2014年12月21日日曜日

自分史のキューバ

  自分史としてキューバを振り返ってみると、1959(昭和34)年1月にキューバ革命が起こり、その3月ごろには小学館の「小学六年生」に挿絵の多く入ったルポのようなものが載り、「地球の裏側でこんなことが起こったんだ」と思った記憶がある。(3月ごろだとか雑誌が「小学六年生」だという記憶は間違っているかもしれない。)
 挿絵にはフィデル・カストロやチェ・ゲバラが英雄的に描かれていた。
 1962(昭和37)年10月にはケネディーVSフルシチョフのキューバ危機が起こり、少し年上の人々が「第三次世界大戦か!」と言っていたが、高度成長とともに成長過程にあった幼い高校1年生は、何の裏付けもなく「まさか戦争なんて起こるはずがない」と信じていた。
 私が人生について深く考え、社会や世界について考え始める前史・・つまりは子供の頃のことである。その子供が今や押しも押されもせぬ高齢者になっている。
 だからアメリカのキューバ封鎖の歴史がどれほど気が遠くなるほど長期間のものであったかということが実感される。
 そのアメリカとキューバが日本時間18日の同時刻に「国交正常化交渉を始める」と発表した。
 オバマ大統領は数か月のうちにハバナに大使館を設置するという。
 テレビでは薄っぺらなコメンテーターなる人々が、「両国の経済的利害によって実現した」というようなことを言っているが、中南米諸国全体の民族自決、反植民地主義、対等平等等の主張の前進が、アメリカの半世紀にわたるキューバ敵視政策を破綻させたものであることは明らかだ。
 中南米諸国は、米州サミットにキューバを排除するならもはや出席しないと表明する国も出ており、経済力には関係なく国民に依拠した政権の発言力の大きさを示している。それに比べると我が国歴代政権の軽さはほんとうに情けない。
 中東のテロリズムやロシアの覇権主義、各国に台頭するネオナチズムなど憂慮すべき課題は地球上に山積みにされているが、『それでも歴史は廻っていく』という感慨を深くしたニュースだ。
 ラム酒の入ったチョコレートを口に入れてこの記事を書いた。
 青春時代、キューバの新聞「グランマ」の論文を(日本語で)読んだことも思い出す。
 当時キューバの論文等は、「祖国か死か、われらは必ず勝利する」という言葉で必ず結ばれていて、ベトナム戦争の暗雲の時代に純粋な青年の心は踊った。

2 件のコメント:

  1. キューバには沖縄からも多くの移民が渡り、時代に翻弄されました。『サルサとチャンプルー』というドキュメンタリー映画もありますよ。

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  2.  mykazekさん、ありがとうございます。
     今からウン十年昔は、今では考えられないような、青年たちが哲学やイデオロギーや国際情勢を語りあった時代でした。
     そういう中のフィデルカストロの発言は、非常に微妙なものでした。
     それぞれの国は、それぞれの歴史の上に国を建設するものですね。

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