2015年12月14日月曜日

天声人語が気にかかる

  朝日新聞12日付け「天声人語」に私の知らないアメリカのことが書かれていた。
 ・・・・・アメリカでは日本ほど無邪気に「メリークリスマス」を口にできない。他の宗教を信仰する人への配慮から、あいさつも宣伝も無難な「ハッピーホリデーズ」が広まった。公立学校では『きよしこの夜』もだめ。クリスマスツリーはコミュニティーツリーだ・・・・・と。

 この文章に相当な誇張があるのかそれとも的確な分析なのかは知らないが、そういう流れがあるのは確かだろう。そして、
 ・・・・・それを「きれいごと」と苦々しく見ている人もいる・・・・・で、トランプ氏の暴言や放言が受けて、氏は共和党の大統領選候補者争いでトップを走っている・・・・・多民族社会の建前にあからさまな言葉で穴をあけて、民衆の溜飲を下げるのがうまいと聞く・・・・・不寛容と排斥の言葉に社会がからめとられていかないか。海の向こうが気にかかる・・・・・と。

 私はというと、クリスマスを祝い、除夜の鐘をつき、神社に初詣に行く、ある種典型的な日本人だから、思わぬ指摘に「なるほど、そういう感覚もあったか」と少し慌てながらも「メリークリスマス自粛論」には違和感を感じている。
 メリークリスマスも、お経も、かしわ手も、自粛などせず認め合えないものだろうか。

 余談ながら、何でも商売にしてしまう株式会社ニッポンでは、お彼岸だ、ボージョレだ、七五三だ、ハロウィンだ、クリスマスだ、お節料理だと、これ以上行事は思いつかないほどかきたてる。その伝でいけば、次は「ラマダン明け祝い」かと想像したりする。あくまで余談。

 それよりも、あの大阪W選挙で市民は、橋下維新の「あからさまな暴言・放言」に溜飲を下げたのではないかと思い、そこを指摘せず「海の向こうの気」にとどめている天声人語が気にかかった。
 否、天声人語は「奴隷の言葉」であり、読み人に国内の同種傾向への想像力を訴えたのだと理解したいがどうだろう。

4 件のコメント:

  1.  私も典型的な何でも寛容する日本人です。我が家は真言宗智山派で、葬式には坊さんがお経をあげてくれます。私自身は地域の神社の役員をさせて頂いております。神官さん以外は似たり寄ったりで何の違和感もありません。神官さんとも仲が良いです。田舎の風習で、お寺にも神社にも半強制的に御寄付をします。節操がない。宗教心がない。と言われればその通りかもしれませんが、別に反論する気もありません。宗教で戦争するよりましだと思います。
     大阪ミナミ、キタに行ってきました。大きなビルばかりで何もかにも変わっていて、30年前の面影はほとんどありませんでした。45年前の想い出の場所も大きなビルに変身していました。法善寺横丁と大阪城はそのままでしたば、観光客は外国人(中国系?)が多いのには本当に驚きました。大阪城での話声は外国語しか聞こえてこず、嫁さんが「私らあ以外に日本人おる?」と言うので私が「中国の天安門で旅行している。と思ったらいい。」と会話するほどでした。裏道に入りお好み焼きとたこ焼きとビールと焼酎をいただき、少しは大阪らしさを満喫しました。

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  2.  私のこの記事では、何となく嘘くさい政治(社会)が長引くと、暴言・放言・ヘイトスピーチ等に熱狂して溜飲を下げる社会現象が起こる、それは大阪だけに限らずどこでも起こりうることになっていないか、というところにあります。
     宗教の世界での不寛容と排斥の問題はイスラム教を交えて論じないと議論が深まらないでしょうが、なかなか掘り下げるだけの知識がありません。ヘジャブ(スカーフ・ベールのようなもの)の女性はいくらでもおられますが、目以外を全て覆い隠すニカブの女性が増えると、この「寛容」の国でもどんな意見が出てくるかわからないようにも思います。
     バラやんの浦島太郎ぶりの楽しいレポートありがとうございました。なお奈良公園でも日本人は少数派の観を呈しています。

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  3.  天声人語の結び「不寛容と排斥の言葉に社会がからめとられていかないか。海の向こうが気にかかる」は「海の向こう」だけではないのではないかというのが私が記事で言いたいことのひとつだが、海の向こうのフランスでは地方選挙第2回目投票が行われ、社会党と共和党が連携して国民戦線に勝利した。日本の新聞の見出しは「国民戦線全敗」だがそんなに単純に喜んでよいものだろうか。それともやはりレジスタンスの歴史を持つ国と学ぶべきなのだろうか。勉強不足でよく判らないが「気にかかる」。

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  4.  再び三度大阪W選挙の感想をいえば、橋下維新の暴言・放言の中で何が市民の心をつかんだのだろうかと考えると、大阪戦略調整会議を自ら掻き混ぜておいてポンコツとレッテルを貼り自民には提案能力がないと訴えたこと、反共を中心に据えてオール大阪体制を野合と決めつけ大阪自民よりは自分たちの方が官邸と近いと言って保守層を引き付けたこと、そして市役所・府庁の公務員が働かないのに高給であると言ってその無駄を削れる実行力は橋下維新だけだと言ったことあたりが主なところではないかと思う。
     特に最後の公務員攻撃は理論的にはつまらないことだが実際には大きな影響力を発揮したのではないだろうか。公務の労働運動を担っている人々やそのOBたちがそのことを自覚し、正しく市民に説得力を持つ主張を練り直そうとしているように見えないことを私は心配している。

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