2015年2月3日火曜日

星月夜と桃太郎

里の秋・椎の実
  秋に老人ホームの家族会で「歌おう会」をしたとき、季節にぴったりの歌として「里の秋」を唄ったが、誰もが郷愁と共感を覚えたようで、みんなに喜んでもらえたのがこちらとしても嬉しかった。
 ただ、この斎藤信夫の歌詞は昭和16年制作時の元々は「星月夜」という題名のもので、次のようなものだった。
1)しずかな しずかな 里の秋 お背戸に木の実の 落ちる夜は
  ああ かあさんと ただ二人 栗の実煮てます 囲炉裏ばた
2)あかるい あかるい 星の空 鳴き鳴き夜鴨の 渡る夜は
  ああ とうさんの あの笑顔 栗の実食べては 思い出す
3)きれいな きれいな 椰子の島 しっかり護って 下さいと
  ああ 父さんの ご武運を 今夜も一人で 祈ります
4)大きく 大きく なったなら 兵隊さんだよ うれしいな
  ねえ 母さんよ 僕だって 必ずお国を 護ります
 ・・ただ、この詩は作曲されないまま敗戦を迎え、3)4)が削除されて新たな3)として・・
3)さよなら さよなら 椰子の島 お船にゆられて 帰られる
  ああ とうさんよ ご無事でと 今夜も かあさんと 祈ります
 ・・が付け加えられ、題も「里の秋」と改題されて発表された。
 この歌のためには「星月夜」のまま作曲されなくてよかった。一つ間違えば戦意高揚の宣伝歌だっから、戦後このようにみんなで合唱されることもなかっただろう。
 こういう現代史の隅々を眺めると、歴史というものは一部の軍国主義者だけが時代を引きずり回し、庶民(詩人を含む)はみんな被害者だったというような単純なものでないということをしみじみと考えさせられる。
 だから視点をアジアに広げるとすれば、その時代の少なくない庶民は被害者であるとともに加害者でもあったのだ。
 国内でも、被害者であり(かつ戦争の)「協力者」であったという側面もあったことを正直に見つめなおす必要があるように思う。
 だから戦前の反省をすることを自虐史観だというような主張があるが、私はドイツの戦後と比べても、戦後日本の反省は不徹底だと・・「里の秋」を唄いながら考えた。

 戦前の歌といえば、孫とカラオケをして『ももたろう』をかけて私は驚いた。 
1)桃太郎さん 桃太郎さん お腰につけた黍団子
  一つ私に下さいな
2)やりましょう やりましょう これから鬼の征伐に
  ついて行くなら やりましょう
3)行きましょう 行きましょう あなたについて どこまでも
  家来になって 行きましょう
4)そりゃ進め そりゃ進め 一度に攻めて攻め破り
  つぶしてしまえ 鬼が島
5)おもしろい おもしろい 残らず鬼を攻め伏せて 
 分捕物(ぶんどりもの)をエンヤラヤ
6)万々歳 万々歳 お伴の犬や猿キジは 
 勇んで車を エンヤラヤ
 ・・ええ!これが童謡・唱歌!
 戦前というものは、こういう小さなモノゴトの積み重ねで出来上がったという一級史料だろう。
 そして重要なことは、これが全くの過去のことではなく、よく似た「情操教育」が現代社会で進行していることである。
 
 テレビの向こうではやたらに「立派な日本人」がこれでもかと自画自賛されているのに、ひとたび人質問題が発生すると「自己責任だ」の合唱で、挙句は「自決しろ」との声が聞こえる国って何だろう。
 テロを擁護する気はさらさらないが、中東において、「米欧やイスラエルの爆撃等で何人、何十人単位の殺人が日常的に行われ」「出稼ぎ先では『橋のない川』のような格差の底辺に押し込められ蔑視されている」・・・この問題の解決の方向を冷静に考えずに、「イスラム圏は理解し難い」的な議論が広がり、「思い知らせなければならない」「償わせなければならない」「弱腰だと思われないように」と、「そりゃ進め そりゃ進め」と歌い出す日が来ないことを願っている。
 故ワイツゼッカー独大統領ではないが、過去に目を閉ざすと現代が見えなくなる。
 冷静な議論が「テロに屈するのか」というような短い言葉で書き消されるとすれば、あの時代と変わらない。

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