きを繰り返して賑やかだが、建物の中は静まっている。

   星冴えてイルミネーション止(とど)まらず


 クリスマスの前にはお餅つきがある。
 先日ホームセンターに行ったら、大人用の普通の杵と子供用の杵と並べて、幼児用の杵というのを売っていた。
 あまりに可愛いので、つい衝動買いをしてしまった。
 これなら元気な入所者は車椅子ででも搗くことができるかもしれない。
 それも叶わない入所者には「エア餅つき」をしてもらうつもりだ。
 「エア餅つき」用に発泡スチロール製のモスキート級の杵を何本か用意(手作り)する。
 こんなことで一瞬でも季節を感じてくれればと思っている。

2016年12月12日月曜日

日本維新の会は詐欺集団だと思う

 神戸新聞NEXT 12/11() 7:30配信の記事である。大見出しは「旧維新の党支部 政党交付金8700万、謎の還流」である。こんな詐欺集団を放置しておいてよいものだろうか。以下に記事を転載する。

   旧維新の党から「おおさか維新の会」(現・日本維新の会)に参加した国会議員などが代表を務め、解散が決まった全国の21支部が、新設の政治団体「なんば維新」に計約8700万円の政党交付金を寄付していたことが10日、神戸新聞社の調査で分かった。政党助成法では寄付行為を禁じていないが、専門家らは「解散時の残金を国に返還するよう実質的に定められている」と、一連の現金移動を疑問視している。(小川 晶、紺野大樹、大盛周平) 

 総務省によると、なんば維新の設立届提出は昨年12月11日。所在地はおおさか維新の本部と同じで、代表者と会計責任者は同党関係者が就いていた。

 同省が公表した政党交付金の使途等報告書によると、同12月下旬に全国の21支部が計約8700万円をなんば維新に寄付していた。兵庫県関係でも、参院県選挙区第1支部が約1900万円、参院比例区第53支部が約1100万円を寄付し、2支部とも同月31日に解散していた。

 なんば維新の会計責任者は、神戸新聞社の取材に「お金を一時的にプールするためになんば維新を使った」と説明。寄付された政党交付金は、なんば維新が解散する2016年3月10日までに、おおさか維新の各支部などへ政治資金として戻したという。県内の支部関係者は「おおさか維新に政党交付金が出る16年4月までの活動資金として必要だった」などと話している。

 政党助成法では、支部解散時の残金返還を総務相が命じることができると規定している。市民団体「政治資金オンブズマン」共同代表の上脇博之・神戸学院大教授(憲法学)は「原資が税金である以上、総務相が返還を求めない選択肢はなく、実質的な義務と解釈できる」と指摘。「政党の分裂や合流による支部の解散はあくまで政党側の都合で、残金は国庫に返納するのが筋。解散直前に寄付で移す行為は『返納逃れ』と捉えられても仕方がない。政党に交付した現金を他の政治団体に自由に移せる制度そのものの問題も大きい」としている。 

 【維新の党】日本維新の会と結いの党が合流して2014年9月に誕生した。最高顧問を務めていた橋下徹氏が党運営をめぐり執行部と対立し、15年8月に離党。同10月、おおさか維新の会の結党大会を開いた。維新の党は16年3月に民主党と合流し、民進党となった。
  

 【政党交付金】直近の国勢調査の人口に250円を乗じた金額を基準に、国会議員数と国政選挙の得票率に応じ、年4回に分けて支給する。2015年の総額は約320億円。維新の党は約27億円を受け取った。分裂騒動では取り扱いが問題になり、同年12月8日に「必要経費を精算した後の残金」を返納することで双方が合意したが、直後に全国の支部に6億円近くを分配しており、その一部がなんば維新に流れていたことになる。同党が解散後の16年9月に明らかにした返還額は約2億円だった。

   背中(せな)寒し巧言令色鮮し仁

2016年12月11日日曜日

探鳥会を案内する

ジョウビタキのペア
   ひげ親父さんのブログで大阪市内の両側町のことが載っていたが
 http://usukuchimonndou.blogspot.jp/2016/11/blog-post.html
両側町とは背割り方式ともいい、道を挟んだお向かい同士が同じ町内を構成することで、私は街のコミュニティの上では有意義なものだとコメントした。
 それを、判り難いだとか、郵便配達し辛いだとかといって、道路で囲まれた区画単位にしたのは比較的新しいことで、今ではその方が標準になっている。
 そのおかげで?、わが家などはお向かいさんが違う町内というか、全く違う自治体というようになっている。

 そういう中で、斜め向かいの隣の自治体の奥さんから私に、頼まれごとがあった。
 「友人たちとバードウォッチングをしたいので案内してほしい」と。
 かくして、両側町的付き合いでバードウォッチングの案内をした。
 
 案内する上はできるだけ珍しい野鳥をたくさん見せてあげたいが、今冬は鳥インフルエンザのせいだろうか?私の実感で言えば野鳥が少ない。
 少々残念だが、自然相手というものはこういうものだろう。
 それでも、カワラヒワやメジロの大群をじっくり見ることができて、ちょうど光(天気)の加減もよくて、「きれいだ、きれいだ」と喜んでもらうことができた。
 最後にには一瞬だったがシロハラも出てきてくれた。
 私自身久しぶりのバードウォッチングを楽しんだ。
 それにしても今冬は野鳥が少ない。
 北の地で何があったのだろうか。

    鼻水で先生になる探鳥会


   【余禄】 昨日の記事の臘梅だが、この香り高く美しい花をヒヨドリが啄ばむので少々困っていたが、昨日はヒヨドリが葉っぱをムシャムシャと食べていた。ヒヨドリが臘梅の葉を食べるなどということは聞いたことも読んだこともなかったが、実際に食べているのだから仕方がない。掲載したのはその証拠写真。

2016年12月10日土曜日

年年歳歳

   つい先日も近しい人の訃報に接し、『歳歳年年人不同』(歳歳年年、人、同じからず)が実感として心に染みる年頃になった。
 が、今日のブログは『年年歳歳花相似』(年年歳歳、花、あい似たり)の方である。

 わが家の臘梅は律儀というか少しせっかち気味で、新暦で臘月(12月)の声を聞くと開花を始める。
 まだ落葉も済まないうちから咲き始めるので、残った葉っぱで目立たないのだが、庭中に清々しい芳香が漂うので開花を知る。
 という話を、毎年12月のこの頃に記事を書くので『年年歳歳花相似』とはよく言ったものだと毎年自分で感心する。

 蝋細工のようなきれいな花なので蝋梅という説もあるが、私の狭い実感としては臘月に咲くので臘梅である。
 「そこまで言うなら旧暦で語るべし」という批判もあろうが、そこは勝手にスルーする。
 私の体には、「臘梅の匂いがしてきた」「ああ臘月(12月)だなあ」という体内暦が染みついているのだ。

 実は、この臘梅のすぐ横にリラ(ライラック)の木を植えていたので、長い間日陰の身であったが、ある年にリラを伐採してからいっぺんに元気になってきた。ただ、ナラ枯れと思われる症状で大きな幹を昨年枯らしたが、その部分を伐採して本体を守ることができた。
 庭の中では狭い端っこに生えているのだが、少し剪定を控えて大きくしようかと思い始めている。
 そして、毎年、『年年歳歳花相似 歳歳年年人不同』などと偉そうに口にできたら幸せだと思う。

    臘梅は臘月に咲く律義者

    臘梅の香は新春を予感させ

2016年12月9日金曜日

トルコの現状

 朝日新聞で11月29日に掲載された主に弁護士たちで立ち上げた「一人一票実現国民会議」の意見広告の一部(冒頭部分)を転載すると・・・

 1 エルドアン・トルコ大統領は、軍の一部によるクーデターの未遂事件を理由に、2016/7/20,緊急事態宣言を発し、1ヵ月間に、
 1⃣ 3万5022人を、逮捕・拘束し、
 2⃣ 8万1000人強を、免職や停職の処分にし(CNNニュース)、
 3⃣ 同時に、同大統領は、言論の自由を停止し、報道機関・131社(通信社・3社、テレビ局・16局、ラジオ局・23局、出版社・29社を含む)を閉鎖しました(BBCニュース)。

 2 しかし、日本の新聞、テレビは、【エルドアン大統領の緊急事態宣言の発令に関する詳しい情報】を大きく報道していません。
   そのため、日本国民(1億2000万人)のほとんどは、
 ① 【トルコ大統領が、本件7月に緊急事態宣言を発して強権政治を行っているという事実】にも、
 ② 【緊急事態宣言の怖さ】にも、
 気づいていません。 

・・・・・と記載して、自民党憲法改正案の緊急事態宣言(98条、99条)の危険性を指摘すると同時に、同改憲案47条が「一人一票」を否定し恣意的な選挙区と定数を構想していることを批判している。
 全く同感だ。

 それにしても、自分たちジャーナリズムの根幹に関わるこの問題を日本のマスコミはどうしてスルーするのだろう。
 エルドアンの強権政治を批判することは同種の安倍政権への批判と「邪推?」されないかとびくびくしているのだろうか。

 麻生大臣が「・・・ナチスの憲法改正・・・あの手口に学んだらどうかね」といみじくも教えてくれたとおり、安倍自公政権の強権政治に麻痺したのでは取り返しのつかない明日が待っている。


   今日の記事は少々硬い話になったのでお口直しに拙いジョークをひとつ…
 「実はドイツはアメリカに対抗するために密かにキューバのスポンサーとして同国を支援していた」ことをご存知か?
 それが証拠には、フィデル・カストロはadidas(本社ドイツ・バイエルン州)のトレーニングウェアを愛用してスポンサー契約に応じていた。

   カリブから一報はadidas姿なり

2016年12月8日木曜日

薪カマドの改良

   先日のお餅つき大会では薪(まき)カマドを使って「もち米」を蒸した。
 薪をくべて羽釜でお湯を沸かすのだが、ガス等にはない独特の雰囲気が出る。
 その炎と煙は文句なく人々を高揚させる。

 老人ホーム家族会で話していた際、「餅つきは薪カマドで蒸すと入居者も喜ばないか」と話すと、「それはどんなものですか?BBQコンロみたいなものですか?」と、全くイメージがわかないスタッフがいたが無理もないことだ。

 先日のお餅つき大会で3台用いた薪カマドの内の1つはわが家のカマドだが、妻の実家で使っていた年代もので、非常に単純な、いわば鋳物製の小型ドラム缶に火口があるようなものである。
 だから、ホームセンターで売っている廉価なカマドよりも風格はあるのだが、性能はもうひとつであった。
 そこで今般、次のように改良した。

 ひとつは煙突等がないものだからどうも燃焼効率がよくないので、カマド上部と羽釜の羽との隙間を拡大した。
 安い材料でいろんな方法を試したが、最終的に、余っていた鉄製の植木鉢スタンドの脚を鉄切鋸の刃で切断して逆立ちさせた。

 二つ目は、薪の下に空間を作って空気を流れさせる台=ロストルがないので、ホームセンターでガスコンロの五徳と金網などを物色したが、バーベキュー用の金網代わりのロストルを見つけた。
 問題はその下の空間をどう作るかで耐火煉瓦も考えたが、長さ50ミリのボルト、ナットと直径30ミリのワッシャーで脚を付けた。

 この改良がどの程度有効かは近日試される。
 ホームセンターに行けば廉価な薪カマドが売られているが、それを買ったのではこんな手作りの楽しみは味わえない。

    暮来月(くれこづき)餅つき道具の手入れかな
 

2016年12月7日水曜日

暴走内閣の矛盾

 TPPや年金削減法案の強行採決に続いてカジノ法案まで強行採決という政治を見せつけられると、正直なところ絶対少数の無力感を感じる。
 そんな中、右翼組織日本会議をバックボーンとする暴走安倍首相が、今度は真珠湾でオバマ大統領とともに犠牲者を慰霊するという。
 この見かけ上のギャップは何だろう。
 
 私は感覚的に、「私が安倍首相なら1月総選挙だ」と言ってきたが、そこへ向けての必死のイメージづくりのような気がしてならない。

 アベノミクスの大失敗は誰の目にも明らかになった。中心中の中心人物黒田日銀総裁自身が認めている。
 財政も、リーマンショック直後の2009年度以来7年ぶりに年度途中で赤字国債を発行しなければならなくなった。
 TPPや年金法案の悪法ぶりは日増しに広がっている。
 カジノ法案に至っては、すべての商業新聞が批判している。

 だからこの先、経済のイメージ、他国の悪口だけで保ってきた内閣支持率が高止まりするはずがない。
 一番の忠犬ぶりを担ってきた籾井NHK会長の再選も閉ざされたようだ。
 なので必死で「頼りになるリーダー」のイメージを作ろうと外交の大常識を踏み外してトランプ氏に一番乗りをしたが、これはアメリカ政府から強く叱られた上に、トランプ氏にも「TPPは離脱する」と歯牙にもかけられなかった。
 プーチン氏には択捉、国後を放棄してでも小さな2島返還の感触だけでも匂わせてもらって話題を作ろうとしたが、一般新聞ですらがすでに失敗を見込んでいる。
 そこで最後のイメージ戦略が真珠湾慰霊ではないのか。

 そもそもそれは日本政府の発意でもなく、アメリカの外交問題評議会(CFR)が発行する隔月発行雑誌フォーリン・アフェアーズ・リポートが6月に日本政府に勧めていた行動だし、そこに乗ってトランプ詣で叱られたことへの謝罪というのが本質なのだろうが、統制されたメディアによって見かけは前向きに華々しく報道されることだろう。

 「自虐史観の見直し」と「天皇退位反対」が首相の本心だろうが、選挙のためならどんな嘘でもつく男である。国会で、「自民党は強行採決など考えたこともなければしたこともない」としゃあしゃあと言ってのけたことは記憶に新しい。
 真珠湾奇襲は謝罪せず、憲法解釈は変更し、駆けつけ警護部隊を送り出した。
 その口で「慰霊と平和」を口にするのである。

 唯一安倍首相にとって今ありがたいことは、野党第一党蓮舫・野田民進党の野党共闘への消極姿勢と、面舵いっぱい誘導する連合だろう。
 だから、野党共闘の整わない間に解散総選挙と企んでいると私は推測する。
 と考えると、先に書いた「年度途中赤字国債」も選挙用のバラマキだという底意が見えてくる。

 本来は、日本の首相が真珠湾に行くことは良いことだろうが、マスコミのムードに流されずにその本質を見つめたい。
 暴走内閣は強さの表れではなく、どうしようもない「行き詰まり」の結果であろう。


 谷町筋の谷町8丁目に近松門左衛門の墓がある。
 ビルとガソリンスタンドに挟まれた小さな入口の奥である。
 あまりよくは知らないが、武士社会の行き詰まりと、登場した貨幣経済の、ある種残酷さを感じながら書かれた故にその戯曲は当時の庶民から大きな喝采を得たのではなかろうか。

 現代大阪に二重写しを思うのは穿ち過ぎだろうか。
 大阪市内の公明党代議士3名はカジノ法に賛成した。

    まねき無き門左の墓にも師走かな


 

2016年12月5日月曜日

餅つき大会 復命

   今ではわが町内会最大の行事となったお餅つき大会が盛会裏に終了した。
 昨日書いた「何かあったら」という心配事が「何もなかって」ホッとした。
 全部で19臼搗きあげた。参加者は300人を超えた。

 そんなわけで、なんとなく「自治会主催お餅つき大会」のモデル事業(成功例)のようになり、これから新たにお餅つき大会を始めようという近所の大規模マンション群の自治会からも勉強に来られた。
 マンションとなると、もうほんとうに「お餅つきはしたことがない」という会員ばかりらしい。

 普通には、近頃の自治会というとどこも女性陣が主流になり、社会人になりきれない会社人の参加が少ないものだが、わが行事の最大の特徴は「お爺さん」がたくさん参加しているところにある。
 この爺さんパワーがカマドや臼周りの餅つき行事には欠かせない。
 反対に言えば、回を重ねたお餅つき大会がお爺さんを家から呼び出したと言えるかもしれない。「懐かしいやないか」と。
 会社では管理職であろう40代50代が、餅つき大会では爺さん連中から子供扱いされているのも可笑しい。

 わが街は一言でいえば新興住宅地であるから、ともすれば希薄になりがちな住民どおしの交流がこのように進むのは防災や防犯上も意味があるはずだ。
 「地域の絆」なんて言葉を百回繰り返すよりも値打ちがありはしないか。
 
 さて、昨日の記事で述べた子どもの参加だが、結果としては丸める作業に挑戦した子は少なかった。この原因究明と対策はこの国の未来を左右しないか。
 それでも、つき手の方には何人もが行列を作り、親が記念写真を撮ったりして大いに盛り上がった。女性陣もけっこうつき手に挑戦してくれた。
 反省点もあるが、それは毎年少しずつ進歩すればよい。

     もちつき会年寄の声いきいきと 

 【附録】 蒸して、搗いて、丸めるという餅つきは、黄河流域の、搗いて粉にして、丸めて、蒸すという中華の文化ではなく、長江流域の江南の文化である。

2016年12月4日日曜日

餅つき禁止!?

   昨日は「町内餅つき大会」の準備作業だった。
 ということは、今日は本番になる。

 さて、先週、日本農業新聞が「食中毒防止の観点から餅つき禁止の自治体が出てきて、餅つき行事を中止した団体もある」と報じた。
 テレビの「ちちんぷいぷい」でもよく似た内容の報道がされたし、タイミングよく??わが家のポストに京都府のノロウイルスのチラシも全戸配布された。
 数年前から餅つきを止めた団体も近くに幾つかある。

 この種の話は昨年も書いたことなのだが、わが地域の保健所は何年か前から「登録された特定の人しかお餅を触らないよう」指導してきた。なので、ここ数年、自治会では子どもたちに丸めさせないようにしてきた。私の「反対意見」は通らなかった。保健所は杵でつく人も特定するようにといってきたが、さすがにこれはあまりに馬鹿馬鹿しいので無視してきた。
 また、別の話だが、わが自治会では使用していないのだが、プロパンガスの使用について消防署は否定的な言葉を吐き、薪コンロにするというと、野焼き禁止だダイオキシンだという話が役所から出る。
 ボランティアでイベントをするのもいやはや大変なのだ。

 元に戻って、厚生労働省監視安全課によると、餅つきを原因とした食中毒発生件数の統計はないという。ないのだ、
 もし、統計に基づいて少しでも可能性のあることを禁止するというなら、仕出し弁当や外食産業は全面的に廃業させなければならないことになるだろう。なぜなら、その業種での食中毒は時々報じられている。
 なので結局、弱い者いじめ、小さい者いじめ的に「起こったら大変だ」という思想がこの瑞穂の国を席巻しているわけだ。(またまた横道だが、カジノ法案で依存症が増えて事件を起こすようなことが増えるのはこれは間違いないことなのだが、その件では「起こったら大変だ」と言わないのも不思議だが、それはまあおいて置こう)

 クレーマーが善とされ、「責任者出てこい」を一番恐れる役所にも同情しないわけでもないし、そもそも企業では成果主義が善とされ、「何かが起こったら」減点されるものだから、賢明な選択が「何もしない」「少しでも危険性のあることは止めとこう」「見て見ない振りをする」となるのもむべなるかなである。
 以上のこと以外にも、重い杵で餅をつくのだし、熱湯が行き来するから、餅つき行事はけっこうなリスクがあるのも事実だ。ということを言えばほんとうにキリがない。
 そこでわが自治会だ・・・。

 前述のようにここ数年は「限られた人だけで丸めてきた」が、今年はついに「手洗いの徹底とビニール手袋の使用を前提に子どもたちにも丸めさせよう」と素晴らしい決定をした。
 「伝統だ、文化だ」といいながら何もさせない。ただ見ときなさいではよくないと一致した。
 手洗いが不十分な子供を見つけたら役員でなくても徹底させればいいのだ。結局、世間一般では大人が大人でなくなっていないか。
 他家の子をよう叱れない大人が、見て見ぬふりをして、常に自分を「お客様」の位置においておいて「何かがあったら」クレームをつける。
 食中毒の心配よりも、この国の大人の未熟さの方が私は哀しい。
 わが自治会は偉い!
 今日は本番だ。

    冬ざれや餅つきするなのニュースあり

2016年12月3日土曜日

ヒリヒリ、アツアツ

 私は20代後半には東京にいて、陳建民(1919-1990)氏のグループの店のヒリヒリと超辛くて旨い麻婆豆腐の虜になったが、関西に帰ってからは食べる機会を逸していた。

   そして、それよりも前の20代前半にはよく大阪千日前の珉珉で皮の薄い餃子を食べていたが、これもその後あまり食べる機会がなくなっていた。その理由は別になく、歳とともに少しお洒落な店に行ったからだろうか。
 
 で先日、古書を渉猟しようと思ってわざわざ千日前ビッグカメラ西の天地書房に足を向けたところ、これが移転か閉店をした模様でまるで浦島太郎の気分を味わった。

 そこでいくらか肩を落として千日前周辺を歩いてみると、なんと、珉珉千日前本店がまだあった。
 と驚くのも、昔は戎橋筋と千日前筋を結ぶ東西の少し大きな通りの真ん中に大きな丸い提灯があって、余談ながらその前には「啖呵売」の店があり、その提灯のところを路地に入っていくのだったが、その提灯をもう何年も見ていなかったので、てっきり、「餃子の〇〇」に敗れて閉店したのだと勝手に想像していたからだった。

 なので、即餃子付きの麻婆定食を頼んだところ、餃子は皮の薄いあの珉珉の味の上に、熱々の器に入った四川麻婆豆腐が花山椒たっぷりで、つまり、陳建民流の麻婆豆腐で、猫舌の私はヒリヒリアツアツ、アツアツヒリヒリ喜びながらのたうちまわった。それでいて値段は格安。
 心は一度に20代に飛び、先ほどまでの天地書房肩透かしによる落胆が嘘のように満足した。
 
 家に帰ると妻が「今日は何食べたん?」「オムライス?」「天津飯?」と聞いたが、あの自分史的感動を言葉で伝えることは無理だと感じたので、「内緒!」とだけ答えた。

   青春の店あり味あり冬の暮

2016年12月2日金曜日

ささげご飯

   今年の農作業で最初にした失敗は春の「ささげ豆」の種まきだった。
 その失敗が判ったのは秋の収穫時だった。
 毎年の「ささげ豆」と比べると豆が黒いのである。
 どうも、そういう種類の種をまいたらしい。
 ということなので、少しばかり色の黒いささげご飯になった。
 収穫祭といったところである。

 「赤ご飯」というと、以前に書いたことがあるが父が生きていた私の小さい頃、わが家では甲子(きのえね)の日に大黒様の掛け軸を掛けて赤ご飯を三角錐に山盛りにしたものを供え、湯気で御飯茶碗の蓋がガチャンと落ちると「よかったよかった」というしきたりがあった。
 父母とも亡くなった今は、具体的に何処から来た信仰であったのか解らない。
 寺社で大黒様を見ると、そういうしきたりと繋がっていないかと調べてみたりしたが、も一つ解らない。

 関西では赤飯や赤ご飯はアズキが普通だが、お江戸では割れやすいアズキは切腹を連想するとかで、ささげ豆で作ると本で読んだことがある。焼き魚の基本も背開きだと。
 なので、ちょっとお江戸っぽいわが家の収穫祭になった。
 
 さて、寒波のニュースが流れているが、ミニトマトはまだまだ順に実をつけている。
 「西陽除け」のグリーンカーテンの西洋朝顔も順に咲いている。
 土をいじっていると「事実は小説よりも奇なり」ということが少なくない。

      一年の苦労がこれとささげ飯
 

2016年12月1日木曜日

本丸はISDS

「TPPの本質はISDSだ」バーニー・サンダース
   自公維が強行した会期延長の結果、TPP承認案が成立する可能性が非常に高まった。関連法案は自然成立しないから参議院での攻防がある。

 それにしても、トランプ氏の当選によって発効する可能性のないTPPを強行する自公維は狂気の沙汰だ。
 トランプ氏は、一連の発言からみて、今後強力な2国間協議を迫るだろう。
 そのときに、今回TPP承認という国会決議をしておくならば、このTPPの水準が出発点にされ更なる譲歩を迫られるのは火を見るよりも明らかだから、現与党には独立国のリーダーとしての外交力、そのセンスがゼロだと私は思う。

 そしてそのTPPだが、その本丸がISDS条項だと私は思うのだが、新聞やテレビはほとんどそのことに触れないのにはがっかりする。いや、本丸であるからこそ触れないのだろう。
 ISDS条項というのは、多国籍企業がTPP締結国の国家や自治体を訴えることができる条項で、多額の賠償金を課すことができる。
 その裁判所、裁判官は多国籍企業が担うのである。

 同様の条項で各地で行われた事実を見ると・・・・
 ウルグアイが子どもたちの喫煙を禁止して健康を守る法律を制定したところ、フィリップス・モリス社はウルグアイ政府に高額の賠償を求めた。「我々が子どもたちにタバコを吸わせて金儲けをするのを妨害した」と。

 エジプトが労働法を改正して最低賃金を引き上げたところ、フランスの廃棄物処理会社ヴェオリア社がエジプト政府に1億1千万ドルの賠償を求めた。「エジプト労働者の生活改善は多国籍企業の利益を損なう悪行だ」と。

 スウェーデンの電力会社バッテンフォール社は原発廃止を決めたドイツ政府に50億ドルの賠償を求めている。

 この種のISDS条項を、日本発の多国籍企業は東南アジアやインドやメキシコに対して持っておきたいのだ。

 こうなれば、自治体や政府の上に多国籍企業が君臨することになる。
 国民が民主主義的な討議によって環境基準を定めたり、健康のために薬物を規制したり、国営の健康保険制度を充実したり労働法を改正したりすれば、それらはたちまち多国籍企業のほしいままの利益の障害になるとして賠償させられ、そういう制度を無効にさせられるのである。
 これは単に経済の問題ではなく、各国の民主主義、民主政治を踏みにじるものである。

 トランプ氏の「おかげ」で、TPPが即時発効することは遠のいた。
 なので、このISDS条項の大問題点をもっともっと広く広める必要があるように考える。
 訳も分からず「グローバル化に乗り遅れるな」的な脅迫に踊らされてはならない。

     顔なしに国すべて売るTPP

2016年11月29日火曜日

吊るし柿

 何日か前に渋柿を買ってきて「寒風が来るまでは」とそのままにしてあったが、21日にNHKの「あさイチ」が能登のころ柿づくりを紹介した。
 で、「そろそろわが家も作業をしたら」と妻に尻を叩かれた。
 テレビでは、独特の皮むき器(ヘタ取り器と言っていた)がとり上げられていたが、なかなか個性的なカーブのピーラーだった。
 もちろんわが家にそんなものはない。
 そこで、セラミック包丁で挑んでみたが上手くいかず、けっきょく鉄の包丁で皮むきをしたところ、真っ黒になってしまった。
 柿渋(カキタンニン)と鉄が反応(鉄媒染)したのだが、こんなに見事に反応するとは知らなかった。
 今までは妻が剥いていてくれていたし、今回は妻の外出中に作ったものでこうなった。
 少し熟しかけのものもあったから、上手くできるかどうかは分からないが、少なくとも晩秋から初冬の景色にはなった。
 吊るし柿は小春日和では上手くいかない。





      寒太郎歌う空に吊るし柿

      つむじ風落葉はみんなわが門(かど)
 
 「寒太郎」は「〽北風小僧の寒太郎」。
 季語は「吊るし柿」と「落葉」。
 「つむじ風」が夏の季語なんて無視してはいけないか?

2016年11月27日日曜日

圧巻の古代史学

   9月4日の「読むほどに古代は遠ざかる」に書いた「纒向発見と邪馬台国の全貌」の第2弾である「騎馬文化と古代のイノベーション」(KADOKAWA税別2,000円)を読んでから相当経つが全くブログ記事にまとめきれない。
 内容が豊富すぎる。

 時代は応神天皇からである。
 古事記では父の仲哀天皇が死亡してから10か月後に神功皇后が産んだ子で、あまりに疑わしいからか古事記は「新羅征伐中に生まれそうになったが腹に石をつけて遅らせた」と言い訳のような記事を載せている。
 住吉大社では「住吉の神が神功皇后と結ばれて応神が生まれた」といい、つまりは武内宿禰という論もある。
 そういう細部は置いておいても、常識的に考えて、古事記は政権交代、新王権を示唆しているように見える。

 そしてここからがこの本の内容になるのだが、これまで大和に限られていた宮(みや)が河内、摂津、和泉(併せて河内というが)に建設されたり、巨大な前方後円墳が河内(百舌鳥・古市)に造営された。
 その古墳周辺には、これまでの威信財に代わって馬具や兵器が大量に埋納された。
 それを河内王朝と呼ぶか呼ばないかは別にして、古代王朝の大転換があったことは誰も否定できない。
 そういう大激動の時代を東北アジアと韓半島の政治文化と照らしながら多角的に論じたのがこの本である。
 そんなすごいことをこのブログ記事で紹介など絶対にかなわないので、とにかく面白いので一読をお勧めするとしか書けない。

 面白いといえば、この本の冒頭には江上波夫氏の「騎馬民族による征服説」が特別収録されている。
 上野誠氏は、それは三つの点で不思議な学説だといって、第一に古代史でこれほど著名な学説はない。第二に提唱後70年経った今も再検討されるほど内容がある。第三に学説の一部に支持する学者はいるが学界において積極的支持者が皆無である・・・・と述べている。
 それは、それだけのスケールと魅力があるからだと。

 あとは本に譲るとして、古代の日本を語るとき、唐や隋や百済ばかりでなく、それ以前からの北東アジアの多くの政治文化が多くのルートで入ってきたことを精密な事実を積んで語られている。
 現代社会を考える上でも非常に参考になる。

       古代の朝貢復活させた大臣(おとど)あり

 川柳のつもり。卑弥呼や倭の五王が東夷北狄と競って中華の国に朝貢したのは何時のことか。その時倭の王は並ぶ順番などで大いに争った。先日、就任もしていない皇帝にイの一番に朝貢した首相あり。歴史は喜劇として繰り返すとは誰かの言葉。

2016年11月26日土曜日

グローバル化 やめにしないか

   11月23日朝日新聞のピケティ コラム(仏ルモンド紙からの抄訳)の標題は「米大統領選の教訓 グローバル化 変える時」で、その書き出しは「まずはっきりさせておこう。ドナルド・トランプ氏が勝った要因は、何をおいても経済格差と地域格差が爆発的に拡大したことにある」から始まっている。
 そして、「欧州が、そして世界が、今回の米大統領選の結果から学ぶべき最大の教訓は明らかだろう。一刻も早く、グローバリゼーションの方向性を根本的に変えることだ」とし、「関税その他の通商障壁を軽減するような国際合意は、もうやめにしないか」と訴え、EUとカナダの包括的経済・貿易協定に触れ「投資家の保護のためにはあらゆる手立てが講じられ、多国籍企業は国家を民間の仲裁機関に訴えられるようになる。開かれた公の法廷を回避できるわけだ」と「常軌を逸している」と断じている。
 そうして、「今こそ、グローバリゼーションの議論を政治が変えるべき時なのだ。貿易は善であろう。しかし、公正で持続可能な発展のためには、公共事業や社会基盤、教育や医療の制度もまた必要なので、公正な税制が欠かせない。それなしでは、トランピズムがいたるところで勝利するだろう」と結んでいる。
 
 この論文を、グローバリゼーション推進、TPP推進の朝日新聞首脳はどう読んだのだろうか。
 アメリカの著名な経済学者の指摘を真摯に受け止めるべきだろう。
 多国籍企業が国家さえも呑み込もうとしている局面で、「安い牛肉が食べられる」的な記事はもうやめにしないか。

 今後、トランプは露骨な日米関税・貿易協定を迫ってくるだろうが、TPP賛成と言ってしまった安倍自公(維)政権では「国益」は守れない。 


       木枯らしは耳から先に身に凍みる

 東京に雪が降った日、先に厚着をしたせいか京阪奈のわが家ではそれほど寒いとは感じなかったが、シャッターの戸袋がガタガタと寒波の到来を教えてくれた。
 その音を聞くと気温自体はたいしたことはないのだが、体中がこわばって布団から出られなくなった。

2016年11月25日金曜日

五齢幼虫

   だいぶ以前の流行語大賞ノミネートの中に「キモ可愛い」というのがあったが、そういう言葉はアゲハの幼虫のために使ってほしい。
 写真はナミアゲハの五齢幼虫だと思う。
 まあ、わが家のペットみたいなものである。

 アゲハの幼虫を捕まえて「山椒の匂いがする」という人がいるが、それは八割方正解で、幼虫は山椒の葉(木の芽)が大好物で四六時中山椒を食べているのだから当たり前である。
 ちなみにミカンの木が好きな幼虫はミカンの匂いがする。
 なので青虫の匂いでその蝶の食草食樹がだいたい判る。
 すぐにWikipediaを開くのは待った方が楽しい。

 五齢は終齢でこの後はサナギになり羽化をして蝶になる。
 本格的寒波の前に巣立ってほしいと見守ってきたが、先日から行方不明になった。
 山椒の木は九割方裸になっているから見落としたのではないし、どこにもサナギはない。
 で、一番の可能性というか、ほぼ間違いなくモズかヒヨドリに喰われたものと思われる。
 自然界はある意味残酷で、緑滴る季節には完璧な保護色も、晩秋の裸木では一も二もなく見つかってしまったのだろう。
 もちろん、野鳥はこの家の主のペットだったとは知る由もない。

     保護色のつもり青虫裸木に

2016年11月24日木曜日

我流歳時記離岸

   テレビ番組で待遠しいのはプレバトの俳句教室だが、毎回視聴しながら私は打ちのめされている。
 ある写真を見て芸能人達が俳句を作るのだが、私はというと全くと言ってよいほど俳句が浮かんでこない。
 そんな私の水準をはるかに超えた芸能人達の作品が夏井いつき先生によって批評・添削されるのだが、その切口が文字どおりバッサリで、しかも文句なしに説得力がある。
 で、それを聞きながら私は自分自身に絶望的になる。
 ああ、俳人の脳みそはどうなっているのだろう。

 ・・・・・ しかし、ビギナーズラックという言葉もないではないが、世の中、最初から上手くいくものなどないに違いない。と自分を慰め・・・
 中島みゆきの「ファイト」ではないが、闘わない者の嘲笑よりも、無様でも闘う道を選んで今日まで生きてきたつもりだ。
 と、一念発起して10月10日のブログから、できるだけ記事の尻尾に一句捻ってみることとした。

 読み返すと恥ずかしい。ただただ恥ずかしい。
 いつき先生の言う「ただの散文を五七五に切っただけで俳句を作った気になっている」のだとは判っているのだが、それを止揚できない。
 
 でも・・・・・、小学5年生の夏、私は突然泳げるようになった。遠泳が得意で無限に泳げるような気分にさえなった。運動には練習の積み重ねのうちにこんな飛躍の段階がある。
 いつか、「あれまでは恥ずかしげもなく酷い五七五を公表していたものだ」と言える時がくるだろうか。 「ファイト!」である。

 ただ、金子兜太氏の言葉の中に「虚子の唱えた花鳥諷詠の句ができなくなる時期の来ることを心配している」「季語が無いというので社会を語らないのは冷笑主義・シニシズムだ」というのがあり、大いに勇気づけられている。
 俳句に挑戦し始めたとまでは言えないが、わずかながら離岸したと思っている。
 23日、百均で手帳を買ってきた。

    末端冷え性十七文字が紡げない
            木と木の間に上手く糸を紡いでいる奴もいるのに

 今朝のテレビを観て
    首都の雪臨時ニュースと全国に

2016年11月23日水曜日

詩人には驚かされる

   全く偶然に、たまたま点けたテレビで永六輔の歌を特集していて、さだまさしによる「生きるものの歌」というのが流れてきた。
 六八コンビの歌らしいが全く知らない歌だった。
 メロディーは記憶に残らなかったが、その詩には驚いた。
 その歌詞というのが・・・こうだった。


 あなたがこの世に生れ あなたがこの世を去る
 わたしがこの世に生れ わたしがこの世を去る
 その時愛はあるか その時夢はあるか
 そこに幸せな別れがあるだろうか あるだろうか

  セリフ
  たとえ世界が平和に満ちていても
  悲しみは襲ってくる
  殺されなくても人は死に
  誰もが いつかは別れてゆく
  世界が平和でも悲しい夜はやってくる
  誰もが耐えて生きてゆき
  思い出と友達とそして歌が
  あなたを支えてゆくでしょう

 その時未来はある その時涙がある
 そこに生きるものの歌がある 歌がある
 そこに生きるものの歌がある 歌がある

 六輔さんはお坊さんらしいから、これは全くお経であり哲学書だと私は思った。
 そして、蓮如さんの(白骨の)御文(御文章)よりも私には素直に受け止められた。
 この世を去った人は、思い出してくれる人の記憶の中で生きていく。
 それ以外のことを私は知らない。
  
     悲しみの事実を見据えて生を説く詩人は逝けり
     真理とは悲しきものと六の歌詞(うた) 

 永六輔さんの「明日咲くつぼみに」は2012年10月30日に書いた。
 http://yamashirokihachi.blogspot.jp/2012/10/blog-post_30.html

2016年11月22日火曜日

な~んな~ん南海電車

南海特急ラピート
   先月のことだが南海電鉄の車掌が「本日は多数の外国のお客様が乗車されており、大変混雑しておりますので、日本人のお客様にはご不便をおかけしております」と車内放送した。
 「外国人が多くて邪魔」と大声で叫ぶ日本人客の声を聞き、トラブルを避けるために放送したと説明した。
 このニュースに私は日本人として恥ずかしい気持ちになった。
 
 今月には毎日放送テレビの「憤懣本舗」が、「南海の通勤客に憤懣の声がある」として、「大きなスーツケースを股の間に置くため横に人が座ることができない」「シートの上に荷物が置かれ、紙くずに車内電話まで」「そこに杖をついた女性が、だが誰も席を譲らない」等と報じた。
 キャスターはいくらか冷静だったが、お笑い芸人のコメンテーター?が「ミナミあたりの外国人は声がうるさい」などと発言するものだから、これも後味の悪いニュースに終わった。

 そして先日、私は朝の南海電車の「関空急行」に難波から乗車した。
 これまでだと通勤客を吐き出した朝の難波発の電車はガラガラだったのだが、関空から帰国するための乗客で結構混んでいた。その荷物は土産物も加えて相当なものだった。
 なので、これが朝の難波行通勤電車だと、一触即発とまでは言わないが相当ストレスが溜まることだろうと想像できた。
 ニュースの火種は理解できた。

 ではあるが、やっぱり怒る先が違う、解決方法の先が違うと私は考える。
 南海はせめて通勤時間帯には、関空から新今宮あたりまでノンストップの急行を(つまり特急料金不要で)走らせて通勤客と分離すればよい。
 座席の周囲に広い荷物置き場を作ればよい。関空利用者の大きな荷物は外国人に限らない。
 ヨーロッパの先進的な観光地にもっと学ぶべきだろう。

 さらに言えば、「電車の中で大声を出してうるさい」とは、首都圏で大阪人が言われている言葉である。
 〇〇ツアーや〇〇パックという観光客のマナーが国際的に顰蹙を買ったのは少し前の日本人のことである。
 いや、日本人とひとくくりにしてよいものか、長野県人から登山者のザックが邪魔だとは聞いたことがない。
 国内にも観光地は外にも多い。

 在阪テレビ局のいわゆる情報番組のコメンテーターには大きな勘違いがないか。
 強きになびいてより弱い者を口撃するのを「本音で語っている」などと美化していないか。
 維新の府市政と合わさって、ますます大阪が三流の「大きな田舎者」にならないように願うばかりである。

 私は長い間南海沿線住人だった。〽 な~んな~ん南海電車 南の海を走ってく のCMソングは今でも耳に残っている。

    底冷えやニュースは都市格どおりなり

 おまけで、 おもてなしの国の電車は狭軌なり  (これは川柳のつもり。南海電車は広軌でなく狭軌である。心の狭さと掛けたつもり)

2016年11月21日月曜日

こんな紅葉も

   フェースブックなどを見ていると立派な紅葉のスナップが目白押しだ。
 なので、同じようにただ美しいだけの紅葉では味がない。
 そう思いながら所用の合間の小一時間、奈良公園を散歩した。

 すると、ご多分に漏れず奈良公園もそういう被写体を探す方々で溢れていた。
 一昨日は「奈良公園のナンキンハゼ」を書いたが、奈良公園の名誉のために追記しておけば、奈良公園は正当なモミジの紅葉も素晴らしい。

 そして、「彼の地」では近頃の流行りらしく、プロのカメラマン等を使って奈良公園で結婚記念の写真をとるカップルも少なくない。
 それにしても、モミジのトンネルの下の小川に入って、ウエディングドレスの裾を水に濡らしてまでの演出には脱帽するしかない。
 「レンタル料に加算されないだろうか」などというケチ臭い心配はいらぬお世話だろう。

 そこで元に戻って、写真のとおりちょっと変わった紅葉を見つけた。
 カシ?の木の股に着生したモミジの紅葉は如何だろう。
 スマホで撮ったのでイマイチかもしれないが、ちょっと健気な気がした。

     宿り木の紅葉は知らずカメラマン

 迷カメラマンは「シカのバトル」を撮影した。
   角切が終わった後の雄鹿だが、ガツン、ガツンと迫力満点。頭から出血したり、挙句は禿げることもある。
 雄鹿だけでなく女鹿も小さい子どもを突いたり押し倒したりすることがあるから注意が必要。
 といって、怖がってもらっては困る。
 小さい子どもには大人が付いていてほしい。
 基本的には奈良公園の鹿は可愛い。
 20日の赤旗の「すなっぷ」に掲載された。
 

2016年11月20日日曜日

木守柿

   「木守(きまもり)」を広辞苑で引くと、「来年もよく実るようにいうまじないで木に取り残しておく果実」とある。
 今回、そのことを知って大いに驚いた。そうとは知らなかった

 大和の先輩には、「柿の実は三つぐらいは残さなあかん。ひとつ二つは旅人のために、ひとつはカラスのために」と教えられた。
 十何年も前のことだが「大和では真顔でそう言い伝えられているのだ」と驚いたことを今も鮮明に覚えていて、その後はそれを守っている。それが私の木守柿の理解だった。
 で、やっぱり、「来年の豊作のまじない」説よりも大和の言い伝えの方が私は好きだ。

 そこで、カラスのために残したわが家の木守柿(こもりがき)だが、わが家ではヒヨドリが横取りしている。
 写真のは、ヒヨドリに突かれて中を大きく食われたので少し艶が落ちている。
 まあそれも風情だと思って大事に残している。
 柿も零余子(むかご)もあらかた収穫した。
 プチトマトと万願寺唐辛子は「どこが夏野菜か」というほどまだまだ成っているが、季節は確実に冬に移っている。
 冬と言えば、餅つき大会の打ち合わせ自体が季節の行事だろう。

     餅つきの打ち合わせ空に木守柿(こもりがき)

ひげ親父さんの絵
   ブログ友達のひげ親父さんが贈った柿を絵にしてくれたので掲載する。ありがとう。

2016年11月19日土曜日

自然保護は難しい

刻印から清澄窯(きよすみがま)杉原はるみさんの作品と思う
   先日「自然保護」に関する鼎談で、東大寺の上司永照教学執事が「ナンキンハゼは外来種だからと言って伐採つまり殺していいのか。鹿が増えすぎていると言って減少させていいのか。仏の教えの上からは悩ましい」と発言されたのが頭の奥に残っている。
 
 東大寺は、以前に大仏殿の北東で貴重な遺跡発掘調査をしたときに、その工事の濁水で一定の場所の源氏蛍を滅ぼしたという苦い経験もあるとのことだった。

浮雲園地
   自然保護というのは各論になるとほんとうに難しい。
 自然保護の鏡のような春日山原始林も、適切な駆除をしないと遠くなくナンキンハゼ等の外来種に取って代わられるとも言われている。
 そのナンキンハゼだが、東大寺境内に隣接する県所轄の浮雲園地(大仏殿前交差点の東北)や春日野園地には県等によって植栽されたナンキンハゼが大木になって紅葉している。
 奈良公園のメーンストリートである登大路も同様で、県庁前も大木となっている。

 奈良公園の鹿も昭和20年には79頭だったものが自然保護のおかげで平成28年には1,455頭まで増えたのだが、そのため近親交配の弊害が増えているらしい。

 私の庭を見ても外来の樹木や花や野菜が少なくない。
 ナンキンハゼも自然に生えてきたのを西日除けのために大きくした。

 冗談ではなしに、人間だけは「多様性」の名の下に移住し、あるいは国際結婚・ハーフなどどちらかというともてはやされている。
 そういう時代に、動物や植物だけは「固有種を守れ」「外来種は駆除しろ」と言っている。
 そういう矛盾したような気分のまま、やっぱり私はこの土地に古くからいた在来種が生き残れるような自然保護活動に賛同する。
 そのためには、一定の駆除・殺処分も仕方がないと思っている。(読者には異論もあるに違いない)

 さて、自然環境の破壊で一番先に犠牲になるグループに蛙がいる。
 私がこの1年間追っかけたモリアオガエルも、昔は飛火野の池にもいたし春日大社参道白藤瀧茶屋の池にもいた。
 確実に減っているなという実感がある。

 なので、わが庭の外来種等の贖罪と自然保護支援の気分を込めて、我が家の玄関に写真の蛙の表札を掲げることにした。
 ポストマンが「ここは環境にやさしい家ということだな」と思うか、「ここの住人はこんな感じにだらけているようだ」と思うかは解らない。

    糞虫(ふんむし)を語る僧あり冬浅し

 余禄  自然破壊の最たるものに反対せずして何の環境保護か。テレビの「クールジャパン」で「日本のキノコ」を特集していたが、ウクライナのオルガさんが「ウクライナではキノコ狩りは禁止されています」にはびっくり。理由がチェルノブイリだというので悲しく納得。で「日本では除染されたので大丈夫」って大丈夫?

2016年11月17日木曜日

中世と出会った水間寺

   OB会の遠足で泉州・貝塚の水間寺に行き、思いもよらなかった「生きている中世」に出会って感激した。

 さて、テレビの「新日本風土記」などでとりあげられるテーマの一つに「宮座」がある。
 田舎の古社の運営を専門の神職ではなく氏子つまりは村人が力を合わせ当番などによって運営する、その組織のことである。その由来は古代末期まで遡ると言われたりしているが、役職の名称などから中世の匂いが濃いように私は思っている。
 これの寺院版、つまり「寺座」(座中)が水間寺に残っていた。

 立教大学蔵持教授(中世史)によると、寺座は鎌倉期等はそれが普通だったものが徳川幕府の宗教政策で壊滅したのだが、それが水間寺だけに残ったという。強固な観音信仰、人的・財政的基盤がしっかりしていた全く特異なケースだという。
 現在は、137軒?の家の子ども(男子?)が16歳?で座入りし、56歳?以上になると分担してお寺に勤める。12人衆という年寄役?が執行部?になる。(立ち話のように聞いたので不正確かもしれない)

 水間寺では、そういう地元の人々が僧として祈祷などもし、お寺を実際に営んでいるのである。
 この話を我がOB会会員でもあるガイドのTさんから伺った後、該当の寺僧に私が話しかけていたところ、その僧がTさんに「Tさん?」とおっしゃて、実はTさんの同級生であることがわかった。
 さらには、誰も、彼も、Tさんの同級生がたくさん寺僧になっていた。
 私としてはこんな歴史学・民俗学・宗教学上の「生きた化石」のような貴重な制度を肌で知って感激この上なかった。

 ここからは余談になるが、戦後の時期、こういうものが水間寺にあったことは今東光や司馬遼太郎の本で私は知っていたが、現在なお残っていたとは思ってもいなかった。
 知っていたのは今東光和尚による。いわば独立独歩の水間寺に天台宗本山側が「座中征伐」に送り込んだのが今東光だった。
 座中の寺僧は、今東光に言わせると「水間谷に巣くう白蟻みたいな奴」「ケチ臭い悪党ども」で、最後には地元派と今東光派の暴力事件まで起こった。
 その折、今東光は「悪名」で有名な八尾の朝吉親分を呼んで実力行使を計画したが、そのとき朝吉親分は「向こうが7人として、倍の14人はいりまっしゃろな」「相手は和泉だっせ」と言ったと司馬遼太郎の本にあった気がする。

 その話のメーンテーマは河内と和泉の人間はどちらがガラが悪いかというもので、答は格段に和泉だという結論の参考文章となっている。
 毎年のだんじり祭り等での救急車の出動回数からもおおむね妥当な評価であろう。

 そんな事件もあったが、どっこい水間寺の座中は生き残り、かつ寺は繁栄している。
 寺の繁栄については、西鶴の「日本永代蔵」(利生の銭〈初午は乗って来るし合〉)を参照されたい。年利100%の高利貸しとしても才覚があったようだ。


 17日夕 追記

       寺座の残る水間寺にて
       冬ぬくし村のならいと寺僧かな

2016年11月15日火曜日

音楽療法はすばらしい

60名を超える行事だった
   老人ホーム家族会の秋の行事は「想い出のコンサート」だった。
 今年の行事は入居者の体力のことを考えて1時間にと短くしたが、1時間では惜しいぐらいに盛り上がったと役員や施設のスタッフ皆が言ってくれた。
 義母もボンゴを叩いたりして日常よりも格段のご満悦だった。

 コンサートというよりも「みんなで歌おう会」で、その内容はほとんど音楽療法士に丸投げだったが、「さすが」と思わせる進行だった。
 家族会のメンバーもてきぱきと楽器を配るなど、すべてが気分よく運営された。

 職場のOB会の行事よりもみんなが文句なしに協力しようという雰囲気に満ち満ちているのはなんでだろうと少し考えた。(これはOB会の方の反省として)

 司会の言葉にいちいち返事をする人、プロジェクターが歌詞を映すと途端に歌い出す人、もちろん眠る人・・・・、みんなみんな、それぞれが楽しい1時間のようだった。
 今日は行事の主催者だったが、10年後には会場の主人公になっているかもしれない。
 なので音楽療法士の方々に、その折の「想い出のコンサート」では、プレスリー、ニール・セダカ、ポール・アンカを選曲してねとお願いしておいた。

    小春日やボンゴ叩いて母歌う

2016年11月13日日曜日

これも錦秋



 
 絶好の行楽日和だというのに毎日所要があって何処にも出かけていない。
 なので、短い合間に家の近所で写真を撮った。
 初ツグミも見たがその撮影には失敗した。
 写真のとおり、少し妖しげな錦秋を見つけた。
 この雑木もみじの向こうには神隠しの国の入口があるかのように思えた。
 地上ではコオロギの声が弱々しかった。

     地虫鳴く先は異世界笠もみじ

2016年11月12日土曜日

焼き芋焼いた

   孫の夏ちゃん5歳が芋ほりをしてきたので「焼き芋を作ってほしい」とやってきた。
 お父さんとシルバーウィークにキャンプに行ったがなかなか薪に火が熾せなかったと夏ちゃんが報告した。
 よしよし、ならば隔世伝授しなければならない。

 BBQコンロを低く置いて、新聞紙半分と細く割った木切れをセットした。
 そして夏ちゃんにマッチで火を付けさせた。マッチは初めてだったようだ。
 一発で火がついて徐々に太い木を入れさせた。
 あまりに直ぐに完璧に焚火になったので夏ちゃんは火吹き竹を持って鼻高々になった。

 お芋は洗って新聞紙に包んで水で濡らしてアルミホイルで包ませた。
 これも大喜びでアルミホイル係をこなした。
 コンロ上の焚火に炭も入れ、その焚火の上にお芋入りのダッチオーブンを乗せ、途中からは蓋の上でも焚火をした。
 1時間ほどでいい香りが染み出してきて素晴らしい焼き芋が完成した。

 焚火の中の炭を取り出して、「かんてきテーブル」で焼きそばパーティーもした。
 粉末ソースを控えてケチャップをたっぷり使った「ナポリタン風焼きそば」には夏ちゃんも満足だった。
 孫の凜ちゃんがもう少し大きくなってこんな食事ができるまで此方が元気でいなければと、自分に気合を入れた。
 ホームの義母に「曾孫が焼き芋を上手に焼いたよ」と話すと、「埋めますねん」と言って芋を埋めるジェスチャーをした。
 義母の焼き芋というと、へっついさんの灰の中にそのまま埋めるものだった。
 熱々の皮をむいて美味しそうに食べる仕草をしてニコニコ笑った。

     焚火芋私が焼いたと五歳の児

 【人類が調理に火を使い始めたことで、社会的な結びつきが生まれやすくなったと英国の歴史学者が書いている。同じ時間にたき火を囲んで集団で食事をするので、そこが親交の場になったという(フェルナンデスアルメスト著「食べる人類誌」)11月11日付け朝日新聞「天声人語」

2016年11月11日金曜日

火焚きは死語

   北風のニュースにはジョウビタキがよく似合う。
 普通には「尉鶲」ではあるが「尉・火焚き」が名前の由来で、♂の成鳥は頭が白いから、つまり白髪だから「尉」。・・なので写真は白髪ではないので♀だと思う。

 「ヒーヒーヒー」の後に「カチカチカチ」と鳴く声が火打石で火を点ける音に似ているから「火焚き」というのだが、銭形平次的なテレビの時代劇もなくなった今では、火打石などと誰が連想するだろう。
 平次親分がいざ出かける時には奥さんが必ず「切り火」を打っていたものだったが。

 この鳥、けっこう早起きで、毎朝、仄暗い曙から窓の外で鳴き始める。
 〽 もう起きちゃいかがと郭公が鳴く というよりも、その忙しなく甲高いヒーヒーヒー カチカチカチこそ「もう起きなさい」というサザエさん的な迫力がある。
 布団の中でその声を聞くと「もうすぐ日の出だ」と時刻がわかる。

 鳥の渡りに一々驚いていられないが、それにしてもこの小さな鳥が数か月前にはバイカル湖畔のダーチャ(郊外の菜園付きセカンドハウス)でバカンスを楽しんでいたかと思うと、ちょっと感慨深い。
 セカンドハウス(ダーチャ)を楽しむ一般的ロシア人をテレビで見て「貧しくてかわいそうだ」と言うウサギ小屋の「小金持ち」を、このジョウビタキはどのように空の上で感じていただろう。
 豊かな人生ってなんだろう。
 先輩のスノウさんは「テレビを観ないことだ」と喝破されている。
 今さら万博だ!って叫ぶのも大きな勘違いだと思うのだが。
 この国の政治を高みから俯瞰することが大事な気がする。

       尉鶲(じょうびたき)その説法は鳥瞰図

2016年11月10日木曜日

トランプショック

 テレビでは「予想外だった」「先が見えない」と記者やコメンテーターや「専門家」が顔面蒼白だ。
 予想できなかった日本のマスコミジャーナリズムの正体見たりと言ったところだ。

 後出しじゃんけんではないが私はそれほど驚いていない。
 7月25日には「トランプとクリントンひとつの視点」という記事を書いていたから・・・
 http://yamashirokihachi.blogspot.jp/2016/07/blog-post_25.html
 トランプを支持はしていなかったが当選の可能性を感じていた。
 その底流には1%の支配に対する異議申し立てがあることを堤未果氏に教えていただいていた。

 日本政府の宗主国アメリカの現実は日本のマスコミを見ていては解らない。
 堤未果氏の一連のレポート(著作)は現代人必見の本だろう。

 この頃流行らない言葉の一つに日和見主義という言葉がある。
 フランスやオーストリアでの極右の台頭やトランプ旋風の危険を指摘すると、「そんな主張が大きくなるはずがない」「そんな心配は社会の進歩を信じられない日和見主義だ」と議論を封じてしまうことがなかったか。
 国内では富山市議補選で維新の候補も当選した。
 「維新は関西以外では通じない」ということでもなくなった。
 社会はジグザグに「進歩」する。
 「現代の反知性主義」を大いに議論する必要があるように思う。

2016年11月9日水曜日

なるほど

   「目から鱗」という言葉があるが、高橋千鶴子議員のツイッターで「なるほど」と思ったことがある。
 そのまま引用すると、『厚労部会と全日本年金者組合が、年金カット法案について、要請と法案レクをやりました。年金総務課長が対応。高齢者の年金減らすと、現役世代が支えなきゃならない。現役世代のため、というのは違うぞ!という発言に、なるほど。その逆もある。おばあちゃんの年金に頼ってる孫もいるし』というものだった。

 「為政者は庶民どおしを分断して統治する」というのは中学教科書レベルの常識だが、実際に、「人数の多い老人の厚遇で現役世代が損をしている」という主張はマスコミで繰り返され、それ故そのように思いこまされている現役世代も多い。
 だから、軍事費や大企業優遇の膨大な予算の無駄遣いをスルーして、「老人など既得権益者を許すな」的な維新の主張が相当程度受け入れらている。
 しかし高橋議員のツイッターは「ちょっと違うぞ!」といい、私は個人的に全くそのとおりだと「目から鱗」の感を強くした。

 というのも、私の父は高度成長が始まる前・・いわゆる「戦後」に他界したが、戦時中は大いに国策に協力し、貴金属をはじめ金属は供出し、預金は戦時国債に換え、最後は空襲で焼け出された。
 その記憶から、預金だとか保険などというものを一切信用せず、他界したときには保険・年金その他一切がゼロだった。
 その反省から、残された母は滑り込みの国民年金に加入したが、それは当然、最低レベルでしかなかった。それでも母は感謝していた。

 だから、働き始めてからの私は、ずーっと母を金銭的に支えてきた。
 当時はそれがほとんどの家庭で当たり前のことだったと思う。
 そこで私の子どもたちだが・・・・、おかげさまで私たち夫婦は子どもたちからの金銭的支援を受けずに今は暮らしている。
 つまり私が担ってきた金銭的負担は今の子どもたちにはない。
 だから、そのツイッターに大いに共鳴したわけである。

 個人の実感を世間の全てというつもりはないが、同じような経験は広くあるだろう。
 話を膨らませすぎるといけないが、非正規雇用の現役世代を親や祖父母の年金が支えている場合もあるのはツイッターのとおり。
 「年金は高ければ高いほど良い」というほど単純には考えないが、税金を応能負担にする、大企業優遇の税制を止めさせる、軍事費や利権に絡む無駄遣いを止めさせる、そうすれば現役世代の賃金も上がり年金も福祉も充実させられる。
 そして、その購買力は景気を回復させるだろう。
 世代間のバトルだ的な宣伝に惑わされずに、勤労市民が連帯・団結する以外に未来は開けない。

         木枯らしや嘘つくひとの多かりき

2016年11月8日火曜日

Fawn


 ディズニー映画の『バンビ』は1951年(昭和26年)に日本で公開された。
 〽子鹿のバンビはかわいいな の歌が毎日のようにラジオから流れた。
 そのせいで私などは子鹿のことを英語ではBanbiというのだと長い間信じ切っていた。
 正しくはバンビは映画の主人公の固有名詞であって、子鹿はFawn(ファウン)であるが、今でも奈良公園ではご同輩が「バンビ、バンビ」と言っているのを聞く。
 「バンビシャス奈良」というプロバスケットボールチームがあるくらいだから、その誤解を笑うことはできない。

     曝涼(ばくりょう)や御物(ぎょぶつ)見る人見る子鹿