2014年12月30日火曜日

午年の記憶

  2014年・平成26年・午年は、狭い狭い家族の世界の中だけでいえば誰にも大病もなく無事に暮れようとしている。(前年はそうではなかったから、今年のありがたさが身に染みる)
 そういう中、この年の記憶に留めておきたい事項を振り返ってみると、友人たちと発行しているミニコミ紙を5号発行できたことを自分なりに特筆しておきたい。
 B4・2頁建て、4頁建て、2頁建て、6頁建て、2頁建てで発行した・・・というよりも、編集等の実務は専ら友人が担ってくれたもので私は参画しただけだったが、平成24年に創刊してからほゞ四季報を維持している。
 自画自賛になるが、単発で素晴らしい記事を発信することは簡単だが、継続することはもっと困難で偉大だと思う。
 記事の内容的にはあくまでも「自分の言葉で」を貫いた。ここが大きな特徴でもあった。
 投稿してくれた友人たちにも感謝感謝である。
 
 湯川秀樹氏の言葉らしいが、全ての真理は始めは少数派であった。
 継続こそが力である。
 評論家はその稚拙さをあれこれ言うだろうが、そんなことはかまわない。
 〽ファイト!闘う君の唄を 闘わない奴らが笑うだろう(中島みゆき)だろうか。
 
 小泉政権の時代からワンフレーズで扇動する政治が顕著になった。
 政治家だけでなく、マスコミも同様というか、マスコミの方が率先してワンフレーズを多用しレッテルを貼ったりした。
 そしてワンフレーズは、少々下品な方が効果的になる。(これは大阪のマスコミと維新の相関関係を見るとよくわかる)
 だとすると対抗するリベラル派はツンとお高く留まっているのでなく、感性を研ぎ澄まして本質をえぐるキャッチコピーを考えねばならぬ。
 そしてより本質的には、ものごとを冷静に理性的に語るチャンネルを広げねばならぬ。
 そんな思いから1年を振り返って、このミニコミ紙(チャンネル)の継続できたことを記録にも記憶にも留めておきたいと思うのである。
  執筆に参加してくれた皆さん、読んでいただいた皆さんに感謝しつつ・・・・。午年 擱筆。

2014年12月27日土曜日

爽やかな不言実行

  大阪弁で『おっさ』と「お」にアクセントを置いてあと語尾を下げて発音すると、「おじさん」のことではなく「お坊さん、和尚さん」のことで、私は小さい頃からこの言い方に馴染んでいる。
 友人は、今は小さいがもともと由緒ある法華のお寺を再興し、そこのおっさんになっている。(法華系のお寺で「おっさん」の使用が正しいのかどうかは知らないが、彼が「馴染んだ言い方でええから」というので使っている)

  先日、彼のお寺に行き、玄関わきの法話などを貼りだす掲示板を見て私は感激した。
 というのも、そこには集団的自衛権の批判と、最後に沖縄知事選挙に赴いた菅原文太さんへの哀悼の言葉が掲示されていたからで、選挙期間中、ずーっと掲示していたらしい。
 不言実行というか、勇気と称えるべきか、ネットや酒席でさんざん与党の批判をするが、自分は何もしない評論家連に比べてなんと真摯な宗教者の姿だろうと私は頭を下げた。
 「よき思想も、これを行わなければ、よき夢と異ならない」エマーソン(エマーソンがどういう人かは詳しくは知らないが)

  私はこういう自主的な草の根の活動こそが民主主義の基であり、そういう力が合わさって山の動く日が来るのだと思う。
 選挙の終盤、共産党の街頭演説会に別掲のようなポスター(ポテッカーというらしい)を手作りして参加したが、残念ながらご同輩はいなかった。
 もっと、個性的で楽しい運動を自主的に創造するとよいのにと少し残念な気がしている。
 選挙後は、耳あたりのよい話しか聞こうとしないのも一部にあるが、どうかと思う。
 ものごとを多面的に語る魅力が大切ではないだろうか。

2014年12月25日木曜日

セント ニクラス

  メリークリスマス。
  24日はいうまでもなくクリスマスイブだった。
 老人ホームの家族会として、各部屋を鈴を鳴らしながら廻って、皆さんにクリスマスケーキをお配りした。
 もちろん、ただのクリスマスケーキではなく、絶対に喉に詰まらない特別仕様の美味しいケーキ。
 サンタクロースはいいとして、私のトナカイは認知できなかったり嫌がられたりしないかと心配したが、おおむねにこやかに歓迎してもらった。
 もちろん、きょとんとされたままの人も、無反応の人もいるにはいたが、なんとなく「めでたく楽しい」雰囲気だけは伝わったと思う。
 指についたクリームをなめて「美味しい」と叫んでくれたりして、こちらの方が心温まる思いがした。
 で、「終わり良ければ総て良し」・・まあまあ良い1年であったような気になった。

 サンタクロースは東ローマ帝国時代のトルコに実在した司教セントニクラスがモデルという説があり、彼は貧しい家庭の子どもたちに煙突から金貨を投げ入れたとか・・・。
 そういう穏やかな話題の一方で現実社会を見てみると、安倍内閣は多国籍大企業のために人為的に円安を無理やり推進し、バターや小麦粉、チョコレートの原料、アーモンド、砂糖が影響を受けた上に消費税も増税され、クリスマスケーキも値上げされているらしい。ケーキ屋さんも悲鳴を上げているとか。

  シャンパンタワーは滴り落ちてくるがほんとうの景気はトリクルダウンなど全くしてこない。
 それどころか、新聞は、選挙が終わった政府が早速「経済諮問会議」を開き「聖域なき社会保障削減」を決めたと報じていた。
 要は、社会保障は必要な自然増を抑えるだけでなく、現状の水準さえ切り込むという話で、事実、介護報酬の切り込みなど順々に既定事実かのように報じられている。
 ここ(老人ホーム)のスタッフも入所者も未来は厳しい。
  oh my God ! 悪魔に魂を売った罪深き人々に神の御裁きを!

2014年12月23日火曜日

朔旦冬至


  今年の12月22日は冬至であり新月だった。
 「だからどうした」と返されると困るが、太陽も月も一緒に生まれ変わるってすごいことではないかと一人で感動した。
 計算上は19年に一度起こる現象で、そのめでたさから朔旦冬至とよんで古くから宮中でも大いに行事が行われたらしい。
 超古代人の感覚になってみれば、この日は文句なしの大晦日で明日が正月だったと思う。
 寒さはこれからが本番とはいうものの、日脚が伸び、月が満ちていくのは初春を思わせる。
 文明というものが地球を分断したのであって、それ以前の地球人は、どこの地からも太陽と月を眺めて同じような感慨を持ったに違いない。
 だから、クリスマスも太陽に託された神の復活・再生を祝う「冬至頃の祭」だったに違いない。
 と、大上段に振りかぶって冬至を語っては見たものの、この間から体調が不良でこれといったことをする気にもなれなかったので、最低限の行事として柚子湯を沸かして夕食に南瓜を食べた。
 私は結構「芋蛸南瓜」が好きである。
 ちょうどテレビで「白ごはんに一番合わないおかずは何か?」というような番組を放送していたが、妻は「南瓜かなあ」と呟いた。南瓜は甘すぎるらしい。
 「今晩何にする?」との質問に私が「冬至は南瓜やろ」と答えたので無理をしてくれたらしい。


 追記:天文学的に朔旦冬至を解説している「見上げれば、空」というブログがあったので転記する。

『現代の暦法でも本当に19年ごとにおとずれるのでしょうか? 結論から言うと起こったり起こらなかったりします。(下の表の左が冬至、右が朔の日)
冬至
1957年12月22日12月21日
1976年12月22日12月21日
1995年12月22日12月22日朔旦冬至
2014年12月22日12月22日朔旦冬至
2033年12月21日12月22日
2052年12月21日12月21日朔旦冬至
2071年12月22日12月21日

 月の満ち欠け周期は平均29.53日程度であるため、12ヶ月は約354.367日となります。一方、1年は365.2422日程度であるため、12ヶ月あたり約10.875日足りなくなります。 そこで、だいたい2.7年に1回。ほぼ19年に7回。もっと正確に言うと334年に123回、1021年に376回……のペースで13ヶ月の年を作ると、数値上、帳尻があいます。 このため19年経つと、ほぼ同じタイミングで冬至や朔を迎えることとなり、朔旦冬至が繰り返されます。』
 このあと、もっと専門的な話が続くが、要するに、ほぼ19年ごとに朔旦冬至は起こるが、次の19年後には起こらず、その次の、つまり38年後に起こるらしいので、今回が私の人生最後の朔旦冬至だったということになる。「それがどうした」と言われると返事の言葉がないがそういうことである。

2014年12月21日日曜日

自分史のキューバ

  自分史としてキューバを振り返ってみると、1959(昭和34)年1月にキューバ革命が起こり、その3月ごろには小学館の「小学六年生」に挿絵の多く入ったルポのようなものが載り、「地球の裏側でこんなことが起こったんだ」と思った記憶がある。(3月ごろだとか雑誌が「小学六年生」だという記憶は間違っているかもしれない。)
 挿絵にはフィデル・カストロやチェ・ゲバラが英雄的に描かれていた。
 1962(昭和37)年10月にはケネディーVSフルシチョフのキューバ危機が起こり、少し年上の人々が「第三次世界大戦か!」と言っていたが、高度成長とともに成長過程にあった幼い高校1年生は、何の裏付けもなく「まさか戦争なんて起こるはずがない」と信じていた。
 私が人生について深く考え、社会や世界について考え始める前史・・つまりは子供の頃のことである。その子供が今や押しも押されもせぬ高齢者になっている。
 だからアメリカのキューバ封鎖の歴史がどれほど気が遠くなるほど長期間のものであったかということが実感される。
 そのアメリカとキューバが日本時間18日の同時刻に「国交正常化交渉を始める」と発表した。
 オバマ大統領は数か月のうちにハバナに大使館を設置するという。
 テレビでは薄っぺらなコメンテーターなる人々が、「両国の経済的利害によって実現した」というようなことを言っているが、中南米諸国全体の民族自決、反植民地主義、対等平等等の主張の前進が、アメリカの半世紀にわたるキューバ敵視政策を破綻させたものであることは明らかだ。
 中南米諸国は、米州サミットにキューバを排除するならもはや出席しないと表明する国も出ており、経済力には関係なく国民に依拠した政権の発言力の大きさを示している。それに比べると我が国歴代政権の軽さはほんとうに情けない。
 中東のテロリズムやロシアの覇権主義、各国に台頭するネオナチズムなど憂慮すべき課題は地球上に山積みにされているが、『それでも歴史は廻っていく』という感慨を深くしたニュースだ。
 ラム酒の入ったチョコレートを口に入れてこの記事を書いた。
 青春時代、キューバの新聞「グランマ」の論文を(日本語で)読んだことも思い出す。
 当時キューバの論文等は、「祖国か死か、われらは必ず勝利する」という言葉で必ず結ばれていて、ベトナム戦争の暗雲の時代に純粋な青年の心は踊った。

2014年12月19日金曜日

大寒波の一方

  数年に一度の大寒波をテレビが報じているが、その寒風をものともせず咲き始めた臘梅(ろうばい)は、寒さに委縮していた心を開放してくれる。
 蝋細工のような艶があるので蝋梅と普通は書かれるが、私は臘月に咲くから臘梅という字を採用している。(旧暦ならまだ10月ですが・・細かい話はなしにして#$%!)
 風のない日は香水にもされるほどの微かな芳香に心が和むが、正直に言えばヒヨやメジロなどの野鳥たちがさかんに花を食べたり千切ったりするので、そんなときは‟和まない心”で「シッシッ」と追っ払っている。
 近所ではサザンカやレンギョウもきれいだし、どういうわけかユキヤナギもポッポッと咲いているのが冬景色らしい味わいになっている。
 歳のせいか、近頃は寒風に立つ裸木もいいものだと思うようになっている。

 大寒波のおかげで家の前のケヤキの葉が95%は落ちてくれた。
 レレレ小父さんもあと少しで終了だ。
 皆さんのご近所ではどんな冬景色が生まれているのでしょう。

2014年12月17日水曜日

椎の実3粒


  近くの奈良大学の構内に椎(しい)の木があった・・と言って、妻が椎の実を3粒持って帰ってきた。マテバシイよりは小ぶりのスダジイの実だった。
 椎の実は古代人の好んだ食料だったから、・・古代史などが大得意な奈良大学であったから、・・それらを重ね合わせて推察するに、ほとんど拾われて食べられたのではないかと想像する。で、たった3粒だった。

  ものの本によると、椎の木の花は栗同様に臭いらしい。だから街路樹には向かないと読んだことがある。
 事実、旧住宅公団が開発したこの広い住宅地には様々な街路樹が植えられているが、椎の木は非常に少なく椎の実は拾ったことがなかった。
 3粒はそのまま煎って戴いた。
 美味しい美味しいナッツだった。
 去年はドングリグラッセを食べたり、ドングリ豆腐を食べたりしたが、それよりも格段に癖がなく美味しかった。もちろん、渋みも全くない。
 「お歳を召して丸くおなりになった」というのは誉め言葉とされているが、ちょっとはドングリみたいに癖のあるのも悪くはないはずだなどと椎の実を食べながら考えた。
 
 18日追記  そう遠くないマテバシイの木を見に行ってきたが、樹上にも木の下にも椎の実は落ちていなかった。
 ただ、そこの樹木のプレートには「スダジイやツブラジイよりは味が大味だが、待っているとそのうちに美味しくなるからマテバシイという」と書いてあった。初耳なので帰ってから調べてみたら、「葉の形がマテ貝(マテバ貝)に似ているから」「葉の形が中国の馬刀の刃に似ているから馬刀葉椎」と一緒に「待てば美味しくなるから」とも書いてもあった。「待てば美味しく・・」はこじつけだろうとの説明もあったが、昔の人は自然を深く観察し承知していたから、「この実は少し待った方が美味しい」というのは案外正解かもしれないと想像して楽しんでいる。

2014年12月15日月曜日

不思議なマスコミ

  昨夜のテレビもそうだったが、今朝の朝日新聞の大見出しも「自公大勝326議席」というものだったが、なんでそうなるの・・というのが率直な感想だ。
 公示前の議席数との増減を同じ朝日の紙面で見ると、共産+13、民主+11、公明+4、社民±0、維新-1、自民-3、生活-3、無所属-8、次世代-17で、素直に見れば世論は安倍政治を批判したと思うのは私だけだろうか。
 (追記:去年の参院選の比例代表5323万票と今回の比例代表5309万票を比べると、自民1847万→1766万へ減、公明757万→731万へ減、民主713万→978万へ増、共産515万→606万へ増。自公で119万の減。)

 そもそも、「今なら勝てる」と、相手選手が練習も始めていない段階で勝手にプレイボールを宣言してサーブを打ち込んだような選挙戦であった。だから朝日新聞も当初は「自民単独で300議席を超える勢い」と言っていたのだが、結果は290議席である。(追加公認を含まない)
 確かに与党に3分の2を許した、維新が予想外に減らなかった、・・ということはあるものの、そしてそれ自体は決して軽視はできないが、ここはやっぱり、強烈な安倍自民党の圧力で種々「自粛」し権力に迎合するマスコミは触れないことではあるが、今度の選挙の最大の特徴は、安倍政治への明確で強力な対決軸であった共産党の躍進だと私は思う。
 だから私は、議案提案権を獲得した共産党議員団、それに、近畿の清水ただしや東京の池内さおりのような個性的な共産党代議士(宮本岳志もけっこう個性的だが)の誕生を喜びたい。
 そして、応援していただいた皆さんにお礼を言いたい。
 言うまでもなく民主主義というものは議員にお任せして守り進歩するものではない。
 日々の多くの市民運動等々があってこそ議会内でも力が発揮できるものだ。
 そして、そういう運動に日々真摯に取り組み、前向きに生きている人々の姿を見て次の支持の輪が広がるのだと思う。肝に銘じたい。

 受験シーズン本番である。掲載した写真は「当選」のお守りだと思ってもらいたい。

2014年12月13日土曜日

手と足をもいだ丸太にしてかへし

  選挙期間中は政治や選挙に関するいろんな思いを綴ってきたが、本日の24時をもって投票を依頼するなどの公選法上の選挙活動が終了するので、締めの記事のテーマは何がいいだろうかと考えたが、選択に迷いは残るが「憲法、戦争と平和」にした。
 与党自民党は、選挙公約の中に憲法改正を「忍ばせている」が、メディアがほとんどこれに触れないまま選挙期間が終了しようとしているからである。
 自民党の憲法改正草案は自民党のホームページで見ることができるが、例えば憲法9条第2項(戦力不保持、国の交戦権はこれを認めない規定)は全面削除の上、「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものでない」としている。
 続けて、第9条の2を創設して、長大な「国防軍」の規定を盛り込んでいる。
 また、第三章の国民の権利には「公益及び公の秩序」が加えられ、治安維持法並みに結社の自由さえ制限しようとし、挙句は、第九章「緊急事態」を新設して、緊急事態=戒厳令を用意する周到さである。
 株価の変動に一喜一憂しながら棄権をしたり、「とりあえずは勝ちそうな自民党」に投票することは、この改憲案を承認することになる。
 数々の世論調査でも、この草案は世論の支持を得ていない。否、反対されている内容であるが、ある種無関心に乗じて、こんな企みが進行している。
 これを止める力が、共産党の躍進にしかないというのは論を待たないと思う。
 子や孫を戦死させたくない。戦争だけはしてはならないとお思いの方々は、明日の投票日には棄権をせず、是非とも共産党に投票してほしい。

 標題の川柳は、鶴 彬(つる あきら)昭和12年の作である。後に、小林多喜二のように検挙され、10か月後に獄死している。
 鶴彬には、このほかに「屍のゐないニュース映画で勇ましい」や「胎内の動きを知るころ骨がつき」というのもある。(田辺聖子著「川柳でんでん太鼓」)
 田辺聖子さんは、その本の中で、「民衆をおとなしくさせるには、テロの恐怖が最も手早いと、当時のファシズム国家は考えていたのである」とあり、「その酸鼻な拷問の状景は、・・・私が秋田実氏にうかがったところによると、もっと物凄いのがあったそうだ。(漫才作家の秋田氏は東大在学中に、思想関係で特高に「可愛がられた」人である。秋田氏の笑いが底ふかく暖いのも、そういう地獄の季節を経てこられたせいだったからかもしれない)女性容疑者には殆んど人倫にもとるような屈辱的な拷問も行われたようだ」と書いて、そういう中での鶴彬の作品であると紹介している。
 
 先日現役時代の先輩の皆さんと飲む機会があったが、K先輩がある書籍に戦後のあれこれを投稿したところ、「MPって何?」と尋ねられたと語っておられた。
 ある意味当然のことだろう。だとすると、鶴彬を引っ張った「特高」も死語かもしれないが、それが現代社会に自民党公約で蘇ろうとしている。


  ※ 冒頭の記述のとおり、明日14日は選挙活動ができませんので、コメントされる場合は、直接的に政党や候補者への投票を依頼したり、落選を依頼?したりするコメントは、14日、1日間はご遠慮ください。そのようなコメントと判断した場合は当方で削除しますがご了承ください。

鴨 長明の嘆き

  行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。
 方丈記というと、はかない無常感と解されたりするが、私は冷静な弁証法的世界観に通じているように思う。
 だから、伝へ聞く、いにしへの賢き御世には、憐れみをもちて国を治め給ふ。すなはち、殿に茅葺きても、軒をだにととのへず。煙の乏しきを見給ふ時は、限りある御調物をさへゆるされき。これ、民を恵み、世を助け給ふによりてなり。今の世のありさま、昔になぞらへて知りぬべし。も、一見、アナクロな夢想に思えるが、それは「奴隷の言葉」であって、当時の現政治・現為政者に対する告発文だと私は思う。
 それにしても、800年前の言葉の新鮮さというか、800年後の現代社会の後進性にため息が出るが、そこでこそ「行く河の・・・・」の弁証法的世界観が大事になってくる。
 
 さて、なぜ共産党はブラック企業を叱り、労働法制度の改悪に立ちはだかり、応能負担原則の税制や大企業の内部留保の活用をブレずに提案できるのかと考えてみると、それは、企業献金、団体献金や政党助成金を一切拒否しているからに他ならないことに行きつく。
 ここに手をつけない「身を切る」論は嘘であり、増税のための無花果の葉っぱに違いない。。 
 お金に綺麗でない者は、口先でいくらキレイゴトを言っても駄目だろう。
 その典型は「維新」であり、思い付きのような「改革」を安売りするが、維新の会(当時)の本部収入の7割は政党助成金なのだから官営政党といえる腐敗ぶりである。
 だから彼らが切るのは、国民の暮らし(身を切って増税する)であり、国民の民意(比例定数を切って死票だらけで非民主的な小選挙区の比重をあげる)である。そして、自公民もその点では五十歩百歩だと思っている。

 あれから800年。私たちは長明に笑われないような選択をしなければならないから、明日は、どんなに木枯らしが吹こうが投票所までは行かなければ・・・・・・・。
 
 自民党は選挙公約に、こっそりと憲法改正案を国会に提出し国民投票を実施し憲法改正を目指すと書き込んだ。しかしテレビ等ではほとんど伏せている。
 内容は、戦力不保持規定の削除、軍隊の創設、国民の国防義務、基本的人権の永久不可侵条項の削除等々々、明治憲法の亡霊を蘇らせる所業。
 こんなむちゃくちゃも、選挙が終わったら「国民の信を得た」と言うのだろう。
 今の世のありさま、昔になぞらへて知りぬべし。

風は理不尽

 我が家の裏は遊歩道で街路樹がケヤキだから、この頃は毎日イヴ・モンタンのシャンソンを歌いながらレレレ小父さんになっているが、それでも数時間後には「何処を掃いたの」という景色になっている。
 夜中に木枯らしが吹いた朝は「どんな風に風が吹いたのだろうか」とコワゴワ窓を開けると、ほとんどの場合、道路じゅうの枯葉が我が家の前に集中して堆積していて、風の理不尽に溜息をもらしている。
 我が家の前にはスイセンやオキザリス(ハナカタバミ)があって、それらが自然のクマデのように枯葉をキャッチしているからだ。
 で、卑しい心の奥底で「(どちらかというと率先して掃いているのに)(道路じゅうの枯葉が我が家1軒に集中するなんて)この理不尽に神も仏もないのか」と毒づいている。

  そういう卑しい心根から発想するのだが、日本人の古い信仰は、アニミズムだとか多神教だとかいろいろ理屈を言うよりも、「自然こそカミ・ホトケ(習合して)である」「カミつまり自然は偉大で人智を凌駕している」「カミつまり自然は恐怖や困難ももたらすし豊穣や安寧も運んで来てくれる」「それは基本的に理不尽である」というものではなかっただろうか。
 そして、今日なおその気分は我々の奥底に残っているのではないだろうか。
 いや、それとも、民族の奥底の信仰を忘れたが故に現代人は悩み、閉塞感に打ちひさがれているのだろうか。
 自分の一時の溜息から、そんな想像が広がった。そして、それは大きな間違いではないような気がしている。

 遠くフクシマや御嶽山のことを思い返してみても、我々はもっと自然を畏怖して生きなければならないように思う。
 原発しかり、軍事しかり、金融しかり、今の政治には、自然の摂理を侮った驕りがあるように思えてならない。
 「もっと自然と穏やかに共存していこう」という声に同意していただけるなら、総選挙の投票先は自ずと決まると思っているのだが、実際社会はそんなに単純ではない。やっぱりカミは理不尽でもある。

 この感想は、「風頼みの選挙はダメ」というような高尚な暗喩のつもりではない。 

2014年12月12日金曜日

くろ柿

  友人から「干し柿のお菓子だ」と言って写真のものをもらった。
 何処の名産品かと思ったが、手作りだというのでびっくりした。
 包み紙まで手作りだという。
 写真は作者のものを転載した。

 今日は義母の外出日であった。
 生駒谷の農家に生まれた義母であるから、お菓子などは買ったことがなかったそうで、四季折々の木の実がおやつだった。
 だから干し柿は懐かしい好物だったが、これはそれを京菓子にまで昇華させたものだったから、最初は何か判らないようだった。
 しかし、食べ終わってから「ああ おいし」と飛び切り大きな声を出したので、此方の方が嬉しくなった。
 そして何回も、「おいしかった」「おなか びっくりしとる」「大きな柿やった」と、何回も何回も言い、妻が「お父さんのお友達の手作りやねんで」と説明すると、「お礼言うといてくなはれな」と返事をしたから、余程気にいったのだろう。

 渋さ100%の渋柿が半乾燥するだけで劇的に変化する。その甘さは砂糖の1.5倍で、面白いことに甘柿を干してもこのように甘くはならないらしい。
 文献では弥生時代から作られていたというのだが、どうして確認できたのだろう。
 昔の人々にとっては素晴らしいお菓子だったに違いない。
 
 義母は、甘く美味しいだけでなく、遠い子供時代の味の思い出が体中を巡ったのだろう。
 満ち足りた表情で昼寝に入っていった。

これ、異常じゃないですか?

 元自民党幹事長であった野中広務氏や古賀誠氏が赤旗に登場してまで危機意識を持った自民党の変質を直視する必要があると思う。
 安倍晋三という人は、単なる二世三世議員というものでなく、国会への登場当初から、A級戦犯であった祖父の復権のことだろうが、つまり東京裁判の否定、国連による戦後秩序の否定を一貫して主張し行動してきたことを軽視してはならない。
 9日、最高裁は在特会のヘイトスピーチを禁止し1200万円の賠償を認めた一二審判決を確定させたが、先日は、この在特会と一緒に裁判を起こされている「保守速報」というネット上のヘイトサイトを安倍首相がシェア(安倍首相自身のフェースブックに再録)していたことも判明した。ネット上で在日朝鮮人の殺害予告までしていた「ヘイト(デマ)サイト」である。
 現在の自民党と内閣は、こういう安倍晋三氏たち「ネオナチ」に乗っ取られていることを直視しなければならない。欧米でいえば「ナチ党幹部の孫がナチは間違っていなかった」と言っているようなもので、到底市民権の得られない異端児である。
 だから、米国政府のスピーカーでもあるニューヨークタイムズは3日、「日本における歴史のごまかし」という社説を掲げ、第二次世界大戦関連の歴史をごまかそうとする安倍政権や右翼勢力の動きを強く批判したのだろう。
 かつては、自民党の国会議員や地方議員には少なからず地方の「旦那」のような人がいたが、そして今回の立候補者やその応援団の幹部にそういう人がまだいるかもしれないが、だからと言って投じた票は、結果としてネオナチに投じたことになるということを、心ある保守層の皆さんには考えてほしい。
 下の動画は、15日に秋葉原で行われた自民党の街頭演説会で、演説後に朝日等マスコミに向けられたコールである。「朝鮮人は帰れ」的なコールもある。この集団ヒステリーのようなものに支えられ、それを抑制しようともしない与党自民党にある種の怖さを感じるのは私だけだろうか。



2014年12月11日木曜日

馬には乗ってみよ人には添うてみよ

 
  昨日アップした浅井基文氏のコラムには感心した。
 そこで、こんなことわざが頭に浮かんだ。
 馬には乗ってみよ人には添うてみよ!
 そうだ、ちっぽけな先入観で深く考えようともしないで、それより実際に試してみては?というところだろうか。朝ドラなら「やってみなはれ」か。
 同時に、人の言う「言葉」でなく、直接付き合ってみて判断すれば?というニュアンスもありそうだ。
 そしてそれはそのとおりだと思う。
 そのためには、オールドコムニストもSNSなどの『拡散』に挑戦し、精神年齢でいえば成長期の人間集団だと思われる方がよい。
 それを頭から「苦手な世界」と毛嫌いして昔の経験に安住するなら、「添うては見たが、つまらぬ年寄り」にしか見えはしないか。(これは自分自身のことでもある)
 『拡散』の意味も言葉も知らない者がいる。(と嫌味を言ってもそういう方々は私のブログなど見ないから問題ない。エヘヘ)
 日本共産党『拡散』部は文句なしに面白い。
 他党のように大手広告代理店などに外注するのでなく、自前でこんなことをする人間集団てすごくないか。
 私はこんなんが大好きだ。
 まだの人は下のリンク先を反転させたうえでクリックしてムービーを笑ってもらいたい。・・馬には乗ってみよ人には添うてみよ! カクサ~ン

 http://jcp.or.jp/kakusan2/
 

時代の変化

  昨日の浅井氏ではないが、我が街の演説会でも保守系無所属の重鎮の方が共産党と選挙区候補「かみじょう亮一」の応援演説に立たれた。
 時代は音をたてて変化しているようだ。
 かみじょう亮一は阪大の院で放射線物理学を修めた28歳。将来が楽しみだ。
 近畿比例区4番目の男、堀内照文の肉声も聞いた。ほんとうに国会へ送りたい紳士と見た。
 10日は四条河原町で不破哲三氏84歳が入洛し、5千数百名の聴衆であったそうで、片や安倍氏も3箇所ほどで街頭演説をしたらしい。(不破さんの演説はhttps://www.youtube.com/watch?v=F8tSOL4XKIc で見ることができる)
 文句なく京都は自共対決になっている。いやいや日本全国で自共対決の様相が生まれているようだ。
 京都1区の穀田さんへ元民主党副代表の岩國哲人氏から激励メッセージが届いたという。

2014年12月10日水曜日

傾聴に値する

画像と本文とは直接的には関係がない
  元外交官、政治学者・浅井基文氏のWeb上のコラムを読んで感心した。抜粋するとこうだ。
 「近ごろのマス・メディア各社の世論調査の結果を見ていると、一見理解不能の現象が現れています。それは、安倍政権に対する支持は軒並み低下している一方で、今回の総選挙の結果に関しては自民党の一人勝ちを許す有権者の投票行動になりそうだというものです。
 …明らかなことは、安倍政権ひいては自公政治に対して主権者・国民が期待をつないでいるということではあり得ません。原因としては、主権者・国民が野党に対して「自民党以上に期待が持てない」と判断しているということ以外にありません。
 …しかし、本当にすべての野党がだらしなく、ダメなのでしょうか。そうではなく、主権者・国民が「野党は全部ダメだ」と考えてしまうところに本当の問題があるのではないのでしょうか。端的に言えば、民主党、維新、次世代、改革などは「目くそ鼻くそ」だとは私も思いますが、共産党は違うと思うのです。
 正直言って、私は共産党のすべての政策に同意し、納得しているわけではありません。
 …しかし、憲法をはじめとする内政問題の多くと平和・安全保障問題に関しては、共産党の主張・政策は説得力のある内容があります。
 …厳粛な事実は、圧倒的により多くの主権者・国民が「共産党及びその候補に投票する」という態度決定に踏み切れていない、もっと率直に言えば、そのような可能性は考慮の中に入っていないことです。
 その原因はもちろん共産党自身にもあると思います。
 …(が)それらの根底にあるのは歴史的にすり込まれてきた「アカ意識」であり、「既成事実という現実に弱い」私たちの国民性です。
 …私たち主権者・国民が今度の総選挙でまなじりを決した投票行動に踏み切ること、即ち大挙して共産党(比例)及びその候補(小選挙区)に日本の進路を託してみるという意思決定のみが保守政治の暴走をチェックできると確信します。
 共産党は信用できないという人も少なくありませんが、共産党が大躍進して主権者・国民の信託を裏切ることがあれば、その時は私たちが改めて共産党を懲らしめれば済むだけの話です。
 …自民党が目の色を変えるだけの共産党の大躍進が日本政治をこれ以上誤らせないためには不可欠です。」

 このコラムを読んで、メディアにも登場するいわゆる学者・評論家の皆さんが、政府を批判しても「だから共産党」とはなかなか言わない状況に対しても痛烈な批判になっていないかと強く思った。
 そして、メディアにもたびたび登場する氏の渾身の主張であり正論のように感じた。
 これは抜粋なので、氏の見解の全てを肯定するわけではないが、論旨は非常に的確な指摘だと思う。
 氏の想定されている「望ましい状況」の前夜であることは違いない気がする。
 全文は「浅井基文」で検索するとすぐに出てくる。

天皇制と憲法

  12月5日付けの朝日新聞は、「安倍首相は改憲の争点化を避けつつ着々と土台を固めている」と論じている。この指摘は正しいと思う。
 この総選挙を消費税引上げ時期の延長問題程度と考え、安易な投票や棄権を行えば、取り返しがつかないことになる。
 だからと言って、維新や次世代や民主がそれを阻止する力には到底ならないから、隠れた争点『改憲』とそれをめぐる『自共対決』をもう一度噛み締めたいと思う。
 樋口陽一東大名誉教授の講演骨子が11月29日付け朝日新聞奈良版に載っていたが、そこでは、「選挙で選ばれた権力者もルールを守らなければならないというのが立憲主義だ」「どんな権力も制限されなければならない。立憲主義と民主主義を両立できるかがデモクラシーの質を左右する」と論じ、「安倍内閣の集団的自衛権の閣議決定は立憲主義にも民主主義にも反している」と批判している。
 そして、「押し付けられた憲法」との意見について、「戦前の日本にも自由民権運動や大正デモクラシーの時代もあり、日本人に縁もゆかりもない民主主義を押し付けられたという考えの方こそ『自虐的』だと示された。

 この記事を読んだとき、私は昨年秋の美智子皇后の言葉を思い出した。
 平成25年10月20日の美智子皇后79歳の誕生日の「文書ご回答」である。該当部分を宮内庁HPから引用する。
 「5月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな議論が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした議論に触れながら、かつて、あきる野市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、204条が書かれており、地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。」

 恥ずかしながら、私はこれが報道された記事を読むまで五日市憲法草案を知らなかった。
 皇室の言葉を借りて論の権威を飾る気はないが、樋口先生の「押しつけ憲法論者こそ自虐的だ」との言葉の意味は重い。
 ちなみに、皇室のことに触れたので付言すると、日本共産党は現行天皇制を含めて現憲法を全面的に守るという立場である。
 国会の開会式に欠席しているのは天皇制を否定しているからでなく、現憲法と相いれない「国権の最高機関を天皇に従属させる」戦前のやり方をしているからで、事実、他の行事等では天皇と同席していることはいうまでもない。共産党が政府与党になっても憲法どおりの国事行為を天皇が行うのは当然で、その場合に共産党は同席もするし儀礼的な行事にも出席するだろう。
 こういうところからも、良心的な保守層と日本共産党との一点共闘が広がっているのだと思う。
 良識ある方々には上の文書を素直に読んで眼光紙背に徹していただきたい。
 天皇夫婦と宮内庁が一番嫌っているのは安倍首相だと私は理解した。

 なお、毎日新聞(Web)によると、「共産党の志位和夫委員長は8日、日本外国特派員協会の記者会見で、共産党が将来参加を目指す連立政権について、「天皇制の問題には手をつけない」と述べ、当面見直さない考えを示した。」と報じている。

  秘密保護法が今日施行された。
 何が秘密であるかも秘密だというものだ。
 後進国や戦前の体制と変わらない。
 今この国の民主主義を守りたいと願う方は総選挙で共産党に投票してほしい。

2014年12月9日火曜日

惜別 菅原文太さん


 正直に言って「仁義なき戦い」等は興味なかったが、晩年の菅原文太さん自身については共感を覚えるところが多かった。
 翁長知事候補の集会に駆け付けたこの動画は、彼のほんとうに最後の舞台だった。
 私たちも最後の最後まで頑張りたいものだ。
 勇気をもらった。
 

菅原文太さんのスピーチ 全文(2014111日)

 こんにちは。
 沖縄は、何度来ても気持ちがいいね。
 カートに乗って、楽をさしてもらったけど、80過ぎたんで、さっきの2人みたいに走れないよ。
  3 0
年前なら、あの倍くらいのスピードで走ったけどね。
 今日は、自分から立候補して、ピッチャー交代、知事交代、ということで押し掛けてきました。
 プロでない私が言うんだから、あてになるのかならないのかは分かりませんけど、政治の役割はふたつあります。
 ひとつは、国民を飢えさせないこと、安全な食べ物を食べさせること。
 もう一つは、これが最も大事です。絶対に戦争をしないこと!
 私が小学校の頃、戦国少年でした。小学校、なんでゲートルを巻いて、戦闘帽を被って、竹槍持たされたのか、今振り返ると、本当に笑止千万です。
 もう二度と、ああいう経験は子どもたちに、子どもたちだけじゃない、大学生も雨のなかを、大勢の将来大事な大学生が戦地へ運ばれて、半数が帰ってこなかった。
 今の政府と、本土の政府ですよ、仲井眞知事は、まさに戦争が起きること、戦争をすることを前提に、沖縄を考えていた。
 前知事は、今、最も危険な政権と手を結んだ。
 沖縄の人々を裏切り、公約を反故にして、辺野古を売り渡した。(そうだ!の声)
 古い映画だけど、『仁義なき戦い』に、その流れに言うと、『仁義なき戦い』の裏切り者の山守、覚えてらっしゃらない方もいるかな?(覚えてるよ!の声)
 憶えてるか。
 映画の最後で、「山守さん、弾はまだ残っとるがよ。一発残っとるがよ。」というセリフをぶつけた。
 その伝でいくと、「仲井眞さん、弾はまだ一発残っとるがよ。」 と、ぶつけてやりたい。
 沖縄の風土も、本土の風土も、海も山も空気も風も、すべて国家のものではありません。
 そこに住んでいる人たちのものです。辺野古もしかり!
 勝手に他国へ売り飛ばさないでくれ。
 まあそうは言っても、アメリカにも、良心厚い人々はいます。中国にもいる。韓国にもいる。その良心ある人々は、国が違え、同じ人間だ。
 みな、手を結び合おうよ。
 翁長さんは、きっと、そのことを、実行してくれると信じてる。
 今日来てるみなさんも、そのことを、肝に銘じて実行してください。
 それができない人は、沖縄から、日本から、去ってもらおう。
 はなはだ短いけど、終わり。

 ※  http://lite-ra.com/2014/12/post-684.html   に、マスコミの報道状況が報道されている。
左クリックでドラッグして反転させたうえで右クリックで出てきた「・・・に移動する」を選択。

沈みゆく大国アメリカ

  多くの日本人は、「東欧や中東の国のことはあまり詳しくは知らないがアメリカのことはだいたい知っている」という気持ちでいないだろうか。
 しかし、その「知ってるつもり」が、ほんとうは何重にも偏光眼鏡を通したイメージでしかないということはないだろうか。少なくとも私の場合はそうだった。

 アメリカ中間選挙の前に「沈みゆく大国アメリカ」の著者堤未果氏がテレビで、「結局どちらが勝利した方が日本にとってはいいのでしょうね」という司会者に、少し考えた後「共和党でしょうね」と答えた時には正直に言って私にはその真意が十分には判らなかった。
 「貧困大国アメリカ」シリーズなどでブッシュ共和党の政治を冷静かつ鋭くルポしていた著者のイメージが強かったためである。
 だが、この本を読んで解ったことは、著者の見解が変わったのでも何でもなく、変わったのはオバマの民主党でありアメリカ社会の構造だということだった。

 アメリカ版皆保険制度(オバマケア)は、日本の皆保険制度から見ると全く似て非なるものにゆがめられ、「チェンジ」に熱狂した庶民の感情は落胆に変わってしまっている。
 例えば、静かでリベラル色の濃いオレゴン州ですら、この州で発足した医療保険制度に請求したバーバラさんに届いた通知書は、「がん治療薬の支払いは却下されました。服用されるなら自費(ひと月$4000(¥4000ではない))でどうぞ。代わりにオレゴン州で合法化されている安楽死薬なら州の保険適用が可能です」というものであった。
 こういう話が、重箱の隅の例外的なことでなく、現代アメリカ合衆国の全地域で起こっていることをこの本は縷々ルポしている。
 命の沙汰も金次第の市場原理主義である。そして、その黒幕たちの次のターゲットが日本であることを事実を積み重ねてこの本は警告している。
 
 なお、日本国内で耳をすませば、TPPと歩調を併せながら、自公だけでなく、維新、みんな、次世代、そして民主の中の多くも同じ歌を歌っていることに背中が寒くなる。

 少し昔「労災保険の民営化」が問題になったことがあった。「自賠責保険にできて何故労災にできないか」「アメリカにできて何故日本でできないか」と騒ぎ立て、「規制緩和」「官から民へ」とマスコミも扇動した。
 あの時に阻止されていなかったら、日本の労災保険はオバマケアの大失敗と同じ運命になっていただろう。
 「医療や行政等々の社会的共通資本は市場的基準によって支配されてはならない」とは、先日他界された宇沢弘文氏の有名なテーゼである。
 堤未果著「沈みゆく大国アメリカ」(集英社新書720円+税)は騙されたと思ってでも購入して一読されるようお勧めする。ほんとうに著者の一連のアメリカレポートは奥が深い。どんな立派な新聞であっても、新聞だけでは私は物足りない。やっぱり書籍を読むことで頭の中が整理されていくような気がする。こんなん言うたらなんやけど。

  ※ 歳がいってからの体調のことを考えると、いつ何があるかわからいというのが実感です。同感だと思われるお方は「期日前投票」をしては如何でしょう。手続きはあっけないほど簡単です。
 今回の衆議院の比例選挙は政党名「日本共産党」と書く方法です。個人名は無効となるのでご注意ください。

2014年12月8日月曜日

12月8日

  昭和16年12月8日、ラジオは「大本営陸海軍部午前6時発表、帝国陸海軍部隊は、本8日未明、西太平洋において、米英軍と戦闘状態に入れり」と放送した。太平洋戦争の始まりであり、ヒロシマ、ナガサキ、オキナワ、の惨劇、アジア民衆の惨劇、餓死や病死の屍、空襲下の都市壊滅・・・等の始まりだった。
 ごく私的には、大阪市内にあった父母の家は丸焼けになったうえに戦後すぐに道路のために収用された。それでも、直接的な親に戦死・戦傷がなかっただけでも幸せな方だったかもしれない。

 秘密保護法を作ったり、集団的自衛権の名の下に憲法解釈を改悪する安倍首相が「抜いた」総選挙の真っ只中で、こういう歴史的事実を振り返ってみることも意味のないことでもないだろう。
 「選挙に行きますか? 戦争に行きますか?」というコピーにリアリティーが出てきている。
 写真の左は「家の光」昭和13年4月号、「『非常時河』にかけられた『増税橋』これもお国のためだ。足取しっかりと渡りませう。」という広告。
 現代は『福祉の非常時河』らしいが、どうもねえ。
 ちなみに、余裕のある層から負担してもらった税収で弱者を底上げするのが社会保障。
 庶民が負担する税収(消費税)で「社会保障」をしようとすれば、ただの保険。皆で痛みを分かち合おうということでしかない。
 社会保障のために消費税というのはその根本のところから間違った考えだろう。
 応能負担原則の税制に戻して社会保障を再建させたいものだ。
 なんやかんや言っても日本経済は20数年前よりも明らかに成長している。にもかかわらず税収が減っているのは消費税中心の税制に改悪してきたからだろう。
 「10%きっぱり中止!」の主張は無責任な主張でも何でもない。

雇用なくして活躍なし

  自民党の選挙公約には地方創生と合わせて「女性活躍」とあるが、正直に言って現状分析がないからこれは開運商法みたいなものだと思う。
 政治の土台は経済であるというような生半可な理屈を言うつもりはないが、そして雇用問題だけで女性の地位の向上が解決するわけではないが、日本における女性の地位の問題の多くは雇用の問題でもある。ここの解決なくして問題は本質的に解決しないと私は強く思っている。
 男性に対する女性の賃金は、デンマークが91.2%、フランスが85.9%、ドイツが83.5%に対して日本は統計にもよるが73.5%乃至72.6%となっている。
 なぜか。 マタニティーハラスメント等妊娠出産解雇と、再就職時の非正規雇用が原因だろう。
 いや、女性の場合は新規就職時から非正規雇用の割合が圧倒的に多い。
 毎月勤労統計調査平成26年度10月(速報)の事業所規模5人以上の月間給与額でいえば、一般労働者340,837円に対しパートタイム労働者94,359円で、家計補助的主婦労働でなければ、例えばシングルマザーが家計を担おうとすれば、その結果は悲惨なものとなっている。
 だからもちろん、労働者派遣法を改悪して「一時的臨時的業務に限る」とされていた原則さえ捨てようとする自民党が非正規雇用の正規雇用化を進めるはずもなく、だから女性活躍の自民党の選挙公約は開運商法みたいなものだと私は言うのである。
 ズバリ、女性の活躍を言うなら労働法制度の規制緩和など直ちにストップすべきだろう。

 私ごとになるが、労働者派遣法ができた時から「この法律は社会を悪くするに違いない」と思っていた。
 なぜなら、「労働者派遣は派遣元の指示に従って働くもので、派遣先は指揮命令をしない」という嘘が大前提になっていたからで、大嘘の上に組み立てられた法制度がよいものである筈がないと感じたからである。
 だからその後、いろんな経営者の方々とも話し合う機会があったが、私はその都度「派遣法は悪法だ」「この法律は勤労者のためにならない」と言い続けてきたが、変な言い方だが私の主張の正しさを歴史が証明したと思っている。

 今般の選挙ではあまりクローズアップされていないが、維新や自民のいう労働法制度の「岩盤規制打破」「規制緩和特区」などと言うものは労働者を人間と思わず、単なる労働力・商品として扱おうとするものである。
 自民や維新の開運商法に騙されると女性の地位はますます低下するだろう。
 でも、どちらかというと女性の方が開運商法に弱そうだが・・・・。どうだろう。
 といいながら、私も結構寺社のお守りなんかを買ったりして、妻からは軽蔑の眼光を射されている。

  ※ 歳がいってからの体調のことを考えると、いつ何があるかわからいというのが実感です。同感だと思われるお方は「期日前投票」をしては如何でしょう。手続きはあっけないほど簡単です。
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2014年12月7日日曜日

林真理子氏の驚き

  ネットの情報なので真相を確かめるべく(というほど大層なものではないが)本屋に行って立ち読みをした。短い文書なのであっという間に読み終えた。
 しかし、これで帰ったら「書籍派」の私としては気が引けるので、その週刊文春12月11日号を買って帰った。
 
 問題の文章は林真理子さんの「世の中って!」と題した一文である。抜粋するとこうである。
 「このまま知らん顔していようかと思ったが、やはり書かずにはいられない」との書き出しで、百田直樹著「殉愛」が発売当日TBS「金スマ」で2時間再現の大プロモーションのおかげもあって大ベストセラーになったが、その発売2日後、この(やしきたかじんの)献身妻が実はイタリア人と結婚していて重婚の疑いがあるという話がネットで大騒ぎになっていた。また、この本はやしきたかじんの長女が「名誉を傷つけられた」と提訴し出版差し止めを要求した。・・・・で、ここからが核心だが、「こういうとるに足らない、すごくくだらない、だけどものすごく面白いことを記事にしてくれるのが週刊誌でしょう」と述べたうえで、『テレビも週刊誌も全く報道しない。私はこのことにものすごい不気味さを感じるものである。この言論統制は何なんだ!』と続け、「意地悪が売りものの週刊新潮(百田の連載が終わったばかり)も、近いうちに百田の連載が始まるらしい週刊文春も、講談社が版元の週刊現代も、ポストも、こういうネタが大好きな女性週刊誌もなぜか全く無視。大きな力が働いているのかと思う異様さだ」・・「私は全週刊誌に言いたい。もうジャーナリズムなんて名乗らない方がいい。自分のところにとって都合の悪いことは徹底的に知らんぷりを決め込むなんて、誰が朝日新聞のことを叩けるであろうか」と章を閉じている。

 いうまでもなく百田直樹はヒット作家であるが、同時に安倍晋三のお友達でNHKにも送り込まれた人物である。
 この一文は、現在のマスコミやジャーナリズムの本質をついていると思う。
 つまり、我々が通常知り得る情報というのは大きな大きな体制の力によって大きく制約され歪められているということだ。
 「そんなことはない。私は冷静に情報を知っている」という人は、お釈迦様の掌の中を世界中だと思っていた孫悟空と変わらないだろう。

 自民党の圧勝が報じられる総選挙の終盤である。
 安倍首相は「戦後レジームからの脱却」だとか言って、言論統制で構築した戦時体制への復帰を進めている。
 話のイントロはくだらない、とるに足らないテーマだったが、林真理子さんの指摘していることの意味は大きい。

封をしたい

  私が半生記を振り返ってみて、一番の反省点はフクシマ以前に原発反対の行動を積極的には行ってこなかったことである。
 私個人としては、結構古くから原子力の平和利用の問題や危険な側面について書籍を読んだりしてきたが、それも、正直に言えば、フクシマ以後に書架を当ってみて、おかしな言い方だが「ああ、私なりに若い頃から結構問題意識を持っていたのだなあ」と感心したというのが実情である。おかしな言い方だが。
 さてその原発だが、結論を言えばそこに群がる利権構造と核武装待望論者の共同の作品だと私は思う。それ以外の建前はみんな嘘だと思う。
 原発は安いという神話は、天文学的な事故後の費用を横においても、現に原発のない沖縄電力の料金が本土の料金と大差ないことからも崩れ去っている。
 エコなエネルギーだという神話も、フクシマ以後の省エネ技術の進歩や再生可能エネルギーの開発によって崩れており、「脱原発」に舵をきりさえすれば飛躍的に克服されるであろうことは明らかだし、何よりも、フクシマの現実がエコとは真逆の汚いエネルギーであることを証明している。
 さらに「原発がなければ電力危機が起こる」という脅迫的宣伝文句も、稼働原発ゼロから1年2カ月たったこの現実が明瞭に解答を出しており、脱原発が夢物語ではなく現実的課題であること示している。
 「消費税を1年半延期する」などという、こう言えば悪いが・・実につまらぬ話題ばかりが四六時中テレビを覆っているが、今なお12万人を超える人々が避難生活を余儀なくされているのである。
 そして、汚染水は海に流れ、水産物(動物、植物)はそれを蓄積していっているのである。
 私は今度の総選挙では、この自民党の推し進める原発再稼働に反対の一点でも日本共産党を躍進させたいと思っている。
 思い起こしてみると、安倍晋三氏は世界に向かってフクシマと汚染水は完全にコントロールされていると大見得を切った。事実は、それが大嘘でありハッタリであったことを証明している。
 普通の社会では人間性が疑われる所業だと思う。
 この一事だけでも、彼が首相の器でないことは明らかではなかろうか。

 写真は、『雙魚に封完(そうぎょにふうかん)』という博物館の売店などで市販されている封緘印で、「魚と雁は書信を運ぶ」「魚(鯉)は腹に書信を蔵す」という古詩に基づいていて、雙魚(双魚)とはイコール書信のことでもあるらしい。なので、今度の選挙では再稼働にきっぱり封をしたいと思っている。
 これは孫に対する祖父ちゃんの責任だと自分に言い聞かせている。
 だが、一人だけでは心細いのでこのブログで大勢の皆さんに力を貸してほしいと頼みまくっている次第。

  ※ 歳がいってからの体調のことを考えると、いつ何があるかわからいというのが実感です。同感だと思われるお方は「期日前投票」をしては如何でしょう。手続きはあっけないほど簡単です。
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2014年12月6日土曜日

老舗の絶対条件

20世紀初頭の金剛組
  11月27日の夜中にABCのビーパップ!ハイヒールという娯楽番組を観た。
 その日のテーマは老舗=長寿企業の紹介で、なかでも奈良のプラスティック加工業の三笠産業は、幾度となく立ち至った倒産の危機をその都度新しいプラスティックキャップのアイデアで乗り越えてきたと紹介されていた。
 そういえば、ガラス瓶等の口のところのプラスティックキャップは、後から振り返ってみるとアイデアの宝庫のように進歩してきたことが解る。そのほとんどがここの社長の発明で、世界的なシェアを誇っているらしい。
 「そういえばこんなんもある」「あんなんもある」「たしかに便利や」という知っているものばかりだが、最初に考えついた人は偉い!
 老舗の多くは、このように単に守りが固かったというよりも、守りと同時に新規開拓してきたという話であったことも楽しかった。

 老舗といえば、世界最古の企業が天王寺区の金剛組であることは有名だ。ハイヒール・リンゴが「古墳時代創業」と言ったが、飛鳥時代と言った方が正確だろう。その時期に終末期の古墳の造営はあったにはあったが、基本的には古墳の造営を通じて権力を誇示していた時代が終わって、塔を含む寺院の建立をもって権力を誇示するように変わった後の時代のシンボルが金剛組であるからだ。
 それは、西暦578年に四天王寺建立のために百済から招かれた工人の一人、金剛重光によって創業されたもので、創業1436年ということになる。
 日本には、創業1000年以上の企業が6社、500年以上の企業が39社、200年以上の企業が3000社以上あるらしく、番組ではヨーロッパやアジア大陸の国々では200年以上の企業でも数社しかないらしい。これが驚きだ。
 中国の奥地などに隠れていないかとの疑問もあったが、番組ではそれらの国々では桁違いに大規模な戦争が度々あったからだと解説していた。なるほど、そうなると、この島国はその立地にも助けられて地球上で例外的に平和な地であったということに目から鱗の感がした。
 付言すれば、第二次世界大戦後69年でさえ、ちょっとした国以上の国?で戦争をしなかった例外的な国が日本である。

 ジョン・レノンはイマジンで、地球の上から眺めるように想像すれば国境なんてどこにあるだろうと歌ったが、長い歴史を俯瞰したときも「正しい国境」なんて何処だろうと思う。
 A国が〇〇年時点の国境が正しいといい、B国は○○年だという。
 海洋資源など考えなかった時代は両国の漁民は一緒に台風を避けていた島かもしれない。
 日本共産党は、尖閣諸島も竹島も、そして千島は四島だけでなく千島列島全体が日本の領土であると主張し、中国にも韓国にもロシアに対しても堂々と根拠を示して主張している。そして、外交と平和友好条約で解決しようと言っている。
 外交重視というのは一見弱気に見え、「軍事力の実力で国を守る」的な主張は、一見原則的でたくましく見える。
 しかし、歴史はそんな強そうなリーダーが一番無責任であったことや、庶民を犠牲にしたことを物語っている。太平洋戦争の戦争責任論を想起するだけで十分だろう。
 長寿企業がこの先も栄える国にしておきたいものだ。
 長寿企業が存在し難い、戦争する国づくり・集団的自衛権は早期に撤回させなければならないと思っている。
 ハイヒール・リンゴもええことを教えてくれた。「エッ リンゴが構成したわけではないやろう」って。


※ 衆議院議員選挙の比例代表選挙は「拘束名簿式」なので、政党名「日本共産党」と書いてください。比例代表の候補者名を書くと無効になるので注意してください。

この道しかない?

  「アベノミクスはドーピング経済」「一時的に元気になっても体はボロボロになる」とは同志社の浜矩子教授の弁。
 冷静に考えると今の日本は、かつてない東日本復興事業、東京オリンピック事業があって、何もしなくても雇用が伸び経済が循環していてもいいぐらいのもの。
 それが、出て来る経済指標、出て来る経済指標が「安倍首相も驚く不況」(オバマ大統領発言)なのだから、3本目の矢が遅いというレベルではなく、アベノミクスこそが不況の原因、安倍自公政権こそが不況の原因だろう。
 やはり消費者の実収入を増やして購買・生産を循環させるのが王道であって、無理やり先に物価をあげるのは邪道だと思う。
 だからテレビで安倍首相が盛んに「この道しかない」「この道しかない」と繰り返しているが、この道は行き止まりでしかない。
 そんなことを考えているときに、ネット上でこんな写真に出会った。
 あまりに出来すぎた写真なので笑ってしまった。

 消費税10%は中止。民主的な税制に戻すだけで20兆円の財源は出てくる。
 大企業の内部留保の一部を賃金と雇用に廻せば10年後には20兆円の税収が増える。
 人間らしく働ける雇用のルールができれば、社会保障に安心感が抱ければ消費も進み経済は循環する。
 こういう別の道こそが未来に通じる道だろう。

2014年12月5日金曜日

植物の気持ちになる

  園芸研究家・樹木医 はたあきひろ氏の講座があった。
 NHKの「ぐるっと関西おひるまえ」で太平サブローさんや河島あみるさんらに野菜作りを教えている方で、大手住宅メーカーの出世コースを退職して自給自足生活を始めた方だった。おもしろい。
 参加する前はそれほど期待もしておらず、まあ、剪定のノウハウ、土づくりのノウハウのひとつ二つを教えてもらえればいいやという気持ちで行ったのだが、話は全く違うものだった。
 答えは、「自分のイメージ通りのガーデニングを考えたりすると往々にして自然の逆襲にあう」、「だから、生き物である植物(相手)の気持ちになって植える場所を決め、植物の気持ちになって水やりもしよう」というもので、私が持っていたNHK的肥料満載農薬まみれのガーデニングの話では全くなかった。
 その上に、植物成長の基礎知識、病害虫の基礎知識を教えてもらい、木枠方式のガーデニングの実技も参考になった。
 で、振り返ってみて反省することも少なくなかった。園芸用の土は安物買いをせず、25ℓで600円は出せというのも耳が痛かった。

 実は、秋の台風で非常に気に入っていたアメリカハナノキ(ベニカエデ)が折れてしまった。根元が虫にやられていたのが原因だった。
 それで先日、小さな小さな1.5mほど(太さはせいぜい親指程度)の二代目を孫と一緒に買ってきて植えたのだが、少し場所も日当たりのよい方に移したのは正解だったかもしれない。
 妻は「この木が庭の主木になる頃にはアンタはおらんやろう」と私に言ったが、アファンの森を造っているC.W.ニコルさんではないが、100年後を想像して楽しめるのが人間だと思う。

 いま息子たちファミリーが住んでいる家には、当時小学生であった息子の意見によってココス(タイワンヤシ)を植えてある。一時はそのカサでかい風体を持て余していたが、今は孫がそのココスを気に入ってくれている。
 人の寿命よりも長い樹木は、こういう風に想い出のアルバムにもなっていく。
 
 今は選挙の真っ最中、おごれる自民党にもネオナチのような維新や次世代にも、相手の気持ちになって考えてみるという政治姿勢が見られない。ガーデニング同様、そんな政策は長続きするはずがない。ただ、国土が荒廃しつくしてから気が付いたのでは少し遅すぎる。
 未来を想像して生きておれば、少々のことに一喜一憂しないで済む。といって、一喜の方は何ぼあっても困らない。

※ 衆議院議員選挙の比例代表選挙は「拘束名簿式」なので、政党名「日本共産党」と書いてください。比例代表の候補者名を書くと無効になるので注意してください。

2014年12月4日木曜日

語り継ぐ

  高倉健さんが亡くなった。菅原文太さんが亡くなった。
 客観的にみると自分自身がええ歳になっているのだから、このような訃報に接することも不思議ではないのだが、主観的には納得できない。
 これは以前にも書いたことかも知れないが、安倍首相やその取り巻きのメンバーは、「先の戦争は侵略戦争ではなかった」「従軍慰安婦はいなかった」というような歴史の修正を図ろうとしている。
 そうであるならば、私たち高齢者は、自分たちが直接聞いた戦前戦中の話などをきっちりと語り継がなければならないと思う。

 ところが、私が参加した近所の憲法9条の集まりでは、何人かが父親から聞いた戦争体験などを話したが、その多くは、予想外に「悲惨なもの」ではなかった。
 それにはいろんな要素があると思う。あの時代の男たちにとって悲惨な・・特に加害行為の記憶は誰にも、特に家族には話せなかったということもあるだろう。
 成長した子供に戦争体験を語り得た人は、どちらかというと長寿の「勝ち組」の人が多いということもあるだろう。
 そして何よりも実際の戦争体験のある父親は、既に男性一般の平均寿命を超えているから、我々の世代が「聴きおく」ことの大切さを痛切に感じた時には半ば手遅れで、戦争の証人、戦争の犠牲者は「嫌な記憶」を胸の奥に蓋をしたまますでに鬼籍に入っていたのだと思う。
 だから、私たちは耳を澄ませて、逝った人々の声を紡ぎ合わせて語り継ぐ必要がある。
 これが時間との競争になっていることを高倉健さんや菅原文太さんは私に再確認させてくれた。

 それ(男)に比べて、女性は元気で長寿の方が多く、満州の新京からの引上げ体験や、8月15日以降も機銃掃射を受けていた樺太からの引上げ体験は、生々しい戦争告発だった。
 この層の女性が戦争反対の世論を支えていることは間違いない。
 河島英五の「酒と涙と男と女」ではないけれど、〽またひとつ女の方が偉く思えてきた~ と、お世辞でも皮肉でもなく正直にそのような感想を抱いて集会を後にした。

 河島英五の奥さんが法善寺横丁でバーをやっていて、河島英五がその店の壁に絵を描いていたが、ご存知のとおり法善寺一帯の大火事でお店は焼けた。ただ、その焼跡の英五の絵の一部は、奈良大学の文化財保存学の権威である西山教授によって剥ぎ取られて保存に成功した。それは今、写真のとおり、奈良の大仏殿近くのTen.Ten.Cafeに飾ってある。


※ 衆議院議員選挙の比例代表選挙は「拘束名簿式」なので、政党名「日本共産党」と書いてください。比例代表の候補者名を書くと無効になるので注意してください。

2014年12月3日水曜日

10年前のこと

 10年前の2004年(平成16年)というと、私的には仕事の現役中で、どういうわけか想定外?のトラブルの収拾に忙殺されていた時期であった。
 そんなあれこれは遠い昔のようで、ついこの間のような気もするが、そういうわけで・・・、情けない話ではあるが、この年については、狭い仕事の記憶以外の記憶が希薄となっている。
 
 さて、来年度から公的年金のスライドが物価上昇よりも低く抑えられることが決定的となった。
 早い話が今後自動的に年金が目減りしていくわけで、従来の物価や賃金のスライドに少子高齢化や正規雇用者の減少、それに平均余命年数の伸びという、基本的人権としての社会保障とは異質の理屈(マクロ経済理論)を連動させたからで、その法案が「100年安心」とかいうキャッチコピーの下で成立したのが2004年のことである。このキャッチコピーを盛んに宣伝したのは坂口力厚労大臣を出していた公明党だった。
 このように、10年前の悪法が、10年後以降の今のそして未来の年金受給者の生活を確実に悪化させるわけであるから、今になって「私は忙しかった」「私は知らなかった」と言っても手遅れだろうが、反省というか教訓にすべき点はは大きい。
 
 いま現在、自民党は、集団的自衛権も秘密保護法も原発再稼働も過去のことだと言わんばかりで、消費税10%増税の先送りが争点だなどと言っているが、そんなことは全くない。
 この国の平和と民主主義、社会保障の将来と民主的な経済再建全てが争点で、何れの課題でも自民党の暴走を許してはならないと思う。

 5年後10年後に社会がとんでもない状況に直面してから、「ああ、2014年の総選挙でもっと共産党を伸ばしておくべきだった」と反省しても遅いような気がする。
 年金の実質引下げに同意し難いなら、同じような悔しい思いを二度としないで済むように立居振舞うのが大人ということだろうと自分に言い聞かせている。

  やくみつるの「小言大言」に当時の四コマ漫画があった。2004年5月9日の作品である。
 思い起こすと閣僚の保険料未納問題などが騒がれて、法案の中身が十分に知らされないうちに強行採決されていたのだった。
 四コマ漫画をそのまま掲載するのは著作権の侵害になるだろうから、文字で再現してみると・・、
 一コマ目 子供(怒った顔で)「こども年金!? 何だよ それ」
 二コマ目 父「毎月一定額をおこづかいから納めれば 就学期間終了後 結婚まで 年金を支払おうじゃないか」「初年度1000円でいいや」 子供「イヤだよ そんなの!」
 三コマ目 子供「第一、将来、お金がもらえる保証があるのかよ!」「ちゃっかり 自分のおこづかいのダシにしようてんじゃー」 父「なにを言うか! 親心から始めようってのに!」 母「あなた」 父「あとにしなさい」
 四コマ目 母「社会保険庁から督促状がー」 父「シマッタ!会社辞めてから切り替えてなかった」 子供「老後 ボクをあてにされても困るからね!!」
 ・・・・と、年金の将来が安心ならないことがテーマで、「マクロ経済スライド」が社会全体としてはあまり話題になっていなかったことを傍証している。


※ 衆議院議員選挙の比例代表選挙は「拘束名簿式」なので、政党名「日本共産党」と書いてください。比例代表の候補者名を書くと無効になるので注意してください。

2014年12月2日火曜日

賃上げは可能

  写真の「日経ビジネス」・・・今頃何を言っているかという気がするが、それにしてもインパクトのある表紙である。
 金融政策をいじくろうが、消費者の懐を温めずに景気の回復はない。
 14日投票の総選挙では、勤労者の生活を本当に温める共産党を伸ばしたい。

  以前に「たかじんの何でも言って委員会」とという番組に共産党の小池晃副委員長が出ていて、例によって右翼的な面々が「賃上げは企業の問題なのに共産党が賃上げを要請するのはおかしい」とか言っていたが、今では企業の賃金抑制が不況の一因というのは世間の常識になり、事実、政府自民党すらが日本経団連に賃上げを要請するまでになってきた。
 そのときの話の続きは、面々が「賃上げを要請したりすると大企業は海外に移転するぞ」と畳み込んできた質問に、小池さんが珍しく理論で答えるのでなく、「大企業には愛国心がないのですか」と切り返し、愛国心を看板にする面々が絶句したのにはテレビのこちらで大笑いした。

 今、大企業の使い道のない内部留保が285兆円・・・・なんと285兆円に達しているから、その1%を廻すだけで8割の企業で毎月1万円の賃上げが可能だと言われている。
 その上に政治がより直接的に関与できる最低賃金制で時給の最低賃金を1000円以上に、それは、それを実効なさしめる中小企業支援をすれば十分可能なことである。
 中小企業支援は、フランスでは3年で2兆円以上、アメリカでも5年で9千億円使われているが、日本は年間50億円。この日本の現状こそがおかしい。
 同時に、常用雇用労働者の賃上げと併せて非正規雇用の是正、正規雇用化を進めれば、賃上げされた正規雇用者は所得税と社会保険料を負担するから、税収も社会保障の財源も安定する。(これだけで安定するとまでは言えないが、そういう方向に向かうのは違いない)
 その上で、賃上げは消費に回り、景気がよくなり、中小企業も潤うというのが経済の正解ではないだろうか。アベノミクスはその真逆をいっている。
 襟裳岬ののように、いじけることだけが 生きることだと ・・・飼いならされすぎた私たちは、先ずは賃上げの大義を信じることから始めることが大切かも知れない。

 ※ 参議院議員選挙の非拘束名簿式比例代表選挙に対し、衆議院議員選挙は拘束名簿式比例代表選挙なので、比例は候補者名だと無効になる。ややこしい。平和で安定した未来を願う人は、比例の投票用紙には間違うことなく『日本共産党』と記載していただきたい。私もつい最近まで衆参がごちゃ混ぜになっていた。

 ※ 本日の公示で選挙期間になるがこのブログ上では選挙活動が制約されない。選挙期間はこの国の現状や未来についてもっとも皆が考え語るべき時だと思う。元気を出して書き続けていきたい。

2014年12月1日月曜日

Karoshi

  Karoshi (death from overwork) が日本発の国際語になってから四半世紀が経過して、やっとと言うかついにと言うか、この11月1日に過労死防止法が施行された。
 近頃は、広い意味での過労死には鬱病やそれらによる自殺も含むが、狭い意味では「脳・心臓疾患」の発病や死亡を指す。
 傷病名でいうと、【脳血管疾患】としては ●脳内出血(脳出血) ●くも膜下出血 ●脳梗塞 ●高血圧性脳症 があり、【虚血性心疾患等】としては、●心筋梗塞 ●狭心症 ●心停止(心臓性突然死を含む) ●解離性大動脈瘤 である。
 労災認定基準の基本的な考え方は、「脳・心臓疾患は、その発症の基礎となる動脈硬化、動脈瘤などの血管病変等が、主に加齢、食生活、生活環境等の日常生活による諸要因や遺伝等による要因により形成され、それが徐々に進行及び増悪して、あるとき突然に発症するものだが、しかし、仕事が特に過重であったために血管病変等が著しく増悪し、その結果、脳・心臓疾患が発症することがある。このような場合には、仕事がその発症に当たって、相対的に有力な原因となったものとして、労災補償の対象となる。」というものだ。
 この仕事が特に過重であったかどうかの評価に当たっては、『恒常的な長時間労働等の負荷が長期間にわたって作用した場合には「疲労の蓄積」が生じる』という観点から、●労働時間のほか、①不規則な勤務、②拘束時間の長い勤務、③出張の多い業務、④交替制勤務・深夜勤務、⑤作業環境(温度環境・騒音・時差)、⑥精神的緊張を伴う業務・・の負荷について十分検討することとなっている。
 そうして、疲労の蓄積をもたらす最も重要な要因と考えられる労働時間に着目すると、●発症前1か月間におおむね100時間又は発症前2か月間、発症前3か月間、発症前4か月間、発症前5か月間、発症前6か月間のいずれかの期間に、1カ月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価される。
 これが俗にいう『過労死ライン』で、こういう時間外労働があったならば人間はバタバタと倒れるということを医学的に言っているわけではないが、こういう状況下で先の傷病を発症した場合にはおおむね労災と認定され、言い換えれば事業主の使用者責任が問われると、最高裁を含む司法の場でも定着しているのである。
  なお、月に80時間以下であっても、おおむね45時間を超えて時間外労働時間が長くなるほど、業務と発症の関連性が徐々に強まるとも評価される。そういうケースでは先にあげた①不規則な勤務~⑥等「労働時間以外の要因」が大いに考慮されることとなる。

 ところで、共産党の小池晃副委員長らが情報開示請求して発表したものを見ると、日本経団連や経済同友会の役員企業等が結んでいる三六(さぶろく)協定(1日8時間、週40時間を超える時間外労働協定)が、経団連会長の東レで月100時間、副会長の丸紅120、同JR東90、同王子135、同東芝130、同日立(3か月で400)、同日本電信電話150、経済同友会代表竹田薬品120、同次期代表三菱ケミカル150、副代表ウシオ電機130、規制改革会議議長代理みずほ90、竹中平蔵のパソナ(産業競争力会議)120・・時間であることに私は驚いた。
 順法精神の欠如した悪徳事業主並みの水準ではないか。
 そして、こういう面々が企業献金を行って自民党政治が動かされているわけで、企業・団体献金や政党助成金を受け取っていない共産党以外の与野党も五十歩百歩である。
 現に彼らは、残業代ゼロ制度、その特区構想、裁量労働制の緩和等々を策動し、民主的労働法制度を「岩盤規制」だと攻撃している。
 
 私たちの世代は、現役時代の多くの期間を経済成長下に過ごしてきたから、子や孫を大きな企業に就職させたら一安心という幻想が残っているが、前述のとおり、これらの企業で働くということは過労死予備軍に入ることである。
 子や孫が過労死や過労によるメンタル不調になってから労災認定を取り組むのはあまりに悲しい。
 子や孫が倒れる前に、倒れないために、今度の選挙では企業献金という一種の「買収工作」と無縁な共産党に投票をしてほしい。
 共産党は、残業時間の上限の法定化やインターバル(次の仕事までの休息時間)の法定化に取り組んでいる。

2014年11月30日日曜日

吊るし柿は風物詩

  ご近所から「吊るし柿のしかたが解らないから」と立派な渋柿をいただいた。
 「しかたが解らない」というよりも「作る気がない」ので持て余したというのがほんとうのところだろう。
 といって、我が家にも吊るし柿のノウハウはないから、妻が、入所している母に聞いてきた。
 結論は全く単純なもので、皮を剥いて、カビ防止のために熱湯にくぐらせて、後は屋外に干しただけである。
 「月に叢雲」ではないけれど、寒風が欲しい時には穏やかなインディアンサマーの日が続き、心配したがカビは生えてこなかった。
 そして、時々揉んで少し平べったい形に成形した。
 そうすると、あの大きかった渋柿が頃合の大きさにまで小さくなった。
 義母が帰ってきたとき試食してもらったが完璧に完成していて、あっという間に3人で10個ほどたいらげた。
 特に義母は懐かしそうに喜んでくれた。
 友人のブログに「毎年吊るし柿を作る」話が登場するが、お正月用の串柿でなく100%食用の吊るし柿を少し柔らかいうちに食べるのはほんとうに美味しい。
 来年は本格的に作ってみようかという気になっている。
 今年の分は、孫がやって来ると直ぐになくなってしまうだろう。
 吊るし柿が美味しくなったらほんとうに晩秋である。
 「季節の風物詩」というような決まり文句が頭をよぎる。
 京都の新聞に、「よく似たバードバスだな」と思って眺めたら、私が投稿した尉鶲(ジョウビタキ)の写真が掲載されていた。

2014年11月29日土曜日

空間能力

地図の読めない人は南に向かうとき
地図を反対向けにする
  安倍首相は、景気が腰折れすれば税率を上げても税収が増えず元も子もないから来年10月に予定していた消費税10%への増税を延期すると言ったが、1年半後の2017年4月には景気に関係なく「再び延期することはない。断言します」と見得を切った。
 首相の発言を国民は信用していないから大問題になっていないのだと思われるが、この発言は立場や主張に拘らず‟支離滅裂”で、「景気が悪ければ元も子もない」なら1年半後も景気を勘案して判断すべきだし、増税が絶対必要なら来年10月に引き上げるべきだろう。
 要するに1年半の延期というムードだけで選挙に勝利?(後退を少なく)し、選挙後は「信を得た」とか言って悪政へ一気呵成を狙っているわけで、それは、公明、民主ほかの消費税に反対しない与野党も同じである。

 あらゆる経済指標をちょっと拾い上げてみてもアベノミクスの失敗(増税不況)は明らかなため安倍首相と自民党は、「今は道半ば、この道しかない」というキャッチコピーを考えついたが、浜矩子同志社教授は、「これが道半ばなら、到達点まで行ったときには『そして誰もいなくなった』でしょう」と鋭く言い放っている。
 この『道』をテレビで共産党の小池副委員長は、「道の方向が間違っている」「消費税に頼らない道がある」と切り返していたが、その方向は11月19日に「消費税は福祉を壊す」とこのブログで書いたとおり、所得税と資産税を中心とした応能負担の伝統的民主的税制に戻せばいいだけのことである。
 そして、大企業の内部留保のほんの僅かを賃上げと正規雇用化に使わせれば、国民に痛みが生じないまま税収も上がるのだから話は簡単である。
 それが簡単でないのは大企業の欲の皮が厚く、その献金で買収された自民党等が逆立ちをした「アホノミクス(浜矩子造語のひとつ)」を推進しているからである。

 私は首相の一連の発言を聞いていて『話を聞かない男、地図が読めない女』という本のことを思い出した。
 首相は道の行先も現在地も解っていない。あの本に言わせれば「右脳の前の方に問題がある」男であり空間能力が劣っている。※
 本は、「空間能力の劣った男は狩りができない」と断じているが、狩りのできないリーダーについて行った家族の行末は悲惨なものとなるだろう。

 なお、共産党には「地図の読める女」がいっぱいいる。
 地方議員の35.7%、都道府県議員の50.9%、政令市議員の52.0%、都議会議員は17人中11人で65,0%、昨年の参議院議員は比例5人中1人、選挙区3人中2人が女性である。

 ※ もちろん私は安倍氏の右脳に身体的欠陥があるなどとは思っていない。しかし、このように支離滅裂な主張を貫き通す性癖というか人格には、政治家なかんずく首相としては決定的な欠陥があると思っている。

2014年11月28日金曜日

ボルサリーノならぬ・・・

  おしゃれな先輩の著したエッセイに「この年齢になれば、もう少し気の向くままに振舞って、せめてボルサリーノの帽子ぐらいは気楽にかぶればいいではないかと思うようになっている」 とあったように記憶している。
 先輩がそのエッセイを書いた年齢に私もほゞなっている。
 だが、私は帽子が似合わない。それは昔から解っている。
 解ってはいるが、「今度こそ似合うかも知れない」と思って買ってしまう。その繰り返しで反省ばかりしている。
 さらに、この年代の性癖かもしれないが「みんな一緒」の流行が嫌いで、人が驚かろうがどうしようが、どちらかというと個性的であることを好む。(「この年代」などと皆を道連れにしていいかどうか???)
 そんな癖が出て3歳の孫に「この帽子はどう?」と持っていたハンティングを前後反対に被ったら、間髪を入れずに「かっこいい」と評論してくれた。
 そんなもので、即、ハンティングの後ろに「花喰い鳥」の大きなピンバッチをつけ、それを前にして被ることにした。
 近頃はそういう格好で外出もしている。孫の評価以上の評価があろうか。
 昨日もその格好で大阪市内に行き、何人かの友人たちと会ったが、誰も「かっこいい」とも「おかしい」とも言わなかった。
 さんまが、お笑い芸人に対する殺し文句は「普通や」ということやというようなことを言っていた。この場合の「殺し文句」というのは芸人として抹殺されるという意味の「殺し文句」なのだが、・・・・同様に全くの反応の無いのも寂しいものである。
 といって、ゆっくり考えると面と向かって「そらおかしいで」と言うのが可哀想なのでみんな黙っていただけに違いない。
 でも、孫だけが承認していてくれたら爺ちゃんに動揺はない。

2014年11月27日木曜日

チキンレース

  チキンレースは、崖などに向かって2台の車を激走させ、先にハンドルを切ったり飛び降りたりした方がチキン(臆病者)として敗者になり屈辱を味わわされるというもので、ジェームス・ディーンの『理由なき反抗』(1955年)で有名になった。あまり気分のいい話ではない。
 そんな言葉が毎日新聞の記事の中に登場したのでオオッと思ったが、橋下、松井両氏が「やったらやりかえす」と公明現職の衆議院議員の選挙区に立候補しようとした騒ぎの中で、維新の市議が「公明への最後のチキンレースだった」と述懐したというのである。
 だとしたら、橋下氏らは大義名分も何もなしで公明を脅しただけのもので、かつ、先に飛び降りた臆病者だということを自ら告白していることになる。
 それにしても、政治の世界でチキンレースを仕掛ける彼らの精神は私は生理的に受け付けない。

 ところで、核抑止力論というものがある。
 核兵器は使う気はないが「使うぞ、使うぞ」と脅して平和を守り戦争を抑止するという考えで、結構少なくない人々に承認?されている考えである。核というほどではないが戦力・軍事力と読み替えると世界中の国のもしかしたら多数意見かもしれない。
 しかし、これって結局はチキンレースではないかと私は常々疑問に思っている。
 少し考えてみてほしい。一般社会でも一番「怖ろしい」のは会話の成立しない‟キレてる人物”である。
 同じように、キレていない「国」は軍事力が強大でも怖くないのではないだろうか。
 抑止力論が成立するためには、必ずもしかしたらキレることのある「危ない国」であることが必要である。
 そういう核抑止力的外交をバートランド・ラッセルは瀬戸際外交と評したが、外交のチキンレースで勝つのは「何を考えているのかわからない」「独裁者が面子のためには国民の犠牲も顧みない」危ない国だろう。
 「あの国は絶対に核のボタンを押さない」と皆が思えばチキンレースは成り立たないから、「あいつは最後には何をするかわからない」奴しか勝者にはなれないと私は思う。
 第二次世界大戦後この理論というか信仰が信じられてきたのは、事実として、米ソの二大大国が度々「キレて」他国を侵略し戦争をしてきたからである。
 思い起こせば、よくここまで核のボタンを押す奴が出てこなかったものだというのが率直な感想で、不思議なくらいである。
 だから私の感想をいえば、核抑止力論は常に戦争の危険を膨らませている。
 チキンレースでせめぎ合えば、降りたくて仕方がなかっても観衆の手前、国のリーダーがぎりぎりまで降りられない事態は必ず生まれる。そのぎりぎりのタイミングを外せば・・・・そんなことが起こらないとどうして断言できるだろうか。
 21世紀の今日、本気で、軍事力ではない「北東アジア平和協力構想」的な外交を大きな声で語るべき時ではないかと思っている。それは臆病者の主張ではない。
 ASEANは現実に踏み出している。日本共産党のいう「北東アジア平和協力構想」は韓国では大きく注目されている。こんな理性的な政党がもっと大きくなればいい。

 ※ 北東アジア平和協力構想
     ① 紛争の平和解決のルールを定めた北東アジア規模の「友好協力条約」を締結する。
     ② 北朝鮮問題を「6か国協議」で解決し、この枠組みを地域の平和と安定の枠組みに発展させる。
     ③ 領土問題の外交的解決をめざし、紛争をエスカレートさせない行動規範を結ぶ。
     ④ 日本が過去に行った侵略戦争と植民地支配の反省は、不可欠の土台となる。

 この構想の主旨は、日本共産党が提案し、9月のアジア29か国75政党により開催されたアジア政党国際会議で全会一致で採択されたコロンボ宣言に盛り込まれた。

2014年11月25日火曜日

公約よりも進級試験


  一時、マニフェスト、マニフェストと言われたことがある。
 好い方にとれば、業界や地域のしがらみで投票するのでなく各党のマニフェストを比較検討して判断しようという掛け声であったが、結果は、ズバリ、耳あたりのよい言葉を並べた者が勝ちというようなムード選挙を演出しただけだった。
 言葉を飾りたてたというレベルならまだしも、TPP絶対反対とか増税反対と言って選挙に臨み当選したら推進するというありさまだったし、選挙時に一言も触れていなかった憲法の解釈改憲を強行したのだから、マニフェスト選挙が聞いてあきれるというのが歴史的事実だった。
 マスコミが煽るこの種のキャッチコピー・・・マニフェスト選挙、第三極、政権交代、はては「争点がない」に誘導された結果が現代社会の行き詰まりをもたらしたのではないだろうか。
 では、我々は何をメートル原器にして選挙を考えればよいのだろうか。と思うと、私は選挙は各党の進級試験だと考えるのがよいと思う。
 つまり、学生でいえば過去の学習態度と到達点を評価するのである。面接会場でしおらしく「これからはああします。こうします」と言っても駄目である。
 例えば、今日の消費不況は人為的な円安と消費税にあることは明らかで、その消費税を合意して推進したのは自民、公明、民主だし、維新等の第三極もこれを応援した。
 社会保障の根幹である国民皆保険制度や食の安全を破壊するTPPも自民、公明、民主や維新等が推進し、いよいよ崖っぷちに迫っている。
 憲法違反の集団的自衛権の閣議決定、秘密保護法を実行した自民、公明と維新等の責任は大きいが、民主の腰のキレ方も悪かった。ここでも、絶対多数政権をここまで追い込んだ力は公平にみて共産党だった。
 原発も、先の選挙前には口をすぼめていたが多数を取ると再稼働を推進している。
 つまり、進級試験のつもりで皆が考えれば、政治の対決軸は自民対共産党であったことは明らかだし、庶民の立場で検討すれば、一貫して正直に主張し与党を追及したのが共産党で、選挙前には嘘をつきまくり、ごく一部の大企業経営者と大金持ちの利益のために国民の生活と安全を危機に曝してきたのが自民党であることは明らかだろう。
 それにしても、それらの検討を十分に行えるような情報がないという感想もあるだろう。今日のマスコミ状況が作っている大問題のひとつである。
 そうであるなら、共産党を支持するしないは別にしても、権力や広告主に一切影響を受けない、そういう意味ではタブーの無い赤旗をこの期間だけでも購読してほしい。

2014年11月23日日曜日

誰の身を切る

 テレビの出演者たちが非常に軽い飾り文句で「政治家は身を切る努力もしないまま解散してけしからん」という言葉を吐いているが、その「身を切る」という言葉の中身は議員定数削減であり、その中身は、実際「小選挙区を削減すべし」と言った声は聞かないから、政治的には与党の乗りやすい比例代表定数の削減ということになっている。付言すれば、多くの場合、不思議なことに政党交付金廃止をあまり言わない。
 22日に発表した維新の党の選挙公約も「身を切る」がキャッチフレーズで、定数削減を掲げるが政党交付金にはだんまりだ。まあ、この党の公約などは眉唾もので、当選したなら「全権委任されたも同然」と好き勝手をしてきたことは大阪で証明済みだ。 
 元に戻って、・・・だとすると、庶民の声が国会に届かないというもどかしさの一方で、少なくない私腹を肥やす議員への正当な怒りに発した声の側面があるにしても、「身を切るべし」のその声はブーメランとなって庶民の声を切り捨てることになる。
 私の結論めいた意見を先に言えば、現代ニッポンの政治を歪めている二大要因は、①政党交付金と ②小選挙区制 であるが、身を切れ論はそれを温存助長する役割しか果たさず、民主主義を後退させろという論に行きつく。
 それを過去4回の国政選挙の自民党と民主党と共産党の得票率で検討する。

平成21年8月第45回衆議院議員選挙結果
          小選挙区                      比例代表
        得票率  議席数  議席率   得票率  議席数  議席率
 自民党   38.68%        64     21.3%      26.73%        55     30.55%
 民主党       47.43%       221    73.7%      42.41%        87     48.33%
 共産党         4.22%           0        0%         7.03%         9       5.00%

平成22年7月第22回参議院議員選挙結果
          小選挙区                      比例代表
        得票率  議席数  議席率   得票率  議席数  議席率
 自民党   33.38%        39    53.42%      24.07%       12     25.00%
 民主党       38.97%        28    38.35%      31.56%       16     33.33%
 共産党         7.29%          0          0%        6.10%         3       6.25%

平成24年12月第46回衆議院議員選挙結果
          小選挙区                      比例代表
        得票率  議席数  議席率   得票率  議席数  議席率
 自民党   43.02%      237    79.00%       27.62%        57     31.66%
 民主党       22.81%       27      9.00%       16.00%        30     16.66%
 共産党         7.88%         0         0%          6.13%          8       4.44%

平成25年7月第23回参議院議員選挙結果
          小選挙区                      比例代表
        得票率  議席数  議席率   得票率  議席数  議席率
 自民党   42.74%        47    64.38%      34.68%        18     37.50%
 民主党       16.29%        10    13.69%      13.40%         7     14.58%
 共産党       10.64%          3      4.10%         9.68%         5     10.41%

 以上のとおり、小選挙区制は多様な意見を切り捨て、多数党に虚構の議席数を配付する。
 その上に立った内閣はいわば「上げ底政権」(神戸学院大上脇教授の命名)で、民意とはるかに乖離した暴走が可能になっている。
 そもそも連邦国家でもない我が国で、選挙区を小さく分けてそのほとんどを一人区にすること自体が民主主義と相いれない。
 選挙区の比較第一党がその選挙区の代表意見だというのは暴論に近いし、選挙区を小さくすれば清廉になるという夢物語の馬鹿馬鹿しさも歴史が証明している。
 こういう正論を真っ向から主張しているのは共産党しかないし、事実、共産党以外の全政党が政党交付金を懐に入れている。
 選挙制度は民主主義の根幹である。
 こういう民主主義と相いれない選挙制度に目をつぶって他国の人権問題も何もないものだ。
 残念ながら、それでもこの不当な制度の下でも勝っていかなければならない。
  歴史はそういう困難を厭わない先駆者によって切り開かれてきた。

2014年11月21日金曜日

こんなエアリハを知った

  老人ホームの家族会で秋の行事を行った。
 役員の中にこの種のことをよくお知りの方がいて、落語もエアリハ?もする理学療法士『日向亭葵』氏をお招きした。
 この方が、予想以上に本格的に話芸を披露された。
 正直に言えば繁昌亭の若手よりも格段に上手で、なんというか安心して話に入っていけた。
 その上で、エアリハなるものを教えてくださった。エアのリハビリテーション・・・・。
 例えば、「片手を思い切り上げましょう」と言っても脇腹の筋肉は伸びないが、「その上のトイレットペーパーを取るように」というと確かに筋肉に力がいく。
 腕の筋肉も、「曲げたり伸ばしたりしましょう」と言っても大した負荷は掛らないが、「ゴムチューブを引っ張るつもりで」してみると確かにリハビリだ。
 聞けば「な~~んだ」ということばかりだが、知らなかった世界にパチーンと目を開かせられた気分がする。
 安い講演料で申し訳ないような充実したものだった。
 著書もあり、関心のある方は私のアドレスに問い合わせていただければよい。

 第二部は、役員会メンバーによる「みんなで歌おう」をした。
 ピアノ、ギター、フルートで伴奏し皆で歌ったのだが、少人数の役員会の中で自前でこんなことができるというのは大変なことだと自画自賛している。
 この企画、言いだしっぺは私で「私はハーモニカぐらいはするから」と言ったのだが、孫のハーモニカで練習してみるともう全くどうにもならなかった。
 ブルースハープでのアドリブも手に負えなかった。
 で、結局、中の1曲だけでマラカスを振っただけだった。気持ちはあるが技術はないというのは、ああ、なんとも情けない。
 だから何かの手作りイベントをするときに、技術があるのにあれこれ理由をつけて嫌がる人を見ると腹が立つ。こちとらは、もしもピアノが弾けたなら~ だ。
 ということで、歌う方に徹したのだが、最初から用意済みのアンコール曲??「見上げてごらん夜の星を」を歌い終わったときには何か胸の熱くなるのを感じた。
 歳がいくと感激しやすくなるようだ。
 少ない役員会メンバーだが、技術は別としても、皆が前向きに取り組む行事は気持ちがいい。

2014年11月19日水曜日

消費税は福祉を壊す

  安倍自民党の口ぶりだと解散総選挙の争点は「消費税再々引き上げの1年半延期の諾否」と言いたいらしい。自民党に投票してくれたら延期、そうでなければ即引き上げかのように騙し脅している。いつもながら詐欺師さながらのロジックだ。
 そして情けないことにマスコミはその不当性を指摘するのでなく、延期に反対している野党がないのだから争点の無い選挙だというピントのボケた論評でお茶を濁している。
 そもそも消費税10%は自公民3党合意の産物だし、維新やみんな等も基本的に推進してきたものだからマスコミの論評も一見したところそのように見えるが、現在の経済状況が明確に示している通り、争点は共産党のいうように「消費税引き上げは延期ではなくきっぱり中止」かどうかだと思う。
 では、消費税を10%にせずに社会保障は推進できるのか、景気は悪化しないか、財政赤字は破綻しないか、ここの展望が重要だ。
 景気については、結局のところ消費不況であって、消費者の懐(賃金等)を温めないと幾ら金融政策を連打してもどうにもならないことが明らかになった。ズバリ、賃金抑制と消費税こそが景気を冷え込ませているのであって消費税を廃止する方が景気は回復するのである。
 なら、社会保障と財政はどうか。
 冷静に考えれば、現在は不況だといっても経済規模は20数年前と比べるなら大きくなっている。にもかかわらず20数年前の税収が上げられていない。理由は、税収の上がらない税制、つまり・・・・・「法人税を下げないと企業が海外へ行ってしまう」という大嘘に乗って、消費税を基幹にした税制にしたからである。
 そうしておいて、「事業仕分け」だとか「公務員の定員削減・非正規化」で財政赤字が解消できるかのようなデマを流してきたからである。自公だけでなく民主もそうだ。
 「海外へ逃げる」論についていえば、企業自身が言っている通り、その判断のポイントは立地先の需要であり、法人税が高いから海外移転するわけではないし、法人税を安くしたって逃げる時は逃げるのである。それであっても本社に還流された所得には税を負担させることができるから、それはそれでどうにでもなる。
 大企業が「円高になったら海外へ行く」とか「法人税を下げなかったら海外へ行く」というのは雇用問題を心理的に人質に取った使い古したブラフ(脅し文句=こけおどし)である。
 そもそも、所得税と資産税を中心とした税制こそが公平な税制であり、民主主義的税制の伝統的な原則であった。
 そういう応能負担型の税収と財政構造こそ所得の再分配という効果を生み福祉国家をつくるのだ。国家の機能とはそういうものだ。
 そういう「垂直的所得再分配」に対して、消費税を中心にすれば「水平的所得再分配」になり、『国民総痛み分け』にしかならない。
 残念ながら、小泉氏や安倍氏に群がった「新自由主義」経済主義者だけでなく、民主党のブレーンになった「ポスト福祉国家」論者も「グローバル経済の下では法人税よりも消費税が取りやすい」という理由でこのように税制をゆがめてきたことが今日の経済・財政の行き詰まりを招いているのである。
 この「垂直的所得再分配」は国のレベルでしかできないから、道州制だとか何でもかんでも地方分権というアジテーションに乗ると、「国民総痛み分け」をベースにした恐ろしいほどの格差社会が生まれるだろう。堤未果氏の「沈みゆく大国アメリカ」等のシリーズを読めばわかる。
 争点は共産党のいうように「消費税再引き上げはきっぱり中止」だし、その先には穏やかな福祉国家が見えてくる。
 重ねて言えば、消費税を上げれば福祉が充実するのでなく、消費税中心の税制こそが福祉を破壊するのである。
 日本共産党は応能負担の税制を主張している。
 (この記事は、二宮厚美神大名誉教授の講演記録を参考にさせていただいた。)

2014年11月18日火曜日

狐か狸

  17日に発表された7~9月期GDPは、前期比△0.4%と2四半期連続のマイナスで、年率では△1.6%であったが、アベノミクスの張本人たちからも、アベノミクスの効果を煽りまくっていたエコノミストたちからも「謝罪の言葉」は一切報道されていなかった。
 もちろん、「謝罪の言葉」なんぞは全く希望もしていないが・・・・、マスコミも含めて彼らのおかした犯罪的責任は大きいと思っている。
 この動かしがたい事実(数字)は、結局、的確にこういう事態を予測していた日本共産党以外には、消費税引き上げを合意した自公民3党、それを煽った維新やみんな・・・には、この国の統治能力がなかったことを明らかにしたと思う。
 可笑しいことは、写真のとおり我が国の三大証券が揃って大外れであったことで、当時の彼らの予想がほんとうだったとしたら、このようなエコノミストたちによって動かされている日本経済の未来はないというしかない。
 ただ私は、穿ち過ぎかもしれないが、きっと超トップクラスの学歴を持ち百戦錬磨の戦場を潜り抜けてきた彼らがそんなに阿呆だとは思えない。
 だとしたら、最後まで安倍内閣の手先となって統計を押し上げるよう、世論を誘導していたに違いないと私は考えている。
 「政府と株屋は嘘をつく」
 それでも国民に、大企業が潤えばそのうちにおこぼれが庶民に廻ってくると信じ続けろというのだろうか。

2014年11月17日月曜日

沖縄からの手紙

  16日午後8時、テレビは沖縄知事選での翁長(おなが)候補当確のテロップを流した。
 開票もしていないのにテレビ局が判断するなよ!との不満もあるにはあるが、それほどの圧勝であった。
 政府自民党が「仲井眞知事なら予算をつける」的な買収行為まがいの利益誘導を繰り広げたのに沖縄県民はNOを回答した。
 あるいは、翁長陣営の裏方をどっしり支えた日本共産党に引っ掛けての強烈なデマと反共宣伝にもNOを回答した。
 また、那覇市長選でも後継者である城間氏が自公候補に勝利したから、これは確信的なNOである。

 今回の結果は沖縄の良心であり沖縄の勇気の勝利だと私は思う。
 沖縄から本土への、大阪への手紙だと思う。
 よくテレビの選挙のニュースなどでは「町の声」的なインタビューが放映され、「誰がなっても同じ違うの」とか「よくわからない」と映し出されるが、それは間接的な批判のような体裁をとって権力者を利している報道姿勢だろう。
 政府と米軍(米国)を相手に前知事が認可した辺野古の埋め立てを阻止することが相当困難なことは県民の誰もが解っていたと思う。
 だから、札束が現実的だとの宣伝が吹き荒れたのだが、それにNOを言ったのだ。

 私たち本土のヤマトンチュも勇気を持って、安倍内閣を批判して退陣させたいものだ。
 嬉しいことに、この度は首相の方から総選挙を持ってきてくれた。
 もう一度再確認しよう。
 沖縄からの手紙には「投票すれば社会は変わる」と書いてある。
 12月には、私たちは沖縄からの手紙に返事を出さなければならない。
 私のブログは公職選挙法で許されたものになるので、引き続き自由な立場で政治と選挙を語っていきたい。
 こんな時期でもあるので、コメントも安心してよろしくお願いします。

2014年11月15日土曜日

鈴懸の木

  街路樹の落ち葉も風情があるが、それが自分の家の前の現実となると話は複雑になるようだ。
 鈴懸の木(プラタナス)は幹もきれいで立派な街路樹だが、落ち葉の季節になると、茶色い大きな葉っぱが”バサッ バサッ”と投げつけるように落ちてきて側溝を塞いでしまうほどだから、そこの木の前の家の方は毎年秋にはボヤイテおられた。
 だから、街路樹ではないが、近所に植わっている鈴懸の木(プラタナス)を見るたびにその人のことが思い出される。

 つまらない薀蓄だが、鈴懸という名前の由来は、〽旅の衣は篠懸の~~ の勧進帳・安宅のとおり、この木の丸い実の形が山伏の結袈裟のぼんぼり(房)に似ていることから山伏の衣=篠懸(すずかけ)となったらしい。
 しかし、そんな由来は最近まで知らなかった。
 それよりも、一番身近には 〽友と語らん~ の灰田勝彦の「鈴懸の径」が思い出されるから、実際の鈴懸の木を知ったときにはそれまで抱いていたイメージよりもその黄葉の大雑把なことに違和感があった。
 同じようなことは、作詞北山修の名曲、シューベルツの「風」の2番ぐらいの 〽プラタナスの枯葉舞う~ にも言えることで、鈴懸の木とかプラタナスという名前のもつロマンチックなイメージとは相当隔たった嫌われ者の落ち葉である。というか、誰も知らないことをいいことにプラスイメージだけが広まっている。
 こういう風に、私だけかもしれないが、世の中のほとんどの事柄は知ってもいないのに解ったようなイメージだけで解ったような気になっている。 
 ※ 上の写真の鈴懸の落ち葉は例外的に美しい落ち葉で、圧倒的にはただただ焦げ茶色のゴミのような落ち葉である。

  黄葉ついでに・・・、近くの公園で「木津川アート」というイベントが行われていた。
 木陰に鉄製の2匹の大きな蟻が展示されていた。ひとつは抽象で、写真のひとつは具象だった。
 鉄製とはいかないが、木製あたりでちょっと真似をしてアートを作ってみたくなった。
 この歳になると無芸大食が少し寂しい。


2014年11月13日木曜日

これも戦後レジーム?

 安倍首相が「脱却したい」「否定したい」という戦後レジームとは、要するに「戦後民主主義体制」のことだろう。彼にはそれが、「押し付けられた体制」「ポツダム民主主義」に見えているらしい。
 そのことが‟さもありなん”と思わせることが国会であった。
 カジノ法案を巡る宮本岳志衆議院議員の「なぜ賭博が刑法で禁じられているのか」との問いに、法務省は、「賭博行為は、勤労その他正当な原因によらず、単なる偶然の事情により財物を獲得しようと他人と相争うもので、国民の射幸心を助長し、勤労の美風を害するばかりでなく、副次的は犯罪を誘発し、さらに国民経済の機能に重大な障害を与えるおそれすらあることから、社会の風俗を害する行為として処罰することとされている」と答弁した。

  この答弁の背景には昭和25年11月22日最高裁大法廷判決があり、「賭博行為は・・・勤労その他正当な原因によるのでなく、単なる偶然の事情により財物の獲得を僥倖(ぎょうこう)せんと相争うがごときは、国民をして怠惰浪費の弊風(へいふう)を生ぜしめ、健康で文化的な社会の基礎をなす勤労の美風(憲法27条1項参照)を害するばかりでなく、はなはだしきは暴行、脅迫、殺傷、強窃盗その他の副次的犯罪を誘発し、または国民経済の機能に重大な障害を与える恐れすらあるのである」と断じている。(以上のことは宮本議員のFBで知った)

 近頃の風潮からすると「青臭い理想論」に思えるかもしれないが、この国のある種青春時代の直球勝負の正論であり、その時代の同種の正論(労働法も)が戦後民主主義の礎を築いたのだ。
 だから、不労所得者の利益を代弁する安倍首相がカジノ法案を推進し、戦後レジームからの脱却を叫ぶのも全て符号は合っている。
 
 内田樹氏は、パチンコのようなものは裏町の景品交換所で半ば後ろめたく換金する程度がよいという趣旨のことを言っているが、私もおおむね賛成である。
 世の中「白か黒か」で割り切れないことぐらいこの歳になると判っている。
 しかし、ベースには青臭いほどの正論を踏まえておかないと、ホンネばかりでは人間は下品になる。
 戦後レジーム万歳!

2014年11月11日火曜日

寒肥の季節

  間もなく寒肥の季節がやって来るので、我が家から遠くない地の「三春の滝桜(みはるのたきざくら)の子孫樹」の衰弱ぶり、つまり手入れが必要だということについて、京都の地方紙に投稿して掲載された。

 内容は、ロータリークラブが植樹をした立派な滝桜だったが、その後は誰も手入れをしないので衰弱しつつあり、「育てる会」でもできないものか・・・というもの。

 どうしてそういう回りくどい投稿をしたのかというと、その地が隣の自治体だからである。
 自治体の境界というのは得てして清掃工場などの「嫌悪施設」を造りあいしたりして、いろいろ難しいことがある。
 11月2日付けの「跳び出し注意の看板にライトを設置した」記事についても、その場所は我が自治体であるが、もし事故が起こったらその看板の前の十字路は隣の自治体というところ。
  近世以前なら市(いち)が立ちアジールが形成されるところ(網野善彦)だろうが、現代はややこしいだけである。

  この桜も、自治体の中心部ならきっとこんなことにはなっておらず、自治体の端(はずれ)なために打ち捨てられているのだろう。
 もう一つ、そこは「ハイタッチリサーチパーク」と名付けられた企業群の間にあり、普通の民家には接していない。
 と思うと、周囲の美や健康やなんかをウリにしている企業の精神の貧弱さも露呈しているように私は思う。先年までは、PHP研究所もあったのだ。
 一言で言えば、周辺の企業は我が町内のことであっても「儲けにならないことには見て見ぬふり」をしているようだ。
 そして自治体も、ロータリークラブも…。
 現実問題としては、寄贈してそのプレートも飾っているロータリークラブこそ率先垂範すべきだと思うが・・・。
 三春の滝桜の子孫樹は、故郷フクシマは見捨てられ、新天地でも本人が見捨てられ、どうにも可哀想な桜だと思う。
 写真のとおり、真ん中に天井のように支柱が立っているが、もともとはこの上にまで枝があり、支柱は枝垂れる枝を受けていたもの。つまり、一回り二回り小さくなったことを表している。

 なお、掲載翌日には木津川市の共産党の市会議員から「読みました」「現地を見てきました」「知りませんでした」「早速取り組みます」と電話があった。ありがたいことである。

2014年11月9日日曜日

八本脚の仮説に遊ぶ

2013.10.20の記事に貼付した写真
  前回の記事のコメントで東大寺大仏殿の八本脚の蝶のことを書いたが、私自身その謎は解明できていないので、想定される仮説を幾つか立てて検討をしてみた。
 その1 製作者が蝶や昆虫について無知なため誤って8本にしたという仮説。
 その花瓶は元禄5年(1692)の元禄開眼会の折りに池坊の藤掛似水が寄贈したものらしいから、そんな「出来損ない」を寄贈したとは私は思えない。
 その2 突然変異の蝶を見つけて感動してデザインしたという仮説。
 この説は少し楽しい。「奈良観光」というネットに紹介されていたが、この蝶を見たスイス・バーゼル大学ワルター・ゲーリング博士は「歴史上最初のホメオティック突然変異の発見者は日本人だ」と驚嘆したと、東大出版会の著書名をあげて書いている。でもねえ。
 その3 仏教に紛れ込んだ道教(陰陽道)が八という数字を目出度いものとしたからという仮説。
 中国の古代思想に「八觚」「八通」「八卦」「八節」「八風」「八方」等『八』を重視した考えが見受けられるが、だからと言って、なかなか八本脚にまでは辿り着かない。
 その4 蝶は神仏の使いであるからという仮説。
 変態する蝶が「不死不滅」「不死→吉祥」「輪廻転生」「霊魂の化身」「異界と往復する」のイメージと重なるというのは、能等でもいくつも確認できるから、阿修羅のごとく千手観音のごとくその霊力を表現したと考えうるが、では、八本の脚は何を表現しているのかなかなか想像が及ばない。
 その5 「寄る辺の定まらぬ様」の補強という仮説。
 中国古典、源氏、能でのもう一つの蝶のイメージは「寄る辺の定まらぬ様」であるから、そのマイナスイメージを八本脚でしっかりと花瓶(仏前)を掴むことで克服しようとしたとは穿ち過ぎか。

  その6 桃山文化後の遊び心の装飾性という仮説。
 以上5つの仮説を検討したがもう一つピンとこなかった。
 そんな検討の過程で「新日本大歳時記・春」の「蝶の意匠」を見ていたところ、『梅樹揚羽蝶紋様狩衣』(黄地蝶梅文様繍狩衣)白山長滝神社(白山中宮長滝寺)の宝物が飛び込んできた。明らかに八本脚である。
 元和6年(1620)の墨書があるというから家光の時代である。
 これは、前5つの仮説を下敷きにした作家のデザイン力、デフォルメではなかろうか。
 花瓶はその72年後の元禄時代で、時代の気風はよく似ていたのでは…。
 ということで、私の辿り着いた感想は、5つの説を下敷きにしながらも、われらが先輩である職人が「六本脚では物足りない」との遊び心で膨らませたデザインだという説に納得したい。
 そして、「こんな蝶々見たことあるか!」と造った先輩たちの遊び心に、300有余年後の平成人が首を捻っているのを、高いところから先輩たちが笑っているのを想像すると一緒にこちらも笑いたくなるから、我々は先輩たちの思う壺にはまっているのである。
 かつて上岡龍太郎氏が弁護士であった父の思い出を語って、「ベンゴシもマンザイシもシは同じやが人の不幸で商売しているベンゴシより人を楽しませて商売しているマンザイシの方が上や」と父親に言われたというようなことを聞いた気がする。
 歳がいくと難しそうな顔をして感情を抑制して生きるのが正しいと思っている方もおられるが、「いやいや、常識の外に笑いと遊び心を羽ばたかせませんか」と大仏殿の蝶は御仏の伝言を私たちに教えているのではないだろうか。

2014年11月7日金曜日

植物は不思議だらけ

妻がフジバカマの匂い袋制作中
  フジバカマの葉っぱを収穫して匂い袋を増産している。(養蚕みたいな写真だがそうではない)
 この清楚な香りを発するフジバカマが有毒などと信じられないが事実は小説よりも奇なり。

 道で母娘と思しき二人連れが楝(おうち)の実を採ろうとしていたので、「試してはいませんが有毒ですよ」と声をかけたら驚いておられた。
 その実を晩秋以降ムクドリやヒヨドリが盛んに啄ばむのも考えれば不思議だ。

 実母が老人ホームに入所していたとき、スタッフがたわわな赤い実の木で部屋を飾っていた。
 そして「この木は何でしょうねえ」と私に聞くので、「ピラカンサです。有毒です」と正直に答えてちょっとだけ反省した。(せっかくの華やいでいたムードに冷風を送ったよう)

美味しい秋茱萸
  植物と動物の微妙な関係もおかしなもので、ほとんどの植物は動物に食べられないよう自身を有毒化したり棘をつけたりしながら、一方で花粉(蜜)や種子を食べられようとしている。(種は食べられないよう有毒のものも多い)
 圧倒的な野草も大部分の野菜も基本的には有毒だと本に書いてある。
 キャベツを食べたペットが死んだり、犬がタマネギやカカオで死ぬこともある。
 そして、人間だけは食べられたり、ある種の野鳥や昆虫だけは食べられるということもあるから、進化論というものも考えれば考えるほど解らない。(それが進化論だとの説もあるが)

 だから、自然食という言葉の響きに乗って無闇に自然界に手を出すのは危険だが、どう見ても安全な秋茱萸(ぐみ)が道端に実っていた。
 経験則上これは問題ない。
 びっくり茱萸はもちろん一般的な夏茱萸に比べても小粒であるが、野鳥のようにこれを主食にするのでもないから文句はない。
 誰もが通る遊歩道にあるので、今度孫が来たときにまだ残っているかどうか。ということで写真の分を冷蔵庫に保管した。