2015年6月9日火曜日

亀の瀬をご存知ですか

 OB会の秋の遠足の一案を検討するために「亀の瀬」に行ってきた。
 柏原市の、JR大和路線(関西本線)河内堅上駅を降りて奈良方面に歩いて20分のところである。(この道は飛鳥時代に法隆寺と四天王寺を結んだ龍田越奈良街道で大阪側は渋川道。明治に大和川南岩壁を開削してのち国道25号線となる)
 大和川の河床に亀岩をはじめ多くの岩が露出する景勝地であるが、目的はそれではない。
 近頃は、火山だけでなく豪雨による土石流など人間のちっぽけさを再認識させる出来事が続いているが、「」の人々はそれでも原発を再稼働させるという。なので、今ひとたび自然の大きさを実感したいと思ってそこへ行ってきた。
 そこは、日本有数の「地すべり」の地で、国を挙げて「地すべり対策」をしてきた場所である。
 北は生駒・信貴山、南は金剛・葛城山の一毫の切れ目で、吉野以南の山岳地帯を除く奈良盆地(国中・くんなか)のほぼすべての水(川)がここへ集まって大和川となって、大阪府~大阪湾へと流れてゆく。
 その北側、信貴山側の斜面の下層に粘度性の高い地層があり、雨が降ったら上の地層が滑るというのが亀の瀬の地すべりである。
 そうなると、地上の建築物、構築物や田畑が破壊され、土砂は大和川をせき止める。
 その結果、奈良側の王寺町あたりで大和川が広範囲に氾濫・浸水し、その圧力が一定のレベルを超えるとダム化していた土砂が一挙に崩壊し、土石流となって旧大和川流域である柏原、八尾、東大阪、大東から大阪市東部に溢れ、深刻な浸水等の被害が発生する。(藤井寺、松原、堺も要注意)
 地すべり地は長さ1100m、幅1000m、最大厚さ70m、推定移動土塊量1500万㎥という大きなもので、近代以降も明治36年、昭和6~8年、昭和42年に大きな被害が生じている。

 故に、亀の瀬を知らずにのほほんと暮らしている奈良県民・大阪府民は、原発の危険性を知らずに誘致した地の人々を笑えない。
 ただ如何にも大阪的だと思われるエピソードは、昭和7年1月から3月には、多い日には一日2万人もの見物客が押し寄せ、紅白の幕をめぐらした「野天カフェ」が出現し、地すべり被害の写真の絵ハガキも販売されたという。ああ。
 そして、ここで行われた(ほぼ完成した)「地すべり対策」というものが想像を絶する大規模なもので、① 上部の土を904.330㎥排土、② 地表に2772mの水路工事(雨水を浸み込ませない)、③ 約3900本、合計147kmの管のボーリング、④ 集水井戸54基、7236mに及ぶ排水トンネル、⑤ 鋼管杭560本、深礎工170基(主力の55本は世界最大級の直径6.5m、深礎工の最大は96m、地上30階建てビル相当という桁違いな鉄筋コンクリート杭)・・・というものを見学してきた。(繰り返しになるが、この結果、奈良県民・大阪府民は暫し安心して暮らせている)
 昭和37年に建設省が本格的に工事を開始してから53年が経過した。かかった費用は知らないが、聞けば卒倒するような額だろう。
 地すべりでさえこうなのだから、原発事故は何世代にもわたって巨費を投入し続けなければならないだろう。亀の瀬を見てそう想像するのが大人ではないだろうか。

 さらに、オマケとしては超ビッグなオマケになるが、「鉄ちゃん」垂涎のトンネルにも入ってきた。
 これは、明治25年に完成した大阪鉄道(現関西本線)のトンネルで、昭和6年の地すべりで完全に壊れていたものが、トンネルの中間部分だけが山中に残っていて、前述の排水トンネル工事のときに偶然見つかったもの。
 以上、非常に楽しい見学会であったが、河内堅上駅周辺にビールを飲んで昼食できるような店は1軒もなく、これでは参加者のブーイングは火を見るよりも明らかだから、遠足の案としてはボツというのが私の結論となった。



  現関西本線は亀の瀬地区で大和川の南側へとわざわざ迂回している。





  排水トンネル見学のためのトンネル








  排水トンネル本体(それでも背丈はある)







  上から井戸を覗く(横から水が湧き、下から排水トンネルへ出ていく)








  汽車の走っていたトンネル(壁の煉瓦はイギリス積み、アーチ部分は長手積み)(正面は崩壊している)




  亀の瀬上空はノーテンキ
 (時鳥の声がコダマしていた)

9 件のコメント:

  1.  俊徳道・俊徳街道は十三峠越えですが、その南下の龍田越え奈良街道がここを通っていましたから、相当な部分でオーバーラップしています。
     河内の住人には親しみがあると思います。

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  2. 河内、大阪南部を愛されている方に叱られると思いますが、私には日本一汚い川「大和川」というイメージがあるのですが最近は変わっているのでしょうか

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  3.  スノウさん、正直な感想をありがとうございます。
     事実、大和川は1級河川ワースト1の汚名に永年甘んじていましたが、その原因は、主として奈良県人口の9割が出す生活雑排水でした。
     それが、平成20年以降は環境基準レベルにまで綺麗になり、水質改善日本一と言われるようになりました。
     それは、行政の力もさることながら大阪側、奈良側相携えての市民運動の結果でもあります。
     ちなみに堺でのその運動のリーダーは私の友人です。

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  4.  スノウさん、そのリーダーからFBの方にコメントがありましたので以下のとおり転載します。
     ・・・・・・・・・・2011年9月、大和川市民ネットワークで亀の瀬見学会をして、竜田道をウォーク。難波への大事な道でなかなかいいです。私は峠八幡が好き。三郷までいきました。駅前にレストランがありますよ。地滑りで埋まった国鉄トンネルを案内されるのは柏原市立歴史資料館の石田さん。趣味と仕事の境目の無い研究者。・・・・・・その時に案内された地下トンネルでの写真です。6月13日まで、資料館で「企画展 亀の瀬の歴史-大和・河内をつなぐ道」をされています。地すべり見学におしよせた人々が買いもとめた絵はがきもいっぱい展示してます。
      「大和川はワースト1」とまだ思っておられる方の書き込みがありましたね。・・・・・・順位が問題ではないですが、今は3位か4位。子どもたちが元気に遊んでいるし、アユがのぼる川です。  今や「水質改善率」日本一の川。2013年度年平均BOD値2.5mg/ L 昭和40年代は30mg/ L だった・・・・と、国交省パンフレットが特筆しています。

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  5.  先のコメントで『三郷駅に出るとレストランがある』との情報をいただきました。・・・となると、秋の遠足の可能性が出てきます。おお!

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  6. そうですか、アユがのぼる川になっているのですか、知りませんでした。有難うございました。

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  7. 子供の頃、祖母に連れられて、お盆の供物を蓮の葉に載せて大和川に流しに行きました。ついでに大きな橋のたもとで水泳をさせてもらうのが楽しみでした。大和川に流れ込む「石川」は数段きれいな川でアユも獲れていたと聞きました。

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  8. 今日、早速「柏原市立歴史資料館」に行ってきました。あの辺りに横穴古墳や円形古墳が無数にあるなんて知りませんでした。「亀の瀬」の災害や防災工事、古代からの交通要所としての大和川を知ることが出来ました。ついでに「大阪夏の陣」の道明寺の戦況も・・私にはなじみの少ない地域ですが久しぶりに好奇心を満足させてもらいました。

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  9.  スノウさんの行動力に脱帽!
     さて、邪馬台国所在地論争は置いておくとしても、日本列島中心部の前方後円墳を造った大王に繋がる古代国家がヤマトで成立したことは明らかで、その都の物流を支えたのは大和川です。(一部木津川あり)
     そこ(亀の瀬あたり)を初期に抑えたのが豪族葛城で、俗に葛城王朝とさえ言う方もおられます。
     で、その地に立って古代の声を聞かれたスノウさんの感覚には二重三重に脱帽です。
     

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