2015年10月31日土曜日

身を切らない改革

 今回交付分約6億円の維新の党の政党助成金の分捕り合戦で橋下氏は「維新の党を解党して国庫に返納する」と大見得を切ったが、よく聞くと、橋下氏が5月の住民投票で湯水のように使ったテレビCM等宣伝費用5億円とも6億円とも言われている借金に流用して残り(?円)を返納するという。これなら誇大広告以前の‟嘘”だろう。
 松井知事は「知事の退職金をゼロにした」というがそれは次の知事からで、その上に退職金分を月々の手当や一時金に振り替えたので、実は彼の手取りは348万円増えている。なに~。

  「親が親なら子も子」という言葉があるが、伊藤大阪市議は政務活動費でレクサスを購入、
 梅園大阪市議はダイソンの高性能掃除機を購入、
 今井大阪市議は大学の入学金に支出、
 浅田大阪府議編集の本を維新が大量購入・・・って公金で広報をしたうえで印税還流の疑惑、
 荻田府議は子供の送迎の人件費に支出、
 池田府議は本革の椅子や机に支出、
 北野堺市議はゴルフコンペの景品に支出、
 小林堺市議は実体のない広報の架空の印刷・配付代を支出。
 さらに、橋下派維新の党の委員長を名乗る馬場衆議院議員は毎月300万円もの政党助成金を使って飲み食いと日刊ゲンダイが報じている。

 政党助成金は一方に制度発足以来1円たりとも受け取りを拒否している共産党があるのに、その一方でこの異常な金銭感覚の集団に「身を切る改革をやってくれそう」というのは、オレオレ詐欺の言葉を信じてみよというに等しい。
 「無駄を削りたい」なら橋下維新の退場が第一だろう。

2015年10月30日金曜日

さよなら維新政治

  「さよなら維新政治10・29府民大集合」が大阪、中之島の中央公会堂であった。
 写真はセンチュリー交響楽団有志によるウェルカム演奏。
 サプライズで自民党大阪府連特別顧問の柳本卓司参議院議員のスピーチもあり、内容豊かなものだった。
 山下よしき共産党書記局長のスピーチも、その率直さと意義の深さに私は感心した。
 氏は、『自民党では東京の方から「何で共産党と一緒にやるのか」との声もあるようだが、共産党の中にも「何で自民党の候補者を推すのか」との声もある』と率直に切り出し、橋下維新の、民主主義や議会主義とは異質で危険な政治に終止符を打とうというのは「自民党出身の候補者を応援する」のではなく、市民、府民、私たち自身の闘いだ」と訴えた。
 その上で、「栗原知事、柳本市長が誕生したならいろんな政策の違いも出てくるだろうがそれは堂々と議論していく」とも付言し、あまりに当然な正論に私は強く拍手をした。
 
 いま私はハンディを背負った孫の成長を何よりも願っているが、思い起こせば、橋下氏が最初にした仕事は障碍者団体等に対するささやかな補助金の廃止だった。
 それは、都構想のために彼らが浪費した32億円のうちの欠片のようなものだったが、閉塞感を抱いた市民に対して「贅沢な福祉が君らの支出を増やしているのだ」という悪質なプロパガンダとして有効だった。
 このような常套手段ともいえる彼の手段を私は心底恐れる。
 こんな政治を他府県に広げてはならない。震源地の大阪で消滅させなければならない。
 他府県の皆さんにも是非とも11.22大阪W選挙にご理解とご支援をお願いしたい。

2015年10月29日木曜日

橋下維新は時代遅れ

  1989年、バブルの絶頂期に暉峻淑子(てるおかいつこ)氏の名著『豊かさとは何か』が著されたが、当時私は「西欧に比べて福祉が遅れているな」というような薄い感想で終わっていた。
 しかし、それでもこの国で不満が爆発しなかったのは常用雇用の終身雇用制をベースにした、例えば住宅手当や扶養手当のように本来国や自治体が行うべき福祉の分野を「日本型雇用制度」に肩代わりさせてきた労働環境と一定の経済成長があったからだった。

 反対にいえば、西欧では転職が普通だから、住宅政策や子育て政策や医療、介護等々のセーフティーネットは、全く当然のことだが国や自治体が全面的にカバーしてきたのだ。
 それが、バブル崩壊によってというかそれを口実に構造改革論が唱えられ、労働の場からは非正規雇用ということで投げ出され、国や自治体は規制緩和、自助努力、民営化といって投げ出して、気がつけば若者に未来への希望が見えない社会の閉塞状況を生んで現代がある。

 1989年当時でさえ、見かけの収入に比して住宅、休暇、労働時間、看護や介護制度等々の貧弱さが指摘され、経済力では問題にならないスペインの方が豊かな生活に溢れており、いわんや西ドイツや北欧おやと言われていたが、ようやくこの問題が理解されつつある。否、まだまだ「経済さえ持ち直せば再び・・・・」と理解は広がっていないかも。 
 つまり今こそ日本は、一定の経済成長と日本型雇用制度にかこつけて国や自治体が福祉行政の手抜きを続けてきたその結果が今なのだから、原点に返って福祉国家を目指さなければならないのではないか。

 にもかかわらず、橋下維新は、福祉は無駄だと公言し、「無駄を省く、官から民へ」一辺倒で、かつてのサッチャーやレーガンが唱えたスローガンをオーム返ししている。
 その行き着く先はアメリカの一部でもう始まっており、消防や警察までが民営化され、大金持ちは私設の警察に守られた城塞都市に住み、庶民はデトロイトのようなまるでゴーストタウンに捨てられている。
 東京コンプレックスの大阪が大阪府でなく大阪都と言いたいとかそんなことは小さい話で、橋下維新の地方政治は弱肉強食のハゲタカタウン政策だと私は思う。
 それの別名が「都構想」だし、彼にとってはその内容はほとんど意味がなく、府よりも都は何となくランクアップ、「無駄を削る」を呪文のように繰り返せば支持を得られる、激越な言葉を吐くほどマスコミ受けがするというもので、実際には利権に群がる「共同体」に公共財を売り払うもの以外の何ものでもない。こんなことは許せない。
 「さよなら橋下維新」で福祉社会を目指そう!が私の願いである。

2015年10月28日水曜日

アサギマダラよ 西風が来るぞ

  先日は大阪周辺で木枯らし1号が吹いたので、アサギマダラの渡りはもう終わっただろうと感じ、そうでないなら「早く南の島に渡らないと凍えてしまうぞ!」と心配していたが、27日にのんびり屋のアサギマダラが我が家のフジバカマにやって来てくれた。どこの世界にもこういうのがいるものだ。何となく微笑ましい。

 それに、凍えないまでも、強烈な西風の季節になったなら太平洋上に飛ばされてしまうぞ!とも思うのだが、そういう西風に抗して香港あたりに着いた個体も記録されていると読んだことがある。驚くほど強靭な蝶である。
 写真のこの蝶が我が家訪問のしんがりかどうかは判らないが、振り返ると今年も10月いっぱい次々にアサギマダラがやってきてくれた。

 今年は凜ちゃんの看護で夏から秋の季節さえ忘れるような日々だったが、病院へ出かける前の一瞬などにアサギマダラがふわふわと庭に来てくれた日はホッとしたものだ。
 「あの年、君の退院を祝うかのようにアサギマダラが舞いに来てくれたのだよ」と話せる日がきっと来るだろう。
 人生の真理は諸行無常だと思う。

2015年10月27日火曜日

二重行政論の初歩的誤り

 東大阪市に世界的シェアを誇る航空機の部品メーカーの(株)アオキという会社があるが、3.11後、NASAが別の地域に第2工場を造るように言ってきたという話を聞いた。
 事実あの時は東北の部品メーカーが被災したため東北以外の日本の各社自動車メーカーまでその生産が軒並みストップした。
 つまりNASAが求めてきたものは「外的な衝撃に、ぽきっと折れてしまわず、しなやかに立ち直る強さ」のあるシステムだといえる。それは「レジリエンス」と呼ばれている。
 この「時代の要請」でもあるレジリエンスについて国連等国際社会では真剣に検討されているのに、なぜか日本はひとり取り残されている。

  例えば、レジリエンスの先駆的な研究者であるブライアン・ウォーカー氏は「レジリエンスのある世界の機関や制度は、ガバナンス構造に『重複』がある」と解説し、「トップダウン型のガバナンス構造は、短期的には効率がよいかもしれないが、状況や環境が突如変わったときにはうまくいかない」と指摘している。
 だから維新政治が全く世界の趨勢に取り残されていることは明白だ。
 大阪市が政令指定都市だからといってもこれは同じで、府県立の病院と市立の病院があるから二重だとか府県立の学校と市立の学校があるから二重だというのはあまりに皮相な議論である。

 それよりも、明日来てもおかしくないといわれる東海、東南海大地震に維新政治はほとんど何もしてこなかったし、134億円のポンコツWTCビルで地震・津波対策をするとは悪い冗談以下だろう。
 「二重行政だ」「無駄を削る」は一見耳触りがいいかもしれないが、府民・市民の安全安心を投げ捨て、積み上げてきた公共財を利権屋に売り払おうというものでしかない。
 大阪府があって大阪市がある。それでいい。先を見ている者はNASAだってレジリエンスを考えている。

2015年10月24日土曜日

凜ちゃん おはよう


  孫の凜ちゃん! お祖父ちゃんのブログへの「登場」が遅れてごめんごめん。
 もう3か月以上前のことになるが、生まれてすぐの君は救急車に乗せられて大学病院へ移り、NICUでの治療の後、第一回目の手術を受け、ICU、NICU、小児科病室を経て、ようやく外泊の許可を受けて今日を迎えたものだから、その間、小心者のお祖父ちゃんはブログの言葉が頭の中を空回りするばかりで、結局こんなに遅れてしまった。

 この後は、外泊から退院になったとしても、君の背負った大きなハンデキャップはこれからがスタートみたいなものだから、この先の心配を考えれば眠れない夜もあるが、よい意味で刹那的に一日一日を笑って暮らしたいとようやく考えられるようになった。
 実は、このクスダマを作ろうという気力を絞り出すまでにも月日が必要だった。
 そして、病院から帰宅と同時に、凜ちゃんと君の両親と三人一緒に、お祖父ちゃんが準備しておいたクスダマを割ってもらったのだが、クスダマの割れると同時に君が笑ったように見えたので皆は心から歓声をあげた。素晴らしいスタートだったと記憶しておこう。

 手前味噌の話になるが、産科や小児科周辺にはキラキラネームがいっぱいだったが、君の両親はリンタロウという立派な名前をつけてくれた。
 凜という字は「寒風に立ち向かうきりりと身のひきしまるさま」だから、少しその厳しい境遇に合致しすぎて複雑な気分でもあるが、決して「名前負け」などしないと信じている。

2015年10月23日金曜日

二度づけゴメン 2

 読売新聞 原昌平編集委員の「今日のノート」の『舌の枚数』は言い得て妙。
 政治家・政党の審判にあたる(閻魔)大王は、(大阪)市民・(大阪)府民・国民である・・と、
 やまタンは妖怪ウォッチだけにしておかねば。


2015年10月22日木曜日

二度づけゴメン

 「二度づけゴメン」というのは大阪の庶民的な串カツ屋では定番のルールとして知られているが、庶民的な焼肉屋のキャベツもソースの缶には「二度づけゴメン」がルールとなっている(大阪では串カツにつけるソースは共用の缶に入れられていてお客は各自その缶に浸して串カツを食べるのだが、当然のこととして一度齧った串カツをそこにつけるのは絶対ご法度)。
 そういう串カツ屋としては、大阪駅御堂筋口地下すぐにあった「松葉」が有名だったが、天満橋南東角にあった「太陽軒」もそこそこ有名だった。
 早い話が「二度づけ禁止」は大阪では常識中の常識といえるルールだから、「これが最後」「最後のチャンス」と煽っておいて敗れた「都構想」を『まだ使えそうだ』『これ以外には目玉がない』と持ち出した「橋下おおさか維新」は大阪人の風上にも置けない。
 
  20日に年総額320億円超の政党助成金が年に4回交付される内の3回目の交付があり、維新の党には6億円超が振り込まれた。
 この金の分捕りあいで、既に維新の党を離党したはずの橋下が陣頭指揮をとって預金通帳と印鑑を奪っている。あさましい。
 その姿が顰蹙を買ってきたので「住民投票のために橋下が銀行から借金をした5億円(といわれている)借金を返した残額は国庫へ返還するなどということを言い出した。二度づけされたソース以上に喰えない男である。
 なお、常識中の常識といえば、国民の税金である政党助成金に反対の共産党は、一貫して受け取りを拒否している。
 「武士は食わねど高楊枝」という諺をどうイメージするかという場合、澄んだ眼で見れば私は肯定する。

 BKの朝ドラ「あさが来た」は後の財閥に繋がるサクセスストーリーだとの声もあるようだが、それはさておき、ドラマの中で繰り返される「商いは信用が第一!」を誰かに聞かせたい。
 橋下維新の言動を並べると支離滅裂で、こんな信用ならん男を信用したら山王寺屋になるだろう(山王寺屋はドラマで間もなく倒産するらしい)。
 「さよなら おおさか維新」は、的を射た合言葉だと思う。

 蛇足ながら、先の「都構想」の住民投票は一般的な条例による住民投票ではなく「大都市地域における特別区の設置に関する法律」に基づく住民投票で法的拘束力を持つものだ。
 法的拘束力を持つ投票で「都構想」は否決されたのだ。
 だから、それを半年もたたない間に再提案しようとする橋下維新の法律破りの横暴すなわち濫用を「二度づけ禁止」と例えるのは全く正しい。
 大阪W選挙で悪徳弁護士勢力を一掃したい。

2015年10月20日火曜日

金本監督に期待するもの

  平均的な関西人並のタイガースファンとしては、コーチ陣総入れ替えに新しい芽を期待しているが、少し斜め向こうから期待するところを述べてみる。
 それは・・・、スポーツを単純に算数的に割り切る気はないが、チームの指揮者としては少しは科学的に分析し方針を立ててもらいたいということで、熱いハートとともにクールな頭脳で対処してほしいということである。
 何を言いたいかといえば、金本監督には、あんな訳の解らんネックレスで体調がよくなるというような非科学的な思考方法を払拭してほしい。
 金本愛用のそれはアクアチタンネックレスというらしいし、一般的にはゲルマニュームネックレスが深夜のテレビの通販番組で有名だが、そんな宣伝文句に踊らされているような思考方法では限界があるぞと私は言いたい。
 「理屈は判らないが気分がいい」というのはプラシーボ効果(偽薬効果)で一概に全否定しないが、裏にCM料がありその広告塔(モデル)を買って出ているなら情けない。
 監督になるなら全選手に「そんな怪しげな器具に頼らず自分の頭で考えろ」と言うのが正しくないか。
 先の優勝も星野監督以前のノムさんの果たした理詰め野球の役割が大きかったと私は思っている(結構「験かつぎ」のような非合理的なところもあったが)。
 だからバッテリーコーチになるだろう?矢野コーチにそれらを期待するのだがどうだろうか。

2015年10月19日月曜日

デビー・クロケットの唄

  孫の夏ちゃんの運動会でディズニーソングのダンスがあったが、 〽 僕らのクラブのリーダーは のミッキーマウスの唄から始まって、デビー・クロケットの唄に移ったのには驚いた。何に驚いたのかといえばその懐かしさについて驚いた。
 この懐かしさは夏ちゃんのお父さん(つまり私の息子)にもお祖母ちゃん(妻)にも分からないだろう。もちろん子ども園の先生も。
 ディヴィッド・クロケットはアラモの戦いの一員で、アメリカ映画(西部劇)では度々登場する。
 アライグマの尻尾付きの毛皮の帽子がクロケット帽で、私がよく似た帽子を愛用していた頃もある。
 そのデビー・クロケットの唄は1955年に小坂一也とワゴン・マスターズが歌ったもので、小学校の4年か5年の頃に友達に教えてもらった。山之口商店街の果物屋の子だったその友達はすでにいない。
  〽 テネシー生まれの 快男児
     その名は デビィ・クロケット
     わずか三つで 熊退治
     その名を西部に轟かす
     デビィ デビィ・クロケット
     僕の憧れ
 それだけのことである。
 ただ60年ほど前に小学生の私が歌っていた唄を孫の運動会で聴くとは感無量である。
 さて、あの時間、何人の人が私と同じ感慨を感じていただろうか。想像するに数人居たか居なかったかだろう。それがおかしい。
 それだけの話である。

2015年10月18日日曜日

米国の民主主義

サンダース氏
  マルクスとリンカーンが心のこもった書簡のやりとりをしていたことは有名な話(アメリカ合衆国大統領エーブラハム・リンカンへ〈マルクスエンゲルス全集16巻〉ほか)だが、そのことを思い出させるような米国の民主主義に感心したことがある。
 14日の夜に見るともなくテレビニュースを見ていると、大統領選挙に向けた米国民主党のテレビ討論会が報じられていて、ヒラリー・クリントン氏とバーニー・サンダース氏が映っていた。
 私が感心したのはサンダース氏の発言で、「米国の下位90%の人たちが持つものと同じ富を上位0.1%が独占しているのは不道徳で間違っている」「一握りの億万長者から政府をとり戻す」と、ウォール街と大銀行の行き過ぎを規制する決意を述べていたことで、米国民主党の候補者選びの段階とはいえ、こんなまともな意見が全米にテレビ放映されるという米国の民主主義に敬意を感じた。(なおクリントンも基本方向を否定せず「私の方が上手くやる」と対応した)
 先日我が国では、政権与党の総裁選で首相に対抗する候補者潰しが行われて無投票となり、引き続く内閣と党役員改選では立候補しようとした野田氏所属の派閥が干されたというニュースがあったばかりである。
 世界の憲兵面(づら)をした米国を不問に付すつもりはさらさらないが、彼の国ではTPP反対の声も小さくなく、フクシマ型のピルグリム原発の廃炉を決め、ニューヨークにまで来た安倍首相にオバマ大統領が会見すらしなかったことに、米国民主主義とジャーナリズムの片鱗を垣間見た気がする。
 サンダース氏は現代を「カジノ資本主義だ」と述べているが、片やこの国では規制緩和、官から民へ、小さい政府という大合唱に大手マスコミが同調し、結局先に述べたような米国や先進諸国の真の姿を伝えもせず、日本を代表するような東芝、三井不動産、旭化成等々の不正問題を構造的に解明しようともせず、武器輸出、原発輸出を称賛し、勤労者のセーフティーネットの破壊を看過している。大阪をカジノで豊かに・・など論外だろう。
 そう考えると、この国には、民主主義革命、市民革命が喫緊の課題となっていないだろうか。
  立憲主義をメーンテーマにした国民連合政府構想を本気で考える秋である。

2015年10月17日土曜日

ほんとうの危機管理

 東洋ゴム工業や旭化成でデータの改竄が行われていたことがニュースで大きく取り上げられている。
 それぞれの企業のダメージの大きさはとてつもなく大きい。
 それぞれの事案の詳細は知らないが、危機管理、すなわち、この種問題の再発を防ぐためには真の原因究明が何よりも大切だろう。
 そこで推測するに、両社ともこのことが明らかになると大変なダメージになることが解らなかったのかという疑問であるが、両社ともいわゆる大手企業であり優秀な社員がそういう危険性を想像できなかったわけがないと私は思う。
 もしかしたら、非常に専門分野のデータであるから不正が発覚することはないと考えていたのかもしれないが、それにしても危険極まりないことだとの認識はあっただろう。
 なのに何故ブレーキがかからなかったのか。
 「ちょっとこのデータおかしいねん」「こらあかんな」という話が職場で出ておれば対応ができていたはずである。
 だから私の想像では、そういう相談ができる人員と時間の余裕が職場になくなっている。
 チームワークで仕事を進めるのでなく、「成果」を盗まれないよう「弱み」を察知されないように労働者の心がバラバラにされている。
 そして、与えられたスケジュールを遅らせたなら「能力のない奴だ」と成績に響く体制がこの種の隠ぺい体質を作ったのではないか。
 お気づきのとおり、私の問題意識は東洋ゴムや旭化成にあるのでなく、日本のほとんどの企業に蔓延している人員削減、非正規労働化、成果主義が真の原因ではないかということを声を大にして言いたい。
 こういうことはあちこちの企業や官庁で起り得ることではないのか。
 フォルクスワーゲンしかり。驕れるものは久しからず。職場に人間らしさを取り戻すことこそが真の意味で企業を守る道でもある。
 ディーセントワーク(働き甲斐のある人間らしい仕事)、レジリエンス(したたかな復元力)を顧みない日本経団連は国を危うくする二流経営者の集まりではないだろうか。
 ジャーナリストも、ここに迫ることなく「労働規制緩和で企業活動が活性化する」というようなピンボケの話をしていると、この国の沈没を誘導することになる。
 繰り返すが、労働法制の弱体化は企業と国を滅ぼす道である。
 こんな当たり前のことを当たり前に語ることが少ないことが現代の病である。
 野党の総結集が課題になってきている現代にこういうことは言いたくはないが、民主党と維新の党が共通政策として公務員の削減と賃金引き下げをうたうようだが、そういうポピュリズムこそがこの国の閉塞状況を作っていることが解らないのかと悲しくなる。

2015年10月16日金曜日

オオスズメバチ

  今年はなぜかオオスズメバチが目につく。
 オオスズメバチは世界最大のスズメバチで、人間が襲われて死ぬ数で言っても熊や蛇を凌駕している。
 普通には巣に近づいたりこちらから手出しをしない限り刺される可能性は少ないので放っているが、そのうちに昆虫少年の狩猟本能がむくむくと起きたので網で捕獲して虫籠で観察した。なかなかに精悍でほれぼれする。
  ところが、図鑑に書いてあるオオスズメバチを識別する背中の茶色い紋様が確認できない。
 なので、可哀相だが消毒用アルコールを噴霧して標本のようにした。
 その結果、写真では解りづらいが背中に茶色い紋様が確かにあり、そして40㎜近いその大きさからしてオオスズメバチに間違いなかった。
 仮面ライダーの顔はバッタの顔がモデルというようなことをどこかで耳にしたことがあったような気がするが、もしかしたオオスズメバチではなかったかと想像したりする。【あとで調べてみると仮面ライダースーパー1やザビーのモデルはスズメバチ(文化昆虫学事始め)らしい】
 それよりも悪役の方かもしれないが、どうしてオオスズメバチはその毒針に似つかわしい怖い顔なのだろう。
 それとも「怖い顔」と我々が感じるのは、刺された(さらには死んだ)記憶を蓄積した人類のDNAのせいだろうか。

2015年10月14日水曜日

脱法行為

柳本顕氏
  「脱法行為」とは、形式的には強行法規に即違反はしていないが、実質的にはその法規の趣旨に違反する行為をいい、法治国家において良識ある市民がしてはならないことなのだが、リタイヤする以前の仕事ではその種の横車に大いに悩まされた。
 だから私は脱法行為をする人物を好きではない。

 しかしテレビのBSなどでお目にかかるサプリメント等のCMには、詐欺と紙一重といえそうな脱法行為が少なくない。まあライザップぐらい誇張してしまえばお笑いだが。
 例えば、映像の人物は「その薬効?がどんなに素晴らしいものか」を熱く語っているのだが、画面の下や端っこに「これは個人の感想です」とか、「効果を保証するものではありません」「薬ではありません」との文字がある。
 そして、「今から30分以内に限り」とか、「限定50組」「これが最後のご提供」と、視聴者に落ち着いた検討の余裕を与えない。ひどいものである。
 この手法はオレオレ詐欺も同じである。

 と思っていたら橋下維新。・・・住民投票前には「これが最後のチャンスです。二度目の投票はありません」、そしてテレビ討論では「最後ですから結果が出たらノーサイド」とまで誘導しておきながら、11月の市長選挙の争点はやはり都構想だと? これをサプリメントのCMより悪質だと思うのは私だけだろうか。

 だから、この脱法行為常習犯は弁護士資格を持ってはいるものの職員思想調査から始まって労働組合への弾圧についても法廷で連戦連敗。こういうのを社会用語ではブラック企業(経営者)という。
 よく「企業にはコンプライアンスが求められている」と言われるが、これは法令を遵守すればよいというような狭い意味でなく、社会規範に反しないこと、法令の趣旨に沿って律することという意味であり、ましてや公共団体のトップには厳しく求められていることがらだ。
 いろんな事例は日にちを改めて書くこともあろうが、要するに橋下をトップに戴くおおさか維新にはコンプライアンスの意識が全く欠如しているし(いろんな議員のコンプライアンスの欠如については後日書く)、その言動は脱法行為に該当するということを指摘しておきたい。

栗原貴子氏
  蛇足ながら、そもそも『国政政党おおさか維新の会』って何ですか。良識ある言論人に対しては「おおさか」は「大阪」のことではないと説明し、W選挙向けには大阪の府民・市民に地域利益の代弁者面をしようとする以外の何ものでもない。
 こんな橋下維新を終わらせるために、今回は市長選挙には柳本顕氏、知事選挙には栗原貴子氏を自主的に支援するのがリアリズムだと強く思っている。
 
 自民党大阪府連会長に選出国会議員だけによって予定外の中山氏が選出された。安倍官邸の強力な介入と報道されているがどうだろう。もしそうなら、『安倍官邸+橋下 VS オール大阪』の激しいせめぎ合いが始まった。

2015年10月12日月曜日

消費者のモラル?

  書評を読んだだけでモノをいうのは「桐壺源氏」にも及ばないが、11日の赤旗の書評欄に横田増生著「仁義なき宅配」(小学館)というのがあり、書評の最後に、『アマゾンの「送料無料」サービスがもたらすゆがみ、「翌日配達」と運賃切り下げによる宅配業界の制度的な疲労を指摘する。著者は、宅配事業が「労働者や下請け業者の犠牲の上に成り立っている」ことを、消費者自身や社会的インフラのあり方の問題として問題提起している』と評者、長久啓太氏は評している。
 そのすぐ下に、上野誠著の書評もあり、私はウッと詰まった。
 実は1か月ほど前、上野誠著「さりげなく思いやりが伝わる大和言葉」という本を買おうと近所の比較的大型の書店2店に行ったがそれぞれ検索までしてもらったが置いていなかった。
 それなら、著者が勤めている奈良大学の書店に行けば絶対にあるに違いないと思い直し夏休み明けを待った。
 そこなら、基本的に1割引だし、もしかしたらサイン本があるかもしれないと楽しみにして行ってみたらなんとここにもなかった。やはり、テレビの「久米書店」の影響力だろうか。
 で、不本意ながらネット大手アマゾンでクリックしたら翌日には送料無料で到着したという経験があったのを思い出した。
 一消費者としては、街の本屋さんも守りたいし「宅配業者や労働者がこれでいけるのだろうか」と心配もするのだが、この『結果』は『便利』である。
 私を含め消費者が利便を求める欲求に歯止めがなく、それを受注する競争に歯止めがなかったら、しわ寄せが労働者や下請け業者にいくのは明らかだ。
 かつて、タクシー運賃や台数が規制されていなかった時代に「神風タクシー」が深刻な社会問題になったように、この国にはお互いに穏やかに暮らそうというルールと寛容性が大事だろう。
 消費者のモラルということが語られてもよいように思う。反省を込めて。

2015年10月11日日曜日

河原鶸

  カワラヒワが頭の上を飛んでいくときはとても美しい。
 写真のように閉じているときには判らないが広げた羽に黄色い模様がステンドグラスのように輝いて見える。着物の裏地に凝った粋人を思わせる。よっ!伊達男!
 鳴き声は私にはヒリヒリ ヒリヒリというように聞こえるが、本などにはいろんな声が書かれている。
  そのカワラヒワが50羽ほどの大集団で我が家にやって来た。
 何か!と思うと紫蘇の実を啄ばんでいる。
 その立派なクチバシには木の実が似合うから紫蘇など食べないでおくれと思うのだが、窓を開けると一斉に電線に避難し、私の気配が消えたら再び降りてくる。本を読んだら「草の実を好む」とあったから、私が知らなかっただけでこれは自然な光景らしい。
 まあ紫蘇は、来春に4~5本も芽を出せば十分だからおおらかに見過ごしている。
 ただ、お刺身のつま等によく使う(食べる)紫蘇の穂はもう断念しなければならない。あ~あ、あのプチプチが・・・・・

2015年10月9日金曜日

そこは掌(たなごころ)

  先日の国連総会後にニューヨークで記者会見した安倍首相と日本のメディアが、いま国際的に話題になっている。
 当然と言ってしまっていいのかどうか、当事者である日本の主要メディアはそれを報じていない。
 「それ」とは、「シリアの難民問題で支持を表明したが、なぜ難民を受け入れないのか?」とロイターの記者が首相に質問すると、安倍首相の顔が強張り、日本人記者全員がざわついたという・・そのことである。
 質問の内容のことではない。(それも大事なことなのだが)、写真のペーパーのとおり、そもそも想定問答集をはるかに超えた役者も台詞も完璧な出来レースが写真のとおり作られており、・・ということは「それ以外の質問は受け付けない」シナリオであったことである。だから想定外の質問に首相は強張り日本人記者はざわついた。
 主に先進国のジャーナリストの間では、こんな日本のメディアの姿勢を「記者倫理に違反する」「国際的基準に反する」と批判が高まり話題になっているそうだ。早い話が日本のそれは独裁国家並である。

 私は同時に、「マスコミなんてそんなものだ」というこの国の意識の広まりこそが怖ろしいと思う。
 テレビの歴史秘話ヒストリアで、日中戦争のために東京オリンピックが中止になったことを討論していたが、その中で「当時は戦争よりも国際親善というような意見は誰も言えなかった」「新聞、雑誌(子供向けも含む)、ラジオ、ニュース映画が全て『中国を懲らしめろ』『いけいけどんどん』だった」との発言があったが、「いつの時代の話だろうか(今とそっくりでは)」と妻と頷きあった。
 だから、私たちは、そんな作為的な情報の大洪水の中に居るという自覚が必要で、そうでなければ「お釈迦様の掌の上で世界を知った」かのようにしか思えなかった孫悟空と変わらない。
 このため、あえて言えば、共産党を支持するしないにかかわらず、少なくとも真実の情報を得たいと思うなら、『しんぶん赤旗』を購読して権力と癒着していない情報源を手元に置くことが大切だと強く思っている。

2015年10月8日木曜日

フジバカマが咲きました

  昨年、お宅は存じあげないのだが時々我が家の前を通られるお方に我が家の白いフジバカマを差し上げたら、そのお方の庭の赤いフジバカマが返ってきた。
 だから今年は小さいながらも紅白のフジバカマのお花畑になった。
 こんな栽培のしやすい強い草がどうして絶滅危惧種になったのかわからないが、どこかで地球環境が病んでいるのだろう。
 フジバカマは大昔に香りを楽しむために大陸から持ち込まれたというのだが、その後、百合や蘭などの強烈な香りの花が増えたから、現代人にはそんな由来は信じられないと思われる。
 昨年、枯れた葉っぱで匂い袋を作って友人たちに配ったが、淡い香りを味わっていただけただろうか。
 我が家ではトイレの中に吊るしているのだが、少し湿度が上がった日にはほゞ1年経った今でもよい香りが漂ってくる。
 たまにやって来る子供たちも「この匂いは何?」と喜んでくれる。
 フジバカマといえばアサギマダラで、フジバカマの花の毒をためて体を守っているというのだが、そんなちょっと怖い解説とは似ても似つかぬ美しさである。
 翅には鱗粉がなく、そういえば写真の蝶の左翅のように浅葱色に見えなくもない美しい翅で、アゴの下の胴体はまだら模様。だから浅葱斑。
 その上、飛び方もふわりふわりと優雅なもの。
 夏は蔵王や八ヶ岳あたりにいて、秋に台湾あたりまで2200キロの渡りをする。
 何と謎めいてロマンチックな蝶だろう。
  それにしても、その寿命は4か月といわれているから、沖縄・台湾を目指す旅行コースも、ましてやその渡りの途中の我が家の庭もその蝶にとっては初めてのこと。不思議である。
 「ナビもないのに、何でこんな小さなフジバカマの庭の場所が解るの?」とやってきた娘も不思議がっている。
  民主的な運動の中でも新しい世代への運動の継承がしばしば話題になるが、このように完璧に次世代に情報?を継承するアサギマダラに教えを乞うがいいと思う。
 昆虫の持っている数々の不思議を解明したらノーベル賞も間違いない。これはホント!

2015年10月6日火曜日

荒地盗人萩

  10月2日に「え~い そのひっつき虫が動かぬ証拠じゃ」という記事を書いたが、田中修著「雑草のはなし」(中公新書)をパラパラとめくっていると、私の記事が甘く言えば落第点ではないが、厳密には正確でないことが解った。
  「盗人萩を知らない現代人がいる」と少しアイロニーを振掛けて書いたにもかかわらず・・恥ずかしい。
  つまり、我が家周辺に生えているこの花は、日本固有の「盗人萩」ではなく、帰化植物である「荒地盗人萩(アレチノヌスビトハギ)」というのが正確だった。それにしても何という殺伐とした名前だ。
 補足的には、その名の由来について「人に気づかれないうちにこっそり体にくっつくので盗人のようだ」という説も書かれていた。
  盗人萩と荒地盗人萩の違いは盗人萩の実はよくくびれた2節で、くびれの深くない4~6節の実の荒地盗人萩と異なり、形もほんの僅かだが異なって、そちらの方が盗人の足もしくはその足跡を想像しやすいということだった。
 写真は荒地盗人萩の実で、拡大すると産毛のように見える鍵針のような微細な毛が見える。
 4~6節と書いたがたまたま下の写真のは3節だった。
 帰化植物と書いたように北米原産でこの「しつこさ」だから安保体制下の米軍が持ち込んだものだろうか。厄介者である。


2015年10月4日日曜日

大阪市長選挙に柳本顕市議

  11月のW選挙のひとつ大阪市長選挙に共産党は独自候補を立てず、自民党推薦の柳本顕(あきら)市議を自主的に支援することを決めた。
 「この時期に自民党の市議ですか?」という疑問を抱かれる方もおられるだろうが、先の都構想の住民投票で維新以外の野党の連帯、市民を含めた連帯で彼の果たした役割は立派だったと私は思っている。
 だから共産党の方針を強く支持する。

 さて、維新が改革者のイメージを発したのは、当初の企業・団体献金の廃止や大飯原発再稼働反対を言ったときだけで、選挙が済んだら即、政党助成金を受け取り、企業・団体献金反対も原発再稼働反対も投げ捨てた。
 その後は安倍政権に媚びを売り、戦争法案山場前にも菅官房長官と密会して橋下の入閣でも臭わされたようで、歴史的な野党共闘の分断を画策した。
 橋下らは「維新の党」の代表選挙でそれを完成させたかったようだが見事に失敗し、橋下、松井は尻尾を撒いて離党した。
 こういう男を普通名詞では裏切り者と言うのではなかったか。
 「裏切りではない。主張は一貫している」と反論したいなら、何故おおさか派の国会議員は今も「偽の」維新の党に在籍しているのか。
 結局、政党助成金の分捕り以外の大義名分?はなく、その姿勢は下品極まりない。
 
 深夜のテレビではサプリメントの通販の広告がこれでもかと流される。
 「驚きの効果・・」と訴えている画像の隅っこに小さく「個人の感想です」と文字が出ている。
 「おおうそ維新」の一つひとつの政策も全く一緒のような気がする。ならマスコミは「代表個人の幻想です」とテロップを入れるのが正しい。
 「おおうそ維新」のネオナチ的な政治を全国に広めないためにも、大阪以外の方々も一緒に声をあげ力を貸してもらいたい。
 
 大阪市民も、先の住民投票では「北区や中央区に合併されたらおこぼれが回ってこないか」というような意思表示が一部に見受けられたが、そんな恥ずかしい発想はもう止めにしてほしい。
 政令指定都市の権限を放棄して村役場以下の特別区にするなど、まともな常識人なら「そんなあほな」というレベルの話なのだから。

2015年10月3日土曜日

この男の積極的平和主義

  テレビニュースの映像で驚かれた方も多いと思うが、9月29日に大幅遅刻常習犯といわれるプーチン大統領に対して遅刻した安倍首相がごめんごめんと満面の笑顔で走り寄った絵はすごかった。
 こういう顔を卑屈というのだろう。
 ただ世界中では、その顔が馬鹿げているというのではなく、この時期になおシリアのアサド政権をバックアップするプーチン大統領に抜け駆けでお追従を振りまく安倍首相に軽蔑の論評が広がっている。
  事実、国連総会では満場の会場でローマ法王が演説したり、パク韓国大統領も大勢の前で演説したりしたが、この人の演説の際の議場はガラガラだった。
 会場を映さない「お抱え」の日本メディアが振りまく「日本ってすごい!」などという番組など見るのをやめ、冷静に世界中に飛び回っている情報を読むのが大切だ。
 その翌日の30日、プーチンのロシア軍はISではないシリア反体制派(自由シリア軍)の市民の街(ハマやホムス)を空爆した。
 この男は、世界中で市民の命を危険にさらし日本人を危険にさらしている。
 
  (この記事、誤って原稿段階で昨日公開してしまった。どうか昨日読んだのは夢・幻としてお忘れください。)
 

2015年10月2日金曜日

え~い そのひっつき虫が動かぬ証拠じゃ

  「そのほう昨夜泥棒に入ったことに相違ないな」「めっそうもございません。一晩中家に居りました」「え~い黙れ、その衣服のひっつき虫が動かぬ証拠じゃ」・・・というところからヌスビトハギ(盗人萩)と名付けられたと信じていたが、牧野富太郎説によると、その種(たね)(ひっつき虫)の形が、盗人が音をたてぬよう踵をあげて歩いた忍び足の足跡に似ているからだという。
  いずれにしても、その萩そっくりの美しい花に似ず、ひっつき虫界最強グループに属している。
 3枚目の写真の緑の種の一つひとつがひっつき虫で、多くの場合、群生しているからそのひっつく数たるや半端ではない。
 ひっつき虫というとオナモミが有名だが、その数としつこさではヌスビトハギの方が数枚上手だろう。
 なお、これらひっつき虫の観察(研究)からマジックテープが発明されたことはあまりに有名。
   先日、老人ホームの家族会で庭の草引きを実施した。
 そこで驚いたことは、私とほぼ同世代のメンバーでも、このヌスビトハギをご存知ない方が多いことだった。
 これにはほんとうに驚いた。
  きっと、荒地の側を通るということの無い、人工的で清潔な環境下で生活サイクルが見事に完結しているのだろう。
 というか、そういう環境が世の中の例外なのではなく、私の周辺の方が例外的に一昔前の環境なのかもしれないが。
 で、どうなったかといえば、無防備で花壇に突入したものだから、御想像のとおり、髪の毛から全身の衣服にまでびっしりヌスビトハギがひっついて、もう一人ではどうしようもないほどの「盗人」が続出した。
 現代人は、このように人工的な環境を自然界だと誤解したまま、その驚くべき(当然の)結果を「想定外だった」と何回言えば気が済むのだろう・・と心の中で嘆いたが、多数の「盗人」に向かっては何も言えなかった。

 皆さんの周囲にヌスビトハギは生えていますか? 

2015年10月1日木曜日

しのぶさんを見習いたい

  9月30日朝日新聞夕刊に、少し前から連載されている「大竹しのぶ まあいいか」が掲載された。
 内容は写真を読んでもらうとして(写真の上でクリックすると大画面になり読みやすくなる)、「日本がなくなってしまわないように。私たち、一人ひとりが今こそきちんと意思を持ち、声にしてゆかなければ、と強く思う」と結ばれていた。
 その言葉の一つひとつに重いメッセージがあり、感動した。素晴らしい。
 今さら干される心配もない大女優だからなどと評論するのでなく、その知性と勇気に文句なく拍手を送りたい。
 それにしても、掲載が遅いなあと感じたら、最後のところに『東京本社版では18日に掲載されました』とわざわざ断り書き。大阪本社編集局でも「遅いなあ」との自責の念があったのだろう。
 それにしても、この原稿を手に取った大阪本社では誰一人「例外的にでも速報しよう」と思わなかったのだろうか。
 朝日新聞大阪本社、・・・ジャーナリストとしてのセンスがないし、根性がない。
 しのぶさんの根性の前にそれはあまりに情けない。
 「今こそ・・・声にしてゆかなければ・・」のメッセージとともに私たちはその勇気に学ばなければならないように思う。