2015年12月31日木曜日

現代の反知性主義

  平成27年という年を去るにあたって、やはりこのことをもう一度振り返っておかないと気持ちが落ち着かない。
 タイトルに掲げた、私が語りたい反知性主義とは、単に知性が不足しているというようなものではなく、反対に、勝ち組の権力者がまるで正反対の立場であるかのように主張して庶民を扇動し誘導するイデオロギーである。
 語源的にはリチャード・ホーフスタッターの著した「アメリカの反知性主義」にあるようで、そこでは貴族的特権層を代弁する「知性主義」に対するある種の進歩的主張でもあったようであるが、私は知らない。
 なので、平成27年に大阪で顕著に表れた現代日本の反知性主義について思うところを書く。

 それは、複雑で多面的な社会の出来事を知性的に語ろうとする者を問答無用で「既得権益者」だと祭り上げ、そういう知性的な言葉は庶民生活を知らないエリートの言葉だと非難し、反対に単純で感情的な言葉こそが改革の武器になるという主張というよりもそういう行動形態である。
 主張というよりも行動形態だというのは、そんな雑駁な主張は落ち着いて考えればおかしなことはすぐに解るものであるが、そういうワンフレーズを気後れすることもなく自信ありげに繰り返して断言する。そうすると、粗雑な論理を開陳するには気後れをしてしまう普通の市民には、あれほど堂々と主張するからには私には判らないことだがきっと正しいことなのだろうと思わせる。
 
 もっと解りやすく言えば、東京=知性主義=勝ち組であり、大阪はその被害者でわりを食ってきた。物を作ったり売ったりするのは大阪が先行してきたのにいい思いをしているのは東大法学部出身の官僚に代表される東京だ。現場・現実を知っているのは知性あるエリートではなく、市井で額に汗してきた者であり、その意味で大阪人は不当に不利益を被ってきたのであり本来はもっと尊敬されてしかるべきなのだという主張で、大阪という地でこういうルサンチマン(怨念)を煽ることは絶大な効果を発揮した。
 なお、反知性主義の扇動者は常に反東京を前面に立てたわけではない。前面に立てたのは東京似の市役所職員、自治体の公務員であり、あるいは福祉政策を受けてきた弱者である。
 それ(反公務員の主張)が庶民の感情を掴んだのには大阪の歴史もある。真実は、そう主張する彼らの前身は歪んだ同和行政と府・市政を推進してきた者が少なくないのだが、そこには一切頬かむりをして、見かけは府や市の役人の所業に見せている。
 
 早い話が反知性主義は詐欺師の常套手段であり、デマゴーグの必須アイテムだったのだが、歴史的にはナチスを始めとして国の内外で独裁政治を現実にすすめた強力な武器である。
 付言すれば、現代日本の反知性主義はマスコミの利用にも巧みであり、スポンサーと視聴率に縛り上げられているマスコミ自身がある種の反知性主義の露払いをしていることは日々のテレビが教えている。
 
 平成27年の晩秋に大阪ではこの反知性主義が「勝利」したのである。
 そういうかつてない局面を迎えたという分析がなければ、これを克服するのにも困難が続くだろう。
 私はこういう対決はさらに続くとみる。だとすれば共産党が真面目な地場の自民党や保守層と連携する局面、連携すべき局面は必ず広がるし広げなければならないと考える。地場の自民党がどのように総括するかに関わらず。

 それを、「今回は主張をし辛かった」とか、「知人に説明しにくかった」というようなことで平成27年の経験を結果だけから見て否定的に捉えるのは良くないと思う。
 そういう複雑な制約の中でも、論争の対決点をはっきりさせ、堂々と主張することに長ける必要もあろう。
 生まれも育ちも違うグループとの礼儀正しい付き合いにも長ける必要がある。内弁慶ではいけない。

 かてて加えて、もう繰り返さないが反知性主義の彼らの主張は巧みで広範であるから、それに対するなら、民主主義を標榜する人士がSNSも活用しないでどうすると私は思う。
 「正しいことを主張し論破すれば世の中が変わる」というほど世間は単純ではない。
 正しい主張を、的確な時期にふさわしい速度で、共感を得られる言葉と態度で広めることが重要なことに異論はないだろう。
 と考えれば、平成27年の大阪でいえば、大マスコミがついていたとしても相手は実質一人だった。
 それに対して民主主義の運動の側には、長い職業生活や諸運動の経験と知識を持ち、酸いも甘いも嚙み分けたリーダーがいっぱいいるのだ。それがSNSの世界ではほとんど見えてこなかった。ネットの好き嫌いや得手不得手を論じるときではなかろう。SEALDsの運動はSNSなくしては語り得ない。自分の職場や自分の地域しか目がいかないのは職場でいえば指示待ち人間、マニュアル人間と同じだと思う。
 新しい年に、民主主義の運動の側が一大SNS講習会をすればいい。
 そして、各分野のリーダーたちが人間味あふれる言葉で発信をしはじめたら、平成27年1年間の政治状況が大きく変化したように、平成28年はさらに劇的に時代を手繰り寄せられるものと信じている。そんな夢を私は見ている。
 ブログを読んでいただいた皆さん、どうかよいお年を!

 (参考:内田樹編「日本の反知性主義」晶文社)

2015年12月30日水曜日

ダンドリ八分

  勤めていた頃は先輩からいろんな「言い伝え」を教えてもらったものだ。
 「怠け者の節句働き」は、仕事納めの日に大掃除もせずに仕事をしているとこう叱られた。
 「ダンドリ八分」もそうで、仕事の八割はダンドリで決まる、ダンドリがしっかりできておれば仕事の八割はできたも同然というものだった。
 これらの諺はイラチの私には納得できるもので、集まりに遅刻すること、期限直前にアクシデントがあったと言い訳して約束を果たさないことなどは好きではない。
 「ダンドリ八分」は私の座右の銘に近い。ただし、整理整頓後片付け、掃除だけはダンドリ出来ずに妻にののしられている。
  で、お正月の準備・ダンドリだが、そもそも一夜飾りは禁忌事項とされているので、注連縄、お鏡等の最小限の準備はほゞ終えた。
 すべて安価で地味なものしか購入していないが、年中行事は最低限レベルでしっかり踏襲したいと思っている。

 上の写真は質素な門松であるが、お正月は歳神さまをお迎えするものであるから依代(よりしろ)は必須アイテムだと考えている。奉書で巻いて水引きの飾りをつけた。

 下の写真は祝箸で、毎年言っているが我が家では下から差し入れる関西風の形である。それが昨今では東京風の上から差し入れる形のものしか売っていないのを嘆いている。
 なので、墨をすって手書きするのが本来だろうが悪筆故そこは勘弁してもらってパソコンで手作りした。
 「寿」では少々面白みに欠けるので去年同様「笑門来福」にした。
 写真は我がファミリーの嬉しい新入生のものである。
 お雑煮は、元日は大阪風、二日は大和風、昼や夜なら「澄まし」と決めている。
 なお元日は、息子ファミリーはお嫁さんの実家へ、娘ファミリーは夫の実家へ行くので、我々夫婦は義母の老人ホームで元旦となる。それで何の不満もない。

2015年12月28日月曜日

喪中はがきのこと

 11月下旬から風物詩のように喪中はがきが届いてきた。
 ほとんどのものは続柄と年齢が記されていたが、中には喪中であるというだけのものもあり、反って何かの哀しさを想像させた。
 この種のセレモニーに似たハガキなどには個性は無用で、できる限り定型的常套的な対応が正解なのかもしれないが、私が義父や実母を亡くした年の年末には、義父や実母の思い出をできる限り綴っておいた。
 翌年の年賀状などでそのことに触れたものがあったりして自分では良かったなあと思っている。

 全く調べもせずに想像だけで語るのだが、諸外国ではこの種の喪中はがきはあるのだろうか。それはやはり定型的なのだろうか。
 もしかしたら諸外国から見た日本の定型的喪中はがきは、あまりに心がこもっていないように見えないだろうか。
 そんなことをいうと、喪中はがきとメダルの裏表である年賀状が定型的で形式的だという批判は既にあちこちから聞こえている。
 喪中はがきも年賀状もある種の同調圧力?に弱い現代の象徴かも知れない。

 そんな折、S先輩から次のようなメールが届いた。いろんな要件の最後に・・・、
 ‟今年義父母が相次いで亡くなり、本来なら「喪中」となるのでしょうが「ひろ さちや」氏流で言えば、「喪」は本来当人が勝手にするもののようです。
 「忌」については延喜式で30日間細かく人と交わることを禁止することが書かれているそうですが、「喪」の期間は勝手に決めて良いようです。
 喪中はがきに何時までという期間が書かれていなければその人は一生「喪中」になるそうで、イギリスでは一生喪服を着ている未亡人がいるそうです。
 「忌」と「喪」が分からなくなった日本人・・と「ひろ さちや」氏が言われています。”とあった。
 主体性のある見識を示されている。

 ちなみに、私の持っている昭和62年発行の冠婚葬祭の事典によると、・・一定の期間を自宅に引きこもって謹慎して悲しみの心情をあらわすことを「忌」といい、喪服を着て慎むことを「服」という。 「忌」の期間は比較的短く、「服」はかなり長い期間でとなっている。 そしてこの「忌」と「服」とを合わせたものが「喪」である。服喪の期間は、この忌と服を合せた期間である。 ・・・例えば父母の死亡に対して、少なくとも七七忌の法要をすますまでは、喪に服する気持ちを忘れないようにしたいものである。とあった。(ということは喪中期間は自由。最高でも49日とこの筆者は述べている)

 私がS先輩あてに年賀状を投函したことはいうまでもない。

2015年12月26日土曜日

英語の表記

  カレンダーの更新の時期になってきた。
Kashihara-jinguの八咫烏
  2015年と同じ近鉄の歴史街道のカレンダーを来年も同じ場所に更新しようと思っている。
 このカレンダー、近鉄沿線のきれいな写真があって不満はないのだが、2015年の写真の解説欄の英語表記には少し馴染めなかった。
  Kashihara Shrine というものである。(私なりに)もっとひどいのは Yoshiki Garden で、これが大仏殿南西にある吉城園のことだと想像するのには時間がかかった。
 この伝でいけば東寺は To Temple になる。東大寺は Todai Temple 、山上ヶ岳は Mt. Sanjyo か。
 この種の教養が私にはないので正解は知らないが、ちょっと馴染めない気分が残る。

 というようなことをぼやきながら1年が経ったのだが、2016年のカレンダーには Kashihara-jingu Shrine と変更されていた。
 あははは、私と同じような人生幸朗みたいな人がいたのだと思うと可笑しくなった。

  ちなみに奈良県(庁)の方針は、Mt. Fuji のように定着しているものを除き、固有名詞に近いように思われるものは、 Mt. ooyama   oogawa River   ooen Park   oobashi Br.  となっているから概ね納得できるものである。
 しかし、各地のホームページなどを見ると、春日大社は Kasugataisya Shrine  だが、大神神社は Omiwa shrine  となっていた。う~む。

 「奈良と英語」とくると子鹿のバンビだが、私はすぐ最近まで子鹿のことを英語で Bambi というのだと思っていたが、これがディズニー映画の主人公の名前でしかなかったことを知って自分の無知に赤面した。

2015年12月25日金曜日

メリークリスマス

去年の写真
  クリスマスイブは恒例のお仕事として、老人ホームの各部屋(ユニット)にサンタクロースやトナカイの衣装を着けてクリスマスケーキを配って歩いた。
 症状の軽い入居者は大いに喜んでくれた。
 施設に入居するとこういう行事が頻繁にあって楽しい刺激になっている。
 介護する方も、家族介護ではなかなかそこまで気力は出ないが、施設に入居して家族が協力し合ったら新しい世界が広がっていく。
 老いることは自然の摂理だから、親の将来を考えるとスムースに施設入居できるように事前に事前に種々準備をする方がよいと信じている。
 孫にクリスマスプレゼントするのもよいが、親にこそ行事を通じて感謝したいものである。
 昨日は一日クリスチャンだった。

  デュラン・れい子さんの気軽な新書を読んでいたとき、後に夫となるスウェーデン人が日本にやってきて、「日本は365日どこかでお祭りのある世界でも稀有な国だと驚いた」と書かれていたことに私が驚いた。
 ヨーロッパでは、クリスマス、復活祭(イースター)、謝肉祭(カーニバル)それにその土地の聖人のお祭りぐらいだし、そのすべてがキリスト教に根ざすものなのでバラエティーにも乏しいという。

 といっても、日本でも同じ人間が365日お祭りをしているわけではないが、行こうと思えば容易に行ける近県のお祭りだけでも豊富だし、町内会の夏祭りや餅つき大会なども含めるとスウェーデン人が驚いたという話も理解できなくもない。
 日本人は古くはお正月とお盆と秋祭りぐらいしか休まなかったという定説も、よく吟味するとそうではなく、けっこうお祭り好きの民族だったのかもしれない。
 その上に、近年は商業主義主導の年中行事が広まって、私はそれはある種の植民地文化ではないかと思うのだが、世界でも稀有な国は今も成長していっている。
 私はというと、そういう風潮に眉をひそめているわけではなく、結構楽しんでいる。

2015年12月24日木曜日

食べ始め

  ただの爺ばか日誌である。
 12月5日の記事で「プレ食べ始め式」を行なったことを書いたが、今回は父親も参加して、孫の凜ちゃんの正規の食べ始め式を行なった。
 座っているように見える椅子?は私が段ボール箱で制作した。
 妻も娘(凜ちゃんの母親)も、私がスーパーで段ボール箱を貰っているのを、こういう構想であったとは露知らず、「また何かあほな工作をするのだろう」と思っていたらしいが、結果ヨシで感謝された。
 食べ始め式は地方地方でいろんなしきたりがあるようだが、その種のこだわりは無視をして、孫が成長しつつある記録として行なった。
 ただそれだけといえばそれだけのことであるが、この孫はよくぞここまで成長してくれたものである。
 両親も、よくぞここまで頑張ったものである。
 今でも毎日七種類の薬を飲んでいるように、この孫のハンディキャップに心は痛むが、ある意味では他の子に比べてどうだとか、平均的な成長の度合いから見てどうだとかという心配?は超越したから、純粋に1か月前から成長したとか、半月前から変わったとか言って喜べている。
 まもなくこの年も暮れようとしているが、鯛の目玉を食べて目出度いと洒落を言い、「鯛の鯛」を出して来年も善い方向に転ぶだろうと言いあった。
 
 
 

2015年12月23日水曜日

ダブルスタンダード

  矛盾する基準を不公平に使い分けることをダブルスタンダードという。
 低所得者つまりは庶民に重税を強いる所得税を維持・増税しながら低所得者対策を標榜して軽減税率を言うことや、社会保障のための消費税(というのは虚偽ではあるが)と言いながら、見栄えの良い?軽減税率のために子育て給付金を廃止するなど、近頃の自公政権のダブルスタンダードぶりは目に余る。

 まあ大阪市では「身を切る改革」と言って福祉をバッサリ削りながら、橋下氏の後援会の身内を大阪市長特別秘書に採用して、勤務実績もないのに税金から給与や退職金を払っていたのだから、岡八郎に倣えばえげつな~かった。
 
 といいながら私はというと、窓ガラスのすぐ外の餌台にヒマワリの種を置いて孫の凜ちゃんのためにヤマガラを呼んで楽しみながら、ロウバイの花を食べにくるヒヨドリを「こら~」と言ってせっせと追い払っている。野鳥からするとダブルスタンダードだと抗議を受けるかもしれない。

 ヒヨドリは大きくて声が悪くてなんとなく可愛げがないからあまり好きではないが、それがツグミだと好もしい。
 ツグミは姿も良いし姿勢も良い。
 さらに近所で撮った写真の大型ツグミ類のシロハラとなると、長い渡りを終えて「よく来たよく来た」という気分になる。
 声もキョロロンと可愛いし姿もいい。
 写真のシロハラ♂は腹がほんとに白くてシロハラの中でもシロハラらしい。

2015年12月22日火曜日

生まれる40年前

  18日の金曜日にNHKで、黒木華さんの語りつきで、二宮和也✕山田洋次✕美輪明宏3氏のトーク番組があった。
 印象的だったのは長崎の被爆者である美輪明宏さんのリアルな被爆体験と、校庭で何十という遺体を焼いたこと、そのとき母親?は子どもをしっかりと抱きしめて庇い二人の遺体を引き離せなかったこと、出征兵士に「死ぬな」と叫んだ母親が軍人に飛ばされて鉄の柱で顔から血を流しその兵士にとってはそれが今生の母の姿であったことなどなど、素晴らしい時代の証言の数々であった。
 賢そうな二宮和也さんは非常にまじめにトークをつないでいたが、それでもその顔は、「そんな時代もあったのですね」と、皮膚感覚では掴み辛い表情だった。
 荒っぽい話をすれば、わずか70年前のことであるのに・・・・・、

 しかし、ハタと考えると、30歳の人間がその時点で70年前のことを想像してみよと言われたとすると、つまりは生まれる40年前のこととなる。
 そのことを自分自身のこととして捉えなおしてみると、戦後一期生である私なら1904~1905年の日露戦争の時代を皮膚感覚でリアルに理解しろということとなる。
 だいたいが日本史といっても明治維新で終了した世代だし、日露戦争は司馬遼太郎の小説の世界である。大げさに言えば私の理解も時代劇と変わらない。
 つまり、今の若者に太平洋戦争はおろかベトナム戦争さえ「知っておけ」というのは酷だと私は思う。大人たちは自分のその頃(30歳ぐらいの頃)を胸に手を当てて振り返るといい。

 だとしたら、高齢者が体験したこと、高齢者が学んだことを若い世代にどう言い伝えればよいのか。「語り継げ」と言うは易いがほんとうは非常に重要だが困難な課題だなあと私は考え込む。
 中公新書「日本史の森をゆく」の中で小宮木代良氏は「過去の出来事についての共通認識は事件後70年目あたりを境目に大きく変化する」と指摘しているのもこのあたりに理由があるのだろう。
 これといった対案を持ち合わせているわけではないが、私たち自身が生まれる40年前を学び直しつつ、私たちの世代の経験を語ったり書いたりしなければならないと反省する。
 ああ、月並みな「まとめ」になってしまった。
 よい経験などを教えてほしい。学校の先生の役割も大きいように思う。どうしたらよいのだろう。

2015年12月21日月曜日

昔とった杵づか

  20日に老人ホームの餅つき大会を行なった。
 先日行なった町内会の餅つき大会では「子どもたちに丸めさせよう」という意見は少数否決され、「食中毒が起こったらあかん」ということで登録された役員だけが丸めたが、ここではもちろんよく手を洗って消毒してではあるが、ほとんどの入居者が丸める作業に参加した。

  そして義母であるが、先日来神経も含めて体調が良くなく動作も緩慢になっていたが、一旦お餅を手にすると、先ず皺を底の方に丸めようとし、後は嘘のように俊敏に丸め始めた。ほんとうに嘘のように手が動いた。
 人間歩くときに「右足を出したから次は左足」などと考えずに歩くように、体に染みついているのだろう。昔とった杵づかとはよく言ったものである。

 日頃の食事はきざみ食や流動食の方々も、おぜんざいやきな粉餅を最低でも3つは食べられたのにも驚いたし、食べさせるスタッフにも少し驚いた。
 喉に詰められた方もおられたが、ちょっとした息の調子で遠くからでもすぐに察知し、そして背中を叩いたりしてすぐに対応されるのにも感心した。これがプロであろう。
 症状の軽い入居の男性も本格的に杵をふるったし、以前に私が作った発泡スチロールの杵で入居者の曾孫さんが参加したのには大きな掛け声と拍手が起こった。
 お餅つきは素晴らしい伝統行事だと思う。

2015年12月20日日曜日

冬至十日は

  年賀状の初春という文字を見ると、これからが冬本番なのだから、春というのは少し形式的で白々しいと思ったりするが、気温とは別に日の出・日の入りや陽の角度を思うと、お正月には確かに春が山の向こうあたりで始動し始めたと感じないこともない。
 その折り返し点はやはり冬至だろうが、厳密には冬至の日が一番日の出が遅く日の入りが早いわけではない。それぞれ前後に約10日から半月ほどのずれがある。
 冬至から十日ほど過ぎると元日だが、来年の元日の大阪の日の入りの時刻は16時58分で、明後日の冬至の16時52分と比べると6分しか日が伸びていないが、最も日の入りが早かった12月5日6日頃の16時47分からすると11分伸びている。
 このあたりが、寒風の向こうに春を感じる所以だろう。

 「冬至十日はあほでもわかる」は大阪や奈良周辺の高齢者なら誰でも知っている諺だ。
 先日、老人ホームで妻が入居者と日の暮れるのが早くなったと話していたら、近畿出身の入居者は口々に「冬至十日はあほでもわかる」と言い出した。(まだ冬至前だったが・・・・)
 ところが、農家の出で、それ故に日暮れに直結するこの種の諺が身近にあり、事実、毎年の様にこの時期には「冬至十日はあほでもわかる」と言っていた義母が、「そうやったかいな」と呟いた。
 最近の記憶は忘れるが、こういう小さい頃からの記憶は覚えているものだと言われたりするのだが、それさえも遠い過去に飛んでいきつつあるのだろうか・・・・・・・。

 さて、10日ほど前から近所の大型スーパーに国産の南瓜が全く出ておらず中南米産ばかりだった。
 妻が「なんで国産のがないの」と店員に聞いたら「日本では旬が過ぎたから」という的外れな答えが返ってきたので「輸入品のない時代から冬至には南瓜を食べてたんやで」と言い返したそうだ。
 ということを「あほかいな」とあきれて笑いながら教えてくれた。
 まさかハロウィンで枯渇したわけでもなかろうし、冬至前に出そうとストックしていたのだろう。
 あるいは、利益率の高い輸入品を売らんがために国産品をわざと抑えたか???
 事実、この週末から国産が出始めた。我々は何から何まで管理されているようだ。
 ほんとうに、いらぬお世話である。

2015年12月19日土曜日

ごわす

  司馬遼太郎の本の中に明治11年生れの菅楯彦画伯の懐旧談があって、明治の大阪の講釈場のことが載っていた。
 米朝の落語の枕などでも話されていたが、当時の講談は読み切るまでに延々半年から1年かけていた。
 そうなると途中でだれて客足が遠のく。すると、それが太平記なら「今日より正成出づ」と貼り紙が出る・・という話。

 菅画伯の懐旧談は、『三国志などでも同じでごわりましてな、・・・・「今日より孔明出づ」という貼り紙が出ます。すると、遠のいていた客がまた押しかけるというぐあいでごわりましてな』という直接話法で書かれていて、この「ごわりましてな」という大阪弁に私は嬉しくなった。
 この「ゴワス」という大阪弁は私の明治生れの実父や同世代の親戚の伯父さんたちは使っていたが今では死語だろうか聞くことがなくなったように思う。
 だから、映画、テレビ、芝居などではなく普通の会話としてそれを聞いた世代としては私などが最後の世代かもしれない。

 ひらパーの園長は「オマ」と叫べと言うが、「オマ、オマス」よりも古くは「ゴワ、ゴワス」であったことを記録しておくことも何かの意味があるだろう。
 せっかくだから牧村史陽編「大阪ことば事典」から「ゴワス」の一部を引用すると、「このゴワスを文字に書くと、鹿児島のゴワスと同じなので、大阪にこんな言葉があるのかと疑う人があるが、それとはアクセントも違い、語調も全く違うもので、さいでごわす・よろしごわすなどと、軽く発音する。大阪弁ではオマスがその代表的な言葉のようにいわれているが、もとは船場あたりではオマスは使わず、すべて、ゴワス、ていねいに言って、ゴザリマスであった」(なお、否定はゴワヘン例そんなことごわへん)。

 文字の上ではあるが懐かしい大阪弁に出会って、久しぶりの法事の席のようになんとなく嬉しかった。
 もちろん菅画伯も、実父や伯父たちもそして司馬遼太郎も米朝も、古い大阪弁とともに彼方に行ってしまっている。

2015年12月17日木曜日

室井佑月さんのファンになる

  16日付け朝日新聞の「耕論」というページ。
 「今年の夏、男も女も、老いも若きも、様々な人たちが国会前に集まって、安保法制に反対するデモを大いに盛り上げた。だがみんなで集まるその前に、または集まりながら、ひとりでも考えてみよう。それが大切なことだから」との文を線で囲んで、フェリス女学院大学教授矢野久美子さんと並んで、作家室井佑月さんの発言が掲載された。

 そもそも前記の囲みの文章は、少し嫌味な匂いがするが、それに対する室井さんの言葉は歯切れがいい。

 冒頭から、「朝日新聞を始め大手マスコミの人たちは、なにをしているのでしょう。この国の将来を左右する事柄がつぎつぎに起きています。国民の側に立ってきちんと報道しているでしょうか。個人に意見をいわせ、クレームがついたら、トカゲのしっぽを切るみたいなことが起きています。ずっとそんなことをしていくつもりでしょうか。」と爽快だ。
 著作権の問題もあろうから全文を引用できないが、論旨もすっきりしている。

 私はテレビ事情等には疎いので、今まで室井さんのことは、高級ホステスをしていたことがあることと高橋源一郎さんと離婚したことぐらいは知っていたが、それ以上にはよく知らなかったが・・・、室井佑月さん、ファンになりそう。

 結びの部分の「苦情だけでなく、いい記事や番組をみかけたらよかったと声をあげる、それだって嫌な空気を壊す有効な手段だと思います」も納得。
 同じようなことは確か高遠菜穂子さんも言っていた。
 判った者同士が集まって「マスコミなんて」と言っているだけだとマスコミの劣化はますます進むだろうと。
 それらの指摘に感動したので、この記事を書いてみた。

2015年12月16日水曜日

想像力

  テレビをつければ朝から晩まで「軽減税率がああなったこうなった」である。
 「軽減」という言葉は広辞苑では「負担や苦痛をへらして軽くすること」であるから、言葉を大事にするジャーナリストなら今般の消費税引き上げには使うべきではなかろう。
 身ぐるみ剥いで帰ろうとする強盗に懇願したら明日の食費分だけ引いてくれたので良い強盗さんだったみたいな報道が延々と続いている。
  その上に、突如浮上した一般新聞の軽減税率ときた。あまりに露骨な選挙対策ではないか。恥も外聞もないとはこういうことを言うのだろう。
 こんな報道にどっぷり浸からされた私たちだから、いま一番大切なことは報道されていない真実に迫る『想像力』ではないかと思う。

 例えば9月に成立した戦争法案だが、「自衛隊員のリスクが高まる」という程度の理解で済ますのでなく、その向こうに「安倍首相は自衛隊員の戦死を望んでいる」と想像することの方が大切ではないか。
 在日米軍駐留経費いわゆる「思いやり予算」は毎年約1900億円である。ほんとうの土地代などを換算すると、米軍は日本の基地で世界中の基地のある国に比べて二桁三桁違いそうな「利益」を受けている。
 その上にオスプレイ17機を約3600億円で購入してくれたりするのである。価格は相場の倍だと言われている。
 だとすると、そこまでしてもらってなおアメリカは日本に何が足りないと言っているのか。ズバリ戦死者しかないだろう。「血を流せ」だ。
 米軍のイラク侵攻の状況はベトナム戦争末期と同じで、国内で厭戦気分が盛り上がっている。帰還兵の精神障害も高率で発生している。そういうアメリカ自身の閉塞感、行き詰まり感の中でアメリカの右派は「日本はずるい」「ええとこ取りをしている」と言い、それが戦前回帰の安倍・日本会議内閣と、微妙には同床異夢ながら、ある種の波長があっているのだと思う。
 だから私は、安倍首相にとっては、その本心は自衛隊員の戦死者が発生してほしいのだと想像する。

 来年6月19日施行で選挙権が18歳に引き下げられるが、ベトナム戦争の渦中の1971年にアメリカで当時の徴兵制による戦死のリスクとバーターで21歳から18歳に選挙権が引き下げられたことも歴史の事実である。
 歴史に学び為政者らの真意を想像する。それこそが一番大事なことではなかろうか。
 孫たちが戦死させられないように。

2015年12月14日月曜日

天声人語が気にかかる

  朝日新聞12日付け「天声人語」に私の知らないアメリカのことが書かれていた。
 ・・・・・アメリカでは日本ほど無邪気に「メリークリスマス」を口にできない。他の宗教を信仰する人への配慮から、あいさつも宣伝も無難な「ハッピーホリデーズ」が広まった。公立学校では『きよしこの夜』もだめ。クリスマスツリーはコミュニティーツリーだ・・・・・と。

 この文章に相当な誇張があるのかそれとも的確な分析なのかは知らないが、そういう流れがあるのは確かだろう。そして、
 ・・・・・それを「きれいごと」と苦々しく見ている人もいる・・・・・で、トランプ氏の暴言や放言が受けて、氏は共和党の大統領選候補者争いでトップを走っている・・・・・多民族社会の建前にあからさまな言葉で穴をあけて、民衆の溜飲を下げるのがうまいと聞く・・・・・不寛容と排斥の言葉に社会がからめとられていかないか。海の向こうが気にかかる・・・・・と。

 私はというと、クリスマスを祝い、除夜の鐘をつき、神社に初詣に行く、ある種典型的な日本人だから、思わぬ指摘に「なるほど、そういう感覚もあったか」と少し慌てながらも「メリークリスマス自粛論」には違和感を感じている。
 メリークリスマスも、お経も、かしわ手も、自粛などせず認め合えないものだろうか。

 余談ながら、何でも商売にしてしまう株式会社ニッポンでは、お彼岸だ、ボージョレだ、七五三だ、ハロウィンだ、クリスマスだ、お節料理だと、これ以上行事は思いつかないほどかきたてる。その伝でいけば、次は「ラマダン明け祝い」かと想像したりする。あくまで余談。

 それよりも、あの大阪W選挙で市民は、橋下維新の「あからさまな暴言・放言」に溜飲を下げたのではないかと思い、そこを指摘せず「海の向こうの気」にとどめている天声人語が気にかかった。
 否、天声人語は「奴隷の言葉」であり、読み人に国内の同種傾向への想像力を訴えたのだと理解したいがどうだろう。

2015年12月12日土曜日

鬼肉(クイロウ)問答

  司馬遼太郎の『街道をゆく20・中国・蜀と雲南のみち』は単行本の初版が1983年(昭和58年)1月だから、1982年に司馬たちは旅行をして週刊朝日に掲載されたのだろう。
 その中に「コンニャク問答」という章があり、要旨このように語っている。「漢字渡来以前に日本人が蒟蒻(こんにゃく)を食べていたのなら大和言葉がある筈だがそれがない。/蒟蒻は漢語であるが圧倒的な中国人は蒟蒻を知らないし食べない。/西晋時代(265~316)の詩人左思の作った「蜀都賦」に蒟蒻が初見される。」と。
 で、蜀(四川省)の街道をゆく折々に司馬は蒟蒻料理を尋ねるのだが、結局その頃(1982年)の中国では蒟蒻は四川でも食べていなかったと語っている。ただ蒟蒻芋を粉にして保管することをしないので季節(しゅん)には四川の一部(灌県等)では食べていたようだとも。
 余談ながら灌県での蒟蒻の異名は鬼肉(クイロウ)、バケモノの肉というのも可笑しい。
 ここまで読んでみてお気づきのとおり、先日から私は、餅つきのルーツが中国南方の非漢民族地帯にあることを楽しく考えているが、蒟蒻も非常にそれに似ていないかとさらに楽しくなっている。
 少なくとも黄河文明とは無縁の食べ物である。
 蜀は非漢民族である「西南夷」の地だ。

 さて我が国で蒟蒻を特産品としている地方は多いが、奈良県南部の吉野地方はそのひとつである。有名な蒟蒻工場があり蒟蒻芋の粉も販売している。
 で、息子夫婦がそれを大量に購入してきて、行事の屋台で蒟蒻のおでんを販売するというのでその製造を手伝った。
 非常に温度管理を精確に行いながら糊状に溶かしたところに石灰水(凝固剤)を入れるのだが、一瞬に固まるそのときに思いっきり掻き混ぜないと上手く固まらない。それが重いのなんので思いのほか大変なものだった。
 結果は、白くて美味しい蒟蒻が出来上がり、行事も上手くいったようだ。

 蒟蒻は近頃でこそ緻密な分析で身体に良いと言われたりするが、いわゆる栄養素はゼロである。漢語でいう甘、酸、鹹、苦、辛という味も全くない奇妙な食品で、司馬流に言えば「こんなばかばかしいものを食ってよろこんでいる民族が他にあるだろうか」とでも言ったところだが、今は日本発の健康食品として中国に「里帰り」しつつある。
 日本列島はアジアの辺境だとつくづく思う。
 辺境故に故地ではほとんど滅んだような文化のトランクルームであるところがまた面白い。

2015年12月11日金曜日

冬野の断章


 凩でなければ冬野も悪くはない。
  冬空に輝く楝(おうち)の実はまるでクリスマス飾りのようだ。
 冬鳥の代表ともいえる尉鶲(ジョウビタキ)も家の前で「火火火カチカチカチ」と毎日定刻に挨拶をしてくれる。
 そしてお馴染み山雀(ヤマガラ)も。
 窓近く30センチほどのところにヒマワリの種を置いてみたらひっきりなしに訪れてくれるようになった。
 孫の夏ちゃんはヤマガラの声も識別できるようになった。
 それもそのはずで、庭を歩いていると頭すれすれのところを飛んでくれたりする。
 人懐っこくて可愛いヤツである。
 夜には新月と星が並んでいたが、撮影日の2日ほど前だったなら文句なしに「新月旗」のようだっただろう。
 新月を親しむ地で、戦火の下の子供たちは同じ空を見上げて何を思っているだろうか。
 我が家の裏にはケヤキの街路樹が5本あり、週2回の「燃えるゴミ」に併せて落葉掃きをする。
 一度に45ℓゴミ袋5個ほど作るとほとほと疲れる。
 しかしそれはまだいい。掃いたすぐあとからパラパラパラと降ってくる。それを掃いたらまた降ってくる。
 そういえば「徒労刑」というものがあったなとその厳しさを想像できた気がした。



2015年12月10日木曜日

「小さな政府」は国民を守らない

 井上伸氏が昨年7月にYAHOOニュースに載せた記事。                  
 資料的価値が高いので転載する。                               
 少し長いのでコピーでもしておいて暇な時にお読みください。

 ブラック企業なくす労働Gメン「ダンダリン」の人数はドイツの3分の1、ブラック企業撲滅どころかブラック企業に栄養を与え続ける安倍政権

  昨日、安倍政権が来年度から5年間で、国家公務員の定員を10%以上削減するとした基本方針案をまとめたとマスコミ報道されています。一方で安倍政権は624日に閣議決定した「日本再興戦略」改訂2014の中で、次のように明記しています。

 働き過ぎ防止に全力で取り組む。このため、企業等における長時間労働が是正されるよう、監督指導体制の充実強化を行い、法違反の疑いのある企業等に対して、労働基準監督署による監督指導を徹底するなど、取組の具体化を進める。
    出典:安倍政権が624日に閣議決定した「日本再興戦略」改訂2014

 労働基準監督署で監督指導するのは、国家公務員である労働基準監督官です。全国に配置されている労働基準監督官は約2,941人(※本省23人、労働局444人、労働基準監督署2,474人。※実際に臨検監督を行う監督官は、管理職を除くため2,000人以下)であり、日本で労働者を使用する事業は約409万事業場で、これを臨検監督を実施する場合、監督官1人あたりにすると1,600件以上で、すべての事業場に監督に入るのに30年も必要な計算となります。安倍政権が言っている「労働基準監督署による監督指導を徹底」して「働き過ぎ防止に全力で取り組む」というのは、現実の問題としてまったく裏付けのない話と言えるでしょう。この点からも、安倍政権による労働時間規制の緩和は、「残業代ゼロ・過労死促進」であり、ブラック企業撲滅どころか、ブラック企業に栄養を与える世紀の愚策であることが分かります。



  
 上のグラフにあるように、日本の労働基準監督官は、今でもドイツの3分の1しか人数がいません。労働基準監督官の1人当たりの最大労働者数はILOの国際基準で1万人と定められているのですが、今の日本の労働基準監督官はこの国際基準の3分の1しか職員数がいないのです。日本の労働者の働く権利は、国際基準の3分の1しか保障されていないと言えるような実態にあるわけです。

 それから、下のグラフにあるように、日本の公務員数はOECD平均の半分以下で、日本の公務員人件費はOECD平均の半分程度で、いずれも世界最低です。今でも異常に少ない国家公務員数をさらに5年間で10%以上削減を狙う安倍政権に、「働き過ぎ防止に全力で取り組む」つもりが最初からないことは明白でしょう。(※いずれのグラフも私が作成したものです)







 こうした世界最少の公務員数は労働基準監督官の人数だけでなく各分野で大きな問題になっています。たとえば下の表は、厚生労働省による「主要先進国の職業紹介機関の体制」の国際比較ですが(※下のグラフは私が作成)、失業者数に対する日本の職業安定所職員数はイギリスの12分の1です。非常勤職員を加えても日本はイギリスの5分の1以下です。


 東日本大震災の被災地においても労働行政の果たす役割は大切で、被災者に寄り添ったていねいな職業相談や、復旧・復興工事、除染作業が進む中での労災事故の多発などに対する臨検監督等による安全衛生確保対策が求められています。しかし、もともとイギリスの5分の1以下の職業安定所職員と、国際基準の3分の1の労働基準監督官しかいない上に、さらに5年間で10%も国家公務員数削減が強行されるとさらに労働行政の役割を十分に果たすのが困難な状況に陥ってしまいます。

 それで、私、労働基準監督官座談会を企画しましたので、ごく一部ですが以下紹介します。

 《労働基準監督官座談会》
 ブラック企業をなくすために働く
   ――ダンダリンで注目集める監督官の人数は他国の半分以下

 「働く人をまもるために、働く人がいる。」――竹内結子さん主演で昨年10月から12月中旬にかけて日本テレビで放送されたドラマ『ダンダリン 労働基準監督官』のキャッチフレーズです。マスコミ報道でもブラック企業の問題ともかかわって、労働基準監督官の仕事が取り上げられることが多くなっています。そこで4人の労働基準監督官の仲間に協力いただき座談会を開催しました。(※座談会出席者のCさんは20代の監督官でほか3人は中堅、ベテランの監督官です。※司会=井上伸)

 テレビドラマ『ダンダリン』や
  マスコミ報道で注目される労働基準監督官

   ――いまテレビドラマ『ダンダリン 労働基準監督官』がオンエア中で、監督官が注目されています。また、918日のNHKのクローズアップ現代でも「拡大する“ブラック企業”―過酷な長時間労働」の中で、「ブラック企業取締りの最前線」として労働基準監督官の活動が紹介されました。新聞でも1030日付『朝日新聞』が「労働Gメン『ブラック企業』阻止に十分か」という記事を編集委員の方が書かれていますし、昨年11月5日付『東京新聞』も夕刊ですが、1面トップで労働基準監督官の人手が足りず労働者保護が不十分になっていると報道しています。このようにテレビドラマやマスコミ報道などで労働基準監督官が取り上げられていることについての感想を最初にお聞かせください。

 A 朝日新聞の編集委員が指摘しているように、日本の労働基準監督署の体制は非常に脆弱で、ドイツの3分の1しか職員がいません。こうした実態にあることはあまり知られていない中で、労働基準監督官への注目や期待だけが高まることは、現場で働いている者として少し怖いところがあります。

 B 監督官がこのように取り上げられることは、私たちの仕事を知っていただく意味でも大変有難いです。同時に、今の発言にも共感するところがあります。期待が高まること自体は有難いことなのですが、その期待に応え得る体制が正直に言ってない。その辺が、私たちからすれば忸怩たる思いのするところです。でも、これをチャンスにして、働く人たちの期待に応えられるような体制に改善していければとも考えています。

 「ダンダリン」を見ながら家族で“突っ込む”

   ――テレビドラマの「ダンダリン」は観ていますか?

 B 観ていますが、例えば、実際の監督署では、あのような「朝の体操」はしないですね(笑)。

 D 家族で「ダンダリン」を一緒に観ていて、「あなたは定時で帰ってきたことないよね」と妻に言われました。監督官の人数が少ない中で、いつも定時で帰れるような状況にはありませんし、ドラマのようにそんなに簡単に逮捕はできないよとか、いろいろな場面で突っ込みを入れてしまいます。ほふく前進もしません(笑)。

 A 私は原作のマンガも読みましたし、ドラマも全部観ています。結構楽しんで観ていますけど、原作だと悪い事業者の酷さがリアルに描かれているのだけど、やっぱりテレビだとやわらかい表現になっている感じはあります。

 D それから、「公務員の事なかれ主義」が強調されるシーンも結構あるのですが、実際の監督署は署長にも意見を言ったり、主任にも意見を言うケースが結構あります。「違うんじゃない?」と思ったことははっきり違うと言う監督官が多いと思います。よく監督官はすごく個性的と言われるのですが、正しいと思ったことははっきりと言う、そういう面が監督官は強いですね。

 A ドラマではよく出てくる場面ですが、監督署に限らず、どこの公務職場でも「私たちは公務員なんだから」というような発言はまず聞かないですよね。きっとドラマは、世間の「公務員バッシング」の流れの中でステレオタイプの公務員像を描いてしまっているのではないかと思います。

   ――原作だと最後にダンダリンが期待に応えられなくて、落ち込んで終わるという感じになっていますが、そうした労働者の期待に応えられない歯がゆさは強いものなのですか?

 D 体制的な不十分さがある上、労働法制自体の不十分さもあり、そういうところで日頃、歯がゆい思いをしているというのはあります。

 A 法令上の限界とともに、手が回らないという問題もあります。やろうと思っても、人がいないのでどこまで深入りできるかという限界です。たとえば賃金の不払い事件をたくさん処理していますが、出口が簡単ではありません。「払わないなら送検だ」と、そんなに簡単にできるものではないのです。

 厚生労働省の「ブラック企業対策」

   ――過重労働の問題など、ブラック企業対策が求められています。今回、9月に厚生労働省が「重点監督期間」として若者の離職率などいわゆる「ブラック企業の実態調査」を行ったことが世間でも注目されました。これについて現場ではどんな成果があったのでしょうか?

 B 今回のとりくみで情報量は圧倒的に増えました。しかし、もともと全ての情報に対応できているかと言えば、できる体制にはないのです。ですから今回のとりくみをおかしいと言うつもりは毛頭ないし、いい部分もたくさんあったのですが、同時に問題もあったと思います。逆に良かった部分は、大きなアドバルーンを上げてブラック企業の問題があるということを社会に周知した点です。社会に問題意識を根付かせて、労働者の方にも権利意識を持ってもらって対等な労使関係を築いてもらうということは決して悪いことではありません。

 A 9月に対策を公表した影響で、やはり情報は増えました。しかしもともと臨検監督はやっていたわけで、急に9月にやり始めたわけではありません。重要な情報が寄せられたというのは大きなメリットではありますが、急に成果が上がり始めるかというと、それは無理です。継続的で地道なとりくみが必要です。

 B デメリットをあえてもうひとつ言うなら、事業主に「うちはブラック企業だという情報があったんですか?」という聞かれ方を頻繁にされたことです。そういう位置づけではない臨検監督ももちろんあるし、逆に情報があったこと自体を明らかにできないこともいろいろあるので、やりづらさがありました。

 D その点を説明しておくと、監督官は通常は予告無しで事業場に行って調査をするのですが、今回は「ブラック企業対策をやります」と発表してしまったわけですから、9月に行った臨検監督では事業主から「うちはブラック企業なんですか?」という言われ方をするわけです。事業主の警戒心のようなものは上がってしまいましたから、そうした側面では現場は苦しかったと思います。

 B 情報があったこと自体を伏せておきたい案件では、非常にやりづらくなったと思います。

 A 他方で、過重労働の情報に基づいて行った臨検監督で、使用者が明らかに動揺していることが分かって、そのときは、アナウンス効果が浸透していることを実感しました。

 賃下げ、解雇が「当たり前」という風潮

   ――マスコミでブラック企業の問題が取り上げられるようになってきましたが、そもそも昔からそうした問題はあったわけですよね。

 D 長時間労働は昔からありました。最近問題になっているブラック企業の特徴は、若者を大量に雇い入れて、どんどん仕事で追い込んで辞めさせ、残った社員にも過酷な働かせ方をさせていくというような構図です。それで若者が大量に使いつぶされて、精神疾患になるケースが非常に多くなっています。ですから、最近は若者の過労死や過労自殺、精神疾患が多くなっています。

   ――ブラック企業はやはりIT企業などの新興産業が多いのですか? 飲食店や小売りなどでも長時間労働が増えているんじゃないかと思いますが、どうでしょうか?

 B 今のブラック企業の問題が昔と大きく違っているのは、かつては、使用者が雇用というものにかなりの責任感を持っていたという点です。たとえ長時間労働だとしても、きちんと残業代を払い、儲けがあれば配分し、雇用を守っていた。もちろん悪い会社もありましたが、全般的にはきちんと責任を持とうという意識、少なくとも自分が使用する労働者とその家族を守るんだという意識が根底にあったように思います。

 それが経済状況の悪化とともに、賃金は下げる、残業代は払わない、雇用も守らないということが「当たり前」になってきた。特に、国家公務員の賃金が大幅に引き下げられてからは「賃金を何割までなら下げられますか?」と聞いてくる事業主が多くなった。要は、国家公務員ですら下げられるんだから、当然うちの事業場でも下げることはできるはずだ、それで「3割の賃下げはダメですか?」とか、「2割5分ならいいですか?」「半分だとさすがにマズいですよね」などと聞いてくる事業主が増えているのです。

 その上、解雇も「当たり前」になってきていて、「雇ってやってるんだ」というような姿勢で、「イヤならやめろ、代わりならいくらでもいる」という対応をする事業主が増えています。雇用についてのモラルの劣化を感じています。そういう風潮の中でブラック企業が増えているのだと思います。

 雇用のモラルが失われた

 B 長時間労働は昔から確かにあったのですが、今の過労死するようなものはそれほど目に付いてあったわけではない。確かにIT関係などでは昔から長時間労働がありましたが、新人でもかなりの高給が得られるなど、長時間労働自体は悪いのですが、それなりの賃金という形で報いようという姿勢はあった。それが今は、IT関係などの賃金水準は、どんどん安く叩かれるようになって、もちろんすべてではないですが、残業代も払わない、基本給も保証しないし、雇用も保証しない、そういうところが増えてきた印象があります。

 さらに問題だと思うのは、労働者の方もこうした状況に麻痺させられてしまっている面があります。加えて、同時にある種の強迫観念も広がっていて、ここを辞めると非正規雇用になってしまう、社会から冷たい目でみられる、非正規雇用だとクレジットカードもつくれないとか、住宅ローンが組めないとか、信用上の問題まで心配になって、ブラック企業に勤務していることに甘んじてしまっている。

 労働組合が非常に弱くなったこともあって、労働者が使用者の言うことを全て受け入れてしまっている。正当な形で文句を言えばいいという場面でも、文句を言わない。そうしたことを背景にいろんな問題が生じていると思います。

 「賃金」は一つの重要な要素

 C そもそもブラック企業の「定義」は誰も示していないわけですが、長時間労働があったとしても正当な賃金を払っているのであればブラック企業とは言えないのではないかという意見もあります。当然、パワハラや時間外労働もブラック企業の一要素ですが、割増賃金(残業代)を払わないなど、賃金の支払いに関するところが大きいのかなと思います。働いた分に見合った賃金が支払われるならば、少しは納得する気持ちにもなる。それをしていない、さらに、経済的にも追い詰められて、その状況から逃げられないようになり、ブラック企業が増えるのかなと思います。

 A Cさんに近いのですが、ブラック企業という言葉がない頃、私も全国を転勤する中、大都市部で雑居ビルを転々と移転して新会社を作ることを繰り返しているような企業は、多くの問題を抱えているという印象を体感として持っていました。問題が発覚して都合が悪くなれば、会社そのものをつぶしてしまうわけです。逆に、地方で地場に根を張って、地域の人を雇っているようなところは、ブラック企業のような無責任なことをやっていると、その地域社会の中で存在し得なくなりますから、ブラック企業化しないように思います。

 ダメ押しになった国家公務員の大幅賃下げと
   社保庁職員の不当解雇

 B 確かに地方だと、ある程度の規模の事業を展開していれば、「名士」という自負が出るだろうし、そういう扱いをされるから社会的責任を果たそうと思う。商店街に入って町おこしに協力したりすることだってある。ところが、新興の企業や代替わりした若い経営者になると、そういう意識が薄らいできている。ここ10年程で随分変わったなと思います。あくまで感触なので、数字をあげてはっきり言えることではありません。

 それから、労働者の側が弱くなったと思います。労働組合の組織率が低下したことも大きいと思います。労働者自身も誰かが自分の権利を守ってくれると思っているところがあって、自分で動こうという意識が弱くなっている。マスコミも良くない役割を果たしている面がある。賃下げに関しても、まるで賃下げ競争をあおっているような面がある。労働者が実際にどういう生活をしていて、どんな仕事に従事してきたのかという視点はなく、大事じゃないとは言わないけれど、株価が上がるか下がるかなどという指標でしか見ることができなくなってしまっているのではないか。そうした流れの中で、他人が自分よりも悪くなると相対的に自分の立ち位置はよくなるので、労働者同士が叩き合っている、そういう風潮も広がっていると思います。

 そして、ダメ押しが国家公務員の大幅賃下げです。やはり、これが大きかったと思います。社保庁職員の不当解雇も同様です。それ以来、解雇は当たり前、給料大幅引き下げも当たり前の空気が広がり、いろいろな意味で労働者の権利の地盤沈下が進んでいる感じがします。

 教育の場に労働法を

 D 確かに労働者側の問題も大きくて、非正規化がどんどん進む中、労働組合の力量も下がるし、組織自体が作れない。あっても労働組合に入らない人が増えている。

 労働法を知らない人が多いということも、非常に問題だと思っています。複雑な法律ではあるのですが、何も知らずに「アルバイトしています」「パートです」という労働者が非常に多くて、本当は労働条件をもっと改善できるのに労働法を知らないため何も言えない状況があります。急にクビだと言われて、そうですかと受け入れてしまったりする。

 高校の授業などで、労働法をきちんと教える必要があると思います。高校生もアルバイトをして働いているわけです。その世代から労働法がきちんと浸透していけば、事業主も労働法ではこうなんだから、という意識も生まれると思うのです。今、労働法がどうなのかということを事業主も知らない、労働者も知らない、そんな状況で多くの人が働いている。

 監督署の力だけでは限界

 B 労働組合がしっかりしていたときは、働き始めた労働者に労働組合が労働法をきちんと教えていたんだと思います。その意味では、やはり労働組合が力をつけることがブラック企業対策としても大事です。

 D ブラック企業をなくしていくには、たしかに労働組合の力も必要ですし、労働行政の質と量をきちんと整えていくことも必要です。学校教育でも「キャリア教育」に止まらず、労働者の権利を守る術を伝える「労働教育」を重視していく、そうした問題を一つひとつクリアしていかないとブラック企業というのはなくなっていかないと思います。

 A 労働法だけではどうにもならない事柄もあります。事業主が「人を人とも思わない」ことは、何か法令で直接規制されているわけではない。法令が定める最低基準として、労働時間規制や時間外手当の支払い義務はあるとしても、たとえば、過重なノルマの問題は、労働基準法の中に何の規制もない。また、パワハラの規制も具体的な形では何もありません。離職率に関する対策もほとんどないのです。ブラック企業の実態が、単に現行法に違反しているという面でとらえきれない以上、何か新たな仕組みを講じなければブラック企業はなくならないと思います。

 労働組合の組織率の低下がブラック企業化へ

 B 監督署のとりくみだけでなく、いろいろなとりくみがきちんと連携していかないとダメだと思います。その中で、労働組合の役割はやはり大きいと思います。

 誰だって自分の上司に対しては“いい子”でいたいわけです。文句は言わず「わかりました」と言う方が高い評価をしてもらえると考える。だけど、みんなが“いい子”だと、誰も文句を言わない状況になって「賃金を下げるぞ」と言われても「わかりました」ということになってしまう。ましてや「賃金を上げてくれ」なんてことは誰も言えない。それでは困るから労働組合が団体で交渉するわけです。職場では“いい子”であっても労働組合では意見をきちん言えることが大事で、それによって労使間によい意味での緊張関係が生まれ、乱暴なこともなくなっていく。


 今でもきちんとした労働組合がある事業場と、ない事業場では大きな違いがあると感じます。そういう意味ではやはり労働者が意識を持つことが大事で、古くさい言い方になってしまうけれども、自分たちで守る、そのために労働組合の力をつけるという視点が必要です。ところが今、労働組合が「抵抗勢力」などと「悪者扱い」されていて、労働条件を上げろと言うのは悪いことのような空気が、民間、公務を問わず存在しています。労働組合というのは自分達の労働条件を良くしていくために交渉する組織なので、それが悪だと言われてしまったら、もう労働組合の役割の大半はないわけです。そんなところにも地盤沈下の原因があると思います。

2015年12月9日水曜日

五木寛之の共犯意識

  五木寛之氏が本の中で次のように語っているのを感慨深く読んだ。
 「あのときの南京陥落に対する日本人の興奮の仕方を思うと、自分もその一人として(提灯行列の)列の中にいたんだから、軍部だけが暴走したということではないと思えるんです。大陸にいる軍部の青年将校だって馬鹿じゃない。内閣は制止したのに現地の軍部が独走したといわれるけれど、それは大きな国民的感情の支持があることを、軍が無意識に体で感じているからですよ。国民は自分たちに期待している。もっと多く土地を取れ。もっと積極的に進軍しろ。そういう日本国民全体の無言の共感が自分たちの背中にかかっている。内閣は何と言おうと関係ない、国民はわれらに期待している、そういう感じで動くんだから、軍部を動かしたのは日本のわれわれ国民だと思うし、国民というのは僕ら自身なんですよ。」と。

 鶏が先か卵が先かは別にして、マスコミがワンフレーズで市民を煽り、市民は「何でもいいから現状を破壊してくれ」と熱狂する。そうして、あえて言うが橋下維新は市民の支持を得た。だから、各級労働委員会で負けようが各級裁判所で負けようが、彼らは「進軍」する。
 
 先日から執拗に熱狂する市民のことを考えている。
 それは取り越し苦労だ、一時的に橋下の扇動が功を奏しただけだ、大局的には社会は必ず進歩するから心配するなとおっしゃるならそれでも良いが、私は市民は単に騙されたのではなく、積極的に橋下維新の破壊を推進することを正義だと信じて熱狂したように感じている。

 もし、ジャーナリストではなく海外勤務等の企業従業員がテロの犠牲になったときにこの国は冷静な議論が可能だろうか。空爆積極支援の「提灯行列」はあり得ないだろうか。その空爆下で多くの子どもが死んでいっていると言うだけで「国賊」にされてしまうような幼稚な社会を私たちは十分に克服しているのだろうか。

 フクシマの事故の後、「こんなに危険だとは知らなかった」「知らされていなかった」と『無知に基づく無罪』を大合唱した市民にはほんとうに責任がないのだろうか。
 現代社会の共犯意識の欠落という問題は大切な課題だと思う。
 フランス地方選挙での極右政党の大躍進を冷静に考えてみたい。

2015年12月8日火曜日

お餅の歴史

 昨日の記事の続きだが、会員数約250世帯の自治会で結局300数十名が参加してくれた。
 20臼近いお餅がなくなったのだから、ちょっとしたイベントだった。
 「ダンドリ八分」という言葉があるが、丁寧な準備と何年もの実績がこういう結果を生んでくれたのだと思うと嬉しい。

 臼の内のひとつは我が家の臼を使ったが、これはキメの粗い自然石なものだから、「返し手」をすると2~3臼で手がボロボロになってしまった。
 そこで台所用のゴム手袋をみんなに勧めたが、これもすぐに破けてしまった。涙ぐましい裏話である。
 ということを思うと、私の義母などはこれを素手で何臼もやっていたわけであるから、軟(やわ)な現代人に比べると桁違いに逞しかった。頭が下がる。

 で、将来ある子供たちが逞しく育ってほしいと、子供たちをつかまえては餅つきを体験させた。
 丸めるのもさせてやりたかったが、「何か(食中毒?)あったらどうするの」という「正論」で残念ながらできなかった。ああ。
 薪コンロで羽釜を沸かして蒸すのもさせたかったが、カマド番のコーナーは鍋奉行よろしく年寄りたちが楽しんでしまってここにも子供の出番はなかった。ああ。ああ。
 ただ、飼いならされてしまった近頃の子供たち自身、汚れることや危険なことはしたがらない。
 過保護の極みのような大人たちが「海外派兵」を決定したこの国は何処に向かうことだろう。ああ。ああ。ああ。

  さて、餅つきの歴史であるが、713年の豊後国風土記にあるというぐらいであまりよく判らない。だからいろいろ研究し推測するのが楽しい。
 日本列島の文化というと、はるかペルシャや中央アジアの文化も基本的には中国の中原を経て直接あるいは韓半島を通って伝わったものがほとんどである。
 ところが、この黄河文明のモチは、砕いて(粉にして)→、丸めて→、蒸す(あるいは煮る)のであるのに対して、餅つきのモチは、蒸して→、搗いて(砕いて)→、丸めるのであるから、似ているようで全く似ていない。
 というところから長江文明を辿ってみるのも楽しくってしかたがない。

2015年12月7日月曜日

ネバネバの文化

  非常に狭い範囲の私的な経験を述べると、結婚前の我が家には納豆の食習慣がなかった。実父方の大阪の食習慣であったようだ。
 それが20代の頃、仕事上で全国を巡るようになったことから食のレパートリーが大きく開かれたのだが、だから、当初は関西以外で上等で高価な水戸納豆や自然薯を喜んで購入するのが理解できなかった。
 で、11月29日に書いた「呉王夫差」の続きになる。
 納豆や自然薯等のネバネバ食を好む文化が長江発の弥生文化だとすれば、大和朝廷前後の大陸・半島からの北方的嗜好が近畿の特徴を形作ったのではないかと。狭い狭い経験からそんな想像をしてみたりする。
 もちろん、それほど単純なものではないだろうが、日本列島(といっても本州、四国、九州島)の基層の文化が長江発南方型稲作文化であることは間違いなかろう。
 6000年前の長江文明ではジャポニカタイプのモチ米が食べられていた。
 それが気候変動等に端を発した北方民族の大移動(南下・侵攻)に押し出される形で、雲南省から東南アジア、そして日本列島に拡がったのがお餅や納豆などのネバネバ食を好み、なれずし、魚醤、こんにゃく、麹による発酵食品を好んだ「東アジア大三角形地帯」なのだろう。
 重ねて言うと、これはアジアの代表のように見られている中華文明、黄河文明とは別のものである。
 誤解しないで貰いたいが、何も嫌中、嫌韓を唱えようというものではない。そもそもがルーツは長江だと言っているのである。ただ、東アジアというと全てを黄河文明に注目するのは如何かと思っている。
 というような遥かな祖先を想像しながら今年も町内の大お餅つき大会を行った。
 200名を超える参加があった。薪コンロを3台、臼を2台使った盛大な催しで、絶滅危惧種のような行事だが、若い人々に長江文明を引き継いだ気になっている。
 

2015年12月5日土曜日

プレ食べ始め式

  孫の凜ちゃんはマイペースで成長するので100日はとうに過ぎているが「食べ始め式」はまだである。
 で、12月2日朝、気持ちのいい快晴になったので発作的に「プレ食べ始め式」をすることにした。
 父親抜きに勝手に「食べ始め式」もないだろうから「プレ食べ始め式」である。
 というか、実をいうと先日BBQテーブルを製作したので新しい「テーブル開き」をしたかったので凜ちゃんを出汁に使っただけだろうと妻は笑っている。
 
 これはカネガネ主張していることだが、私はBBQを真夏にする人の気が知れない、というか、寒くもない小春日和の日こそが虫も来ず一番BBQに相応しいと信じている。
 といっても、ただ冷蔵庫の中のものを炭火で焼いて食べただけだが、ただそれだけで日常の食材がハレの日の「お料理」に変身した。

 そして、この「発作的プレ食べ始め式」のおかげで、この先凜ちゃんに「君がミルク以外に最初に食べたのは(食べる形をさせただけだが)ラムのBBQやったんやで」と話せるネタが格納できた。
 長男のお嫁さんも呼んで凜ちゃんと大人4人の楽しい庭先での「食べ始め式」だった。
 
 私は元来は夏男で真夏が大好きだったが、それが「小春日和の日がええなあ」というようになったのは歳のせいだろうと妻が憐れみの目でのたもうた。
 反論できない。そう言われてもしようがないが、凜という字も、冴えわたる冬の空気が似つかわしい。 
 凜ちゃんは医師からはちょっとした風邪や感染症が大事に至るから気を付けるように言われている。
 それを思うと向かう冬の北風は厳しいが、それでも言おう、小春日和万歳。
 以上の原稿を書いて「公開」を土曜日にしたら、これ見よがしに冬将軍がやって来た。ああ。

2015年12月4日金曜日

パパラッチ

 パパラッチの原意は「ぶんぶん飛び回る虫」ということらしい。ダイアナさんの悲劇からも長い年月が経過した。
 しかし相変わらず極東の国ではパパラッチ的報道がますます盛んなように見える。
 「有名人にはプライバシーはない」という不文律はどういう理屈なのか私には判らない。
 問題だと私が思うのは、それが芸能人のスキャンダルだけでなく、多くの政治課題の報道姿勢にも反映していないかということである。
 
 以前に妊産婦がたらい回しにされて亡くなった事故があった。報道各社はこれでもかというほどに医師や病院を非難するキャンペーンを張った。
 当時私は仕事上医師の先生方と度々お会いしていたが、その事件の被害者は全く医師にかかっていなかったことなど公平で冷静な問題提起になっていなかったことを嘆いていた。
 質の悪い交通事故で子供が犠牲になった事件もあった。事件そのものは悪質で親たちの嘆きは尋常ではないだろう。しかし、この国は法治国家である。マスコミがこぞって「犯人を縛り首にしろ」ばりの報道をするのは如何なものかと私には違和感が残った。

 夕刻の報道番組のコーナーにも、パパラッチに似た手法で街の「おかしな人物たち」を告発し憤懣をぶちまける番組がある。特にテレビは何秒の世界でそれを表現するから、違う角度から見ればこうでもあるがとか、別の角度から考えるとこうでもあるというような余地を残さない。
 蛇足ながらそれらの憤懣は社会の巨悪はスルーする。
 相手は、少し「外れた」弱者(なのだと思われる)であるから、彼らを叩いても反撃の心配はない。
 こうして市民は、パパラッチ同様の報道に同調して「弱者」を叩いて痛快な感覚を享受する。

 そういう延長線上に橋下氏の虚言、扇動があった。
 少なくない支持者はW選挙の渦中で「主人公」になり痛快感に満たされていたのではなかったか。
 自民党の選挙態勢云々よりも、こういう熱狂するクレーマー社会の分析の方が大事なような気がする。

2015年12月3日木曜日

現物給与

 賃金は現金で支払わなければならないという大原則があるが、一方、何かの理由で休業補償等をする場合などは実質的な生活の糧をしっかり担保するために、事実上の賃金である「賃金以外の利益」を現物給与とみなして算入する。現実には、どこまでが「福利厚生」でどこからが「現物給与」なのかの判断は難しいところもある。

 現物給与のことを考えた時に思い出したことがある。内田樹著『街場のメディア論』の中に『僕はメディアが「庶民の代表」みたいな顔つき、言葉づかいをしてみせるのはおかしいだろうと思うのです。現に、そうじゃないんだから。むずかしい大学を出て、たいへんな倍率の入社試験に合格して、自在に現場を飛び回り、潤沢な第一次情報を手にしているジャーナリストが、責任逃れをするときに「無知や無能」で武装するというのは、ことの筋目が違うでしょう』とあったことを思い出した。

 これらのことから連想したことは、大阪市が職員の厚生活動のために設置していた共済組合に補助をして、それが職員の利益として還元されているのが「ヤミ給与」だというマスコミの強烈なパッシングのことだった。
 この方式は、古くは鉄鋼労連が春闘相場の足を引っ張るために見かけのベースアップは低く抑え、実質的には裏で第二給与を得ていた方式と通ずるが、ここで私が言いたいのはその是非ではなく、各紙が揃って「うっそー、知らなかった」という立場からキャンペーンを張ったことである。
 私が言いたいことは、新聞各社は揃って同じような共済組合・厚生会を持っていたし、その中には現金給与とあまり変わらない「手当」もいっぱいあったことを私は知っている。家族や友人に新聞社に勤めていた人がいたなら誰もが知っていることである。

 だから、「正々堂々とベースアップをせずに実質的に賃上げをすることの理非」を社会全体に問う問題提起なら何も言わないが、自分たちがいつも享受してきた事柄を、「うっそー、知らなかった」と張ったキャンペーンには嘘があると、内田先生の著書と重ねて私は思う。
 そして、現実には圧倒的な読者をして「公務員は無駄をする」と思い込ませ、記者会見場で言いよどむ管理職員の顔を見て溜飲を下げさせたのである。
 「熱狂するクレーマー」が生み出されてきた一側面ではなかったか。

2015年12月1日火曜日

熱狂するクレーマー

 大阪W選挙の後から小泉構造改革のことを考えている。
 郵政選挙のとき、小泉首相は「何で郵便職員が国家公務員でなければならないんですか」と絶叫したのを覚えている。
 郵政事業は黒字で郵便職員は一円も税金を使わず、反対に国に利益をあげていたにもかかわらず、この訳の解らないキャッチコピーに世論は熱狂し疑問を挟むものは守旧派と叩かれた。
 そして、全国津々浦々にある郵便局が簡易保険を運営している限り太刀打ちし難いと不満たらたらだったアメリカ保険業界に市場を提供し過疎地を見殺しにした。
 これらを推進した政治思想を新自由主義というが早い話が市場原理主義である。
 売り手と買い手が自由に闘う場である市場にまかせれば一番合理的な結論に達するから、公的部門は市場に介入せず民間に任せろという。
 医療だって教育だって行政も地方自治もみんな一緒であると。
 こういう構造改革という政治思想(新自由主義・市場原理主義)をメディアもこぞって応援した。
 だから市民は、医者に対しても教師に対しても公務員に対しても、とりあえずクレーマーになることが正義であり、そのことによって世の中は良くなると思わされた。(このあたりの分析と指摘は内田樹著「街場のメディア論」に教示を受けた)
 それは、いろんな見方を検討して冷静に考えようという意見を一蹴して、世の中がよくなったかどうかなどは別にして、酒場で芸能人のスキャンダルをやり玉に挙げるのと同様に、一瞬の加虐的な満足感を市民に提供した。
 医療事故があったとしたら問答無用で医師を糾弾する側に自分を並べ、学校で問題が起これば問答無用で教師の責任を追及した。地方自治体も同じ。
 個々の事案には医師も教師も公務員も問題があり責任が問われることもあっただろうが、そんな個々の具体的な分析は後に置かれた。詳細な分析や検討はどうでもよかった。
 そこで大阪である。
 かつての大阪府政、大阪市政には多くの問題があった。政策でいえば開発至上主義だし、歪みの典型は同和行政だった。自治労傘下の労働組合の政党支持の締め付けや労使癒着もあった。それらを一貫して批判して是正を求めてきたのが共産党だった。
 しかしその声は橋下一流のデマと扇動で掻き消されてしまった。
 曰く、府市職員は働かないのに高給だと。もっと言えば府庁も市役所も無駄の固まりだと。だから品のよいやり方では奴らを懲らしめられないと。
 地道な地方行政がどんなに困難になるかというような話は面白くもなんともない。
 中労委で負けようが最高裁で負けようが、府市職員の弱った顔は蜜の味だった。
 一向に面白くない世の中で、将来に希望もないなら、プチエリートたる地方自治体や職員が右往左往するのを見てみたい。なにせ、我々は税金を払っている売り手なんだから、クレームをつけること自体が正義なのである。その場をW選挙は提供してくれたのだ。
 そういう熱狂するクレーマーが橋下維新を支持したのではないか。
 もしそうだとしたら、多くの大阪の特殊事情は大いにあるが、それにしても、こういうことが起こる潜在的な病巣は大阪以外の府県にも存在していないだろうか。
 大阪府民は阿保やなあと笑っていると後でホゾを噛む日が来るかもしれない。
 大阪の特殊事情として分析するよりも、大阪で顕在化した現代社会の共通する問題として分析する必要があるように思う。
 テーマは新自由主義(市場原理主義)が街を壊す!だろう。