2014年1月30日木曜日

映画 小さいお家


  映画『小さいお家』についての素晴らしい感想文が、和道おっさんのブログ『今を仏教で生きる』に書かれていた。
  http://wadou.seesaa.net/article/386304029.html
  http://wadou.seesaa.net/article/386390906.html

  その感想文に触発されて、私の感想を呟く。
 先ず「小さな恋愛事件」について、
 第一に、映画の限りでは時子が板倉と不倫に至るまでの、平井夫婦の心の崩壊が判り辛かった。
 第二に、時子の女学校の同級生松岡がタキを慰め解説するまで、タキが時子を想っていたことが私には判らなかった。
 第三に、最後に板倉に抱きすくめられたときのタキの顔を見るまで、タキが板倉を想っていたことも判らなかった。
 その判り難さのすべてが戦前という時代にあったとも思えないから、私のように鈍感な者にも判るように描いてほしかったが、2時間程度のフィルムに収めるのは無理な注文だろうか。。
 つまり、タキが結局一度もお嫁に行かなかった深い悲しみというものが、深く重く伝わってはこなかった。

 しかしながら、『時代の描写』というのはこの上ないほど素晴らしかった。
 そして、全くもって現代人の代表たる甥の健史の「指摘」をあざ笑うように、「戦時」というものが静かに静かに「成長」していった事実の提起には大きな説得力があった。
 奇しくも、成人の日にこのブログで書いた「安岡章太郎:僕の昭和史Ⅰ」 
 http://yamashirokihachi.blogspot.jp/2014/01/blog-post_13.html で感じたとおりであった。
 山田洋次監督の訴えたかった主要なテーマがここにあったとは思わないが、結果的にはこの部分が出色の出来だった。
 そして、そういう事実を現代と重ね合わせて考えることが、とても大事ではないかと思いながら映画館を後にした。
 先に観ていた妻にそんなことを話すと、「女心がわかってないねえ」とため息をつかれた。 

 ※ 記事中のURLを反転させて右クリックで「表示」にすれば、そのブログが開きます。 

2014年1月29日水曜日

シベリアを思う

  寒い寒い日、一念発起して春日奥山から若草山頂上まで散歩をした。
 月日亭の前を抜けて歩く遊歩道だが、その昔はバスが走っていたという。
 今風の市民運動としての自然保護運動ではなかったが、主に知識人による春日山原生林の自然保護、環境保全運動の結果、現在はバイク以上通行禁止の遊歩道になっている。

 実母の老々介護以降、自分の不整脈もあり本当に運動をしなくなっていた体に喝を入れる気もあったが、その実は、ハイキングにもならないカメラをぶら下げてのぶらぶら散歩だった。
 
 遊歩道に入る前に、以前にはあった古い大木がきれいさっぱりなくなっていたのに驚いた。
 その昔は、アオバズクが子育てをしていた古木であるが、前の家の老夫婦に、以前に「枯れて倒れると何時家が潰されるかわからない」という話を聞いていたからやむを得ないかもしれない。
 で、今回も老夫婦に聞いたところ、伐採の時にムササビの巣があって、ムササビの子供たちだけがいたという。
 老夫婦は、朝晩はムササビ、リス、イノシシが家の周辺に現れるという。まさに原生林の入口である。
 ただ、知事はこの素晴らしい原生林のすぐ横(ほんとうに直ぐ横)の若草山南麓にモノレールを建設したいと言っている。一時的に建設工事を発注できたらそれでよいようだ。原発再稼働や文楽への補助金削減と同じで、経済の論理が文化の思想を蹂躙しているように思う。
 
 そこで本題だが、カメラをぶら下げてはいるものの、なかなか野鳥が現れない。
 イカルの声が時々するが姿が見えない。
 奈良公園、春日山に関する限り極端に環境破壊が進んだようには思えないから、冬鳥たちの故郷、シベリアの環境の劣化が急速なのだろうと想像する。
 いやいや、奈良公園のシルクロード館あたりも、若草山頂上付近も、結構工事のための工事が進んでいるから、ロシアだけのせいではないかも。
 ようやくシロハラが キョロン ケッケッ と鳴きながら挨拶に来てくれて、少しホッとした。

2014年1月27日月曜日

誕生日

  12月にお父さんの誕生日があったので孫の夏ちゃんのレパートリーに「ハピバースデーツーユー」が増えた。
 今月は私の誕生日なので、あちこちからお祝いのハガキをたくさんもらう。
 銀行からと「食べに来てください」とか「買いに来てください」というものばかりである。
 ポイントカードなどに書いたせいである。
 それ以上でも以下でもない。
 フェースブックの「00さんのお誕生日が近づきました」はあまりに嫌だから生年月日を非公開にした。

 妻が「プレゼントは何がいい」と聞いてきたが、私の生命力が弱っているのか、欲しいものが思い浮かばない。
 「何時も気に入って履いている靴が傷んできたから靴を買ってあげようか」と言ったが、それは先日、皮革用ボンドで完璧に補修した。
 冬のこの時期に欲しいものというと『寒肥』ぐらいしか思い浮かばない。
 で、結局、20ℓ 140円の発酵鶏糞と数百円の有機肥料が私に対するバースデープレゼントとなった。
 息子ファミリーも集まった席でその報告をすると、誰ひとり憐れむこともなく大笑いされただけだった。

 かつてブログに書いたが、全く紅葉がパッとしないレインボーメイプルをこの際思い切って伐採した。
 そのあとに、小さな『まゆみ』の若木を植えた。
 肥料は主にここに使用した。
 10年たったらどれくらいになるだろう。その実を食べに鳥たちがやってくるだろうか。そんな夢を見ると、このバースデープレゼントはまんざら捨てたものでない。というのは鶏糞爺さんの只の強がりだろうか。

2014年1月26日日曜日

若草山にモノレールはいりません

 
  若草山の山焼きの日、朝日新聞夕刊が若草山のモノレール構想を一面トップで大きく報じた。
 『減り続ける観光客に足を向けてもらう狙いで、地元商店主らは歓迎。だが一帯は世界遺産の緩衝地帯に指定されており、ユネスコの諮問機関「イコモス」の国内組織が強い懸念を表明。』と。
 私はこの煮え切らない記事に、朝日新聞の文化というか教養の程度を疑った。
 第一に、こんな人工物で古都奈良の観光客がほんとうに増えるはずがない。
 第二に、もし増えるにしても、人間としてしてはならないことがある。踏み越えてはならない線がある。
 申し訳ないが、推進する人々が、私には、札束のために原発を誘致した人々や、札束のために基地を誘致しようとした人々と重なって見える。
 事実、この種の「開発」による奈良の危機はこれまでも何回もあり、かつて東大寺別当(管長)であった上司海雲氏はその折、「阿保によし奈良は田舎(青丹よし奈良の都)」と喝破されていた。
 
 今般、若草山の自動車道路開設問題に関して、志賀直哉氏が昭和13年に毎日新聞に寄稿した「置手紙」という文を私は知った。
 一部だけ現代仮名遣いで抜粋したい。
 奈良公園から公園という称呼をとって、奈良神苑・・というような、何かいい名を考え他の市にある普通の公園からはっきりとこの公園を区別してしまうがいいと思った。・・・
 奈良に公園の称呼がふさわしくないというだけなら大した問題ではないが、奈良県庁の中に公園課というものがあって、奈良公園にいわゆる公園らしい施設をしたがる点が、時に非常に困ることが起こるのである。・・・
 昔、徳川桂昌院という人が自分の信仰から法隆寺金堂や大仏殿の建築に手入れをして、以前になかったものを付け加えた。そしてそれは総て美術的に見て失敗であるにかかわらず、悪く言いつつ、未だそれらを撤廃する事が出来ない。そういうものらしい。新しく何かを作る時は悔いを残さぬようよほど考えて貰いたい。悪かったらとればいいという風には行かぬものだ。
 この間、奈良県の観光課で出している雑誌に私はつぎのようなことを書いた。「とにかく、奈良は美しいところだ。自然が美しく、残っている建築も美しい。そういう二つが互いにとけあっている点は他に比をみないといって差し支えない。今の奈良は昔の都の一部分に過ぎないが、名画の残欠が美しいように美しい」
 実際、奈良には名画の残欠のような美しさがある。そして名画の残欠には残欠としての取り扱いがあるように、奈良に対してもこの心使いは是非必要だと私は考える。無闇な修繕、あるいは加筆はつつしまねばならぬ。・・・
 
 私たちは、どれだけ賢くなったというのだろう。
 

2014年1月25日土曜日

冬の鍋とくると

  私の当番の日というようなことではないのだが・・・、その日、私が夕食を担当することになったので、チラチラ舞い散る粉雪を眺めながらいろいろ考えたが、単純な頭は「冬の鍋となると牡丹鍋」と極めてシンプルな答えを導き出した。
 それで、「食べるのなら牡丹肉を差し入れするよ」と息子のお嫁さんにメールを入れると、「食べに行きます」と返って来たので、それならと一層準備に力が入った。
 「力が入った」といっても、買いに行く気持ちに力が入っただけで、野菜等の鍋そのものは極めて簡単な準備でしかない。

 で、「今日は何枚ぐらい毛皮が干されているかな」とワクワク想像しながら、車を、南山城は和束(わづか)の山中へ向けた。
 もちろん、目当てはイノブタではなく猟師の仕留めた天然イノシシである。(天然でないイノシシなどあるの?)

 目的地の店頭に干された毛皮はおびただしい数(写真の5倍以上)だった。よ~し。
 この毛皮、私は酒屋の「新酒が入りました」の杉玉のように、「シシが入荷しました」という看板のようなものだと思っていた。笠置の山腹の料理屋などでも表に干してあったし・・・。
  だから、そのように妻にも息子夫婦にも説明してきた。が、
 しかしこの毛皮、実は税込2,000円で販売しているらしい。
 そして説明では・・・・・、
  軽く干してある。
  加工はしていない。
  昔は長靴を作っていた。
  今はこれといった用途はない。
  山のダニ(タニコ)が付いているかもしれない。
  タニコに噛まれると3年間は痒い。 
  故に絶対に家の中では袋を開けるな。・・・・・ということだ。
 ちょっと魅力もあるが、最後の3項目にたじろいだ。

 「今日食べるのなら冷凍でない生肉がありますよ」と聞かされ、肉の塊を見ながら、「ここを600グラム」と美味しそうなところを指定して切ってもらった。生姜焼き用と豚カツ用の中間ぐらいのなかなかの厚さである。
 ついでに、冷凍された天然鹿肉の刺身も購入した。(天然でない鹿などあるの?)(*刺身は一旦冷凍したものが安全。)
 こうして、牡丹鍋はオーソドックスな味噌仕立てに、鹿肉のお刺身は生姜醤油でいただいた。
 シシ肉は、それこそ天然だから一頭一頭当たり外れが避けられないが、答えは『当たり』で、この厚さにして脂もあったし柔らかかった。
 だから、孫の夏ちゃんも美味しい美味しいと言って牡丹も鹿も食べてくれた。
 嘘かほんとか知らないが、店のチラシには「猪はマムシを食べているので寒い冬には体の芯から温まり精がつきます。」とあった。
 私には、そんな薀蓄よりもこの孫の「美味しい」の一言が一番の報酬である。
 妻は、娘が女友達の食事会で魚の目玉を食べてひかれたように、夏ちゃんがお爺ちゃん(の食の好み)に似るのが心配だ・心配だと言いながら、私と一緒に「イノシシさん美味しいねえ」「もっと食べ、もっと食べ」と孫に勧めていた。

2014年1月23日木曜日

disappointed

  行政の公用文には行政の公用文の世界があり、その使い方は一冊の本になっている。
 同じような公用文であるが、司法(裁判所関係)の世界は司法独特の世界を形づくっている。
 法令の読み方・その文字の使い方も分厚い本になっている。
 そういうセオリーを知らないで使うと、その世界では全く素人として相手にされない。
 同じように、外交文書には外交文書のセオリーがあることを、安倍首相の靖国公式参拝に間髪を入れず発せられた米国の声明文で再認識した。
 靖国参拝を推進してきた人々はその  disappointed(失望した)を「ちょっとがっかりした」という英語だと言ったりしているが、ニューヨーク在住のジャーナリスト北丸雄二氏によると、この種の「憂慮」「遺憾」「失望」等の英語は軽い方から、concern  regret  disappointed  で、disappoinnted  の上には  condemn  しかなく、それはレベルの異なる「非難する」というものだから、いわゆる同盟国の首相に disappointed  を使用した意味は重いと指摘している。的確な指摘だと思う。
 また、靖国神社を war shirine  (戦争神社)と英訳されていることも知ったが、これもある意味、世界の常識がそうであることに目から鱗であった。
 米国政府の言葉を借りて考え直すというのも情けなくはあるが、これまで「国内の国民感情に中韓がイチャモンをつけている」と言ったような風潮が大手を振っていたのが、彼らの好きなグローバル世界で全く受け入れられない特異な行動(参拝)であることが明らかになった。

  靖国神社は、戦前は陸海軍が所掌し、祭神の決定は軍が行い、祭祀料は陸軍省から出ていた。
 そういう意味では、伊勢や出雲等々各地の神社とも全く異質の軍の施設であった。
 それが戦後は、形式的には宗教法人になったが、施設を挙げて侵略戦争を美化、宣伝し、さらに、アジア各地の人々を殺害、蹂躙し、日本国民を兵隊として、空襲等被害者として死亡(多くの兵は餓死)させた戦争指揮者(A級戦犯)を合祀したのである。
 だから、外国からの批判の有無に関係なく、この神社と首相の公式参拝は、日本国民が「憲法違反だ」と、正面から批判しなければならない課題だと思う。
 「時期的にまずかった」とかというような「反省」では適切とは言えない。

 なお、戦争犠牲者と遺族にはいろんな信仰の方々もいることでもあるから、その慰霊の施設は、日本国憲法の理念のもとに、無宗教の施設として、千鳥ヶ淵墓苑を整備するなどの方法で整備するのが筋だろう。
 どうして、そんな理性的で常識的な提言がマスコミに登場しないのだろうか。
 いわゆる右翼タブーなのだろうか。
 そんなタブーが当然だとすれば、現代社会はすでに「戦前」だと私は思う。

2014年1月22日水曜日

リンゴ園の反射シート

   いつだったか、リンゴ農園で一面に銀色の反射シートを敷いているのがテレビで報じられていた。
 そうすると、色ムラのない真っ赤なリンゴができるらしい。
 それにヒントを得て、家のベランダに銀色のシートを少し敷いてみた。
 色ムラのない日焼けのためではない。
 省エネというような立派な考えというよりも、これで室内が少しでも暖かくなったら電気代が安くならないかというちっぽけな発想である。
 現実に、いくら大寒波だといっても、陽が射して風がなければ結構暖かいものである。

 それに、曇った日に比べて晴れた日、あるいは晴れ間など、つまり太陽光は抜群に気分を暖かくする。
 暗く曇ってその上に風の音でも聞こえれば、気温がそれほどでなかっても気分が震えてくる。
 だから、このシートで本当に室温が上がったかどうかはわからないが、気分的には相当上がった感じがする。

 妻は「何をバカなことを」と鼻で笑っているが私は気に入っている。
 ただ、霜の降りた早朝に洗濯物を干しに出ると滑りやすいので、真似をされる方はご注意願いたい。

2014年1月20日月曜日

よろしぅおあがり

  先日テレビで、痛みの方言(東北弁)をデータベースに編んでいる話が報じられていた。
 東日本大震災に派遣された医師が「どんな風に痛いですか?」と聞くと、「いかいか」とか「えがえが」とか「いずい」と答えられて判らなかったという。確かにそうだろう。
 年齢による「死語」もよく似たもので、私の実母が施設に入所していた時にスタッフの方々と話し合ったことがあるが、その時に、若いスタッフが最初の頃は「ごふじょうに行きたい」「はばかりに連れてって」という入所者の言葉が判らず困ったことがあったと話してくれた。これも判る。「高野山」と言われなかっただけましかもしれない。
 テレビが標準語というか共通語を全国に広めた功績?は大であるが、それでも地域に根差した言葉は生きている。

 テレビで吉本の若手芸人が、「よろしぅおあがり」という言葉を知っていると語っていた。
 若いながら立派なものである。
 ところが、彼らが言うには、「いただきます」という言葉に呼応して「よろしぅおあがり」と応えると言って、多くの知らない芸人に対して一部の知ってる派が「そやそや」と言っていた。
 私はええっと反応した。それはポチに対して餌を並べて「まて」「よし、おあがり」やないか。
 「よろしぅおあがり」は、「ごちそうさまでした」に対して「よろしぅおあがり」と応えるものやないか。
 それで驚いて辞書を調べたがこんな言葉はそもそも出てこない。で、ネットで調べてみると「いただきます」に応えるというものもあった。・・・・だが私は信じがたい。現にそういう意味で生きている方言の地域があればごめんなさい。
 我が家は断然「ごちそうさまでした」対応であるし、義母が泊った日などは「ごちそうさまでした」に対応して「よろしぅおあがり」は必ず繰り返す言葉である。
 東北の老人の話ではない。吉本の若手漫才師は上方落語ぐらい聞いて関西弁を正確に身に着けたらどうだろう。

 息子や娘がホストになって私たちが食事を戴くこともなくなったから判らないが、子供たちは自分の家で「ごちそうさまでした」「よろしぅおあがり」との言葉のキャッチボールを引き継いでいるだろうか。
 私たち夫婦がきちんと継承させたかどうかは自信がない。

2014年1月19日日曜日

嬉し悲しい花喰い鳥


ヒヨドリは大食漢で次々に蝋梅の花を食いちぎる

  ササン朝ペルシャに起源があるらしい吉祥文様・花喰い鳥。
 正倉院御物にいくつもあり、私の好きなデザインの一つである。
 だから、花喰い鳥のピンバッチを帽子に着けている。
 
 冬という季節は、一見したところ生命感が乏しく陰鬱に見えるが、野鳥観察にとっては樹の葉が落ちていたりして好ましい季節だし、庭を訪れてくれる鳥の種類もけっこう豊富である。
 日頃はあまり好きになれないヒヨドリも、水飲みにやって来た時は可愛いものである。
 それで、窓の内側から写真を撮ったのだが、食前酒のように喉を潤せたヒヨドリは、次はメーンディッシュとあいなった。
こうしていると可愛いのだが
  それが、この季節に貴重な蝋梅の花なのだから、その吉祥文様に通じる立居振舞いを喜ぶべきか、・・・なけなしの蝋梅の花の減るのを惜しむべきか・・・・・。
 そこは大人の対応で食べるに任せた。が、
 ならば花喰い鳥よ、吉祥文様に恥じない好い年をこの国にくわえてきてもらいたい。
 君の友人であろうヤンバルクイナ君のためにも。
 
漆背金銀平脱八角鏡にも花喰い鳥が

2014年1月18日土曜日

昨日の続き

  いわゆる脱原発派を名乗る人で「細川一本化」をおっしゃる方がおられますが、私はこの人(宇都宮健児)で好いと思います。


2014年1月17日金曜日

あれから何年

  今日は阪神淡路大震災から19年目の祈念の日である。
 自分が30歳の頃にその19年前というと遥か昔のように思ってしまっていたが、今この歳で振り返る大震災はついこの前のことである。
 この感覚は、冬の一刻と夏の一刻が異なった不定時法のようなものだろうか。
 さて、あの頃、私など多くの関西人は「関西には大きな地震はない」と信じていた。
 無知というものは恐ろしいものである。
 そしてその後、東日本大震災を私たちは経験した。
 なのに、今でもこの地球のプレートのせめぎあっている列島に原発を再稼働させようという人がいる。それはもう札束の前に思考停止しているとしか私には考えられないことだ。
 そういう最中に、脱原発をワンイシューにした都知事候補が現れた。
 そして、あれほど「19年前を忘れないでおこう」と呼びかけるマスメディアが、こと、この人のことになると20年前がなかったかのように不問にしている。
 未来のためにはいつまでも過去に拘っていてはいけないという、一般論としては私もその考えを全否定はしない。しかし私は首をかしげる。
 
  細川護熙氏の名前を見ると、私はどうしても小選挙区制のことが思い浮かぶ。
 普通には細川内閣の唯一の「実績」???と言われたりする。
 その小選挙区制を歴史が検証すれば、一言でいえば「民意と乖離した政治」を生んだということに尽きる。平たく言えば政治を腐敗させた元凶である。
 もっと言えば、各地の裁判所が断罪しているように、憲法違反の国会と内閣をつくったのだ。
 平成24年年末の衆議院選挙の比例区の自民党の得票率は27.62%。
 平成25年夏の参議院選挙の比例区の自民党の得票率は34.68%。
 それが今、絶対多数を占めて暴走している。
 「選挙区が狭くなると選挙にお金がかからなくなる。」は嘘だった。
 「政権交代によってチェックが効く。」も幻だった。
 連邦国家や合衆国でもないわが国で、「我が地の代表」もないものだし、そもそも、このように重要な政策が多い時代に、「我が地の代表」が比較第一党の一人の議員の意見に集約されていると考える方がおかしい。
 もう一度言うが、今日の我が国国民の生活の低下や政治の閉塞状況、もっと言えば「民意とは異なる戦争のできる国づくり」を招いた一番の責任は小選挙区制にありはしないか。

 ところで、もう一方の当事者であった、当時の自民党総裁河野洋平氏は「小選挙区制は大失敗だった。」と反省している。
 当時の隠れた当事者であったマスコミからも、例えば毎日新聞岸井成格元主筆は「小選挙区制は失敗だった。」と発言している。
 しかし私は、細川氏が同様に反省したという言葉を今日まで寡聞にして知らない。

 繰り返しになるが、先の堺市長選挙では共産党と真面目な保守の方々との共闘が実現した。その時共産党は裏方に徹していた。
 そして私は、そういう姿勢を心から支持をした。
 だが・・・・・、「脱原発」を言うのはよい。しかし、過去に誠実に向き合わない人を、日本の「中流」を崩壊させた小泉氏が担いでいる。マスコミは囃し立てるが、それを信じるほど私はお人好しではない。
 ワンフレーズやブームで終わった選挙の後の悲劇は十分に知っている。
 「郵政を民営化すれば全てがバラ色」という言葉に踊った結果が今日の状況ではないのか。
  小泉氏の北朝鮮訪問などは正当に評価するが、それはほんの一部だと思う。

 私は誠実で政策を整理している宇都宮健児氏が東京都知事に相応しいと信じている。
 どうしてこの国では政治家の人格を問題にしないのだろうかと不思議でもある。
 ワンイシュー選挙は非理性的であると思う。

2014年1月15日水曜日

寒風に抗して


  大寒波の日に、小正月には少し早いがBBQコンロを持ち出してお正月飾りのとんどを厳かに執り行った。
 橙だけを野鳥用に庭木に刺し、その外は綺麗に焚き上げた。
 ゴミに出すよりはるかに気持ちがいい。
 まさか野焼き禁止条例に違反してはいないだろうが???
 ついでに、コンロ(焚火)の上に土鍋を置いて、石焼芋も焼いた。完璧な出来栄えだった。
 さらに、「コンロ開き」というか「焼肉始め」を挙行した。

 世の中はどういうわけか、非合理な「常識」が流布されていて、BBQは夏の行事だとの誤解があるが、暖をとりながらのBBQはどちらかというと冬の行事だと私は考える。この時期だと蠅も蚊も来ない。快適である。
 しかし、秋に大きな木を伐ったから透け透けの庭であるので、道行くお方は「あっ、BBQしてはる。」と声に出すほど予想外という顔をして驚いていかれる。
 今年もこのようにご近所から変人扱いされそうだが構わないか。

 BBQのあと、孫と祖母ちゃんが凧上げに行った。
 凧の方に向かって走り回ったり、手を放したりと、祖母ちゃんは孫守に疲れたと報告があった。
 また、孫はよく似た年恰好の子を見ると喜んで、糸の絡まることなどもちろん考えずに、友達に近づいて走り回るらしい。
 だから絡まったわけではないが、寒風に気を良くして高々と上げたら糸が切れて飛んでいったという。
 お父さんが遠くの民家の屋根に引っかかっているのを見つけて回収できたと言っていた。
 正月早々に孫から電話がかかってきて、「爺ちゃん、カイト買って!」と頼まれた凧で、どこも売り切れで4軒目にようやく入手できたものだったから、なくしたら又探し回らなければならないところだった。よかった。といいながら、そうなれば手作りだなと半分喜んでいたのだが。

 ‟爺ばか日誌開き”になった。

2014年1月13日月曜日

安岡章太郎〔僕の昭和史Ⅰ〕

  書棚から引っ張り出して、安岡章太郎著「僕の昭和史Ⅰ」を読み返した。
 昭和20年に25歳だったという、最も多感な時代を『戦前』に暮らした先人に、「正直なところ戦争はどのようにやって来たのですか?」と問うてみたいと思ったからである。
 もちろん、その前提のような私の問題意識が今日の安倍政権の暴走にあることは言うまでもない。
 ただ、安岡章太郎の父は上級の軍人であったし、氏自身も大学浪人や学生として結構遊んでいたようでもあるから、東北地方などでは娘が売られていた時代の民衆史と言うよりは、ある種特権階級?の自叙伝と言えなくもないが、何よりも一級史料として教科書よりもリアリティーがあった。

 さて、私は先のような質問を、実は生前の実母に尋ねたことがある。実父は私が小学生の時に亡くなっている。
 わりあい聡明な実母であったが、戦時体制がどのように進行していったかというような問いには「判らない」としか回答はなかった。敗戦まで選挙権すらなかった普通の女性にそれを問うのは無理であった。
 ところで、予想外というか予想どおりというか、この本を読んでも実母とよく似た感じがした。
 つまり、教科書には「普通選挙法と治安維持法」「経済恐慌の推移」「満州事変」「日本改造法案」「2.26事件」「学問研究の弾圧」「国家総動員法」「帝国国策遂行要領」というような目次が並び、まっすぐな階段を上るようにファシズムがやってくるように見てしまいがちだが、氏の言葉を借りれば、「十五年戦争という言い方は戦後になって出来たもので、当時は誰もこんな戦争がこれから十五年間もつづくだろうとは夢にも思っていなかった。いや、僕自身の実感からいっても、シナ事変と大東亜戦争は一体のものと考えられるが、満州事変とシナ事変との間には、ほんの数年間にしろ平和なインターヴァルがあって、それを戦争とは呼べない気がするのだ。」という感覚だったのだろう。
 そして、関東大震災前後の共産主義者、労働組合幹部等への弾圧や虐殺以降、学者・研究者への弾圧、大政翼賛会発足等々の動きとはまるで無関係なように、氏は、「昭和の初めごろまでは自由な雰囲気があった。」と、東京の中流以上の家庭なのだろうが、そういう雰囲気であったと述べている。これもまた一面の歴史の事実だったのだろう。
 そして、「何年何月何日をもって」と言えないように、隣組の監視体制ができあがり、新体制運動や国民精神総動員体制が進み、興亜奉公日や大詔奉戴日がつくられ、いつの間にか「個性」だとか「自由」という言葉さえ大ぴらに言えない社会が生まれていたという。まるで三寒四温の気候のように、戦争戦争した時期と、平和になりそうな期待を抱いた時期が繰り返されながらそうなっていたという。

 ・・・というような話は聞き飽きた話であるが、ほんとうにその時代を生きてきた証人の自叙伝にはある種の説得力がある。
 
 もう一つ、新聞ラジオは戦況の嘘を流し続け、反対に、『百人斬り競争』を武勇伝として囃し立て、後年には、横浜港においてドイツ輸送艦が轟沈された時も、氏は慶應の日吉の学舎でドカーンという音を聞いて驚くのだが、翌日の新聞には一行も載っていなかったという。

 この本を読んで私は、ファシズムに向かう一つ一つの出来事は見方によっては些細なことのように見えるが、総合して「これはひどい」と感じた時には手遅れだという感を強くした。
 例えば、市電が宮城や明治神宮の前で一旦停止して全員が首を垂れるということも、それだけでは私たちの生き死ににかかわるようなことではないにしても・・・・・、
 だから、日の丸に首を垂れよということも、君が代を歌っているかどうか口元をチェックするということも、もちろん特定秘密保護法も、こういう歴史の鏡に照らして評価することが大切だろう。
 私はこの現代がある意味で『戦前』だとこのごろ強く感じている。
 些細な全体主義の足音にビクッとする臆病さが大切なような気がしている。

  なお、歴史は単純な繰り返しではない。
 安倍晋三や橋下徹の施策も彼らのキャラクターや単純な時代錯誤ではない。
 約めて言えば、多国籍企業とその集合体の参謀ともいえるシンクタンクや各パーツパーツの出先機関の戦略に操られているのだろう。それは巨大で綿密なものだ。
 私たちが彼らに操られないためには、多方面からの情報の入手とそれを整理できる知恵がいる。
 それらの問題意識は引き続き深めたい。

 ある世代の記憶を次の世代に引き継ぐ課題は、単純に「語り継げばよい」というほど簡単なものでない。
 前の世代が、言わば血と汗で築いてきた自由や民主主義も、生まれた時からそうであった世代に「先人の血と汗なのだ」と教科書的に教えようとしてもピンと来ないものだ。自分の身に照らしてみてほんとうにピンとくるのは難しい。
 だから、ピンと来ない世代がだらしないのではなく、ピンと来てほしい世代の工夫が大切なのだとつくづくと思う。
 成人の日にそんなことをいろいろ考えた。

2014年1月12日日曜日

四日市の事故に思う

 
  三菱マテリアル四日市工場で5名死亡、12名重軽傷という悲惨な労働災害が報じられた。
 労働災害防止に少しでも関心のある人々にとっては、時計が数十年遡ったような感覚があるだろう。
 報道の限りでは、振り返ってみれば・・十分な安全確認がないまま蓋を開けたというが、災害というものは・・振り返ってみればそんなことが多い。
 だから、「今後は作業手順を徹底します。」では済まないと思う。人はミスをするものなのだから。
 ミスをしても起こらない本質的な安全化が図らなければならないのだ。
 さらに報じられているところでは、同工場ではこれまで事故がたびたび起こっていたという。
 きっと、もっと小規模なヒヤリとしたりハットしたりした事案は多かったのではないだろうかと想像する。
 そういうヒヤリハット体験をしっかり汲み上げておればと反省している人も多いだろう。
 『重大事故の陰には29倍の軽度事故があり、300倍のニアミスが存在するものだ。』というのがハインリッヒの法則といわれるものである。
 世の中でリストラという言葉や減量経営、果ては非正規雇用という言葉がもてはやされる中で、少なくない企業で一見不採算部門に見えるような安全衛生部門の人減らしが顕著に進んだというのは誰もが実感している。
 そういう中で、分厚いマニュアル本と引き換えに災害防止の多くのノウハウが世代間で断絶していっている。
 同じことは、国や自治体の災害防止部門でも起こっている。
 繰り返して言うが、「手順を徹底します。」「チェックを徹底します。」では済まないのである。

2014年1月11日土曜日

発見!八坂の十日蛭子


  新春の『十日ゑびす』は、商売繁昌に特化して現世利益を保証する、いかにも関西的な行事だと言われている。
 正味の商売人だけでなく、・・・労働市場の中で働いて賃金を得ることも商売に似たようなものだと考えれば、要するに所得の安定、乃至その増額を願う関西人のニーズにマッチしているのだろう、関西各地の『十日ゑびす』は非常に賑やかなものである。
 というワンパターンの関西人を一括りにする言われ方にはちょっと引っかかるが、まあいいだろう。
 そんな関西人の一人である私も妻も、『十日ゑびす』が済まないとお正月が終わらないように思うクチなのだが、ところが此の頃は、あの今宮戎の大混雑がいささかしんどく感じられるようになってきた。
 なもので、ここ数年は、京都は祇園・宮川町の京都ゑびす神社に行ったりしている。(一昨年)
 京都ゑびす神社は今宮戎には遠く及ばないが、結構露店も出て、なかなか賑やかなものである。
 そして今年もその京都ゑびす神社に行ったのだが、確か八坂神社でも『十日ゑびす』があるはずだと思い、少し足を延ばして『十日ゑびす』のハシゴをしてみた。
 ここも同じ祇園で、それこそ目と鼻の先であるが、メジャーリーグと日本の二軍ぐらいの差があった。が、しかし結論から言うと、その人出は多からず少なからず、(どちらかというと寂しくはない程度に少なく)、まことに心地よいほどほどの賑やかさだった。
 入り口近くに「三社詣」の紙が用意されていて、願旨と氏名を書くようになっていたが、我が夫婦は知らずに何も書かずに持って回った。
 三社とは、祖神(おやがみ)スサノヲノミコト、祖神六世孫オオクニヌシ、オオクニヌシノミコトの御子神(みこがみ)蛭子(エビス)の三社で、それぞれ「三社詣の祈願の紙」に朱印を押印してくれる。
 その上に、大国主社では打出の小槌で、蛭子社では鈴で、一人ひとりにお祓いをしてくれるのだから、そのメジャーリーグ以上の丁寧さに非常に気分がよかった。八坂神社の蛭子社いいぞ。
 ただ、小さなお社だからこれでいいのかもしれないが、普通えべっさんは耳が遠いと言われていて社殿の裏などをドンドンと叩いて大声でお願いするという非常に人懐っこいしきたりがあるものだが、そういう設備はここにはなかったので、正面の柱をドンドンドンと叩いて名前を名乗って「よろしお願いします。」と声をかけてきた。
 なお、どういうわけか、何年か前に行った西宮にもこのしきたりがなかったので少しだけ残念だった。このドンドンドンはスキンシップのようで私は好きだ。八坂の蛭子っさんも叩くところをつくってほしい!
 そして、どちらが主目的やと誤解されそうだが、先斗(ぽんと)町で、といってもリーズナブルなお店で、食べて飲んで、福笹を掲げながら蛯子っさんよろしく千鳥足で帰ってきた。

2014年1月10日金曜日

かぐや姫の物語

 
  息子夫婦の知人がセル画の制作に参加しているというので、ジブリ作品・映画「かぐや姫の物語」を観に行ってきた。(興行に貢献しに・・)
 ジブリ作品は毎回キャッチコピーが有名だが、今回のキャッチコピーは「姫の犯した罪と罰」で、いささか物騒であった。
 そんなこともあり、竹取物語の原作を交えて「姫はいったいどういう罪を犯したのだ」というような論議が文章やネット上で盛り上がっているが、映画そのものの中ではあまり言及されていなかった。ぼんくらな私が感じ取れなかっただけかもしれないし、高畑勲監督が故意に伏せたのかもしれない。
 だから、私は判ったような顔をしてその議論に参加したいとも思わないし、それ以上に、その議論は所詮キャッチコピーの掌に乗せられているだけではないのかと冷めた目で見ている。
 そういうニュートラルな位置で観た感想を言えば、ストーリーはほゞ竹取物語そのもので、それを美しく心地よいアニメに仕上げてくれたものという感じを抱いた。
 だから、スリリングな展開もないし、凝った心理描写も感じなかった。
 つまるところ、あまりお説教臭くもなく、高畑勲風(というほど映画も見ていないので本当にそうだかはわからないが)というかジブリ風に、庶民目線で『生』を肯定しているように思え、そういう『人生賛歌』が、反って閉塞感漂う現代にあっては新鮮だったかもしれない。
 同時に、月からの迎えの使者は明らかに仏様であり、それに平等院に描かれたような天女たちであったから、沖縄のカチャーシーのような音楽には若干違和感も残ったが、月に帰っていく場面は『往生』を強く連想させ、明るい音楽にもかかわらず別れの悲しみが漂っていた。・・・なら、この世の人生は罰ではないはずだ。で、キャッチコピーは結局私には判らない。(地上で罪を犯して罰として月に召還されるなんていうことでは全くなさそうだし・・)
 巷に氾濫しているアニメ以下の凡作と思うかどうかは評価が分かれるだろう。
 私はシニア料金の映画としては十分満足した。
 古典を美しい現代詩に口語訳して提供してくれたのだと素直に評価したい。
 キャッチコピーには踊らされない方がよい。
 情報化社会は油断していると恐ろしい。

2014年1月8日水曜日

山雀遣(やまがらつかい)は誰だ

  ヤマガラはとても器用に芸をした。
 「した」という過去形なのは「釣瓶挙げ」や「鐘突き」「おみくじ引き」等の縁日でしていた芸が今では絶滅したらしいからで、私たちの年代がその最後の証人のようである。
 「おみくじ引き」なぞは、ヤマガラがお客さんの差し出す硬貨をくわえて模型の神社まではねて行き、賽銭箱に硬貨を入れて鈴を振ってお参りし、神社の扉を開けて中のおみくじをくわえて戻ってきて、おみくじの封をほどいてお客に渡すというもので、まさに名人芸だった。
 この芸をヤマガラに教えて縁日で商売をしていた者が山雀遣いだった。
 
  安倍自民党内閣が、NHK経営委員人事や会長人事に露骨に介入してからのNHKの「垂れ流し」報道は目を覆うばかりである。
 首相は、新聞や民放に対しても、わずか10日前にNHK解説委員、読売論説委員長、日テレ報道局長、時事通信解説委員、毎日専門編集委員、朝日政治部長らと会食したばかりなのに、靖国参拝の夜報道各社の政治部長らと会食。読売の渡辺恒雄主筆とは12月中に2度会食。産経の会長や社長とも会食。日経、テレ東など主催の懇談会にも足を運んでいる。
 このようにしてマスコミはヤマガラよろしく「世論」を誘導していると思うのは私だけではないだろう。
 こういう広報戦略の参謀がNTT本社広報部報道担当課長出身の世耕弘成氏で、電通等の民間広告会社を動員して、かつインターネット戦略も駆使して「思いどおり」に進めていることを隠しもしていない。
 ただ最大の弱点は、誘導したい政治の中身が「虚偽」「偽装」のかたまりだということで、秘密保護法にしても靖国参拝にしても、彼らの思うようには事は運んでいない。

  新しい年が始まったが、新年度予算案には前年度比21億円増65億円の官邸広報予算が計上されている。洪水のような広報戦略が展開されることだろう。
 冷静にこの時代を俯瞰すると、多くの面で戦前、戦中の様相を示している。
 ならば、あの時代の教訓から、権力や金力に影響を受けない媒体、赤旗の果たす役割は大きいと思っている。多くの方々にお勧めしたい。
 マスコミがヤマガラのあれこれの芸しか報じない中で、あらゆるタブーを恐れず山雀遣の策謀を解明している貴重な情報源だと思う。

 なお、メディアの問題について、北大中島岳志氏が1月3日のネット上で次のように指摘しているのが心に残った。
(前略)
■ポピュリスト
 安倍首相は極めてあざといポピュリスト(大衆迎合主義者)です。「世論」という言葉には本来、二つの意味があった。「パブリックオピニオン(公的な意見)」を輿論(よろん)、「ポピュラーセンチメント(大衆的な気分)」を世論(せろん)と呼び、区別してきた。安倍さんが依拠しようとしているのは明らかに大衆的気分、つまり世論の方です。
 いろいろな意見を聞きながら自分自身の葛藤を経て方向性を見いだすより、気分的なものに乗ってある層の支持を集めながら、独断的に物事を進めようとする。そういう独裁的な方向を、安倍さんは無自覚に歩んでいる。
■浮遊する個人
 これは日本政治に20年にわたって横たわってきた問題です。小泉純一郎元首相に始まり、橋下徹・大阪市長のブームもそうだし、繰り返しやってきた。
 社会が流動化し、底が抜け、みんなが大衆的な気分に偏って、社会的な中間的な立場・居場所がなくなり、特にテレビ的なポピュリズムに一体化していく。
 人間は本来、「トポス的な存在」です。トポスというのは「自分が生きていくための役割があると実感できる場所」です。トポスを失った大衆社会は、みんな自分の存在意義が分からず、人は大勢いるのに個々人は孤独だという問題を抱える。
 意味付けを失い、ただ個人として浮遊しているような社会は極めて熱狂的になりやすく、過去の経験知に学ばず、他の人が言うことには耳を傾けない。社会学者が言うところの「カーニバル化した社会」です。瞬間的熱狂、断片的熱狂が繰り返し表出し、そこに何らかのイデオロギーや思想は存在しない。
 だから、いま社会全体に右傾化が起きていると言われるが、それよりみんなで盛り上がれるネタで「祭り」が起きている状態に近い。保守にはこういう熱狂的社会に対する違和感が強くあるはずなのに、安倍さんはむしろ乗っかろうとする。だから彼は、ネットやフェイスブックをやって、誰かを攻撃したりしていますよね。
■大衆との対決
 メディアは時に、その大衆的な気分に対決する覚悟を持たなければならない。世論が中国との戦争を支持しているからといって、礼賛するかといったら違うわけでしょう。
 メディアは単に報道だけではなく、政治というアリーナの一つのプレーヤー。自分たちの意思と主体を持ち、政治はこうあるべきという公論の場をつくるべき。僕は客観的な報道なんて信用していない。何かを書くこととは、何かを書かないこと。「これは書きにくい」と思うことは有識者に言わせて、その有識者だってチョイスしているでしょう。
 そのことを踏まえ、いわゆる多数派である意見に違うんじゃないかと言う役割もある。マス(大衆)にすり寄ることがマスメディアではなく、マスの側が「気分」で間違いを犯しているのではないかと思ったら、それを指摘するのも大切な役割。われわれ政治学者と同じ。マスを恐れるな、迎合するな、すり寄るなということです。 
(後略)

 細部にいろいろ異論もある(私は安倍政治は自覚的に戦前型政治を指向していると思う。)が種々参考になる指摘だと思った。
 近頃、窓のすぐそばの乏しくなったエゴノキの実を食べに毎日ヤマガラが我が家にやってくる。
 山雀芸よろしく、実を足で掴んでコツコツ、コツコツと上手に割って食べている。
 コツコツ、コツコツという大きな音がすると、政治のあれこれも忘れて家の中にいても心が和む。

2014年1月5日日曜日

お節(せち)は直会(なおらい)

  年末の朝ドラのごちそうさんで、「お節は来る年へ願いを込めた料理」というキーワードが何度も繰り返されたが、その語り方では少々物足りないぞ!と私は思った。
 村祭りや神社の祭りが地域や氏族の祭りとすれば、お正月は各家庭単位で歳神・としがみ(歳徳神・としとくじん)さまを迎える祭りではないだろうか。
 とすると、お節の中心的なテーマは歳神さまとの神人共食であり、お下がり(直会)だと私は思う。(ということは私の発見ではなく多くの文献にも普通に載っている。)
 そういう神饌という土台の上に、いろんな縁起のよい理屈をつけてお膳を飾るのだと思う。
 だから、各家庭で一番のハレの祭りであるから、歳神さまへのお供え(神饌)という認識がもっと必要ではないかとつらつら考えた。
 ならば、お餅とお酒は当然として、この国の千数百年以前からの先人はどのような料理を超一級のごちそうと考え神にお供えしてきたのかと思案したところ、穀物や野菜その他の素材を除けば、それはおすしだ!と思い至った。(平城京の木簡にも書かれている。延喜式にも書かれている。)

  そう、古来から神饌の華はおすし、とくれば熟れずし、とくれば鮒ずしとここまで連想するのに時間はかからなかった。
 そうだ、お節料理に鮒ずしを加えよう。それこそが正しいお正月の行事食のトッピングである。
 そうして、我が家はこのお正月を迎えた。

 ちょっと脱線するが、椎名誠の「食えば食える図鑑」という本の中に「鮒ずしへの詫び状」という章がある。
 そこに、『ぼくが小説など書き出して間もない頃だった。京都に仕事に行ったら帰りにお土産を頂いた。ずしりと重いものであった。家に帰って風呂敷を開いて出てきたものが大量の鮒ずしであった。思えばわが人生における初めての鮒ずしとのご対面であった。しかし『延喜式』や『賦役令』のカケラも知らない関東のあんちゃんはその前でただもう呆然としてつぶやくだけであった。「これをいったいどうすりゃいいんだ。」・・・初めて嗅ぐ強烈な臭いのなかでしばしばあとずさるしか手だてはなく、結局それは捨てるしかなかった。』・・・・・と、あの椎名誠をして言わしめた鮒ずしを注文してから、私は子供のようにお正月が待ちどおしくなった。

 で、鮒ずしをお節のお膳に並べたが皆に大好評(娘だけは「嫌いやないけど」という程度)で、揃って延喜式の世界にタイムスリップした。やっぱりこの味は我が民族の味である。
 だが、この素晴らしい味と香りは文字では伝えられない。

 昨年も度々語ってきたが、今この国は猛烈な思想の一元化、中央集権化、同調圧力が進み、大勢と異なる意見への偏見と威圧が強まっている。
 そういう広義の『世間の常識』という枠の中(隅)で、鮒ずしは不当な評価を受けている。
 ゆえに、『体制の常識』に疑義を感じ自分自身の感覚で真理をつかみたい方々は、是非とも一切の既成概念を捨てて鮒ずしを味わっていただきたい。と、なぜか私の声は大きくなり、
 鮒ずしを忌避してファーストフードを食べていては対米従属を脱却できないのではないかと、正しいナショナリストになるのである。(えっ、どこかに論理の飛躍がありますか?)
 これも度々主張してきたが、鮒ずしは5回は食べてもらいたい。これは3回目ぐらいから徐々にその美味しさが判り始めるという遅効性の料理であり、5回を過ぎると虜になる。依存症に似ている。

 こうして我がお正月は神妙に『歳神さまと共食した』と言いたいところだが、孫が走り回り、義母が酔っ払って泣き上戸になり、ただただテレビに見るような馬鹿騒ぎのお正月の大宴会となってしまった。
 まあ、それでもいいか。 

2014年1月3日金曜日

わが初詣は

 
  私のブログを読んで「マメでんなあ」とおっしゃる方がおられるが、私は本来、出不精で怠け者である。
 だから、初詣の大混雑などは考えてみただけで億劫になるのだが、かと言ってあまりに静かな初詣も寂しく思うという我儘でもある。
 と言いながら・・・、今年はメジャー中のメジャーの伏見稲荷大社に行ってきた。
 稲荷山には磐座(いわくら)があり銅鏡なども出土していることから、元々は相当古い祭祀遺跡(神奈備)らしいが、日本書紀や山背国風土記によると、渡来の氏族中の大集団を形成した秦氏の氏神としてスタートしている。
 餅を弓の的にしたところ、『餅が白鳥となって飛んで山の峰にとまって稲が生じた』という。それで、稲の神様、穀霊というのだが、庶民は秦氏集団の繁栄にあやかりたかったのかもしれない。
 その後は、真言密教等の仏教とも習合し、江戸の町の形容に「伊勢屋、稲荷に犬の糞」と囃されるほど全国に広がった信仰らしい。
 要するに、天皇や貴族や軍人を祀ったものではない非常に庶民的な信仰と言えるかも。

 ・・・・という理由でこの神社を初詣に選んだと言いたいところだが、親しい友人ならそんなことでないことは既にお見通しだろう。

  実は、昨年1年を無事に過ごせた感謝と新年の祈念もないことはないのだが、本心は、ここはパアーッと雀の焼き鳥で明るく新年を切り開きたいと思ったのが本音。

 そして、計画どおりお店に入ったら隣の席に信楽から来たという男性・・・、メニューを見て悩みながら「雀って美味しいんでしょうか?」と私に尋ねてきたので、「稲荷は元々は稲作の神様だからコメを横取りする雀を正月から食べたら縁起がよろしい。」と答えたところ、「私は農家で有機栽培をしている。ええことを教えてもらった。」と喜んで我が夫婦同様雀を注文した。
 ところが、一口かじって「私はやっぱり雀より鶏(ニワトリ)のほうがよろしいわ」と率直な感想。あとは、自然環境や食の安全の話に話題は移り、「これも一期一会のようなもの」「どうかよい一年を」と言って分れた。・・・ほんわかと愉快な初詣になった。
 まあ、伏見の雀は稲荷参りの行事食。それを美味しいとか何とか言うのは筋違い。と言いながら私はビールのあてとして十分満足している。これは美味しい。
 それにしても、世の中は長いデフレであったはず。いやいや、インチキアベノミクスの人為的インフレ策のせいか、以前は一串に二羽ついていた雀が一羽になっていて600円とは高くなったものである。
 ただ、各お店を覗いてみると雀は非常に減っていて、今や伏見の名物はウズラの丸焼きになっている。
 ここにも時代の変化があった。

  そして、もう一つ、行く前から計画していたのだが、孫の土産のために稲荷煎餅の店に飛び込んだ。
 ・・が、思ったように大きな狐の煎餅がどの店にも置いてない。
 「昔もっと大きなお面の煎餅が絶対にあったはずやが、このごろは作ってまへんのか?」と手作り中の親父さんに尋ねると、
 ・・・「そういう人が時々おまんのやが、この大きさは100年間は変わっておまへん。みんな自分が小さかったときに顔と同じ大きさやったと言やはりまんねん。」と、〈自分の成長は判らんもんやねえ〉という、ズバリ的を射た返事を受けて大笑いをした。(しかし、今でも顔と同じぐらいの大きさやったはずやと私は首を捻っている。) 

 そして伏見と言えば伏見人形だが、これは伏見の土師部が作り始めた我が国最古の郷土玩具。だからか?結構値が張る。
 で、行く前から「伏見人形は衝動買いしない。」と妻に約束させられて行ったので、約束どおり冷やかしただけで帰ってきたが、見物だけでも楽しかった。
 
 平成26年元日、お稲荷さんには申し訳ないが、100%ミーハーの初詣を楽しんで堪能した。

2014年1月1日水曜日

いや重(し)け 吉事(よごと)

  (あらた)しき 年の始の 初春の
  今日(けふ)降る雪の いや重(し)け吉事(よごと)


  天平宝字3年元旦に因幡の守の大伴家持が詠んだ歌で、4500首余りの万葉集の巻末を飾った歌。
 また家持の残した最後の歌でもある。
  雪は豊年を約束する瑞祥。それゆえ元旦の雪はさらに吉兆。
 その雪がしきりに降っているように「好いことが重なり積もれよ!」という・・・言霊信仰に裏打ちされたような、よい年(=よいこと)を切に願う祈りの歌なのだろう。
 いや、それ以上に、大濱眞幸先生は、その程度のめでたさ(の認識)ではまだまだ不十分で、「天平宝字3年は(太陰暦的な)元旦にして(太陽暦的な)立春である『歳旦立春』であったから、並の正月(のめでたさ)ではなかった。」と述べておられる。(余談ながら歳旦立春には及ばないが、今日も元旦にして新月だということを一昨日お月さまを眺めて感慨深く知った。)
 ただ、史実からいうと、このときの家持は政争の渦に揉まれた落魄の身であったはずで、これについて犬養孝先生は「人間というものは苦しいときに苦しいことを言うとは限らない。かえって楽しかった日が回想されたのだろう。」と解説されている。う~ん解る解る。(苦しいときに苦しいと言えない ええかっこしいの昔人間には。)
  そして上野誠先生になると、この「よき年を祝福する歌」に基づいて、・・・乾杯のときに『いや重(し)け!』と発声するから、『吉事(よごと)!』と答えてほしい」と・・・。・・・上野先生らしい。
  そこで、好いことを真似る(学ぶ)に躊躇はない。
  平成26年元旦、我が家は 「いや重け!」 「吉事!」 で、向かう1年を寿ぐことにした。
  同時に、皆様に向かっても、「いや重け!、        
 「・・・・・・・!(ご唱和をよろしく)