2014年8月15日金曜日

69年前の夏

大阪大空襲
  私自身は日本国民・戦後派第一期生で疎開先で生まれているから69年前の夏のことは実見していないが、大阪上本町にあった我が家は大阪大空襲で灰燼に帰している。戦後は道路の拡幅のために半ば強制的に土地を収用されている。
 それでも直接的な家族が生きていただけ幸せな方である。だから今日の私がいる。

 それから20年近く経ち就職したが、当時の職場には戦争体験者がごろごろいた。
 そして、実はことあるごとに職場で酒を飲んでいたのだが、不思議なことに彼らの口から悲惨な戦争体験はあんまり聞かれず、どちらかと言うと、満州で餃子の調理法を覚えたというような話は序の口で、捕虜を刺殺した話や慰安所を利用した話で盛り上がっていた。
 中国人の首を刎ねているような写真もそこかしこにあった。
 家族のいないその場の話はある意味真実で、つまり、戦争というものは普通の常識人や教養人さえも狂気に引きずり込んだんだと思う。職場の先輩たちはしごく普通の社会人だった。
 人道主義の信念でそれらを拒んだものは帰ってこれなかったんだろう。

 戦争をテレビゲーム感覚で理解し、「中国や韓国を懲らしめた方がよい」などと言っている人々は、そういう戦争のもつ狂気を解っていないような気がする。
 私の実父は松下飛行機の幹部社員であったから、敗戦時には軍に関する書類等を何日もかけて焼却隠滅したという。
 それでも自分の歴史が全てなくなるのが悲しいのか、『軍機密』というようなゴム印を入れた印箱が我が家にあって小さい私は玩具にしていた。

 だから、橋下大阪市長が「慰安婦を強制した証拠がない」というようなことを言ったときには、彼の歴史を見る不誠実さに開いた口が塞がらなかった。
 週刊誌の広告を見ると、近頃、右翼と言われる人々が、「韓国軍はベトナム参戦で酷い虐殺や強姦をしてきたではないか。そうしておいて日本軍の慰安婦問題だけを非難するのはけしからん。」というような主張をされているようだ。
 私は結論は別にして、虐殺や強姦は事実だと思う。そして、彼らもまた戦争に行く前は普通の市民だったのだと思う。戦争はそういう狂気の世界なのだ。
  日本軍でも、新兵の訓練は捕虜(でもない民間人)の刺殺で、そういうことを繰り返して人間性を忘れることで初めて陸上戦が可能になるのだろう。
 戦争は戦争ゲームではない。そのことは、アメリカのイラク帰還兵の精神病の多発に現れている(だからアメリカは日本の集団的自衛権容認を喜んでいる。)し、イラク帰還の自衛隊員の自殺率も異常な状況を示している。

 7月1日、安倍内閣は集団的自衛権の行使容認閣議決定を行った。
 その8月15日に、戦争の狂気について重ねて考え込んでみることも無意味ではないように思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿