2015年3月8日日曜日

I am not ABE

  『Je suis Charlie ジュスィ・シャルリー/ 私はシャルリー』 は、テロ事件直後にパリの市民が掲げて瞬く間に広がった合言葉で、ダサく言えば「私はシャルリーを支持する」だろうか、表現の自由を守れ、テロには屈しないという意味では積極的な意味を持っていたと思う。その一点で私もシャルリー・・を支持する。
 フランスの風刺の文化は日本人には理解し難いほどの意味を持っていると新聞で読んで「そういう文化を感覚的にも理解しよう」と努力したが、だが正直なところ、あの週刊誌の風刺画はムスリムの感情に対して鈍感すぎるように私は感じた。
 そして、パリが「私はシャルリー」の合い言葉一色の感じになったとき、その「鈍感さ」について語る自由そういう表現の自由が反対に憚られる空気が生まれたように私は感じ、世の皮肉をしみじみと味わった。
 ・・・前説としてのシャルリーの話はそれで終わり。

 あれから4年、3月11日が近づいてきた。
 今日、大阪では幅広い共闘で『3.8さよなら原発』の集会とパレードが準備されている。
 私は全くただの一参加者でしかないが、どうしたらパレード参加者と街行く市民との共感が少しでも深まらないかと考えた。
 そして、その折のひとつのキーワードは「運動に笑いを!」ではないだろうかとこの頃思っている。
 去年は鹿のカチューシャにメッセージをつけて被った。一定程度笑っていただけたと思っていたが、「今年は被りたくない」という意見も出たので制作は中止した。
 なら、「私はシャルリー」の発展形で国内で話題※になった「I am not ABE」にしよう、そう名乗るのであるから「A5版の名札」にしようと考えて制作したのが写真の名札(プチゼッケン?)。
 さて、多少はクスッと笑っていただけるだろうか。

 さてABE氏であるが、彼は「戦争できない特異な国」が嫌で嫌でたまらなく、何が何でも「戦争のできる普通の国」にしたいらしい。
 しかし、こんな小さな国に原発を並べ立て、ミサイルが原子炉を壊さないでも、周辺機器類を火事にでもすれば自爆してしまうことを証明した国が戦争するという方が、まるでコメディーの台本のように私には思える。
 敦賀で事故が起きれば琵琶湖が汚染され、大阪府全域が人の住めない(水の使えない)街になる。
 先日書いたが、大阪府北部の方が福井市よりも原発に近い。ウソのようなホンマの話。
 事故がなくても廃棄物は増え続け、その処理方法はない。少なくとも10万年保管するという。
 「運動に笑いを!」と言いながら、どうしてもこのような冷笑になるのは私の力量不足である。

 ※【国内の話題】とは、報道ステーションで古賀茂明氏が首相の意図的な中東歴訪を批判して「日本人は今、I am not ABE というカードを掲げる必要があると思う」と語り大いに話題になったこと。さらに、そのことが原因と想像されるが、出演日程調整済みの3月をもって古賀氏が報道ステーションから降板させらること・・を指している。
 ABEという表記については、日本人も日本文化どおり姓名の順で表記しよう、姓と名の誤解をなくすため姓は大文字で表記しようという論に賛成の立場で表記した。

4 件のコメント:

  1.  快晴の今日「さようなら原発」集会はさぞかし盛り上がったことでしょう。I am not ABEも受けたことと思います。こんな快晴と日本の高い技術水準に支えられた太陽光発電があれば、原発は全く必要ないと思います。原発が地震などで核災害を受けた場合、(戦争による核攻撃を含む)未来永劫核被害を受け続けることとなります。私の大好きなイタドリも10万年間食はべれなくなります。

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  2.  バラやん、コメントありがとう!
     大阪は快晴ではありませんでしたが、現役組からいただいた「さよなら原発サンバイザー」が輝いておりました。終えてから、「永遠のゼロは反戦意識に貢献するか」など口角泡を飛ばして語り合ったのは言うまでもありません。

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  3. 「3・8さよなら原発」集会私は参加するだけなんですが今回はどんなものを作って下さるのか?と毎回楽しみにしています。今回も楽しく行進しました。ありがとう!

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  4.  500円以下の酒の肴(あて)を一品ずつ持ち寄ってお酒を飲むという趣向の会を行なっていたことがあります。楽しいものでした。
     これからの集会が、そんな風に、一人一品簡単な工夫を持ち寄るようになれば楽しいなあと夢見ています。

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