2015年11月9日月曜日

凜ちゃんのお宮参り

神主さんは鈴で脅かすのだが
   凜ちゃんは全く泣かなかった
孫の凜ちゃんは少しばかり長い目に病院にいたので、11月8日に、一寸ゆっくり目のお宮参りに大和の国は菅原の地の菅原天満宮へ行き、額に大の字を書いてもらって産土神(うぶすながみ)(産土神であるかどうかは後述)に誕生を報告してきた。

【あやつこについて】

お宮参りの際に、凜ちゃんの額に朱でという字を書いてもらったが、それを【あやつこ】(地方によっては【やちこ】)という。
文字(漢字)学の泰斗である白川静先生の説くところ、産という字は文と厂(かん)と生を組み合わせた形で、厂は額の形、文は文身(入れ墨)で一時的に朱や墨で描いた入れ墨、生は草の生え出る象形。
よって生まれた子の額に文身を加える儀礼を産といい、この儀礼によって、生まれた子の霊がまもられるのである(常用字解)と説いている。
この儀礼を通じて初めて神さまの戸籍に人間の子供として登録される・・とも。
白川学説では悪霊の侵入を防ぐために✕(バツ)と入れるのが最も古式に近いと思われるが(✕と入れる地方や犬と入れる地方もある)、私の知る限り大阪周辺ではお宮参りの際に子の額に朱で男子には大、女子には小と書く。大小というのは道教的陰陽思想で差別的意味はないと思っている。
これを非科学的な古代の旧弊と笑うのは容易いが、害の無い習慣は廃止するに及ばない(告朔の餼羊)と考えていいと信じている。
こうして、甲骨文字(漢字)の生まれた遥か殷代(紀元前1300年頃)の観念と習俗が、およそ3500年後の黄河文明からすれば辺境たる日本列島の私たちに伝わっていることの奇跡的不思議を噛みしめるのも楽しい。
そうではなく、単なる魔除けの迷信、祈祷、前例の踏襲で終わったのではおもしろくない。

【菅原天満宮について】

民俗学者神崎宣武氏によると、明治政府は神社合祀令等により仏教や修験道だけでなく国家神道以前の素朴な神々も冷遇・弾圧し、その結果、一村(大字)一鎮守ということで、小字(こあざ)単位にあった産土神(うぶすながみ)(神社)が消えたという。
江戸時代には産土神の神主が氏子帳をもって戸籍を管理していたというほどだったのに強引に廃止されたようだ。
ちなみに、氏神(うじがみ)というのは、例えば藤原氏の春日大社のように氏の神だから本来は産土神やその土地の神ではないが、庶民は近所に残った八幡宮や各種氏神を産土神、土地の神に「してしまって」今日に至っている(という変遷を受け入れて産土神と擬制したい)。
さて、出雲を通じて渡来の神の性格が強くうかがえる天穂日命の子孫の野見宿禰を先祖とする(記紀、出雲国造神賀詞)のが土師氏で、渡来系の高等な技術をもって土師器や埴輪の製造、古墳の築造や大喪の諸事を担っていたが、薄葬令以後それらがいわば斜陽産業になると、平安初期の天応元年(781)に土師古人が大和国菅原邑に住んでいたことから菅原の姓を賜り「学問の家」に社業を転換した。それが菅原氏。
菅原古人の三代後に誕生したのが菅原道真で、誕生地も菅原邑ともいわれている。ただし、こういう話には諸説があるものだ。
天満宮というと北野天満宮、太宰府天満宮、大阪の天満の天神さんなどが有名だが、ここ大和菅原邑に建てられた菅原天満宮は、延喜式に載っている最古級の神社のひとつで日本最古の天満宮といわれている。
大和にはこのように赫赫たる由緒を持ちながらひっそりと佇んでいる寺社が多いのも好ましい。

父母や祖父母が子や孫の先行きに幸多かれと願うのは3500年前も今も同じだ。
私たちの父母も、祖父母も曽祖父母もその親もまたその親も同じ気持ちであっただろうし、同じようなしきたりに祈りを込め、そうして今の私たちがいる。
そんなことに思いを馳せてお宮を後にした。

   なお、よく「泣き相撲」の行事が季節のニュースとしてテレビで報道されたりするが、ここの神社でも鈴を振って驚かせて赤ちゃんが泣くようにするらしい。そして一般的には泣かない子には神主が鼻をつまんだりして泣かすのだが、凜ちゃんは全く泣かなかった。
  泣かないことをハンディとも思いたくないが一寸複雑で、といって乳児だっていろいろということへの配慮が足りないなどと神主さんを責める気などもなく・・。
  父母も祖父母ももう十分に泣いてきたからそれでいい・・ということにしようと私は思った。
  なので、神主さんに「泣かなくっても結構です」とお願いして、凜ちゃんが泣く代わりに「度胸のある子ですから」と言って皆で大笑いをして終っていただいた。

2 件のコメント:

  1.  「あやつこ」について、乳幼児の死亡率が格段に高かった時代、魔物が子の命を奪いに来たときに、「これは人の子ではない犬の子だ」といって難を避けるため額に『犬』と書いたという説もありますが、私はそれは後に派生した説だと考えています。
     娘婿のご両親は「あやつこ」の習俗など知らないとおっしゃっておられました。文献では、九州、京・大阪、東北に残っているとありました。
     以前の記事に対して、青森県の南の地方で「やちこ」というとコメントを戴きました。

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