2014年8月21日木曜日

軍隊の理不尽

  8月15日に終戦記念日に因んで「戦争の狂気」を書いてみたが、世間が戦争を振り返ることの多いこの時期に「軍隊の狂気」についても考えてみたい。
 よくテレビの中の芸能人などが「近頃の若者はなっとらん」「徴兵制で軍隊に入れたらええねん」というようなことを言う。
 そして実は、そんな発言の方がニュース解説よりも世間では影響が大きいので、あえて一文を書いてみる。

 8月15日の記事では、非常に常識人で気のよいお父さんやお祖父ちゃんが戦争法にも違反する虐殺や強姦に近いようなことをしたということを書いた。戦争とは、軍隊とはそういうものだと書いた。
 それを可能にしたものは命令と絶対服従の関係で、先にあげた芸能人の主張等もその種の体育会系の「規律のようなもの」をヨシとするものだろう。
 しかし、その記事でも触れたが、それは仲間内だけの「ルール」で仲間の外には全くそうでないところが一つの問題だ。
 よく電車の中で強豪と言われる学校の体育会系の部員が乗っていたりする。上級生のいる間は規律正しいが上級生が下りるや否や周りの乗客の迷惑も考えず横柄な態度に変わるというのを目撃することは日常茶飯事だ。
 その反対に床にバッグを敷き詰めて我物顔であったのが上級生が乗ってきた途端によい子に変身することもある。
 第二次世界大戦時の日本軍隊もそうだったのだろうと容易に想像がつく。

 第二の問題は、実はここが今回のメーンテーマだが、軍隊という「仲間内」のモラルも先の芸能人が言うような立派なものではなかったということだ。
 『員数合わせ』という言葉がある。一言でいえば軍隊内の泥棒であり、それを連鎖的に行い、最後の者が紛失した者として制裁を受けるのである。

 義母に、結婚後3日で入営した夫(義父)のことを聞くと、遠い記憶の彼方から、まるで自分が軍隊にいたかのようにこの員数合わせの話をする。「盗ってこなしゃあありませんねん」「なかったら死ぬほどどつかれますねん」というような話を繰り返す。
 実は、亡くなった私の義父は頭に馬鹿がつくほどの正直者で融通の利かない頑固者だった。
 例え話でなく、おつりが1円多かったと思うと500円出してもほんとうに返しに行く人だった。
 だから、軍隊内の理不尽な員数合わせの犠牲にどれほどあったかもしれないし、最終的には泣く泣く員数合わせをした(つまり盗んだ)かもしれない。
 いずれにしてもその理不尽がたまらなく、終戦後妻(義母)に繰り返し嘆いたのだろう。
 そこ(軍隊)には、チームワークもなければ、真実を解明しようとする科学的な姿勢も全く存在していなかったというのが真の姿だろう。
 ゲームの中で映画の中で頻繁に綺麗な戦争と殺し合いが繰り返されている。
 建国記念の日や終戦記念日に軍服をコスプレした若者が楽しそうに集っている。
 年寄りが「そんなことは解っているやろう」と口を閉ざしている間に、理不尽な軍隊がスポ根のチームにすり替わっていっている。
 語り部の次に『語り継ぎ部』が大切だと言われている。

2 件のコメント:

  1. 戦争の話をあまりしなかった父ですが一度だけ同様の話をしたことがありました。天皇陛下から戴いたものを失くしたとなれば制裁(暴力)の対象になるので盗られてはいけないと寝る時も肌身離さなかったといっていました。
    職場の先輩(将校だったが)も軍隊内の上下関係は現在の職場の関係のようなものではない全く人間らしさの欠片もない。あのような時代は二度とあってはならないと常日頃は穏やかな方が強くおっしゃられたことがありました。

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  2.  テレビ放送の初期、つまり「戦後」だった頃は「軍隊内の理不尽」がよくコメディーの題材にされていました。そのことは、「軍隊内の理不尽」が当時の「みんなの常識」だったことを意味しています。ところが世代も代り、そんな陳腐なテーマは映像に取り上げられなくなり、ゲーム感覚の美しい戦争、英雄的な戦争が幅をきかせていると思います。
     だから「語り継ぎ部」が大切になってきています。yukuriさんのブログに期待しております。

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