2015年4月30日木曜日

MOTTAINAI

このヴィンテージをみよ!
  今さらの話になるが、この国ではズーッと以前から「消費は美徳」と言われてきた。
 しかし、わずかながらも「戦後」を引きずる世代としては、使えるものを捨てるには「モッタイナイ」という罪悪感が拭えない。
 だから、私個人としては(我が家という単位でも)バブルに踊ったというような記憶もない。
 
 先日、後輩の(現職からの)送別会のために古い写真を探していたら、今も時々着ているスウェットスーツを20年以上前から着ていることが判って(という証拠写真が見つかって)、これには我ながら腰を抜かさんばかりに驚いた。
 まあ、その時代の日本製の品質はすごいということもできる。

 また他日、かかりつけの医院で診療費を支払う際、「年代ものですね」と言われてはじめて自分で気がついたのだが、愛用している写真の小銭入れは13年間使っている。
 医院の窓口の方がそういうぐらいだから客観的には‟相当なもの”に見えたのだろう。
 今でも使っている理由は、基本的な機能が故障しないからだが、それがいつの間にか年を経た。
 言われてみれば革の染色の剥げ具合は相当なものだが、それもヴィンテージではないかと言ったらやせ我慢か。
 
 妻はそんな私を「ゴミ屋敷老人になるぞ」と軽蔑して、「新しい何かを買う時には古い同種のものを必ず捨てること」と厳命するのだが、「何かの時に使えるかも」と思ってしまうのだ。
 だが、そんな「何かの時」はきたことがないからそろそろ「捨てる文化」を認めなければならないのかとも少しは思い始めている。

 なお、MOTTAINAIは、環境部門で2004年に初めてノーベル平和賞を受賞したケニア出身のワンガリ・マータイさんが広げた世界共通語である。
 しかし、この語の本国ではアベノミクスとやらで実体経済とはかけ離れた虚構の景気が作られ、未だにミニバブルが称賛されている。恥ずかしいことである。

2015年4月28日火曜日

いちぼ

  4月は年度替わりの月のため、私の加わっている介護施設家族会も総会を行い、その夜に新旧役員の懇親会をちょっとした料亭で行った。
 この、年に1回の懇親会を以前は居酒屋でしていたが、ここ数年は少し顔の広い役員の‟腕力”で料亭になっている。
 そんなもので、料理長が料理の全国技能コンクール優勝者という紹介があり、その日の献立の説明もあった。
 いろいろな薀蓄もあったが、イチボの炭火焼は「ご堪能ください」ということだった。
 イチボという部位はネットでは牛の腰のランプの一部というのが多いが、料理長はモモの一部と言っていた。
 いずれにしても貴重な霜降り肉である。

 ところで、焼肉は今でこそブームであるが、私が食べ始めた昭和30年代の暖簾はホルモン一色だった。
 背伸びした高校生だった。
 注文するのは、ツラミ、ハラミ、ハート、マメと言ったもので、はりこんでバラで、ロースなどは邪道だった。いや、ロースなんかなかったような気がする。
 ところがこの頃は、ロースやカルビはごく普通で、ミスジとかイチボという霜降り肉も珍しくなくなった。隔世の感がある。
 そして私はというと、ノスタルジアではないけれど、炭火焼でイチボが出されるとちょっとした心のすれ違いを感じずにはおれないのだ。
 もっと端的に言えば、刺身で食べるならともかく、こんな柔らかい焼肉は牛肉ではない!と思ってしまう。
 霜降り肉の焼肉なんか美味しくない! というのが本音である。
 ほんとうに皆さん、口の中でとろける霜降り肉の焼肉って美味しいですか?
 私(の舌)が世間に取り残されただけだろうか。
 イチボと一緒に違和感が胃の中に落ちていった。
 テレビの中では若い芸人やアナウンサーが、二言目には「甘~い」「やわらかい」と叫んでいる。
 この国は、‟贅沢で実は貧しい国”ではないだろうかと私は首を捻っている。

2015年4月26日日曜日

塞翁が馬

  先日来、老朗介護のことで良いことも悪いことも濃密に重なって、近頃は少し精神が落ち着かない日々を数えている。
 そんなときは先人の知恵に学ぶのが正しく、人間万事塞翁が馬だと思うことにしている。
 なので、気分転換もかねて孫との電話を書いてみる。
 「給食を食べましたか」
 『はい食べました』
 「残しませんでしたか」
 『はい残しませんでした』
 「泣いているお友達はいませんか」
 『います』
 「どうして泣いているのですか」
 『お母さんに帰らないでと泣いています』
 「なっちゃんは泣かないのですか」
 『はい泣きません』
 「どうして泣かないのですか」
 『遊ぶものがいっぱいあってウキウキしてくるのです』
 ・・・・入園して10日も経っていないのに、今までなら『うん』とか『食べた』というような言い方だったのが様変わりである。
 何よりも、登園すると『ウキウキする』とは恐れ入った。
 老朗介護と孫の成長を見ながら「万物は流転する」としみじみと感じている。
 良いことばかりの人生も悪いことばかりの人生もあり得ない。心しよう。

2015年4月24日金曜日

歴史資料と言説

  小宮木代良著「歴史資料と言説」という論文は、東京大学史料編纂所編「日本史の森をゆく」(中公新書)という本の中の42話中の1話である。
 拾いながら引用すると著者は次のように指摘している。
 ところで、過去の出来事(事件)について、その「事実」に関しての共通認識といえるものが、その社会内で存続しうる条件は、事件後70年目あたりを境目に大きく変化するのでないか、
 ・・・・当事者が一人もいなくなった瞬間から、様々な言説が大手を振って歩き出す可能性は、大いに考えられる。・・として、
 近世前期における焼物産業の発展という現象に関連して、豊臣秀吉の朝鮮侵略のために出兵した諸大名が、領内の焼物業を発展させる目的で朝鮮半島から連行してきた陶工が、各地の「陶祖」になったという説・・を引き、
 しかし、同時期に連れてこられた数万人ともいわれる人々の中で、陶工であることを主たる理由として大名に連行されたことを、一次史料において確認できる例はない。
 ・・・・秀吉の出兵以前にも、朝鮮南部から九州北部に向けての陶工の渡来や技術移転の痕跡があったことが指摘されている。そうであったとすると、侵略は、平和時に進みつつあった技術交流を、むしろ中断させる意味を持っていたともいえる。・・と説き、
 いろんな史料を示しながら「陶祖」「李参平」言説(有田・伊万里焼、白磁の陶祖)への収斂が起きた・・・・ことを述べたうえで、
 ・・・・日露戦争期、アカデミズムの一部が、領主との結びつきを強調して戦争の有用性を主張する根拠に用い・・・・たことを批判している。

  著者は、言説再構成の動機も形成される過程自体も貴重な歴史である。それを理解した上で、なおかつ、一次史料に戻って再検討し、今は、もはや生の声を聞くことのできない先人たちの、言説発生以前の声を探り、想定しうる様々な可能性を示すことが、歴史研究者としての大切な役割であると考えている。・・と結んでいる。

 今年は戦後70年にあたる。
 安倍自公内閣は新たな談話を用意し、戦争立法を本格的に起案した。
 新たな言説が軍靴の音も勇ましく独り歩きしないよう、一次史料の森の中を行きたい。

2015年4月22日水曜日

本屋が知らない本大賞

  日曜日の新聞の書評が面白そうだったので、ショッピングモール内の少し大きな書店に行った。
 それらしい書架を見て回ったが見つからない。
 書店のレイアウト(配置方針)と私のフィーリングがマッチしていない。
 以前、阪神百貨店の書籍コーナーで、ある一角に私の好きそうな本が集まっていて感激したことがある。
 きっと、その時のその責任者と私は読書の趣味が一致していたのだろう。
 そういう風に、阿吽の呼吸がマッチした書店もあるしそうでない店もある。
 ここの書店は、これまでも探し辛かったので、早々に自分で探すのをやめ、パソコンで検索をしてもらったら、1冊だけ並べられているはずとあった。
 それからである。店員がそれらしいコーナーへ探しに行ってくれたがなかなか見つからない。
 上司?に尋ねたり、可能性のある別コーナーを探したり、店員は走り回ったが出てこない。
 そして「申し訳ございませんが見当たりません」と謝るので、「いやいやパソコン上に出ているからどこかにありませんか」「発想を変えて別のコーナーも探してみませんか」と再度お願いし、今度は4人の店員がもう一度店内に散らばった。
 で、「ありました」とニコニコ顔で帰ってきたので、「本屋が知らない本大賞」と応答した。
 店員さんには可哀相だったが、そもそも責任は出版社にあると思う。
 なぜならこの標題、理系なのか文系なのかややこしい。事実、パソコンには理系の文字があり、店員もそのあたりに多くの時間をとっていたがそうではなかった。
 こんな時、パソコン上でタッチをしたら、置いてある書架の上のランプが点けばよいのにと、ちょっと理系?の発想を行った。
 それよりも、パソコン上に置いてある場所を入力しておけば済む話だが、実際には売れ筋を店の前に持ってきたりして、話はそんなに単純なことではないのだろう。
 それに、若い店員に私の趣味にあった配置を望むのは無理難題に相違ない。

2015年4月20日月曜日

謎でない石像

  テレビでアイドル系?のアナウンサー「水卜(みうら)アナ」が出ていてハッとしたのは、そのルックスやスタイルや色香ではなく、水卜という苗字についてハッとした。
 若い頃、同級生に占部(うらべ)君がいたが、水卜が「水占(みうら・みなうら)」であることは明らかで、陰陽道さかんな平安時代かそれ以前かは知らないが、その種の起源を持つ家系なのだろう。
 「水占」というキーワードで詩経をもって万葉集を解説した白川 静さんの話を立命館土曜講座で聴いた話が蘇る。
 その受講以降、私は飛鳥の「岡の酒船石」を水占の舞台だと考えるようになっている。

 さて、飛鳥の本やパンフレットを読むと、やたらに「謎の石造物」という文字が踊っているが、古代中国の思想、あるいは古い道教である「鬼道」や「神道」を考えると全く謎でも何でもないように私は考えている。

飛鳥の亀形石造物
  いわゆる猿石の類も、済州島を含む朝鮮半島の人面石、トルハルバン(石爺)の親戚であるのは一目で明らかだろう。それが「謎の・・・」という域で止まっているのは、安物の民族主義が邪魔をしているためだと私は思っている。
 お偉い神職の方も僧職の方も、神道や仏教の土台が大陸土俗の道教だと認めたくないだけだろう。
 病・死や不作や災難が邪神の侵入によるものだと考えられていた時代、飛鳥のミヤコにその侵入を阻止する注連縄や鳥居的なもののと同じ思考で、僻邪の神々にその防衛を託したのだと考えるのが素直な解釈ではなかろうか。
 一言でいえば、猿石たちは賽ノ神である。
 あまりにありきたりのこの解釈にどうして人々は賛同せず「謎の・・・」としたがる?
 
 現在、奈良大学博物館に飛鳥の石造物の精巧なレプリカが揃っている。
 ホンモノは正面からしか見られないが、ここでなら「えっ、背中にこんな彫刻が!」というものまで観察できる。

 ただ、「こんな下半身丸出しのニコニコ顔で邪神をほんとうに防げたのか?」と尋ねられると私の説も自信がなくなる。
 宴会場(苑池)の単なるオブジェだったのかも・・などと。

2015年4月19日日曜日

福井地裁判決文

  私もあんまり得意な方ではないが、現代社会は事実を丁寧に確認して判断するのでなく、メディアの語る何十秒単位の「情報」で解ったような気にさせられているところがある。
 「じっくり考えるのが邪魔くさい」という国民総疲労社会とでも名付けようか。
 だから、ニュースのほんの瞬間に首相が映されて「福井地裁判決には専門家も誤認を指摘している」などと流れるものだから、(実はそのように発言した規制委の田中委員長が判決文を誤読しているのだが)、少なくない人々は‟特別に変わった裁判官が例外的に下した判決”のように印象付けられている。
 ほんとうにそうだろうか。
 急がば回れ! A4×46ページの判決文は短編小説よりも短い分量である。次のURL(最高裁のホームページ)をスクロールで反転させ、「・・・・へ移動」をクリックすれば読むことも印刷も可能である。
 http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail4?id=85038&hc_location=ufi

 そして、その読解の参考のために渡辺輝人弁護士の意見を以下に紹介する。氏は要旨次のように述べている。
 1 最高裁は、平成4年10月29日伊方原発事件上告審判決(結論部分は敗訴であったが)で、「原発事故の重大性にかんがみ、原発は万が一にも事故を起こさないよう、規制基準と審査がある」、「規制基準が不合理である場合は設置許可処分自体が違法となる」としてきた。ここは押えておきたい。
 2 これは行政訴訟の判決で民事の差し止めのものではないが、安全神話のさなかに出された先例としてその意味は大きい。
 3 福井地裁判決は、最高裁が示した「重大な事故は万が一にも起きてはならない」という価値観と、チェルノブイリ事故、福島第1原発事故を前提にして論を進めている。
 4 判決は、新規制基準について以下のとおり不合理だと言っている。
  ① 万が一の事故に備えなければならない「基準地振動」を、地震の平均像を基に策定することには合理性がない。
  ② 免震重要棟の設置について猶予期間が設けられていることには合理性がない。
 5 「基準地振動」と「クリフエッジ」とは、俗にいえば「基準地振動」は「これ以上はヤバい」で「炉心損傷に至る可能性がある」、「クリフエッジ」は「これ以上なら全てはオワリ」で「メルトダウンに至る可能性がある」もので、それは関電も認めている。
 6 高浜原発3,4号機の基準地振動は550ガルとされていたが、ストレステストにより700ガルに引き上げられ、クリフエッジは973.5ガルとされた。
 7 これについて判決は、原子力規制委員会は過去の16個の地震を参考にして予想される規模を推定したが、この数の少なさ自体が地震学の資料の少なさを示しており973.5ガルを超える地震は来ないという科学的根拠に基づく想定は不可能である。と言っている。
   むしろ、記録された我が国最大の震度は岩手・宮城内陸地震の4022ガル(争いがない)であり、973.5ガルはこれをはるかに下回っている。
   岩手・宮城内陸地震は内陸地殻内地震であり高浜でも発生する可能性のある地震である。また東北と北陸・近畿に地震発生頻度に有意差はなく、973.5ガルを超える地震が到来する危険はある。・・と判断している。
 8 次に、関電は、炉心損傷が起こってもその後のリカバーでメルトダウンは防げると主張したが、同時に、「イベントツリー」(炉心損傷防止への対策手順)が少しでも上手くいかないとリカバー不能になることは関電自身が認めている。
 9 判決は、全交流電源喪失から炉心損傷まで5時間、そこからメルトダウン開始まで2時間しかなく、不確実な要素が山ほどあるのにできる保障はないと指摘している。
 10 基準地振動を超える地震動が来ることは「まず考えられない」という関電に対して、判決は、全国で20箇所にも満たない原発のうち4つの原発で5回にわたり、想定した地震動を超える地震が、平成17年以後10年足らずの間に到来していると批判している。
 以上、基本的には渡辺弁護士の意見に沿って記述したが、基本の文責はこのブログの記載者にある。
 この外にも、危険性という意味では使用済み核燃料プールの方が危険だが、福島第1原発の事故でここに大打撃が生じなかったのは全くの偶然、誠に幸運と言うしかないとか、全世界のマグニチュード4以上、深さ100キロ以下の地震の1割が我が国国土で起こっているとか、あまり報道されていないが平成19年の新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発は深刻なダメージを受けてついに1度も動かすことができず、3.11以前から日本の原発事情は相当ヤバイ状況にあったことなどが解る。
 以上のことから、未だの方には、以上の私の文などを無視して、判決文原文の一読をぜひお勧めする。
 主文の1は次のとおり、
      主   文
 債務者は、福井県大飯郡高浜町田ノ浦1において、高浜発電所3号機及び4号機の原子炉を運転してはならない。

2015年4月18日土曜日

 4月1日の「花を観て一句」に書いてみたが、プレバトの俳句の夏井いつき先生の解説や添削を楽しく見ていながらも、私が出演者の気持ちになってみても兼題の写真からは駄作でさえ浮かんでこないから、知り合いの方から先日頂いたお手紙の中に俳句が2作組み込まれていたのにはほんとうに感心した。
 そのような中で、先ほどまでテレビ(の俳句番組)を見ていた妻が2階へ上がってきて、「朝寝の季節は?」と聴くので、「春眠暁を覚えずで春の季語」と答えてピンポ~ンだったが、「それならこの字『霾』は何?」と続けられて、どこかで見たな・・読んだことはあるが・・七十二候やったかなあ・・で、マイッタをしたら、これは『つちふる』だということだった。
 大歳時記を開けてみると、霾は、黄沙、黄塵万丈、霾(ばい)、蒙古風、霾天、霾風、つちかぜ、霾晦(よなぐもり)、つちぐもり、よなぼこり、胡沙(こさ)来る、胡沙荒る・・というような季語で、早い話が黄砂であり、
 つちふるやいよゝ伏目に伎芸天  古川沛雨亭  というのが目についた。

  そして、同じページに『ようず』という季語も見つけた。
 これはほゞ死語で、私もどこかで聞いたことがあるなという程度の代物だったが、去年だか一昨年だかに神経症気味の義母が「今日はようずみたいやな」と呟いたので、なんだか印象深く記憶に残っている。
 ・・春、南から吹いてくる風の名。なまぬるくて、雨を連れてくるような風である。それにふかれていると頭が重くなるような感じもする。・・と解説されている。
 義母の落ち込んだ様子とその『ようず』という言葉と気候が妙にマッチしていて、こちらも妙に重く辛い気持ちで納得した。
 季語のような出来事が巡り来るのは一般的には長寿の証で嬉しいことだが、そのことのあった後はようずは吹いてほしくないなと思うようになった。
 そこで一句!とよう捻ることができないので、春の季語にもなっている豌豆の写真を掲示してまけてもらっておこう。

2015年4月17日金曜日

ループタイの金具

  少し前に『ジャポニカ学習帳表紙から昆虫が消えた』ということがニュースになったことがある。
 ほとんどのトーンは「一部の神経質でヒステリックな親や教師の横車にノート会社が屈した」かのような報じられ方だったが、実際には「より売れるためのイメージチェンジのひとつ」だったかもしれないし、あの表紙が仮に毒蛇かムカデだったらと思うと、カブトムシに抵抗のある子どもを一概に「ダメな親子の子」とは言いきれない。
 実際、私の愛読書である「虫捕る子だけが生き残る」(小学館101新書)の第1章の第2は「虫好きにだって嫌いな生き物はいる」だし、やなせたかし氏の「手のひらを太陽に」をあげて「みんな友達なんだ」とお説教するのも、大杉谷でヤマヒルにやられた経験のある身としては如何なものかとも思う。
 という大前提をたてておいて、とはいうものの昨今の虫嫌いの風潮は個人的には情けない。
 この国の先人たちは、虫を愛で、その声に癒され、放つ光に酔い、文学に取り込み、絵を描き、紋章にし、音楽にし、オブジェを楽しんだ。
 で、・・・かつての「虫捕る子」は今も虫が好きである。 

  さて、だいぶ以前から、ループタイというと‟年寄りのもの”というイメージが広がり、おしゃれに使用するというのが難しくなっている。また、おしゃれなループタイも殆んど売っていない。
 だからと言うことでもないが、私もいつの間にかループタイを使用しなくなり処分したのだが、どういうわけか紐だけが残されていた。
 そして、「年寄りのもの」といわれる「年寄り」にこちらが近づき、というよりも文句なしに年寄りになってしまったから、妻が「要らないブローチでループタイを作ろうか」と言って、ループタイの金具を買ってこようということになった。
 ところが、#$%&!!!!?? このループタイの金具(裏のひもを通すところの留金具)が何処のお店にも置いていない。
 デパート、大手スーパー、そこの専門店、結構有名な手芸用品店も「ありません」との返事ばかりだった。
  いくら流行っていないからといってそこまで無視されることもないだろうにと驚いた。
 ほんとうに何処にもなかった。
 特に急ぐものでもないから、何処かで見つかるだろうと数か月が経ち、・・・結局どうしたかというと、ネットで2個500円で購入、消費税と送料併せて680円の買い物をした。
 多種の小物をいっぱい抱えて店を構えるよりもネットで売った方が効率的なのか、不思議な感情が残った。
 写真は、その金具を用いて妻のブローチを改造したループタイ。アサギマダラではないけれどアゲハのタイ。
 これなら「年寄り臭い」とは言われないだろう・・と気に入っている。
 今は二十四節気の『清明』。すべてのものが清らかに生き生きとする頃、若葉が萌え、花が咲き、生き物が待ってましたという季節。
 蝶に負けじと孫の入園式にして行った。
 ほんの少し気が早いが季節を先取りした記事だと了解していただきたい。

2015年4月15日水曜日

香油の祈り?

  写真家・入江泰吉旧居が一般公開されたと、過日、新聞に載っていた。
 吉城園、依水園から戒壇院、戒壇堂に向かう道沿いにある、あの家の前を通って年々寂れていくのを見るのは少々辛かったから一般公開は文句なしに賛成である。
 書斎、アトリエ、茶室、客間等々は一昔前の上品なお家(うち)で、志賀直哉邸のような凝った部屋はない。
 裏には吉城川が流れていて、庭から降りられるようになっていた。
 「プライベートビーチのようなものですね」と、常連のような先客が私に言った。
 「戦後」と呼ばれていた時代に、206世東大寺別当・上司海雲、画家・杉本健吉、志賀直哉、白洲正子らが集ったときのまま時間が止まっているように感じた。この落ち着いた雰囲気は何だろう。
 離れは暗室で、DPEをしたあたりはただの台所の流し台のようでもあるが、ここから、数々の大和の仏像や風景が誕生したのかと思うと想像の翼は広がる。

  その足で東大寺に向かった。実際に見てみたかったのは「油まき事件」の実際。
 南大門、大仏殿にもそれは明らかだったが、奈良在住の作家・寮 美千子氏が「悪気ではなく香油を撒いて祈る信仰ではないか」と問題提起されていることは傾聴に値する。
 信仰なら許されるというものではないが、多角的に検討して原因を究明しなければ問題は解決に向かわないだろう。
 メディアの報道は「悪質ないたずら」と一本調子に思え、もしかしたら大きな誤捜査にむかっているかもしれない。
 寮氏は発見された後すぐに駆けつけてみると「アロマオイルの匂いがした」と言っていたので、私も南大門のその痕を指でさすったり鼻をつけて嗅いでみた。
 そうすると、ほんとうに素晴らしい香水の匂いがした。
 「やっぱりそうなんだ」と思いかけたとき、私の周りがマドモアゼルばかりになっていて、「ソワ ソワ ソワ~ン」というようなフランス語が充満しているのに気付いて一人で苦笑した。
 「シャネルの5番」かどうかは全く知らないが、それはパリの香りであった。 

2015年4月13日月曜日

このお酒、私は好き

大神神社で新酵母の清酒奉告祭
  これは困った。 お付き合いしていただいているお家から「このお酒が贈答に堪えるかどうか意見が欲しい」と言って、上等のお酒をいただいた。
 「名前だけのお酒を贈りたくないので・・・」とのこと。
 「嗜好の極みであるお酒に絶対的なランク付けなどない」が持論の私にはこれは辛い。
 それに私には自覚はないが、他人は私のことを「変なもの好き」と陰口をたたいている。
 「ええ~っと、この香りは、麹香というか吟醸香というか果実香というか・・・」というような薀蓄を知らないわけではないが、そういうしたり顔が嫌いな私がなんとお答えすればよいものか・・・・。

 さて、原始的な酒から現在の清酒の祖先になる諸白(もろはく)という醸造法が誕生した地は奈良である。
  それ故、三輪の枕詞は「うま酒」で、大神(おおみわ)神社の摂社「活日(いくひ)神社は杜氏の神様で、全国の酒屋の軒先を飾るのは「三輪明神・しるしの杉玉」となっている。
 いただいたお酒は、その大神神社の「神花(しんか)」とされている境内の笹百合(ささゆり)から採取された新しい酵母菌で造られたお酒で、新聞でも大きく取り上げられたものである。
 新種の酵母菌の名前は「山乃かみ酵母※」で、お酒は、天理市の稲田酒造の「純米・黒松・稲天(いなてん)」という。

 で、妻と二人で味わった。
 「淡麗と言ってしまえないほど味があるな」「辛口らしいがアルコールらしさはないな」「今日の料理に合うけどもっと濃い料理ならどうやろう」・・・・で、だんだん味が判らないほどいただいた。
 これ見よがしに「どうだ!これが地酒だ」と言っていないところがいい。
 お酒を忘れて料理が美味しくすすむのがいい。
 それでいて「物足りない」感がない。
 私の返事は「このお酒、私は好きです」と、これだけで許してもらおう。
 私なら、自信をもって贈答品にする。
 高いレベルでバランスがよい。マイナス点が見当たらない。私にしては誉めすぎか。

 ※ 新聞記事によると「山乃かみ」とは、三輪山麓から酒造りの道具のレプリカ(これ自身が祭器)が出土した「山の神祭祀遺跡」にちなんで名付けられた由。

2015年4月12日日曜日

入園式

  孫の‟こども園”の入園式に行ってきた。
 私の息子や娘たちのときは、産休明けの保育園には当然に入園式などなく、その後の入学式も卒業式にも私は殆んど行かなかったから、いま‟リタイアした祖父”という特権を噛み締めている。
 いや、保育園の卒園式と娘の何かの卒業式には出た記憶があるが遠い昔になった。
 3歳児といっても3歳1か月と3歳11か月ではその差は大きく、中にはほとんど泣きどおしの子もいた。
 私の娘も3月生まれで毎学年一番ちびっこだったから、その泣きとおす子が気にかかった。
 そんな3歳児の周囲を御来賓の方々が取り囲み、泣きどおしの子たちの頭の上を君が代が粛々と斉唱された。
 窓際のトットちゃんではないけれど、この国はいま形式や権威がいやに重んじられ「長い物には巻かれろ」という同調圧力が強まっているようだ。そんな雰囲気を感じたのは気のせいだろうか。
 私なら、指人形ぐらいを隠し持って行き、二言三言のお祝いを人形に喋らせようか。
 だが、主催者にも来賓にもそんな雰囲気の人は一人もいなかった。
 もう「3歳児に相応しい入園式にしよう」などと言うと、異教徒、国賊になってしまう世の中になってしまっているのだろうか。
 養老孟司氏に言わせれば、この国は一元論の、ある意味一神教の世界になりつつあるようだ。氏はそれを「バカの壁」と言っている。
 
  それはさておき、主役の子どもたちは立ち上がったり、後ろを向いたり、寝転んだりで、まるで空虚な形式を笑うかのように自然で自由であった。じっとしていなかったという点では孫も五十歩百歩で、時々後方のお祖父ちゃんとピースを交わし合った。がんばれ園児たち。

 孫の入園祝いにはもちろん‟ぶたまん”をプレゼントした。

 3歳児というのは向かう1年間に4歳になる子どもたちである。
 つまり4年前、3.11フクシマ原発事故直後の子どもたちである。
 あの時、まだこの世に生まれていなかった子がいっぱしのお喋りをし、字を読んだり歌を歌ったり、おしゃまな言い方で大人に対抗したりするようになっている。
 一方フクシマ原発は、正確な事故の全容さえ未だ判らず、汚染水は垂れ流したまま、中学校や高校の修学期間を超えてなお避難先から帰郷の目途もたっていない。
 そうしておいて、東日本大震災復興予算の補助金が2012・2013年度でも3億3千万円献金として自民党に還流した。
 良識ある人々なら誰でもこれを不正義と言うだろう。
 鬼子母神ではないけれど、自分の孫は可愛いが、意識がそこで止まっておれば半人前の高齢者でしかないということにならないか。
 だから孫の成長に目をそばめながら、もう一働きしなければと思う。
 今日は統一地方選挙前半の投票日だ。後悔のない行動をとろう。

2015年4月11日土曜日

身近に感じる

  地方自治体の選挙や政治の思い出となると、保育園に入いれず義父母のいた隣の市に委託保育させたことや、小学校が新設されたが学童保育がなかったときや、すぐ隣の町内に清掃工場が拡張されそうになったときなど、必死で対応した想い出も少なくないが、全て遠い昔の思い出のように霞みつつある。
 しかし、仕事をリタイヤした後に福祉医療費が倍になったり、老々介護が大変な時に特養入所が非常に困難だったことなど、再び地方自治に関わる身近な課題が増えつつある。
 といっても、正直に言えば安倍自公内閣の戦時法制度確立や、労働法制の破壊、年金引下げ等、私は国の政治の方に、より関心が高い。
 そこで統一地方選挙のことを考えるのだが、ここで共産党が伸び、自民党や維新等が後退するとすれば、彼らの中で「安倍総理では地方選挙が戦えない」となり、従来の保守の層からも新たな常識派が生まれてくるに違いないと私は思っている。
  「それは甘い」という声も聞かれそうだが、堺市や沖縄県での各種選挙にその芽を見ることができる。
 というのが、私が今般の統一地方選挙で大いに共産党に伸びてもらいたいと思う理由である。
 「安倍自民党にお灸をすえるためには現実的には民主党」という選択が屁のツッパリにもならなかっただけでなく、消費税増税等々の悪政の道を開いたことからも大いなる幻想であることが明らかになったと思う。
 非常に個人的には、3.11フクシマの直後、「メルトダウンはしていない」「健康に影響はない」と大嘘を繰り返した枝野某が幹事長の民主党に1%の期待もない。
 私たちの世代は、革新勢力の共闘というと社共共闘が軸のように感じてしまうが、この時代の先には、既存の発想ではないもっと思い切った共闘が生まれるに違いない。
 そんなとき、私はあえて共産党は看板等では後ろに下がってもよいと思っているが、ほんとうの縁の下の力持ちは共産党以外ないと思うから、ここをしっかり骨太いものにしなければならないと感じている。
 だから、この地方選挙後にそんな展望を夢みて、多くの皆さん方にも共産党の候補者を支援していただきたいと思っている。

2015年4月10日金曜日

大阪よどこへ行く

  木津川 計氏の‟人格ならぬ都市格”の話に「大阪のグレードが低下するほどに企業イメージを守ろうと、大阪の大企業は次つぎ東京に本社を移す流れを促進させた。京都の大企業が一社も動かないのとなんという違いだ」とあってハッとした。
 大企業の本社機能の移転問題は狭い意味での経済の問題だと思っていたから、企業イメージという広い意味では経済的判断だろうが「ズバリ」大阪の都市格の低下としてそれをとらえる指摘は新鮮だった。
 こういう場面で年寄りの昔話を挟むのは気が引けるが、天外・寛美の松竹新喜劇には「こうと」な品があった。そこに登場したかつての大阪には都市格があった。
 ところが維新らの議員に言わせれば「都市格で飯が食えるか」ということで、これまで市民が育ててきた地下鉄を売却しようとか、施設や土地を売却しようとかいう話になっている。
 こうして、ますます都市格が下がる→本社も移転する→地盤が沈下する→都市格が下がる→・・(豆腐は白い→白いはウサギ→→便所は四角→四角は豆腐3/29津軽のわらべうた)という悪循環に落ちいっている。
 だから、維新政治の退場こそが大阪経済復興の土台だろう。
 経済観念に敏感な大阪人ならこの理屈が理解できるに違いない。
 経済に関わって付け加えれば、大阪をアジアとの友好の拠点にすればいい。
 京都や奈良に来て大阪で買い物してもらえばいい(京都・奈良の皆さんごめんなさい)。高島屋難波店免税コーナーの「爆買い」がそれを教えている。
 このように維新政治退場の向こうには明るい未来が待っているが、そのためには当然だが諸外国から総スカンを食っている安倍氏にも退場してもらわなければならない。
 そういう展望を開くためには、地方議会の選挙でも日本共産党の議員を一人でも多く当選させることが大切だと切実に思っている。


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2015年4月9日木曜日

維新が危険だと思うわけ

  2015年1月18日の「ファシズムはニコニコ顔でやってくる」の記事で、この頃のテレビに‟日本人が如何に立派か”という番組がやたらに増えていることに疑問を投げてみたが、今般、琉球新報等地方紙に早川タダノリ氏の『日本スゴイ自画自賛の系譜』という連載があるのを知って、非常に勇気づけられた。
 氏は、歴史を見ると昭和6年の満州事変後も「日本スゴイ」愛国本の洪水が押し寄せ、その数年後に日中戦争が全面化し、国民精神総動員運動が始まった。昨今の「日本スゴイ」本ブームが何かの前触れでなければよいのですが・・・と書いている。
 ネットのブログで、「何に対しても自信がなく生活に暗くなっていたときに、日本人はすごい!という本に出会い、私はその日本人の一員なんだと思ったとき何か気分がよくなり、ネットを順に追っていくとネトウヨ(ネット上の右翼)になっていった」という独白があったが何か理解できる気がする。
 社会に取り残されたもの、一番の被害者こそが、一番そういう荒んだ為政者に夢を託すというのが悲しいリアリズムなのだろう。

 大阪では生活関連の事項だけでも、橋下・松井府市政以後、【大阪府】生活関連予算1770億円削減(6年間)、小学校の警備員補助ゼロに、千里救命救急センター、大阪赤十字病院の救命救急センターの補助金の大幅削減・廃止、8つの障害者・福祉団体補助金の廃止、街かどデイハウス補助金半減、特養ホーム建設補助金削減、国保料の市町村への補助金3分の1削減。【大阪市】敬老パス有料化、赤バス全廃、住吉病院廃止方針、国保料値上げ。〈2/17発表の予算案〉介護保険料値上げで20政令市、大阪府内で最高額に、保育料(課税世帯の3歳児)月9100円→18700円、病児、病後児保育利用料値上げと延長保育料新設、というのが客観的事実である。
 そして、市の予算で橋下氏の後援会中枢役員の息子を特別秘書にし、その外にも顧問や参与を連発して湯水のように予算を支出し、縁故で採用した教育長や校長、局長、区長の不祥事が後を絶たず・・・、裁判所や労働委員会で敗れ続けている。
 それでも、何かを期待する「世間の空気」とは一体何だろう。
 大阪府と大阪市があるからだ! 職員が悪いからだ! 従来の政党と議員が悪いからだ! と繰り返されるアジテーションに、テレビの中のコメンテーターや芸能人が感情的な口調で同調する。これでよいのだろうか。
 人間は疲労困憊になったとき、思考停止し洗脳に同調するという話を読んだことがあるが、そうかもしれないと思えてくる。
 こんな社会の異常は、やはり異常な戦争に突入した前段階と重なる。
 早川タダノリ氏の文脈に沿って言えば、現前の事態は破滅に向かう前触れで危険だと私は思っている。

 1月24日の「東京メディアは嗤う」で書いてみたが、そういう根拠のない橋下のアジテーションでも「何かやってくれそう」と同調するのが『正しい大阪人』であるかのようなバーナム効果を在阪テレビ局は作ってきた(これについては異論ありとのコメントもあったが)。
 木津川 計氏は「都市格を下げた橋下政治」と評されているが、その中で、都市格の条件とは、①文化のストック、②景観の文化性、③発信する情報、とであり、文楽への助成を削り、国際児童文学館を移転・縮小させ、大阪市音楽団やかつて府が設立したセンチュリー交響楽団の経営を追い詰める一方、カジノの誘致で国際バクチ都市に仕向けて都市格が上がろうかと指摘されている。
 同感である。
 統一地方選挙で維新の退場を促し、大阪の都市格を復興させたいと私は強く願っている。

2015年4月8日水曜日

維新の反知性主義

 大阪市長と知事は、大阪府と大阪市があるから二重行政で無駄だという。
 大阪「都」構想で当初は4000億円浮くと言っていたのが法定協資料では700億円になり、その中には地下鉄や幼稚園の売却という「二重行政」とは無関係な粉飾があるものだから、結局1億円ぐらいと言い出し、挙句は橋下市長が「財政効果など意味がない」という。
  府県と政令指定都市があるのが二重で無駄なら、京都も神戸もそういうことになるが、もちろんそんな話は起こっていない。政令指定都市堺市の市長選挙では明確にNOの意見が多数であった。
 府大と市大があるのが無駄なら、大阪には阪大があるから府大も市大もまとめて無駄なのか。維新の話はきわめて雑で反知性的だと思う。
 ベイエリアに赤字のりんくうゲートタワービルと旧WTCビルがあるのが二重行政というが、これは二重行政以前のバブルに浮かれた失政のせい。
 一般に言われる右だ左だというような信条は別にして、自分の住んでいる自治体の権限が政令指定都市から村役場以下の権限しかない特別区に引き下げられて行政サービスが低下しないと考えるのは非常識ではないだろうか。
 私は、大阪「都」構想を通じて見えてきたこういう非常識と反知性主義に興味がある。
  在阪テレビ局を中心とするマスコミの劣化ということと相まって、どこかで「がらがらぽん」が起こって欲しいと願う庶民の生活と雇用問題の行き詰まり感が底流にあると考えている。
 だとすると紀元前300有余年の孟子先生の言葉は重い。恒産なくして恒心なし・・・と。
 となると、最賃制の廃止を叫び、チャレンジ特区という名でブラック企業特区を目指す橋下氏の狙いはあまりに的を射ていてスルドイ。市民の生活の低下とそれに伴う閉塞感はやけっぱちで維新の支持を醸成すると読んでいるのだ。穿ち過ぎだろうか。
 そうはさせたくない。自前で適塾などの教養を深めてきた大阪の歴史的底力に期待したい。

  非常識といえば上西小百合議員、2012年の選挙直後に運動員が公選法違反(買収)で逮捕された議員で、昨日今日「不適格」になった議員とは思われないし、維新の党・大阪維新の会の例外的な不祥事とも思えないが如何だろう。
  さらに、非常識よりも悪質なのが虚偽の公約。
 写真の維新のビラのとおり、「大阪市はなくさない」と言って選挙をして、多数を獲ったら「区に分ける」というのは、一般社会でいえば詐欺罪が成立する。
 そういえば安倍自民党も選挙前に「TPP断固反対ウソつかない」というポスターを貼っていたな。
 世の中、もう少しまともな方向にネジを巻きたいものだ。
 沖縄の衆議院議員選挙のように、従来の保革をさえ超えた良識の結集を展望して、その屋台骨を支えるだろう共産党の躍進を地方選挙でも期待したい。

2015年4月7日火曜日

開発でよくなるという幻想

  地方自治体の選挙になると無駄な大型開発政策を訴え、その波及効果で街がよくなるというような幻想を振りまく政党があるが、カジノを造って経済再生という維新の党はその典型だろう。
 梅田から関空まで5分間時間短縮するために2500億円かけて地下鉄なにわ筋線を造る、カジノのために地下鉄、JR、京阪の各線を延長する等は日本国中で失敗してきた大型開発と莫大な赤字自治体問題の二番煎じでしかない。
 クリスタ長堀(長堀地下街)、OCATや湊町リバープレース、堀江、三越伊勢丹、あべのハルカス、等々等々・・・、大阪の庶民の購買力以上の開発は屍類類の街を造ってきた。
 経済力とバランスのとれた開発こそが地域経済再生の道であることは自明のことだ。
 購買力以上の開発は街の殺し合いでしかないという赤子でも解る理屈が、メディアはあえて無視をして大手を振って反対的に論じている。
 共産党の言うように、中小企業支援、雇用条件の改善こそが地方再生の道だと私は思う。
 世界に誇れる大阪のモノづくりの中小企業を応援し、そこに正規雇用で働く労働者が商店街で買い物をしたり一杯飲んだりする。そういうのが街ではないですか。
 経済破たんしたロシアからやってきたロシア人が日本の勤労者の住環境や生活ぶりを見て「信じられない」と驚いた話は米原万理氏の著書によく登場する。GDPと幸福度は別のものなのだ。
 大企業の繁栄失くして庶民の生活向上はあり得ない・・というドグマからの発想の転換が大切だ。
 カジノでいえば106億8000万円すった大王製紙前会長が「ジリジリと焼け焦がれるような感覚がたまらない。このヒリヒリ感がギャンブルの恐ろしさなのだ」と言っているが、カジノが賭博依存症患者を産み、患者を増やし続けることで成り立つ産業であることを証明する発言だ。
 安倍内閣と橋下市政で大阪はヒリヒリ感でおかしくなっている。
 上方文化を生んだこの地が、森喜朗元総理の言い放ったとおり「たん壺」になるのは許しがたいと私は思う。

2015年4月6日月曜日

地方創生

  自民党の統一地方選挙のキャッチフレーズは地方創生であるが、一般に、問題を解決しようとすればその問題が起こってきた原因を明らかにしなければならない。
 原因を考える場合いろんな切り口があるだろうが、私は国鉄民営化、郵政民営化に代表される規制改革と民営化政策こそが、創生を口にしなければならないほどの地方の疲弊を招き、増田レポート風に言えば地方消滅の危機を生み出したのだと思う。
 国鉄にも郵便局や郵便貯金にも公共の精神があった。都会ではない辺鄙な田舎で住んでいようが日本国民ならその生活を守ろうという精神があった。
 規制改革という名の民営化はそれを、無駄という言葉で斬り捨てた。
 そして群がった財界は、かんぽの宿など国民の財産を二束三文で手に入れ、転がして大儲けをした。
 いま大阪でこの悪質な規制緩和・民営化を大声で語っているのが維新の党である。
 泉北高速鉄道がハゲタカファンドに売却されそうになったのは堺市民らの大反対運動で阻止されたが、その当時橋下大阪市長は「市交通局も同じようなこと(ハゲタカファンドへの売却)を考えるべきだ。株式売却で・・お金を回収・・すべきだ」(2013/11/28産経)と発言している。
 昨年亡くなった経済学者宇沢弘文著「社会的共通資本」(岩波新書)は、自治体や公共財を民の論理、損得の論理で考えることの危険性を口を酸っぱくして語っているが、その典型である。
 先日、大阪市津波高潮ステーションの見学をしたが、東海地震の周期は90年から150年といわれ、既に150年以上たっていることから、連動して発生する東南海・南海大地震はいつ来てもおかしくない。
 統一地方選挙真っ只中だが、身を削るだとか二重行政だとか内容のない言葉遊びに付き合っていてはほんとうに生活も生命も守れない。
 大阪では、維新の府・市政ときっぱりと対決して府・市民の生命と生活を守ろうとする共産党の議員を増やしたい。

2015年4月5日日曜日

難波京朱雀大路

  難波(なにわ)京のメインストリート朱雀大路の側溝が見つかったと新聞が報じていた。4月1日付けではあるが嘘ではない。場所は大阪の上本町1丁目交差点の少し東北。
 法円坂に内裏址がある、孝徳天皇が645年から建設した難波長柄豊碕宮(なにわながらとよさきのみや)の朱雀門から南に走る推定幅32.7mの朱雀大路で、その先は難波大道(おおじ・だいどう)が堺に伸び、東に折れて飛鳥に通じていた。
 
 戦後は、「難波宮【みや】は造られたが難波京【みやこ】はなかった」という説が常識のときもあったし、難波遷都のきっかけとなった乙巳の変、いわゆる大化の改新も、少し有名な郡評論争もあり「日本書紀の全くの作り話だ」というのが定説のようなときもあったが、近年の考古学の成果は、潤色のところは見極めながらも、「日本書紀も無視できない」というようになりつつある。
 今回の朱雀大路の発見もそうだし、後期難波宮大極殿の西北の府警庁舎の建設に伴う発掘調査で柱列に残っていた柱は、総合地球環境学研究所の酸素同位体比年代測定法では柱の一番外側が583年と612年とされ、柱が辺材であったことから「プラス数年から数十年」の時代に伐採されたものとされている。(写真参考)
  さらにその北側の谷から「戊申年」と書かれた木簡が出土し、この戊申年は648年と考えられている。
  加えて、同谷からは7世紀代の漆容器が3,000点以上出土した。
 また、つい最近、難波宮跡で「五十戸」と記された木簡が発見され、「大化改新の詔には‟仕丁は五十戸ごと”という五十戸という単位?があるが、そういう史料は天智時代(660年代)以前には見つからない」といわれていた常識も再検討されている(再検討で留まっているのは難波宮跡近くの出土ではあるが未だ年代の特定ができていないため)。
 このように難波長柄豊碕宮とその京は考古学によって高い精度で確かめられつつある。
 これらのことを考えると、文献史料の極端に乏しい我が国では木簡の持っている史料的価値はとてつもなく大きなものがあり、隣の県のことではあるが、平城宮跡の水位を下げて木簡を破壊する恐れのある「開発工事」は犯罪行為に等しいと私は感じている。

 さて、古代史就中日本書紀は戦前の皇国史観の下敷きになったものであったため、戦後の開明的な人々が触れたがらない感じがしているが、古代史を歴史修正主義者の専門の舞台にさせないためにも、もっと庶民も興味を持ってもよいと私は思っている。
 主たる性格は為政者の記録ではあるが、その周辺には今の公務員労働者に該当する豪族その他下級貴族たちも登場する歴史書でもある。と、つい最近気づいた。

  これらのニュースを振り返って、いま私は高校時代の社会科の先生が、山根徳太郎博士が如何に苦労して難波宮を発見されたかを授業内容に関係なく熱っぽく語っておられたのを昨日のように思い出す。
 また、もちろん近世からだろうが私の親や祖先は、大阪大空襲まではこの朱雀大路の上(東高津)に住んでいた。
 そして私は、前期難波宮に重なる聖武天皇の後期難波宮の大極殿跡にある法円坂の勤務先に就職し、その西方にある古墳時代からの大倉庫群跡の勤務地に長く通勤した。
 だからか、難波宮のニュースには訳もなく心の踊るのを抑えきれない。
 
 余談になるが、「『百舌鳥・古市古墳群』の世界文化遺産登録を推進する議員連盟」が超党派で結成され、共産党の宮本岳志衆議院議員も副幹事長として参加している。
 「古代の支配者の墓なんて」と教条的に言っていないところがいい。
 私の知る限り奈良県などでは、現代政治については革新的立場でありかつ古代史が大好きな人々は非常に多い。
 それもそのはずで、『戦前のレジーム』への懐古を口にする人々こそが二枚目の舌で遺跡破壊の「開発」の先頭に立っている。

2015年4月4日土曜日

大阪の匂い

 先週、大阪環状線各駅の発車メロディーが一新されたというニュースが面白おかしくテレビで取り上げられていた。
 新今宮駅のメロディーがドヴォルザークの「新世界」というのは、遠くない通天閣のある新世界に掛けたもので、その「下町(ダウンタウン)ぶりとクラシック」というミスマッチに「ニュースの街の声」では異論もあったが、こういう馬鹿馬鹿しいほどのこじつけを多くの大阪人は笑っている。
 ニュースでは、「さて鶴橋駅のメロディーは何でしょう?」という‟振り”も各局共通していて、「焼肉食べ放題」と答えていたのも共通していたが、正確には桂雀三郎withまんぷくブラザーズの「ヨーデル食べ放題」で、この選曲にも圧倒的な大阪人は異論がない。
 なぜなら、その鶴橋駅は、JR環状線、近鉄奈良線、近鉄大阪線が2階と3階(実際の高さは3~5階か?)にある高架駅で、1階に相当する街には数えきれないほどの焼肉屋が軒を連ねている。
 だから、帰宅時のホームには焼肉の煙が充満しているのだが、それを公害だとは誰も言わない(言っている人はいるのだろうが、多数意見に抑圧されている?)。
 きっと、嫌いな人には耐えがたいものがあるのだろうが、私は「これぐらいは許容しましょう」という立場である。
 匂いというものは好きだという人と嫌いだという人の幅が大きいから、嫌いな匂いの許容度も難しい問題である。
  さて、大阪には、鶴橋の焼肉以上にメジャーであってけっこう個性的な匂いの「551蓬莱のぶたまん」があるが、メジャーであるだけに夕刻のラッシュ時だろうがこれをお土産に提げて帰る人が多い。
 ほんとうに1車両に3~4人がこれを提げて乗っていることも珍しくないが、そうなると電車中に「ぶたまん」の匂いが充満する。
 私などは「あっ、この匂いだと3人は551を提げてるな!」と楽しく想像しながら心の中で笑っている。
 客観的にいえば相当な「公害対象度」だと思われるが、これを非難する声も聞かないし、私も時々買って帰る派である。
 他所の地方の人に体験して感想を聞かせてもらいたいものだ。「ぶたまん」の方は、近鉄線以外の線でも共通している。

 話は変わるが、孫がやって来る日の夕飯は妻がメニューは何にしようかと考え込む。
 栄養があって、孫が喜んで食べてくれるものをあれやこれや考えて私も手伝う。
 ところが、夕飯が終わったころに「なっちゃんの一番好きなものは何?」とメニューを尋ねると、出してもいない「551のぶたまん」と返事が返ってきて夫婦でがっくりきている。

2015年4月3日金曜日

お花見のピーク?

  計画では4月4日の土曜日に今期メーンのお花見を企画しているが、天気予報は曇り時々雨と報じている。
 だから、4月2日に予備のお花見を個人的にやってきた。
 桜の花だけだと近所に結構素晴らしい公園等があるのだが、お花見となると何か物足りない。ズバリ、お花見には少し下種っぽい賑わいが必要だ。
 で、少し離れた川堤の「桜まつり」という幟が立った公園までサイクリングを敢行した。
 平日の昼間だからか「桜まつり」らしいしつらえも何もなかったが、提灯だけはめぐらされていて、何よりも花見客がそこそこいるのがよかった。いくら美しい桜並木でも、閑散とした場所ではお花見の風情がない。
 私が重箱におにぎりとおかずとデザートを詰め、ビールとワインを併せて積んで老夫婦でお花見を楽しんだ。
 腰かけた向こう岸にタケノコが顔を出していて、小学校高学年らしい男の子たちが足で蹴飛ばして折っていたので、「必ず持って帰って食べるんだぞ」「捨てたらあかんぞ」と大声を出したら、「はい!」と元気に返事が帰ってきた。
 食べろとは言ったが地上の頭を蹴って折ったもの、竹の皮を剥いたらタケノコはほとんど残らないだろう。子どもたちはそうして反省して成長すればいい。

2015年4月2日木曜日

朧月夜

 春霞が実は黄砂だと解説されたりすると情緒も何もないが、「朧月夜」は好きな叙情歌である。
 その叙情歌が似合う季節になった。
 ずばり、菜の花が満開だ。・・・なので連想ゲームのようにこの歌が思い出される。
 おかしなもので、私の小さい頃の風景はというと、小学校区に田圃がひとつもないという堺の市街地のど真ん中で、ここに出てくる歌詞の世界とは縁遠いものだったが、歳がいくと名曲の歌詞を自分の原風景の中に折りたたむようだ。
 ウサギ狩りをしたこともないのに「ふるさと」を共通の故郷と納得し合っているのも同じことだろう。
 とはいえ、年甲斐もなく即物的な私は、そういう夕景色を愛でるより以前にその花を摘んでサラダに放りこんでいる。アブラナ、ミズナ、ルッコラの花、花、花。
  そうすると、サラダが蜂蜜をひっくり返したように香り立つ。
 ・・・というのも倒錯した感情で、花々の蜜を蜂が集めたものが蜂蜜なのだから、こっちの香りの方が本家であるのに「あっ、蜂蜜だ!」と感じてしまう。情けない。
 老人ホームから外出してきた義母にこれを出すと、小さな声で「朧月夜」を歌ったのには驚いた。名曲は人を元気にするようだ。
 「もう忘れた」といろんな話は途切れるが、義母の遠い記憶にはこの歌詞どおりの景色があったことだろう。義母の里は農村だった。

 4月1日、朧月夜というよりも菜種梅雨がぴったりの一日だった。


 

2015年4月1日水曜日

花を観て一句

3月31日近所の桜、見物人は私ただ一人
  テレビのプレバトという番組の俳句コーナーが痛快である。
 芸能人らが兼題の写真を観て一句よむのだが、その批評の夏井いつき先生の辛口の毒舌がいいし、手直し(添削)とその解説がいい。
 曰く、手垢のついた決まり文句だ!、独りよがりだ!、つまらん!、とバッサリだ。
 ところが、そういう先生のサゼッションを理解したつもりになって、いざ自分が作ってみようとすると、先生に「才能なし!」と烙印を押された芸能人のレベルにも達しない。
 ほとほと自分が情けない。

 外に出ると満開である。
 そこで一句!といかないので歳時記から好みの句を摘んでみよう。
   桜咲きらんまんとしてさびしかる  細見綾子
   花の下ぢゝばゝ踊る皆わらふ  河野静雲
 ・・・というあたりで締めようと思ったが、どうしても次の句に心が掴まれた。  
   国定教科書の桜が咲いて重い靴  橋爪鶴麿

 4月1日は新年度の年度始め。
 早々に統一地方選挙と大阪の住民投票がある。
 「あんな句が存在感を漂わせていた時代もあったなあ」という時代の初年度にしたいものだ。