2014年9月30日火曜日

音楽いろいろ

 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史~創られた「日本の心」神話~と題する輪島裕介氏の講演を聞いたが、自分が渦中にあって見聞きし生きてきた時代を1974年生まれの(私よりは)若い学者に分析、解説してもらうのは不思議な感じがした。
 「戦後大衆音楽史」などは大学生にとっては新鮮な話かもしれないが、私などには、「そう、そう」「そう、そう」「そうでした」と頷く以外の対応が思い浮かばなかった。
 ただ、1960年以降、それまでレコード会社専属契約スタッフによる作詞作曲、演奏、流通、小売りであったものが、芸能プロダクションや音楽出版社、放送局によるものに変わっていった、そういう中から、戦前や戦後初期のタイプとは別の新しい音楽が生まれてきただとか、その中のひとつが「演(艶)歌」であるとの話は、「そういう見方もあるのか」と参考にはなった。
 だが、私が聞いた(受けとった)氏の話のひとつの核心部分が、『戦後初期の旧左翼は中産階級の知識人だったが、そういう旧左翼が「最も嫌ったもの」をこれみよがしに新左翼が称揚した価値転覆効果が「演(艶、援、怨)歌」のブームを作った』的な分析は、非常に一面的ではないかと納得し難かった。
 個人的に振り返ってみても、その頃の関心はもっぱらアメリカンポップスで、そうでない邦楽に限ってもザ・ピーナッツがいて、フォークの「若者達」があり、「高校三年生」を歌った後で「お座敷小唄」を歌っていた。そんなものでないだろうか。
 氏の分析は、少し五木寛之氏の小説の影響を受けすぎていないか?

 流行歌の分析なら、夏目誠著「流行歌(うた)とシンドローム」(中災防新書)という方が、時代(経済社会)の特徴的なストレスと流行した歌詞との関係を的確に指摘していて、~メンタルヘルスへの誘い~という副題も併せて大筋では納得させられた。
 それにしても、人生いろいろ、・・・流行り歌の定義づけのような話には「世の中、そんなに単純ではないぞ」というような気分が今もある。

 閑話休題、
 テレビの娯楽番組を見ていたら、料理のシーンで何回も 〽らーららー らららららーと美しいヴァイオリンの曲が流れてきた。
 妻も私も「聞いたことのある曲やなあ」「なんていう曲やったかいなあ」と顔を見合わせた。
 もちろん、しばしば人の名前も出てこないような初老の二人であるから、何日も「なんやったんかいなあ」が続いた。
 私は、そのきれいな旋律から「セミクラシックの曲で、有名なドラマの挿入歌で使われてたんと違うかなあ」と言い、妻は「何かの番組でハワイアンのように踊っていた曲と違うかなあ」と、また何日も顔を見合わせた。
  そして、息子ファミリーが来たときに「こんな曲なんやけど」と鼻歌を歌ったら、息子夫婦から「お好み焼き」「てっぱん」とすぐに答えが返ってきた。妻も私も聞いたことがある筈である。
 あの、ちょっとイチビッた朝ドラ「てっぱん」で、オープニングかエンディングに各地のみんなが気ままに踊っていた画面と、何にもなしに流れてきた美しいヴァイオリンの曲とが頭の中で一致しなかったのだ。

 そんなこともあり、人にとって、最初にどういうシーンと一緒にインプットされたかということも個人にとっては非常に大事なことで、そこから離れた絶対的な音楽の定義などに何の意味があるのだろうか。と、素人は思っている。
 普通には特別でもない曲が、ある人にとってはある記憶と強く繋がっていて‟泣ける曲”だということはよくあることで、そういう意味でも輪島講演に私はもう一つ共鳴しなかった。
 
 ※ 「てっぱん」のテーマ曲「ひまわり」は、葉加瀬太郎作曲のインストゥルメンタルで、朝ドラのことなど度外視して聞くと美しい曲である。

2014年9月28日日曜日

恋人を待つ気持ち

  京都市右京区嵯峨水尾で休耕田にフジバカマを植えたところ、南方に向かって渡る途中のアサギマダラが群舞していると27日の新聞に大きく載っていた。
 我が家のフジバカマは外の花々の為に毎年小さくなっている(株を小さくしている)が、新聞の写真よりは少し遅れて咲き始めている。
 なので、今年もアサギマダラが来てくれないかとワクワクしながら待っている。
 そして、こんなパルピテーションを一人占めしておくのはもったいないから、写真のとおり『アサギマダラ来る』的な看板を掲示した。
『奥の地味な花は、秋の七草 
 藤袴(フジバカマ)で、
 海を渡る蝶 アサギマダラの食草です。
          去年は写真のとおり
      来てくれましたが、
      今年はどうでしょう。』と書きました。 
 町行く人の中で、一人か二人ぐらいは「へ~、それは楽しみだ。」とノッテくれるだろう。

 彼岸花は終わった。
 金木犀が街中を芳香に包んでいる。
 水菜の種をまいた。
 ヤマガラが子猫のようにニャーニャーと鳴いている。
 まぎれもなく秋だ。
 ここ数年では珍しい普通の気候にホッとしている。

 ※ 浅葱 黄色がかった薄い藍色。また、青みがかった薄い緑色。〔新潮漢字辞典〕 

御嶽山 怒る

 御嶽山の噴火で亡くなった方もいるようで悲しい。
 若い頃、信州の山のレンチャンを思って、北アルプスの帰りにマイカーで御嶽山に向かったことを思い出した。
 予備知識なく民宿に行ったのだが、そこは御師が経営する宿坊だったから、我がファミリー以外は祭壇に御参りをしていたので面食らった。
 翌日はロープウェイ駅まで行ったのだが、どう考えてもそこは信仰のお山であって、アルピニストがザックを背負って登る山には思えなかった。山岳修行のお山に見えた。
 なので、登山を止めて山麓を散策しただけで帰ってきた。
 それでも、カッコーが鳴き、高山植物が風になびく気持ちの好い想い出をもらって帰った。
 「3千メートル級を何座登頂」という記録にはならなかったがそれでよかったと思っている。
 アルピニストが登ってはいけないお山があると、私は思っている・・というか、そういう気になれない山が現にある。
 そのような信仰のお山が昨日噴火したので、素直な感情として「お山が怒った!」と感じた次第。
 気象庁の課長は「予知は難しかった。」とテレビで言っていた。
 南九州の火山地帯近くの川内原発で九電等は「噴火は確実に予知できる。」と語っていた。
 テレビを見ながら心は重い。
 SNS時代と言おうか、臨場感一杯の動画や写真がネット上にあふれている。

2014年9月26日金曜日

部首のこと

 小学校の授業で「辞書の引き方」というのがあって、先生が「家に漢和辞典のある人は持ってきなさい。」と言ったときがあった。
 家で探してみると、あるにはあったが、昭和30年代の我が家の辞書はすべて旧仮名遣いのものだった。
  だから、「これからの時代に使える新仮名遣いの辞書が欲しい。」と私が言ったら、母親が大奮発をして了承してくれて、出版関係に勤めていた従兄の「兄ちゃん」に依頼をして購入してきてくれた。
 それが、三省堂の大明解漢和辞典で、A5版で厚さ6.4センチの本格的なものだった。
 しかし、小学生の私は「みんなが持ってる普通のコンパクトな辞書が欲しかった。」と不満顔であった。今から思うと何と贅沢なと思うが小学生はそう考えた。そういうものである。
 そして結局、この辞書は私の漢和辞典として今もお世話になっている。今は感謝している。
 後年、子供のためにコンパクトな角川『新字源』を買ったが私の主たる漢和辞典の座は『大明解』が占めていた。

 さて、・・・話の始まりは実につまらぬ些細なことだった。
 部首に関わる漢字パズルを解いていて、私のとりあえずの解答をこの辞書で確認してみると、ガタガタガタと私の答えが音を立てて崩れてしまったのである。「いったいこれは何だ!」
 「漢字は日本語である」を著した小駒勝美氏の文章で知ったのだが、私の持っている三省堂・長澤規矩也・大明解漢和辞典は、部首の分類と配列を大幅に変えた、その世界では‟有名な”超少数派の辞書だったのである。ということをこの歳になるまで全く知らなかった。(学生時代に気づけや!との声が聞こえるが。)(余談ながら、小学校のときに大きな影響を受けた教頭先生は「ひらがな主義者」であったため、純朴な教え子はどうも漢字は苦手なまま今日に至っている。)
 ということでこの辞典の前文のところを読むと、「従来の辞典は部首の‟意味”で分類していたが、漢字の読みや意味が解らないから辞書を引くのであって、それでははなはだ使いにくい。よって、基本的に冠や偏から引けるようにした。」と長澤規矩也氏が強い自信を込めて書いていた。
 確かに、パソコンの「手書き検索」に通じる便利で画期的な方法で一理も二理もあるが、千九百年前の『説文解字』に始まり、近くは清の時代の『康煕字典』に引き継がれてきた部首の概念を理解し難いものになっている・・と、小駒氏は指摘している。(説文解字の時代は甲骨文字等の研究がなかったため、中には誤りもあり白川静氏が批判している箇所も少なくないが、その基本的な理念は概ね定説となっている。)

 ・・・・・それ故、長澤規矩也・大明解は、具体的にいうと、大の部に配列されている。
 となると、白川静さんなら「の字は手足を広げて立つ人の形。・・人と犬を一緒にするな!」と目を剥いて怒っていただろうと推測する。故人なので推測だがきっとそうに違いない。絶対に間違いない。
 恥ずかしい話だが、この歳になるまで「漢和辞典なんてどれもこれもどっこいどっこい」と思っていた。
 当たり前だが、漢和辞典にも「舟を編む」の世界があったのだ。

 そんなあれこれを語りながら、「古本屋で白川さんの漢和辞典・字通を探しても、ほとんど安くなっていないので後ろ髪を引かれながら何時も帰っているのだ。」という話を妻に語ったら、「そんなに欲しいなら字通を買ってあげる。」とのお言葉を戴いた。漢字パズルに当選した以上の賞品である。
 しかし、いざ本格的な漢和辞典をもう一冊購入するとしたら、これは「一生モノ」のものである。
 そのため、各社の本格的な漢和辞典をこの際もう一度比較しようと思ったのだが、意外なことに書店にはなかなか揃っていない。近くの図書館もまた同じ。
 なので、国会図書館に行くとさすがここには取り揃えられていた。
 それを見て、これもこの歳になって初めて知ったのだが、ほとんどの漢和辞典は漢籍つまり中国語の古典を読むためを思って編集されているのだった(今頃何を言うておるのか。はい)。
 とすると、私が今後本格的に漢籍を紐解くこともないだろうから、2万円強の字通は正直に言って私にはもったいない。

新潮日本語漢字辞典
  というような検討の結果、小駒勝美氏が代表になって刊行された『新潮日本語漢字辞典』が一番私には利用価値があるように思われたのでこれをアマゾンで購入した。
 主たる理由は、秋桜のような和製熟語、団栗のような訓読熟語を拾い、用例を近代文学から拾っていて、かつ部首の分類と配列、つまり索引方法は従前を踏襲しているからである。
 さらには、解字の基本を『説文解字』依拠ではなく、白川静説に依っていることも嬉しい。
 パラパラと頁をめくった程度だが、非常に気に入っている。
 妻はよく私を「安物(やすもん)買いの銭失い」と嘲笑するのだが、これについてはそうは言わせない。
 本を一つ買っただけのことだが、非常に高揚感を味わっている。

2014年9月24日水曜日

あなた方、罪なき者ですか

  前回、論評抜きで東京新聞のコラムを貼付したが、ブログに貼付した以上少しはコメントが必要かと思い、コラムの原資料である週刊文春9月25日号を買い求めて、『池上彰のそこからですか!?連載180〔罪なき者、石を投げよ〕』を読んでみた。
 聖書の中の「罪なき者、石を投げよ」(顧みて貴方が罪なき者なら石を投げてもよいが・・の意)とのイエスの言葉を引いて、朝日非難の輪に加わっていた新聞社はみんな「石を投げる」ことができるのでしょうか。・・と書かれているから、常識的には讀賣と産経のことを指しているのだろう。
 かつて、ある新聞社の「記事審査報」に連載コラムを持っていたが、その新聞社の報道姿勢に注文をつけた途端、突然打ち切られたと書かれている。社名は書かれていないが朝日以外の大手新聞社だろう。というよりも、コラムのタイトルから推測すると何となく想像できる。
 さらに、広告拒否問題でも『「そんなに朝日のことを批判できるのかなあ」と思った週刊現代の関係者もいるのではないでしょうか』・・という氏の皮肉が、巨人軍の不祥事や渡辺恒雄会長への批判を書いた講談社の週刊現代を、讀賣が長期にわたって広告拒否したことを指していることは明らかだ。
 さらにさらに、氏の古巣NHKでは、ロッキード事件5年の特集で三木元総理のインタビューが放送直前にカットされる事件があり、それに抗議した政治部長も社会部長も次の人事で異動させられ、社会部デスクも地方に異動させられたことを指摘し、それに比べて少なくとも朝日の幹部は判断の誤りを認め謝罪していると書いている。
 そして、一連の批判記事の中に「売国」という文字のあることに驚き、それが戦前・戦中の問答無用の言論封殺の一環であったことをあげ、批判にも節度が必要だと述べている。
 加えて、朝日を批判して自社の新聞購読を勧誘するチラシが大量に配布されていることに触れ、これは正しい報道のためなのか、それとも商売のためなのかとも苦言を呈しているが、これは産経と讀賣の現実の姿を指している。
 私は以上の指摘は至極真っ当なものだと思う。
 蛇足ながら、私は朝日を含めてマスメディアの報道姿勢には多くの疑問を持っている。
 だから、朝日の紙面が常に正しいとも全く思っていない。
 しかし、讀賣や産経や少なくない週刊誌やテレビの朝日新聞批判は、一連の問答無用の政治の右旋回と軌を一にしているところが看過できないのでこの記事を書いた。
 週刊文春編集部の腹の底は知らないが、氏のコラムは、品位に欠ける毒々しい朝日攻撃キャンペーンの続きのように掲載されていて、「腹が立つけど拒否はできない」編集部の苦渋が感じられて可笑しかった。
 おまけを書けば、別のページに『新聞不信』というコラムに(諦)という署名の『朝日誤報、他山の石とせよ』という記事があり、韓国大統領の名誉棄損嫌疑を掛けられている産経ウェブサイトの記事が、「もとはと言えば裏取り取材もせずに韓国紙の報道や噂話を書いたことが原因だ。」と述べ、日経が北朝鮮が30人の生存者リストを提示したと報じて政府に事実無根と抗議を受けたことに音沙汰なしと指摘し、「批判のブーメランは必ず返ってくる。当面は産経と日経の両社が今後どう対応するか、興味津々だ。」と結んでいる。
 これも、その限りでは真っ当だと思う。が、週刊文春全体の中では「無花果の葉っぱ」のような気がしないでもなかった。ブーメランは週刊文春にも必ず返ってくる。
 まあ、私のような者が週刊文春を買ったのだから、池上コラムを掲載した分の元は取ったと大笑いをしているのだろうけど。

2014年9月22日月曜日

大勲位のご苦心

  国立国会図書館東京本館から、申し込んであった大勲位中曽根元首相の論文の載っている「終りなき海軍」という本の該当ページのコピーが送られてきた。
 フィリピン、インドネシア設営隊主計長、海軍主計大尉と氏の軍歴が印刷されているから、それらの時代のことだろう。
  「やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。」とわざわざ書くぐらいだから、特別の苦心があったに違いない。
 それでも、安倍首相は「だからどうした。騙したり人さらいのように強制的に女を集めるのに苦心したとは書いていない。だから証拠にならない。」と言うのだろうか。(原住民の女を襲ったのは100%兵隊個人の問題なのだろうか。)
 多くのいわゆる従軍慰安婦に性的奴隷状態を強制したことは日本の裁判所でも認定されている事実だが、このように司法の場や真面目な研究の中では問題にもされていない吉田証言を朝日新聞が誤報であったと認めたことにかこつけて、安倍首相らはあたかも慰安婦問題が存在しなかったがごとくスピーチしていることの方が意図的な「誤報」だろう。
 テレビで櫻井よしこ氏が「日本人がそんな酷いことをするはずがない。」と朝日新聞を攻撃しているが、そんな情緒的な主張はまともな議論の対象にもならないと思う。731部隊はどこの国の軍隊だったのだろう。

 なお、安倍首相らが「証拠がない。」と言うことについて一言言いたいが、私は家族史をまとめたいという気持ちから、私の父が働いていた終戦以前の松下飛行機(株)について知りたいと国立国会図書館に行き職員の方々に種々検索してもらったことがあったが、結論的には、「終戦以前の軍需産業の記録は全く残っていません。」というものだった。
 私が小学生の頃、父は終戦時に軍に関する文書や証拠を数日かけて燃やし続けたと語ったことがあるが、同じような軍関係の証拠隠滅作業は多くの方々がほうぼうで証言されている。
 そもそも、騙したり、直接的に強制して慰安婦にすることは当時の法律でも違法であった。その上に終戦時の証拠隠滅作業である。本来記録に残ることの方がおかしいので、そのことを知った上で「証拠がない。」と語ることは歴史に対して誠実でない。
 それでも隠滅を忘れた公文書が残っていたりして8件の判決でも非人道的な慰安婦制度が認定されているのである。

 安倍首相らは、朝日新聞の誤報が日本の評価を貶めたと主張しているが、アメリカやオランダをはじめ海外で従軍慰安婦問題が指弾されるようになったのは朝日新聞の吉田証言の誤報(1982年)から20数年も後のことである。
 海外の諸国で問題にされ始めたのは朝日新聞の報道ではなく、日本の少なくない政治家が河野談話を否定しようとしたり、戦犯を復権させようとしたり、歴史を改竄しようとしたことに端を発しているのは明らかではないか。
 海外に日本の評価を貶め、「国益を損ねて」いるのは安倍首相たちである。
 首相や大臣がネオナチやヘイトスピーチの面々と嬉々として写真に納まり意見交換をしている異常を看過してはならないと思う。
 日本国民が過去の戦争の事実を確認して反省することは自虐でもないし、日本の評価を貶めるものでもない。それどころか、そういう姿勢こそが海外での尊敬の対象になるのである。ドイツを見よ。
 私はこの時期に、多くの良識人がもっと素直に慰安婦問題を語ればいいと思う。
 マルティン・ニーメラー牧師の言葉ではないが、今日の状況を朝日新聞の不幸だなどと傍観していてはならないと強く思っている。


2014年9月20日土曜日

明日香風

 采女の袖吹きかへす明日香風 都を遠みいたづらに吹く(万葉集、巻の一、五十一)
 美しい采女の袖を吹き返していた明日香風。ここ藤原宮は飛鳥から離れてしまったので、今では明日香風も采女の袖をひるがえすこともなく、ただ空しく吹いているばかり。

 退職者会の秋のレクリエーション・大人の遠足の下見のために明日香を訪れた。
 記紀がこの国を秋津洲(あきつしま)と読んだことを納得させるように、トンボ(古名は秋津)が沢山飛んでいた。
 そういえば、赤とんぼもヤンマも、昔は普通の街中の道路をよく往復していた。そして、十字路にたむろしていたものだったが。
 トンボが減ったのはヤゴの住む池や溝に農薬が流れ込んだからだろうか、それとも、ヒステリックにトンボの餌となる蚊を駆除したからだろうか。
 その理由は知らないが、トンボの舞う明日香の風景は心を和ませてくれる。

 途中の小さなお店にレンタサイクルの夫婦のお客がいた。言葉からして東京か神奈川の人だった。さかんに、並べられている素朴な野菜や明日香の風景の素晴らしさを店の主人に語っているのが、聴くともなく聞こえていた。
 その後、その二人は、私たち夫婦が歩いている横を挨拶の言葉を残して追い抜いて行ったが、少し前方で道に迷ったようなそぶりを見せていた。
 追いついて、「どうしたんです。」と尋ねたら、「亀石が何処かわからないんです。」と困惑していたのにはこちらが困惑した。
 「先ほど貴方たちが大いに話し合っておられたお店が、亀石前のお店ですよ。」「お店のすぐ横に亀石がありますよ。」と教えると、その二人がきょとんとされた。
  「レンタサイクルなら簡単だから引き返しなさい。」と尻を叩いてあげた。
 あのご夫婦にとっては、亀石は自らの失敗談に色塗られて反って楽しい想い出になるだろう。

 そういえば、今は大の大人になっている長男が小さい頃、この亀石の上に乗って写真を撮った思い出が我々にもあるが、今は亀石のそばに「乗らないでください。」と立札が建っている。
 ある種の信仰というか賽ノ神の可能性が高いから、「乗らないでください。」の立札は妥当だろうが、我が夫婦にとってはクスッと笑える思い出である。時効、時効。

2014年9月18日木曜日

ダブルブッキング

 Ⅰ この間から俗に言うダブルブッキング、予定を重ねてしまうという失敗を重ねてしまった。
 以前から物忘れは自分で自覚しているから、できるだけ手帳に書き、さらにその上にカレンダーにも書くようにしているのにこのザマだ。
 17日はだいぶ以前から予定していた東大寺二月堂の盆踊りで、行燈のための孫の絵も奉納しておいたし、もちろん孫たちも楽しみにしていたし、1階のカレンダーにもきちんと書いておいた。
 ・・・・で日曜日、妻が「2階のカレンダーに17日3時から大阪で会合と書いてあるで」というので、びっくりした。確かに間違いない。
 急遽クルクルクルとよみがえってきた記憶では、「何時がよろしいか?」という話し合いの中で決まった日程で、「その日で結構です。」と確かに返答した記憶がある。
  そう言えば、1階にいる時には「17日は盆踊り・盆踊り」と何回も確認しておきながら、2階で予定を考える時には「17日は会合・会合」とこれも何回も確認をしていたわけで、妻に指摘されるまでそれに気付かなかったというのが不思議、というよりも、ことほど左様にボケているのを嫌というほど思い知らされた。
 会合の方は実務を伴うもので欠席すればみんなに迷惑がかかるので、結局、孫には「来年行こう」と謝った。
 庭の彼岸花は手帳も持たないのに季節を忘れず開花した。その律義さに脱帽して反省している。


Ⅱ 結果よし!とはこのことだろう。
 会合の方の主要メンバーが所要ありとのことで、予定していた心づもりよりも早く終了した。
 なので、孫の頭の中では一番祭らしい祭・・・らしい『二月堂十七夜盆踊り』に急遽ダブルヘッダーを敢行した。
 孫の夏ちゃんは誰に似たのか尻込みという言葉を知らない。
 櫓の真下で「それらしく」踊り、その無茶苦茶な手振りをみんなに「上手やねえ」とおだてていただいて、その上に綿菓子やかき氷やポップコーンをいっぱい食べて満足したようだ。
  奉納しておいた行燈は二月堂の裏に飾られていて、それを見つけて孫は大喜びをし、自分の作品が展示されるのは嬉しいに違いなく「来年は鹿の絵を描く。」と高らかに宣言していた。
 ダブルブッキングで迷惑を掛けた祖父ちゃんとしては、このようにすべて結果よし!でホッとしている。二月堂の観音さまに感謝!感謝!
 この盆踊り。嘘か本当か、関西で最後の納めの盆踊りだと言われている。

2014年9月16日火曜日

オニクロやタタミグループ

  オニクロの社長  「君をフリース販売限定ジョブ型正社員に採用する。」
 労働者A  「正社員やなんて、ありがとうございます。」
・・・・4か月ほど経って・・・
 オニクロの社長  「初夏も近いんで解雇する。」
 労働者A  「正社員やのになんででっか?」
 オニクロの社長 「雇用契約書には「フリース販売限定正社員」って書いてあるやろ。初夏も近うてフリースなんか売らへんから解雇やねん。」
 労働者B  「おまえも首になったんか。俺も梅田南口店限定ジョブ型正社員やってんけど、南口店が閉鎖されて梅田北口に移転した途端解雇されてん。」

 タタミグループ社長のタタミ  「今日から君を接客効率化調査企画担当副店長に採用する。調査のためには先ずは接客を経験してや。」
 労働者C  「ありがとうございます。でも、雇用契約書のナンバー5というのは何ですか。」
 タタミグループ社長のタタミ   「5番目の副店長いうことや。皿洗い担当の副店長は10人いるんや。」
 「正社員化って言うのんはええこっちゃ。これまで十数万円必要やった超勤手当が3万円の管理職手当で済むわ。」

・・・・というのは、大阪弁護士会主催の『労働の規制緩和は私たちになにをもたらすか』という市民集会で演じられた若手弁護士の寸劇のごく一部。
 なかなか達者なもので感心した。

 考えてみれば昭和22年5月3日に日本国憲法が施行され、同年9月1日に労働基準法が施行されたわけで、憲法は労基法の父であり母であるわけだ。
 その親が解釈で骨を抜かれようとしているわけだから、特区だとか『労働規制緩和』というものがどういうものかは火を見るよりも明らかだ。なるほど、戦後レジーム(戦後民主主義の枠組み)からの脱却だ。
 大企業が儲かれば、「おこぼれ」はそのうちに廻ってくる(トリクルダウン)。大企業が国際競争に勝つためには規制緩和や・・・、と言われ続けてきたが、小泉改革以降、ここ20年ほどの事実はそれらが全く成り立たない嘘であることを証明しているのに、いまだアベノミクスに期待する声は小さくない。ここが問題だ。
 大企業は多国籍企業になって、そういう意味では経済構造も大きく変化したのに、国民向けの『ウソ放送』だけは旧態依然のままで功を奏している。何ということだ。
 儲けは株主配当、経営者報酬、海外工場の設備投資と内部留保に廻され、雇用にも賃金にも貢献していないのは明々白々だ。(東京のサービス業で一部人手不足が生じているが、それも非正規のこと)
 労働者派遣法の改悪、有期雇用法制の改悪、ホワイトカラー・エグゼンプション、解雇規制緩和・・・、
 この方向では日本経済が崩壊すると私は思うのだが、それを額に皺を寄せて語るのでなく、軽やかな寸劇みたいに表現できないかと私もちょっと考えているところだ。
 このブログもまだまだ硬すぎるのかもと反省している。

2014年9月14日日曜日

仏果を得ず

  この4月に友人が、およそ10時間に及ぶ竹本住大夫引退公演『菅原伝授手習鑑』の通し狂言を国立文楽劇場まで行ってきたというのに比べると私は、何回か観に行った事があるという程度のど素人だが、ただ小さい時から「大人になって時間に余裕ができたら義太夫は是非習ってみたい」と思っていたという隠れ文楽ファンであった。・・・・が、結局果たせないまま今日に至っている。なんとも情けない。
 というように熱く文楽を語る気もないし語ることもできないが、『大阪の本屋と問屋が選んだほんまに読んでほしい本2014年度選定作』と銘打って、本屋の店頭に「三浦しおん著『仏果を得ず』と『あやつられ文楽鑑賞』」が並べられていたので条件反射のように購入した。
 気力が弱り、重い小説がしんどくなった身には、三浦しをんの小説は丁度よい。文句なく楽しい。
 さて、俳優の演技がツボにはまると、世間ではその俳優個人が悪人であったり軽薄であると誤解が広がる。
 歌手も、ほんの数時間前に悲恋の恋が終わったかのように聴衆の心を操る。
 さて文楽は、人形と三味線と義太夫語りで芝居が進むが、その多くの台本(床本)は江戸時代のもので、結構荒唐無稽である。だから、そういう複雑な舞台に聴衆の深い納得を得るためには、(文楽の)主人公の性格や考えをどう理解するかに(小説の)主人公健大夫は悩みかつ挑戦するのである。
 その過程を、現文楽の世界や作品である文楽と絡ませながら小説が展開される。
 三浦しをんは巧い。
 ガイドブックを読んで山に登った気になる・・釣りの本を読んで釣った気になるのが私の悪い癖だが、小説を読み終えた時には、自分が義太夫を語り終えて見台の床本を頭に戴いているような十分気分の良い心地になった。
 ただし、大阪弁から外れたら「こらっ!訛ってる」と怒られる文楽の世界で、「今頃は半七(はんしつ)つぁん」と振り仮名を打つのだけは止めにしてほしい。双葉社さん。
 「いまごろは、はんひっつぁん」で「どこでどうして」に流れるのであって、文字で読んでも「はんしつつぁん」では「文字が訛っている」。
 こんな振り仮名が世間に広められたなら、文楽に生きた諸先輩方が仏果を得ることもできないだろう。べんべんべんべんべん。

2014年9月12日金曜日

朝日と産経

  朝日が「吉田証言」の誤報を認めたことで、産経が要旨「それ見たことか、元従軍慰安婦の証言は全て嘘だったんだ、慰安婦は強制された者でなく自発的にやってきた娼婦だったんだ」と言っているが、私の知る限り産経の主張はおかしいと思う。

 比較的コンパクトにまとめられている吉見義明著『従軍慰安婦』(岩波新書384)で著者は、「ヒヤリングは、50年も前の出来事の回想なので、記憶違いがないとはいえない。実際、韓国人やフィリッピン人の元慰安婦の多くは、十分な学校教育を受ける機会がなかったこともあってか、証言内容が矛盾したり、年代などがあいまいだったりする。」と、研究者らしく困惑を正直に書いている。
 しかし、くりかえし聞くことによって当事者でなくては語り得ない事実関係が浮かびあがってきたとして、「吉田証言」などは採用せずに、信頼性の高いと判断される証言と、証拠隠滅を免れた公文書等から、多くの場合、強制的に連行され、強制的に使役されたことを、ある意味淡々と記録している。
 それらの諸事実は、日本の裁判所の8件の判決においても事実認定されている。

 私は働いていた頃、暴力団やエセ同和団体が仕事内容に横車を押してくる局面に立ち会ったが、問題の本質ではないところで言葉尻や揚げ足を取って、「謝れ!どうしてくれる!」と主張するのが彼らの常套手段であった。
 「吉田証言」などという、研究者の間では取り上げられてもいない枝葉末節の誤報問題を根拠に、従軍慰安婦問題をすべて虚報であるかのように主張するのは、私の経験したこととよく似た論理展開のように思っている。

 なお、吉見氏の著書には、産経新聞の中興の祖ともいうべき元社長鹿内信隆氏が著作の中で、「そのとき〔慰安所の開設時〕に、調弁(ものを現地調達する軍隊用語らしい)する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの‟待ち時間”が、将校は何分、下士官は何分、兵は何分・・・といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが「ピー屋設置要綱」というんで、これも経理学校で教わった。」と言っているとの引用があった。
 私は私の目で確かめたくて国立国会図書館関西館に行き、『いま明かす戦後秘史』の同部分を写真のとおりコピーしてきた。
 「語るに落ちる」というのはこういうことを言うのではなかろうか。

  「語るに落ちる」といえば、産経等は河野談話の河野元官房長官を国会招致すべきだと言っているが、その前に、『終わりなき海軍』という本の中で中曽根元首相が、「やがて、原住民の女を襲うもの・・も出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある」と書かれているらしいから、先ずは中曽根氏にその苦心のほどを国会で語ってもらったらよいだろう。
 この本、残念ながら国会図書館の東京本館にしかないので今のところ直接的には読んでいないが、何時でもコピーを依頼することができる。

 まるで土石流のような「嫌朝日」「慰安婦問題はなかった」キャンペーンの下で、世間(特に若い世代)には少し自信を無くする傾向があるようだが、私はこういう機会だからこそ、真実を学び、思うところを発信すべきだと思っている。現代史を語る絶好の機会でもあると思っている。

2014年9月10日水曜日

ウチナーンチュの話

  満月であり重陽であった何となくめでたい昨日、『沖縄と連帯する大阪の夕べ』に行ってきた。
 行く前から興味があったのは、元県議会議長、元自民党県連幹事長の仲里利信氏がどのような話をされるのだろうかということだった。
 登壇されたのは、予想に反して?飄々としたおじさんだった。
 しかし、力むことなく語られた沖縄戦の経験談、・・・真っ暗なガマの中で小さい妹たちが泣くので兵隊が母に毒入りの握り飯を渡したこと、・・・迷惑がかかるからと家族でガマを出て乞食のように逃げ回ったこと、・・・戦争中の米軍の(ええーっ)残飯で辛うじて生き延びたこと・・・などは、ノーモアヒロシマ、ノーモアナガサキに、ノーモアオキナワと重ねて記憶に残されねばならない現代史だと強く考えさせられた。

 氏は、米軍普天間基地の閉鎖・撤去、県内移設反対という公約を掲げて自民党の各選挙を闘い、石破幹事長と一緒に全県を歩いたりしたが、国会議員や知事の公約違反(辺野古容認)を批判したので自民党を除名されたということだ。
 ちょっと横道だが、こんな愛嬌のある(失礼)、魅力的な人物を相手側の中心に迎えていた沖縄の革新勢力も大変だったなあと変な感心をした。

 いま沖縄では、全41市町村の首長らが、保守、革新の垣根を乗り越えて・・・、
 1 オスプレイの配備を直ちに撤回すること。及び今年7月までに配備されるとしている12機の配備を中止すること。また嘉手納基地への特殊作戦用垂直離着陸輸送機CV22オスプレイの配備計画を直ちに撤回すること。
 2 米軍普天間基地を閉鎖・撤去し、県内移設を断念すること。
・・・・との『建白書』を内閣総理大臣安倍晋三氏あてに提出している。
 この建白書を守る立場を鮮明にして、11月16日投票の沖縄県知事選挙に現那覇市長の翁長雄志氏が保革を超えて推されている。

 登壇した全国革新懇代表世話人の山下よしきさん(日本共産党書記局長)は、「サンフランシスコ平和条約の下での沖縄には、制度上はアメリカの統治下を続けるか国連の信託統治になるかしかなかったが、祖国復帰運動はそんな制度の壁を打ち破って日本復帰を果たしたのだ」と、強調された。
 反戦地主弁護団弁護士の仲山忠克さんは、「知事選に勝利すれば、仲井真知事の辺野古埋め立て承認を撤回若しくは取り消しすることは法的に可能である」と付言された。
 聞いていて、歴史の転換点にいることをひしひしと感じた。
 その歴史の単なる傍観者ではいたくない。

山法師と揚羽蝶

  「災害列島」のコメントにも書いたが、「自然自体に善い自然も悪い自然もない」という言葉を此の頃噛みしめている。
 さて、大荒れの豪雨の後、いっぺんに秋空が現れた。
 そうすると、「そんな花がそこにあったん?」というようなところから秋の花が咲きだした。
 その変化が感動的だ。
 花ではないがヤマボウシの実も存在を主張し始めた。
 美味しい果物が豊富にあるから敢えて食べる必要もないが、ひょいと摘んで齧るとほの甘い。
 口中に香りが広がるというようなものではないが、いわば野趣が広がる。
 自然は人間に豊穣ももたらすが期待にそっぽを向いたり、ときには恐怖の対象となることを、この夏は嫌というほど思い知らされた。

 奈良県下の寺院、神社、天理教、立正佼成会等の方々が集まった『奈良県宗教者フォーラム』というのがあったが、盛んに一神教と対置させて、我が国の宗教の寛容性や、自然の奥に神仏を見る畏敬の念の今日的意義が強調されていた。
 一神教を切って捨てることもないと思うが、主旨には共感を覚えた。
 年寄りは自然と馴染んで生きるのがよさそうだと此の頃感じている。
 社会問題ばかりに目を向けていると心が痩せ衰えるような気がするのはどうしてだろうか。

 この頃、モンシロチョウはそれほどでもないのに、アゲハ蝶が非常に多い。異常に多い。
 小さい頃の思い出で言えば、蝶といえばモンシロチョウであり、アゲハが飛んできたら興奮して網を振り回したものだった。それがどうだ。
 ① 多くの人が庭にアゲハの喜ぶ柑橘類を植えたから? ② モンシロチョウの喜ぶキャベツ畑等の農薬のせい? ③ 温暖化?(モンシロチョウは温帯・亜寒帯、アゲハチョウは熱帯に主として棲息) ・・・夫婦で話し合ってみたが正解は解らない。
 金柑に小さな幼虫がいたが放っておいたら大きくなって飛んでいった(のだろう)。これが原因ではなさそうだし。

 先日来、デング熱騒動で代々木公園を封鎖して思いっきり殺虫剤を噴霧していた。
 あれで、蚊以外のどれほど多種多様な昆虫が殺されたことだろう。
 濃度によっては野鳥やコウモリにも被害が及ぶ。
 感染源を断つということは否定しないが、今後の対応については学際的な議論もほしいと思う。
 去年でもデング熱の患者は二百数十人発生していた。
 ペットのダニでは毎年死者も出ている。
 ほんとうに近頃のニュースの取捨選択は不思議である。
 さほどでないニュースが繰り返される裏側で、ほんとうに大切な報道が隠されてはいないだろうか。

2014年9月8日月曜日

小望月

日の入り前だというのに窓の外には名月が
  亡くなったイザナミの黄泉の国から逃げ帰ってきたイザナキが禊(みそぎ)をし、左目を洗ったときにアマテラスが、右目を洗ったときに月読(ツクヨミ)が、鼻を洗ったときにスサノオが誕生した。
 三種の神器はこの三貴子を体現しており、アマテラス―八咫鏡―伊勢の内宮、ツクヨミ―八尺瓊曲玉―宮中、スサノオ―草薙剣―熱田神宮・・となっている。
 ところが、上述のとおりの記紀神話中の重要課題に関連して、アマテラスとスサノオの大活躍は記紀のその後や風土記に縷々述べられながら、一人ツクヨミだけは「夜が支配する国を治めよ」とイザナキに命じられ天に送られたと記されているだけである。
 故にその謎を指摘する大著も少なくない。
 私は、戸矢学著『ツクヨミ、秘された神』という本を楽しく読んだ記憶がある。

 ところが、このようにツクヨミに冷淡な記紀神話が一方にありながら、平安貴族以降の日本人は太陰暦をベースに生活を飾り、月を眺めて日本最古の物語を作りだしたというのも更なる謎のひとつである。
 太陽暦絶対信奉の現代人の多くは月の満ち欠けに関心を忘れ記紀神話に先祖返りしたようだが、私はツクヨミ派・竹取派に属したいと思っている。
 蛇足ながら8月15日(もちろん陰暦)が仲秋の名月であるが、先人たちは名月の前後だって、十三夜(じゅうさんや)、小望月(こもちづき)、十五夜、十六夜(いざよい)、立待月(たちまちづき)、居待月(いまちづき)、寝待月(ねまちづき)、更待月(ふけまちづき)と楽しんだ。
 こうして、科学技術が発達した現代が、江戸以前の人びとに比べて豊かで幸せかどうかについて私はハテナと立ち止まって首をひねっている。
 

 7日、孫が来てくれるというので義母も呼んで仲秋の小望月のお月見をした。
 薄を飾り小芋を供え、関西風の月見団子をお供えした。

 だが孫に月の出までお団子を食べるなというのは酷になる。
 それならこうすればいいと妻が二階の窓からボールを吊り下げた。そして、私のお月見の開会宣言に合せて二階で妻がそのボールを静々と一階の窓の中間まで引き上げた。
 で、皆が納得した上で、「お月見終了!食べてよし!」と私が宣言してお団子は見る間に減っていった。
 夕食後、煌々と輝く小望月を眺めて小さな幸福感を噛みしめた。孫も名月の迫力に感じ入っていたようだった。

2014年9月7日日曜日

朝ドラを聴きながら

  朝食の1時間後に血圧を測る毎日なので、ちょうど7時台は静かにしていることが多く、新聞を読んでいる向こうのBS放送を聴くともなく聴いている。
 BSでは「カーネーション」の再放送に引き続いて「花子とアン」があるのだが、先日はどちらのドラマも戦時中の話だった。
 「カーネーション」では、戦地から廃人のように心を病んで帰ってきた勘助を、テレビの此方(視聴者)のみんなが「生々しい戦友の死のような余程ショックな目にあってああなってしもうたんやな」という暗黙の了解のもとに観ていたところに、後に勘助の母親が「戦争の加害の事実」をテレビで観て、「勘助がああなった原因はこれやったんやな」と述懐するシーンがあり、作者の思慮の深さに視聴者全員がサスペンスドラマ風に驚かされた。
 「ごちそうさん」では、悠太郎が専門家として「焼夷弾は消せないから逃げるよう」言った事から逮捕されたことで、当時は防空法というものがあって、焼夷弾の下でも火災現場から逃げることが罪であったこと、そのために被害者が極端に拡大したであろうことが世間でも話題になった。
 「花子とアン」は、蓮子の夫が和平交渉に努力したため憲兵隊に逮捕され、子供たちは国賊の子として虐めらて現在進行形である。先の場面ではドラマには珍しく、蓮子の「私は時代の波に平伏したりしないわ」「貴方の様に卑怯な生き方はしたくないの」という凛とした発言に、主人公の花子の方が肯定も反論も動揺もせず、ただ「さようなら」というものだった。う~む。
 朝ドラではないが先日の「歴史秘話ヒストリア」は「琉球王国」の歴史をしていて、武力を持たない平和な国が日本の沖縄県にまでなった(琉球処分等の)歴史を淡々と辿り、映像は米軍基地を俯瞰して終了していた。
 
 安倍首相がNHKの人事に無体な介入をし、NHKニュース等の報道姿勢が極端に与党べったりになっていることは明らかな事実である。
 だから、「NHKはけしからん」という広範な世論も起こっているが、先ほどからの話のとおり、NHKは・・というように十把一絡げに議論するのは良くないと私は思った。
 NHKの中でも、政治経済部局の上層で、強い者におもねようとする動きは顕著だが、他の部門などではジャーナリズムを守りたいとか、上質のドラマを作りたいという良心が確実にある。
 公務労働運動や行政民主化の運動を経験してきた身としても、十把一絡げに「行政なんて」「公務員は」と言われたのでは、ほんとうの連帯の広がりが進まないということは嫌というほど経験してきた。
 だから、安倍内閣のNHK介入やそれにおもねるNHK上層部の姿勢を批判すると同時に、頑張る職員やチームを応援する気持ちが大切なように思えて仕方がない。
 心あるNHK職員がんばれ!

2014年9月5日金曜日

奈良のエビフライ Ⅱ

  この記事は8月23日の記事の続きなので、初めての読者は先に8月23日の記事を読んでいただきたい。
 というほど大層な話ではない。
 奈良市内に所用があったついでに奈良公園を歩いてみた。
 8月23日の記事の時には「それらしい」ところを探索したがなかなか見つからなかった奈良のエビフライ。
 今回はええ加減に歩いたのだが、近鉄奈良駅から登大路を歩き始めたらすぐに見つかった。
 自動車がひっきりなしに走っている幹線道路で、県庁のまあ前である。人も間断なく通っている。
 その後も、県庁東の交差点近くでも、氷室神社のまあ前でも・・・・。
 言わば奈良公園のメーンストリートである。
 結局、松ぼっくり・・・松の木はこのあたりに多く、奥深いところにはあまりなかったのだが、これは意外だった。
 夜の奈良公園では、何も奥深いところを探索しなくても駅前一等地に彼らは来ていたのだ。
 「夜に出かけて写真を撮ってこい」とのコメントも思い出したが、風呂に入ってビールをキュー!という誘惑に負けて家路についた。
 拾って帰ったエビフライをおどけて盛り付けてみた。
 その後は、孫が来たときに見せてやろうと思って、ラップをして冷蔵庫に入れておいたら、妻がムササビのような顔をして呆れ果てていた。

2014年9月3日水曜日

縞瓜の糠漬けを自画自賛

  8月の大阪は21年ぶりに35度以上の猛暑日がゼロということで高齢者には幸いだったのだが、日照不足と大雨の影響で野菜の値段が高騰した。
 胡瓜は一時は1本90数円の値札がついていた。
 そこで、マリーアントワネットの気持ちになって「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と、瓜を糠漬けにすることにした・・・が、近くの超有名大型スーパーにはナント瓜類が全く置かれていない。
 ああ、こういう風に食材をコントロールされたきれいな街?ってほんとうに豊かな街なのだろうか??。少し寂しい気持ちになった。
 ありきたりの食材しか置かないスーパーが悪いのか、ありきたりの食材しか買わない消費者が悪いのか。公平に言えばどっちもどっちで悪循環になっているのだろう。
 とはいうものの! ここは名のある巨大スーパーが「日本の食文化と農業を支えるんだ」という気概をもって仕入れてほしいものである。
 我が家は、幸い少し離れたCOOPに瓜が時々出てくるので、そこでその都度手に入れた。
 その縞瓜は、おかず用の瓜で決して甘みはないが、真ん中の本来は捨てる種のところを掬って食べたら、メロンとまでは言わないけれどマッカウリの味が口の中に広がった。 
 糠漬けは胡瓜とまた違った味で胡瓜と遜色なく美味しい。いや古びた糠味噌では胡瓜は深漬けになりすぎるが、瓜はさっぱりとしていてそれ以上だ。・・・などと自画自賛している。
  世間は海外旅行で美味しいものを食べてきたのだろうが、我が家は胡瓜の代わりに縞瓜を手に入れて糠味噌を掻き回しながら喜んでいる。
 こういうのを自虐趣味というのかもしれない。

  2枚目の写真はネット上の『うり坊』の写真。
 そのうちに『縞瓜』なんか見たこともないという人が増えるだろうから、そうなったときには「なぜイノシシの子供が『うり坊』と言われるのか」、この国ではまったく解らなくなるだろう。絶対にそうなるに違いない。

2014年9月1日月曜日

コウモリ受難

 8月7日の記事で「コウモリは蚊などの害虫を食べてくれる益獣だ」と書いた私としては、「コウモリはエボラ出血熱ウィルスの自然宿主」だろうという昨今のニュースは気が重い。
 ただいろんな情報をよく読むとそれはアフリカのオオコウモリ科の食用コウモリのことのようでもあるし、厚労省も日本のコウモリについては何の注意も発していない。
 つまり、普通の生活の範囲内では日本のコウモリに心配はなく、これらのニュースによっていたずらに恐怖感が広がったり、駆除すべきだというようなヒステリーが高まらないことを願っている。
 事実、ホームセンターの一等地に「コウモリ忌避剤」が山のように盛り上げられていたのは、商売人の勘というか読みなのだろうが、少し嫌な感じがする。

 というように、陰ながら日本コウモリを応援する身としては何かしなければならないと考え、『まっちゃまち(松屋町)』の人形店を巡って「コウモリの可愛い人形はありませんか?」と尋ね歩いたが、どこでも「物好きな爺さんやな」という顔をされたうえで「残念ながらありません」とあしらわれた。(スリラー的なものはあるにはあった。)
 
  古来日本では縁起の良い動物とされ、七代目団十郎がコウモリの図柄を好んだので流行したこともあり、広く東洋では蝙蝠の字と発音が福に通じるとして大いに歓迎されていたにもかかわらず、・・・・・これをグローバル化というべきか、フランケンやドラキュラの相棒のイメージが拡大した結果が我が「まっちゃまち」のこの現状なのだろう。
 日本人はいつの間に西洋人になったのか。そうか、明治維新で魂はすでに脱亜入欧してたのだった。

 で、そんなことは諦めていた後日、スタジオ・ジブリのキャラクターグッズの店「どんぐり共和国」という店の前を通ったので尋ねてみたら、「指人形で良かったら」と写真のものを探し出してくれた。
 ただ、若い女性店員が「コウモリをお求めになる方はほんとうに珍しい」と笑いながら渡してくれたのは微妙だった。