2015年11月15日日曜日

熱狂を恐れる

  パリで許しがたいテロ事件が発生した。
 コンサートに行っていたら舞台上から銃を乱射されたというケースを自分の周囲の風景として想像してみると、一つ間違えば自分が死んでいたかもしれない、そんな時代になったのだと考えると恐ろしい。
 だから、こんなテロ事件は絶対に許容してはならない。
 と同時に、こういう時こそ熱狂を避けて冷静に思慮すべきだと私は思う。
 テロに一部の理があるなどというのではない。
 しかし、ISへの空爆などという軍事行動がテロを拡大し、テロリストをパリへ呼び込んだ事実を冷静に分析しなければならない。冷静に検討することはテロに屈することではない。
 
 戦争法を成立させた安倍内閣は、集団的自衛権の名の下に中東の戦争の『兵站』を担うことになる。
 その地では『誤爆』ということで一般市民が多数殺されている。
 数字だけでいえばパリでの死者数を上回る人々が死んでいっている。
 その死者の数がテロリストの数に置き換わっていっていないだろうか。

 安倍内閣が、パリのニュースの熱狂に乗じて軍事力を増強するの図は戦前の『空気』を再現する。
 冷静な議論が憚られ、『空気』にあわない意見は「非国民だ」とされ、身近に犠牲者が出たならば「彼の無念」のために残虐がエスカレートした・・・それが、戦前ではなかっただろうか。
 戦時体制というものは、そういう風に成立していくものだと思う。
 こういうときに、私は熱狂を恐れる。冷静な議論を求める。なぜ中東の政情不安はあるのか。テロリストが生まれてきたのか。
 兵器と軍事技術で平和を実現するというのは根本的に間違っていないか。
 そんなことをいうと「平和ボケだ」「理想論だ」「甘ちゃんだ」という声が聞こえてきそうだが、仏ドヴィルパン元首相を始めとする多数の仏政治家も指摘してきたことだ。
 憲法9条こそが未来を照らす!ってみんなで語りませんか。

2 件のコメント:

  1.  今日のパリが明日の東京だと想像するのが常識ではないでしょうか。
     9.11以後アメリカが右急旋回した歴史が日本で再び試みられるかもしれないと想像するのが常識ではないでしょうか。
     私はそういう熱狂を恐れるのです。

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  2.  フェースブックの顔写真等のアイコンにフランス国旗のトリコロールを重ねようという主張があり、現にそんなアイコンが増えている。
     その善意を全く疑うものではないが、その2日前にレバノンでは同種テロで200人以上がなくなっている。1か月前にはトルコで100人以上なくなっているが、レバノンやトルコの国旗を重ねている人はいるのだろうか。
     重ねて言うが大切なことは冷静な議論である。善意から出発したものであっても熱狂は危険な要素を含んでいないか。

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