2015年8月5日水曜日

とりまブログ

ネットから
  「SADLの集会は新しい文化(運動)を感じさせますよ」と教えてもらったことがある。
 そのとき私は、大阪1万人集会でもOBの方が目立ったようなこともあり、「働き盛りの貴方が若者の文化に驚くのでなく、あなた方こそが私たち高齢者(OB)を驚かせるような文化を創造してほしい」と話の腰を折ったのだが、人の意見はもっと素直に聞くべきだったと反省している。
 SADOLというのは大阪の、SEALDsというのは東京や全国の、戦争法案に反対する学生たちの自主的な運動体のことである。一昔前の言葉で言えば勝手連のようなものだろうか。
 そういう運動がいま、高校生の間でも広がりつつあるらしい。

 評論家というかコメンテーターが、「彼ら団塊の世代が・・・」だとか「ゆとり世代の彼らの主張は・・・」というように世代論を持ち出して解ったような顔をしているのは好きではないし、新人類という言葉や悟り世代というのも上から目線でしかないと思っているが、しかし、青年期に世の中がどういう状況であったかというのは、団塊ジュニア的な家庭状況も含めて、やはり特徴的な世代の様相を示していることもある。

 そこで先のSADLやSEALDsなどの行動をネットで見る限り、デモはパレードになり、シュプレヒコールはコールになり、自主的で創造的であるところに私は大いに共鳴し尊敬する。
 だがしかし、写真の主張「とりま廃案」「それな」「それな」には、かつての上から目線の年寄りが新人類だとか異星人とか形容したのと同じような絶望的なまでのカルチャーショックを感じた。言葉が通じないというか、その言葉が理解できない。
 追い打ちをかけたのは、ネット上で、若い西山あさみ名古屋市議(共産)がこれらの言葉を素直に理解できていることで、ということになると、「誰にでも理解できる言葉でアピールしてほしい」などと高齢者が御忠告することではなく、良し悪しは別にしても、若い人の文化に近づけていないしっかり者の高齢者にこそ問題はないかと私は胸に手を当てた。
 「とりま廃案」「それな」「それな」を娘に聞くと、「私は使わないが言葉は判る」ということだった。
 団塊の世代たちも、当時の大人たちはこんな風に感じていたに違いない。
 それがいつの間にか、当時の大人になってしまってはいないか。

 日本母親大会の講演で石川康宏先生が「まさかフェースブックやツイッターをしていない人はおられませんよね」・・・の言葉に会場ざわざわ・・というのもフェースブックにあった。

4 件のコメント:

  1. 久しぶりに?「長谷やん」ブログを読ませてもらいました。嬉しいです。これが無くっちゃー・・・・私も「とりま廃案・それな」は今でもさっぱり解りません。なんのこっちゃー。

    返信削除
  2.  私は、「とりま廃案」を「泊原発」再稼働の事だろうと思っていました。ネットで調べると、とりま=とりあえず、まあ で それな=そうだよなあ の意味らしいです。大いに勉強になりました。
     明日から東京と富士山を楽しんできます。近所の山で登山の練習をにわかにやりましたが、どうなる事やら・・・頑張って楽しんできます。

    返信削除
  3. 物事を直感で捉える派、の私も悩みました。「とりま」は全くわかりませんでした。TVによく出てる竹下元首相の孫のDAIGOがよく使う、例えば、I I S=いい勝負、S T N=想定内、みたいな使い方の部類に入るんかもしれません。まあ、この辺までは、RKK=理解可能という範囲でしょうか。ただし気をつけなければいけないのが昨日あたりから話題になっている自民党の武藤衆議院議員のツイートです。国会周辺で活動する若者たちを称して「戦争行くのいやじゃん!」などと叫ぶのは利己主義者だ、戦後教育の弊害だ」と発言していることです。36歳と思えない戦前の国家主義者の様で、こんな人物が自民党の中にはごろごろいるのでしょうな。

    返信削除
  4.  スノウさん、バラやん、コメントありがとうございます。こういう若者言葉を高齢者も使うべきだなどとは微塵も思っていませんが、こういうプラカードを無視するのでなく、とりあえずは驚き、興味を持つことは大切なように感じています。
     ひげ親父さん、首相答弁は「これは戦争法案ではない」と必死に言い募っているのですが、親衛隊がこのように「これは戦争法案だ」「戦争が嫌だというのは国賊だ」的にホンネをばらし続けているのですからお笑い草です。磯崎補佐官の「法的安定性は関係ない」発言と言い、『撤回』で済まさない世論を広げたいものです。

    返信削除