2015年2月8日日曜日

この保育士に拍手

 町内会の餅つき大会担当役員が児童公園の使用について役場に行ったら「消防署と保健所にも届け出るよう」に言われ、保健所は、「製造にタッチする者を届け出る」「素手で触らない」「その場で食べてしまうこと(持ち帰らない)」と指導したらしい。
 これは、本当に餅つきを知らないか、住民を馬鹿にした発想だと私は怒ったが、そういう(怒りの)声は少数だった。
 多くの場面では、防災活動のためには地域のコミュニティ活動が大事だと言いながら、こんな行事に直面すると、まるで、コミュニティ活動を委縮・尻込みさせるような・・何かあったら大変だ、・・何もしなければ何も起こらない・・と、そんな風に感じさせる指導だと私は思う。
 そして何よりも、そこには住民の安全に配慮した懇切丁寧なご指導と言うよりも、何かあったときの責任逃れ、・・「私は指導しておいた」とでもいうようなアリバイ主義、責任逃れの根性があるように見えてしょうがない。(この感想が誤解であればご指摘いただきたい)
 こういう精神は特殊例外的なものでなく、例えば中東での人質事件があった場合、それを「自己責任だ」と言い募ることで、本来国民を保護すべき政府機関が自らの責任を回避する言動にも同種の精神を私は感じる。

  先日、所要のついでに奈良公園を歩いていたら、浮見堂の池の周辺で保育園児たちが鬼ごっこをしていたので私は本当にびっくりした。
 何にそんなに驚いたのかというと、そこでは保育士(保母さん)たちが乳児を含む幼児たちを自然のままに(放ったらかしに見えるほど)遊ばせていたからで、きっと、この園ではそういうことが日常のスタイルなのだろうから、幼児たちは池の横の崖の上を自由気ままに歩き回っていた。
  この私でさえ???、おいおい崖から落ちたらどうするの!!と言いたくなるほど幼児たちは上ったり下りたりしており、よちよち歩きの児でさえ、それが当然のように少し大きな児の後を追いかけているのだった。
 保育士たちは全く動じず、ほんとうに放ったらかしで一緒にかくれんぼに動き回っていた。
 あっぱれの一言しかない。
 この児たちは将来立派な大人になるに違いない。
 私は、遠慮しながらも感動して写真を撮った。
 それこそ何かあっても、この保育士たちは絶対に逃げないだろうと確信した。
 こんな私の感想は、実際の保育士や幼稚園や学校の先生方には「現場の厳しさも知らずに気楽な感想を言うな」との反発があるだろうが、私の心が踊ったことは間違いない。
 
 このような、ある意味当たり前の出来事に私が感動したのも、近頃は少しでもリスクのあることから逃げる風潮が蔓延しているからで、それは、職場にあっては成果主義がそれを助長し、一般社会ではマスコミが被害者の代表面をしてクレーマーを持ち上げ、一緒になって二言目には「謝罪しろ」との大合唱を唱えるからである。
 それは、ほんとうの庶民が、弱者が、権力に対して抗議することとは似て非なるものだという気がしてならない。

2 件のコメント:

  1.  2月4日のホンマでっかTVで「人間にとって6歳未満の遊びが非常に大事だ」と言っていたが、街には子供の影がない。新興住宅街は少子化の上に街全体が老化していく。そんな孫の環境を考えると、この風景はまばゆいばかりに輝いていました。

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  2.  この記事を読んでの妻の感想は、「これがプロの集団保育のええところ」「少子化下の母親は怖くて崖で遊ばせられない」と。
     実際、私でも孫がこの崖で遊んでいると、「危ないからやめとき」と言ってしまいそう。

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