2014年7月29日火曜日

二宮金次郎

  小学校の同窓会に、昔と現在の母校や郷土等に関する写真等を入れたファイルとそれを入れる封筒を持参した。
 封筒には小学校の図書室の前にあった二宮金次郎の石像を切手風にプリントして添付した。
 私が説明するまで「ほんとうの切手」だと信じている同窓生も多かった。・・ほとんどがそうだった。
 なお、金次郎像は平成の御代も母校の裏庭に建っている。
 
 金次郎は、小国民の教科書で大いに取り上げられ、貧困を社会問題ではなく「自身の気持ちの問題」にして忍耐と努力を教え込んだ第一級教材だった。
 本を見ていると、大東亜共栄圏の拡大に伴ってジャカルタの現地人学校に建立された写真もあった。
 ただ金次郎は可愛そうなことに、戦局悪化とともに銅像は鋳つぶされて砲弾にされ、戦後は皇国教育に利用された責任を問われ石像も多くは壊された。という中で残っている母校の石像は貴重である。
 歴史の証人として残され、近現代史の教材にされたらよい。
 この像は、私の小学生の時代から「本を読みながら歩いたら交通事故にあう」とからかったものだが、今は、ストレートに『歩きスマホ』を連想させるので非常によくないとして撤去する話も多い。
 しかし、そんな理由(「歩きスマホは止めましょう」キャンペーン)で撤去すべきだという主張も皮相だが、はいはいと撤去する学校や自治体も『事なかれ主義』だと思う。
 私の小学校生活は『窓際のトットちゃん』に似たものだった。
 何でもかんでも昔がよかったという気は毛頭ないが、金次郎のいない小学校も寂しいものだ。
 
 戦前の近現代史を学べば学ぶほど、戦時体制確立に果たした教育の役割は大きいと思うが、現代の教育と教員に対する管理統制はすでに「戦前」ではないかと心配する。
 長い時代を見つめてきた金次郎の石像も同意見だろう。

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