2013年12月30日月曜日

蝋梅の香り

  歳末の諸ニュースには腹の立つことも少なくないが、1年の最後のブログになったので、我がブログのコンセプトどおり、些末でかつ美しい話題で締めくくりたい。
 私は庭木については、いつ、どこで、どんな気持ちで購入して植えたのかほとんど覚えているが、この蝋梅だけは、いつ植えたのか記憶が定かでない。
 というのも、ほんとうに雑木扱いをして、他の木の下に適当に植えて放っておいたので、実際成長も悪く、長い間さっぱり目立っていなかったからである。
 それを、周囲の木を思い切って選定してから、ここ数年だんだん花が増えてきて、ついに今シーズンの蕾は新年早々の素晴らしい満開の兆しを感じさせてくれている。
 さらに、その香りをブログでお伝えできないのが残念だが、蝋梅の英名は、Winter sweet で、文字どおり冬空に甘い香りを漂わせる花である。だから、その香水もあるという。
 季節は五感のそれぞれで感じることがあるが、私だけかもしれないが嗅覚で得る季節感には特別のものがある。
 春3月下旬の沈丁花は、新しい仕事への不安と重なった人事異動の季節とぴったり連動する。
 初夏のニオイバンマツリはうっとうしい梅雨の合間の清涼剤だ。
 秋の金木犀は「気温が高かろうが季節は秋。夏は終わった。」との宣告のように毎年感じ、若い頃はギンギンに生命感あふれる夏の終わりが寂しかったが、この頃はへとへとになった猛暑のゴールが見えてホッとする。
 そして、この時期の蝋梅は、冬至を越えた光の春を実感させ・・・新春の新たな決意を自覚させる。
 ああ、この香りをお届けできないのが口惜しい。
 で、その香りに乗せてどんな決意をしたのか?
 それは来年のブログでおいおい綴りたい。
 では皆様よいお年をお迎えください。



2013年12月28日土曜日

箸袋をつくる

  タイトルにするほど大層なことではないが、お正月用の祝箸を(正確にはその箸袋を)つくった。
 重ねて言うがそんな大層なものではない。
 つくろうと思い立った動機は二つある。
 一つは私が悪筆で墨痕鮮やかな習字ができないこと、・・・・だから皆の名前が正月早々貧相になってしまうのが辛いこと。兼好法師は「手のわろき人の、はばからず文 書き散らすはよし」と言ってくれるが、当事者は辛い。

 もう一つは、この街のショッピングモールでは、売っている祝箸の全てが『上からお箸を差し込む関東型』で、『下から差し込む関西型』の祝箸を全く置いていないからである。
 昔、多くのスーパーでは「鶏レバー」と表示されていたのにダイエーだけは「きも」と表示していたのは有名な話だが、それは懐かしい昔話になってしまい、関西経済の衰退(関西文化の地盤沈下?)はここまで(つまり関西型の箸袋が全滅するところまで)来たのかと気持ちが沈んでいる。
 ISOだとかグローバリゼーションだとか、画一的で東京的なものが地域や文化を駆逐していっているようだ。
 関東型を置いているのが悪いわけでないが、関西型がゼロはないやろう。

 ということで、それなら『下から差し込む関西型』の箸袋を自分でつくろうと決意した次第。
 で、・・・始めてみると非常に簡単で、A4縦を縦に四等分して、その端の四分の一を切り捨て、残りの紙を折りたたみ、上のほうをまとめて裏に折り返したら基本的には終了する。
 後は、箸を差し込む下の方の左右を三角に切り込むと形の基本は終了する。
 そして、その形を想定して、寿の文字や鳳凰の図をあしらい、親族の名前を書き込んだ。(書き込んだというかパソコンで印刷した。)・・・順序としてはこれが先。
 いわゆる取り箸は関西ではふつう「組重」と書くらしいが、我が家は「山海珍味」と書く。そして、お供え用に「神仏」と書く。「山海珍味」のいわれは判らない。代々のしきたりとしか言いようがない。
 ・・・・・・・名前をパソコンで印刷することについては、いろいろご意見もあるだろうが、実際、毎年毎年この時期、新聞の投書欄などでは「パソコンの味気ない年賀状より手書きが良い」という決まりきった投書が必ず掲載されてゲンナリするが、それだけに、そういう負い目を背負って、手書き以上の年賀状にしようと毎年努力している。で、箸袋の印刷もここは容赦願いたい。
 金色の「水引もどき」で飾り、孫の分にはシールを貼って完成した。
 「水引もどき」だが、それらしい水引をつくるのは難しく、妻と二人で悪戦苦闘して「もどき」にした。
 妻は、「よう次から次へといろんな物を手作りしようとするもんやなあ」とぼやきながら手伝ってくれた。
 元日からスーパーが開いている現代、お正月の準備なんか止めようかという気持ちが無くもないが、以前にスノウさんから教わった「告朔の餼羊(こくさくのきよう)」という教えを思い起こし、最小限の準備をしつつある。
 そうして、少しずつお正月が近づいてくる。

2013年12月26日木曜日

ネットオークションは"重かった"

  堺の住職から「ネットオークションで石臼と杵がこんな値段で出ているのやけどどうやろう?」と電話があった時には、「その値段やったらお買い得やと思うで」と答えておいたのだが、先日、お寺での恒例のお餅つき大会に行ったときにはほんとうに驚いた。
 石臼と聞いただけで「ある種の大きさを、・・当然そういうものだろう」と思い込んだ私が軽率だった。
 写真のとおり4升ぐらいはつける大きさで、その石の底の分厚いこと。
 (ホームセンター等で展示されている石臼を実見すればその分厚さがお分かりいただけるだろう。)
ひげ親父さん 撮影
  核家族の家庭では途方に暮れるに違いない。
 私をはじめ口ばっかりの熟年組が主力になってきたお餅つき大会では先が思いやられる大きさだった。
 つまり、設置するのも片づけるのも身体頑健な男手が3~4人は要る代物だ。
 青年の参加を勧奨するのが喫緊の課題だということを合意したのが成果である。
 
 それは何もお餅つき大会だけのことではない。
 私の感じている感想を言えば、「維新にやらせてみたら」とか、聞くに堪えないヘイトスピーチとか、間違えばネオナチズムに向かう心情が非正規不安定雇用で先の見えない青年層に広がっていると思っている。一種のペシミズムだろう。
 朝日の紙上で作家の星野智幸氏は、「長年の経済的な停滞と労働環境の悪化、それに伴う人間関係の破壊、いつか人生を転落するんじゃないかという恒常的な不安などがつのっていたところに、大震災と原発事故が起こった。・・・・これ以上悲観的なニュースや将来像は見たくないと心身が悲鳴を上げ、現実から目をそらす。そうして無関心が広がっていく。「日本人」(偏狭なナショナリズム)信仰は、そんな瀬戸際の人たちに、安らぎをもたらしてくれるのである。」と分析されている。
 だから年寄りが、この現実を直視せず、「インターネットは苦手や」などと言って、旧態依然とした「集会待ち」ではいけないのではないか。・・・・これはちょっと寄り道。

 当日は寒波であったがそれこそ「お餅つき日和」。
 「お餅をつくのは最小限に止めよう」とか言いながら、結局は震えながら10臼程ついた。 
 皆のお餅つきの技量も相当アップした。
 ご住職の「たこ焼き」もプロの域である。
 東日本支援バザーも回を重ねている。
 継続は力である。
 未来は決して暗くない。
 会場や道具を提供してくれた堺の調御寺のおっさんにはお礼の言葉もない。

2013年12月24日火曜日

ハッピークリスマス

  今日はクリスマス イブ。
  和風に言えば・・歳末。
  この1年を振り返って見て、自公政権の暴走に暗い気持ちが晴れないが、民主主義を求める運動の歴史的な広がりに希望も持てた。
  ただ、就職難や非正規不安定雇用の下で、青年に広がっているアナーキーな感情が心配だ。
 それは青年の責任ではなく、全有権者に問われていることだ。
  だから、年寄りは口が動き手が動くうちに、その経験を語らなければならないのでないかと痛感している。
  そんなときに、こんなクリスマスソングを見つけた。
  ジョン レノンのハッピークリスマス。
  これは遥か昔や遠い世界のことではない。
 「積極的戦争主義」を掲げる私たちの国の指導者が現在進行形で進めている道である。
 クリスマスの馬鹿騒ぎから一歩退いて歌と動画を見ている。

2013年12月22日日曜日

マートルの実が香らない

(1) ご近所から「香辛料になるよ」と言ってマートル(銀梅花)の実を妻がいただいた。

 花はそのままサラダに、枝は肉料理の香りに、そして実も同様に使うと教えていただいた。
 そのため、教えていただいたとおり? よ~く乾燥させて、妻がすり鉢で擂ってペッパーミルに入れ、ポークのステーキにいっぱい振りかけた。が、仄かに、ほんとうに仄かに香りがするかな・・という程度で、私なりのギリギリいっぱいの合格ラインには到達しなかった。
 その上に、乾燥させすぎと擂りつぶし不足で固い固い粒々が口に残った。
 カレーに入れたときも、弱った歯と歯の間に粒が挟まって、赤点どころかマイナス点だった。
 この1年も、いろんな香辛料やハープに挑戦したが、これほど肩透かしを喰らったものもない。
 どなたか、マートルの実の利用方法をご存知のお方はご教示ください。

(2) 二月ほど前のことだが、今は沖縄にいる古い友人と旧交を温めた。
 その時に彼が持参してくれた土産が豆腐餻(とうふよう)。
 豆腐を発酵させたもので、腐乳とか乳腐とか解説されているものだからゲテモノ扱いされたりしているが、実は上品な高級食材である。
 
  見事な紅麹の赤が反って視覚的に人を驚かせているのかも知れない。(着色料ではない。)
 文句なしに高級チーズ料理と言えよう。
 「写真を撮っておこう」と思ったときにはこのとおりほとんど残っていなかった。
 以前に沖縄で食べたことはもちろんあったが、「こんなに美味しかったのか」と首をひねっている。
 そのまま食べてもいいし、肉料理等に塗って食べてもよい。
 こちらはマートルと違い良いほうに番狂わせだった。

2013年12月21日土曜日

千手観音は胴長短足?

  先日、和歌山県立博物館伊東館長による「東大寺の千手観音像の制作年代等に関する講義」を聴く機会があった。
  話は、古い情報が得られていない東大寺の通称四月堂に安置されていた千手観音菩薩立像(重文)のことで、四十二臂を説く経典の渡来時期や木彫像の技法や材質、他の仏像との比較検討から、奈良時代後期から平安初期の作品ではないかということを丁寧に説明された講義だった。
 ただその話の隅っこに、「この像は残念ながらデザインが悪いので評価されていない」という言葉があったことに私は興味がそそられた。
 写真(1)のとおり、一言で言えば「胴長短足」である。
 しかし、そのようにデザイン力、構成力が稚拙な仏師にしては上半身の彫刻はしっかりしていないか。なら、上半身を、つまりは千手をデフォルメしたのではないか。
 あるいは、前のスカーフ(天衣)のあたりを膝だと思うのが早合点で、下腹に帯を締めてすっくと立っているなら日本人の体型そのものではないのか。・・・などと思いをめぐらせた。

  そして、この像は実は元々は東大寺のような大伽藍に安置されたのではなく、もっと小さなお寺用に彫られたのでは・・・などと想像を膨らませた。
 もし、そんな想像が許されるなら、小さなお堂の中で丈六半(266.5cm)の観音を写真(1)のように見ることはなく、実は足元に座り込んで写真(2)のように見上げたのではないのか・・・などと・・・。
 そうだとしたら、深い深い構想力、デザイン力といえよう。
 この像は、今般、修理に伴う調査が行われたようなので、そのうちに調査結果が発表されるだろうが、私としては「胴長短足の1.5級品」という評価はかわいそうだと思っている。
 あえて言えば、前の下のほうの手が低すぎるのが・・・そのあたりを丹田と思わせてしまったのが弱点で、その点だけが惜しいものだと思っている。(前の下の手がなかったらよかったのに・・・、それでは千手観音にならないのか・・・、などと素人は自由に無茶苦茶考えるのだった。)

 ※ 現在は四月堂ではなく、東大寺ミュージアムに安置されている。

2013年12月19日木曜日

五十年の月日

ネットから
  12月17日は祝祭の日だった。
  といって、南都最大のお祭り、「春日若宮おん祭」(17日)のことではない。
  阪神電車の「ドーム前」駅直結のイオンは祝祭参加者であふれ返っていて、軽食のお店も、女性用トイレも長蛇の列で、私はドームに入る以前に、すでにここでドドーッと相当圧倒されていた。
  それは、44年ぶりとなるオリジナルメンバー5人による The Tigers のコンサートに向かう人々で・・・・。
  グレーやベージュのダウンコートの波波波・・。 
  95%が大阪のおばちゃんで5%がおっさんだった。
  そして、紛れもなく私たちも同類項だった。
 それにしても、世のおばちゃんたちの元気さはどうだ!

  ステージは期待を裏切らない夢の幕開けだったが、5人の外見は見事に観客同様に歳を重ねていて、時間はすべての人々に平等なのだとあらためて実感。
  5人中4人がシルバーグレーで、中でも沢田研二は真っ白な「老人ひげ」なのには驚いた。
  私は、観客の上にも、そして5人の上にも流れたおよそ50年の人生の山や谷を想像し、祝祭会場に似ず感無量になった。
  それでも歌は一挙に歳月を巻き戻してくれ、この私でさえ20歳代の気分になったのだから、音楽療法の世界とはこういうものだろうか。
  瞳みのるがステージを駆け、森本太郎、加橋かつみ、沢田研二、岸部一徳が足を前に振り上げるコサックダンス風の例のラインダンスを踊ったのには参った。もちろん、そのあと息は上がっていたけれど。
  その上に、会場側の、シーサイド・バウンドに『ゴー ゴー』と片手を振り上げる何万人というおばちゃんたちの波にもついていけず、私はステージの上と下から大きな落伍感を感じたのだった。
  それでも、まあ、The Tigers のコンサートに行っただけでもキチキチいっぱい落ちこぼれていないかと自分を慰めつつ「これではいけない」と強く思い直した。(このことだけでもアンチエージングの効果があった。)

  「色つきの美女でいてくれよ」とのステージ上からのアピール(歌)におばちゃんたちはうっとりし、おっさんたちは混雑に疲れ肩を落として会場をあとにした。
 それが、あれから50年後の現代ニッポンの事実であり現実である。

2013年12月17日火曜日

執金剛神立像

  1年に1日、12月16日(良弁の忌日)しか公開されない秘仏なので一度は見てみたいと思っていた。(なお、去年と一昨年は公開されておらず3年ぶり)
 それで、東大寺開山堂の良弁像にお参りしたあと三月堂(法華堂)に足を運んだ。、
 それは三月堂の本尊?執金剛神立像(しゅこんごうじんりゅうぞう)で、かの有名な不空羂索観音像の裏に後ろ向き(北向き)に安置されている。

 衆生を救うという仏教、あるいはそういう思想以前の国家仏教にしても、普通に考えれば立派な仏像を「どうだ」と見せることによって教えを広めたいと思うように思うのだが、どういう理屈で『秘仏』という制度を先人たちは考えたのだろう。
 「出し惜しみした方が市場価格が上がる」というような打算だとは思いたくない。
 ただ、そういう制度のおかげで、極めて劣化が少なく保存状態のよい天平仏を見ることができている。ありがたい。

 さて、 執金剛神像の髻(もとどり)の元結(もとゆい)紐の端がないのは、平将門の乱のおり将門誅討の祈願を行ったところ、元結が大きな蜂になって飛び去り将門を刺して乱を平定したためと言われている。
 祈願した、・・将門が敗北した、・・という事実からこんな創作をしたのは誰だろう。
 大昔にもブロガーみたいに「何か言いたい」人がいたのだと想像する。

 今、戦後民主主義を総決算するという晋三の乱や徹の乱が起こっている。
 執金剛神さん、秘仏なんていうのに安住せず、出番ですよ。

2013年12月15日日曜日

問ん直し

   東大寺二月堂北東の『まんなおし地蔵尊』のことは2012年10月26日の記事などで度々書いてきたが、この、近頃はほとんど耳にしなくなった「まんなおし」と言う言葉や、比較的簡単なお祈りで?運気を開こうというあまりにストレートな発想に、私は返って興味を感じていた。
 そこで、大阪市内にも『まんなおし地蔵尊』があるというのを知ったので、真田山の心眼寺にお参りに行って来た。
  すると、山裾にひっそり野ざらしで祭られていた東大寺の『まんなおし地蔵尊』に比べると、こちらの方は大都会のど真ん中らしい立派なお堂の中に鎮座されていたので、その、いろんな意味での格差に驚いた。
 歴史の向こうに忘れ去られたような方(地蔵尊)が好きか、現役バリバリの方(地蔵尊)が好きかは個人の嗜好だろうが、私は心眼寺のその立派さには少したじろいだ。
 私の乏しいボキャブラリーの中には「まんなおし」という言葉はほとんど死語であったが、ここには堂々と息づいていたのも新鮮な感覚だ。
 というようなことを感じていたとき、突然に、ほんとうに突然に、先日、三輪山に登拝に行ったとき、JR三輪駅を出たら『旅館 万直し』という旅館兼食堂の看板が目に飛び込んできたので再び驚いた。

  「まんなおし」という言葉は死語ではないんだ!と、何か民俗学的な発見をしたような興奮でシャッターのボタンを押した。

 私は迷信は全く信じない超のつくほどの近代主義の下で育ってきた。かつ、私の好きな親鸞も「迷信はナンセンスだ」と明快だ。
 そして、現世利益や「罰が当たる」と信者を誘導する宗派もあまり好きではない。
 しかし、科学が未発達な時代に素朴に神仏にすがった先人たちの気持ちに寄り添ってあれこれ考えて見るのは大好きで、それが今回「まんなおし」を少し追っかけた理由である。
 3.11フクシマ以後、今般の秘密保護法まで、「まんなおし」をしたい事柄は山ほどあるが、「自分ひとり位行動してもしなくても大勢に影響はないやろう」というような臆病で卑怯な言い訳に逃げていたのでは「まんなおし」ができるはずもない。
 「まんなおし地蔵尊」は自分の心の中におられると考えるのがいいのだろう。

 ちなみに私は、戌亥の角の鬼門というような迷信も信じてはいないが、我が家の北東角には思想史を楽しんで猿の置物を金網に入れて飾っている。
 道行く方が「なんでっか?」と尋ねられると、「夜中に近所にワルサをしに出かけんように網に入れてまんねん」と笑って答えている。

 ■ 牧村史陽編『大阪ことば事典』(抄)
 まんなおし 【問直し】 運直し。景気づけ。不運を転換する意にいう。また、ゲン直し。
 ■ 民俗学辞典(孫引)
 漁村で不漁が続いたときマンナホシと称して氏神におこもりしたり、酒盛りをしたり、豊漁の船に酒をやり貰った魚を網にこすり付けたりする。

2013年12月13日金曜日

バーチャル体験

  天平時代の大仏殿、東塔、西塔のバーチャル復元と地下の僧坊跡の透視の実験に参加した。
 奈良先端科学技術大学院大学と慶應義塾大学が研究開発したものである。
 タブレット型コンピュータをそこにかざすと創建当時の景色に代わるのは「なるほど」と思わされるものだったが、「どのシステムが一番臨場感がありましたか」と尋ねられても、マンがよいのか悪いのか、ちょうど実験中だけ『晴天』に見舞われて、画面が見ずらいのなんの・・・あまり的確な意見を述べることができなかった。(私たちがすべて終了した頃にどんよりとした冬空に代わり、絶好のテスト日和になったが後の祭り。)
 私が今回の実験に参加したのは平城宮祉のことがあったからで、奈良県と国土交通省は平城宮祉をテーマパークのように「復元」することによって観光客を呼ぼうとしていて、実際にコンクリ舗装工事等が始まっていて、このまま行けば、ウルトラ級に学術的価値の高い地下の木簡等が朽ち果てるし、復元する建物等も学術的な正確さよりも、身びいきの勝った派手なものになろうとしているからである。
 それよりも、このバーチャル復元の技術で学術と観光が両立できないかと考えたからである。
 だが、正直に言えば、このタブレット型コンピュータでは、見易さという入口でずっこけてしまうと思う。 がんばれ、両大学。

 観光シーズンも峠を越して大仏殿も比較的すいていた。
 これなら途中で詰って騒いだとしても恥ずかしくないと、妻が大仏様の鼻の穴に挑戦した。
 少しバタバタしたがどうにか抜けられて鼻高々だった。

2013年12月11日水曜日

深刻でない私の難病

  その治療薬ができたならノーベル賞ものだ・・と言われる難病がある。
 そして私はその難病患者である。
 ただし、命には別状ないので深刻ではないが、当事者は60有余年結構苦しんできた。
 傷病名は「凍瘡」で、いわゆる「しもやけ」である。
 その治療法がよく紙上やネット上に書かれているがみんな嘘である。
 今でも専門医と称する医師が、「風呂で熱い湯と冷たい水に交互にさらすとよい」というようなエエカゲンなことを書いていてあきれている。
 60数年の経験からはっきり言うが、そんなことで症状が改善することは一切ない。
 偏食はしていない。ビタミンEは摂っている。卵も肉も牛乳も好きだ。ユベラも塗った。・・・・・・・
 大人になったら治る子供の症状と書いてある本もある。エエカゲンにしなさい。
 要するに金にならない医学分野は放ったらかしだと実感している。(振動病も同様だろう。)
 重ねて言うが、予防法だとか治療法として書かれてきたものは嘘ばっかりである。
 結局、ホモサピエンス20万年の歴史の中で南方系ルートをたどったDNAが、寒さによって命を落とすことを防止するために末梢の血流を止めてしまうという体質を獲得したなれの果てなのだろうと勝手に解釈してあきらめている。
 これで毎年命を落とさないで済んでいるのだと。
 予防と治療の答は「汗や寒風で冷えないようにする」・・・これしかないが、浮世暮らしはそうは言っておられない。
 今年も耳と足趾(あしのゆび)に発症している。
 で、「山道具屋」で耳当てのついた帽子を買ってきて少ししもやけを楽しんでいる。
 シャーロックホームズ探偵愛用のポーランド製の「鹿打ち帽」(ディアストーカー)が欲しかったが、頭部が温かくなる分懐が寒くなるので手が出なかった。

2013年12月9日月曜日

お餅つき

  ちょっとしたイベントが無事終了したので少しホッとしている。
 「12月8日を空けておいてください」と頼まれたのは5月のことだった。
 町内会のお餅つき大会だが、役員会でお餅つきを知らない者どおしが「ああでもない、こうでもない」と議論する中で担当役員が心細くて尋ねられてきた。
 「昔々から普通のおじさんおばさんがやってきたことだから心配はいらない」と答えたが不安げだった。
 そして、だんだんその日が近づいてきた。
 消防署は「薪コンロを何処においてどのように消火用バケツを置くか図面に書いて計画書を出してほしい」という。
 保健所は「お餅は素手で丸めず健康な担当者を特定するよう」という。
 おいおいおいおい。福知山の花火大会のガス爆発事故もあり、注意するに越したことはないが、それぞれの役所も「聞かれたらそう答えなしゃ~ないがな」と言ったところだろうか。
 いつも学校行事の事故などでマスコミが裁判官面をしてなじっているニュースなどを見ると、この社会は、何もせずに責任回避すればするほど正しく、ある種自己を犠牲にしても前向きに取組んだ者が何かの事故を起こしたときに叩かれるというのが社会の常識らしい。
 くだらない国になったものである。(決して安全対策を軽視しているものではない。)
 薪コンロ3台、臼2台をおいて、250人ぐらい参加し、20臼以上搗いたのだから結構なイベントだった。
 お餅の出来よりも遊びを優先して子供たちにいっぱい搗いてもらった。
 大勢の人の輪の中心になってお餅をつくのを恥ずかしがる子もいたが、孫の夏ちゃんは、私の作った幼児用の杵を使って「もっとやる、もっとやる」と駄々をこねた。
 『ダンドリ八分』の言葉があるが、どんなイベントも準備(ダンドリ) と後始末が八分か九分である。
 それを報われない役務と思うか、そういうものだと自覚するかで面白さも変わってくる。

2013年12月8日日曜日

ワイルドライフ

  「違憲状態であるが違憲ではない」などという訳の判らない日本語が大手を振っているが、いや、そういう指摘をするのは恥ずかしいほど私も乱れた日本語を多用しているのだが、よく言われる誤用の例に「情けは人のためならず」というのがある。
 「情けをかけるとその人が甘えたり反省しなくなるから結局その人のためにならない」という誤用である。
 そんな誤用的新解釈をしたくなる事件が起こった。

 身近な冬鳥の代表はジョウビタキではないだろうか。
 雄の頭は白髪で、衣装はまるで紋付のようであるから「尉」。
 ヒーッ ヒーッ ヒーッ ヒーッ と鳴いた後、カチカチカチと火打石で火を焚くように鳴くから「火焚き」。
 で、「尉火焚き」。
 綺麗な鳥だし声も悪くない。そして、人家近くに定期的にやってくる。

 私は小さな庭に野鳥のための水飲み場を作っている。といっても、使わない生け花用の水盤を置いているだけだが、ここに野鳥が水飲みと水浴にやってくる。
 窓の内側から見ていて楽しいものである。
 
 そして例年どおり、北風に乗ってジョウビタキがやってくるようになり、水盤の縁にとまって水を飲んでいた。
 すると突然、ヒューッ バタバタバタとモズがジョウビタキを襲ってきた。
 暫しの空中戦の後ジョウビタキは逃げおせたが危機一髪であった。
 私が置いた水飲み場のせいでジョウビタキは危うく私の目の前で殺されそうになったのだ。
 そのとき私は、「水盤(情け)は尉火焚き(人)のためならず」という日本語の誤用を頭に浮かべながら、暫し冬空を憂鬱な気持ちで眺めていた。
 大きな声では言えないが、そんな気持ちを、バッタや芋虫がモズに食べられているときには湧かなかったし、モズだって生きていくためには必死なのだということは理屈では判るのだが・・・・。人間(要するに私)は勝手なもんである。
 それ以来、モズは(待ちぼうけ)の「守株」よろしく我が家の前の電線で縄張りを宣言し、毎日、定期便のように挨拶をしていてくれていたジョウビタキは来なくなった。

 PS  「違憲状態だが違憲でない」は流行語大賞にノミネートもされなかった。
     それどころか、テレビドラマが二つとCM、それにIOCでの誇大広告とい
    う4つだった。
     これが現代の文化状況だろうか。
           ちょっと批評のセンスまでもがこの国では劣化していないか。
     読者の皆さん、こうなったら私たちの流行語大賞を選びませんか。
     よかったらコメントをお寄せください。
     私なら「汚染水の報道は完全にブロックされている」ですね。
     誰が言ったかって、私です。  

2013年12月7日土曜日

ちょっとしたことで体調不良

  5日の夜、大阪市内で飲んで帰るとき、近鉄奈良線で踏切事故が発生した。
 そのため、遅れに遅れて走っていた急行電車が東花園駅で運行中止。
 それなら途中の乗り換えのきく駅で停車させればよいものを、ここの駅で降ろされても生駒山を越える術がない。
 もちろん、末端の駅の社員に詰め寄ってもらちがあかない。
 トイレの長蛇の列を見ながら他人のことに同情しつつ思案した。
 放送の限りでは電車やレール等のトラブルはなさそうだ。なら、そのうちに再開は可能だろう。
 しかし、次々に入ってくる電車もすべて打ち切りで車庫に向かう。
 ということは停車した電車内で暖をとることもできない。
 そこに有料の特急電車が入ってきた。そして、降車を希望する方々のためだろう、ドアが開けられた。
 そうだ、近鉄電車は関西の私鉄の中で際立った金儲け主義で有名だ。
 だから、一般乗客を放ったらかしにして再開後は特急だけを走らせるに違いない。・・と考え、特急内で暖をとって処理を待った。
 この予想は見事に的中し、その後、全くその通りに再開された。が、それまでに体は芯まで冷えていた。(こんな日に限ってやや薄着で出て来ていた。)
 そんなせいで6日は一日中悪寒がする。
 これしきのアクシデントで体調を壊すなんて情けないが、これが年齢というものだろうかと気弱になっている。
 もっと寒風の下、国会前で抗議している方々がいるというのに。

2013年12月6日金曜日

こんな紅葉も

  家の前は街路樹がケヤキで、ちょうど落葉(らくよう)の真っ最中だ。
  上の方の葉っぱが順番に下の葉っぱに触れながら落ちてくる音は結構大きく、風もなく道路上の落葉(おちば)が舞っているわけでもないのに カサ カサ カサ  カサ カサ カサ と植物とは思えないような音を立てて動的に冬支度を急いでいる。
 私は四季折々に姿を変えるこのような落葉樹が好きである。
 とはいうものの、その落葉の量は半端でない。
 さらに、どういう訳か風の癖で、そのうちの圧倒的多数が我が家の前に吹き溜まる。
 そうなると、「マナーの悪い愛犬家?」が後始末もせずに去って行く。
 だから、週に2回、45ℓのゴミ袋を5袋ずつぐらい出しているが、まだ写真のとおり残っている。
 終いには「嵐のような木枯らしが早く落としてくれないか」と祈ってしまう。

  柿の複雑な紅葉も終わった。
  それこそ真っ赤に染まっていたアメリカハナノキも丸坊主だ。
 そして、素晴らしい紅葉を期待して庭の主木たる一等地に植えたレインボーメイプルは、今年も数枚だけ紅葉させただけで、面白くもなんともない色合いで「のそーっ」と立っている。
 そんな庭で結構頑張っているのがセイヨウカマツカ(写真)で、誰にも注目されないにもかかわらず健闘しているようで「ウイな奴」だ。
 ただその実は、全く甘くなく楽しくない。
 それでも冬枯れの頃になるとヒヨドリが盛んに啄ばんで飛んで行く。

2013年12月5日木曜日

「取り違え」の訴え

  事実を正確に知りもしないで論評するのは避けなければならないのだろうが、ぼや~っとテレビのニュースから聞こえてきた程度の事柄について、独り言を言う。
 ニュースは、産院で取り違えられた60歳ぐらいの男性が産院に損害賠償を訴えていたものが一定程度認められる判決が出たというものだった。
 確かに、その歳になって実は実の親子ではなかったと判ったショック、そのときには実の両親はもう亡くなっていたというショックは慰謝料に値すると同情する。
 しかしニュースは、男性の訴えの主張として次のように述べていた。
 「育てられた家庭は貧しく進学もできなかったが、実の親の家庭は裕福でその子供たちは進学もできていた」と。
 なるほど、民事訴訟の稼得できたであろう収入の差が「取り違え」によって発生したというのだろうが、ニュースの続きを聞く限り単純にそうではなく、私には「実の両親の裕福な家庭で育てられたなら得られたであろう幸せを償え」と言っているように聞こえた。
 というニュースを聞きながら、私は何か釈然としないものを感じたまま今日に至っている。
 重ねて言うが、私は事実そのものを正確には知っていない。だから、私の抱いた印象が誤解かもしれない。しかし、とりあえず私の抱いた印象で感想を続けたい。
 私が心の中で抱いた疑問は次のことである。
 第一は、「幸せ」とは何だろうということで、裕福な家庭の子は幸せで、貧しい家庭の子は不幸せなのだろうかという疑問である。きれいごとを言うな。そんなのはそうに決まっているではないか。少なくとも幸せになれる確率は何倍も違うのが現実ではないか。・・・という声は知った上で、何かが違うという思いが私には残る。
 例えば、裕福な家庭に取り違えられた子の方が、ある種上流階層にある学歴社会に落ちこぼれないようにと駆り立てられた「失われた青春」や、一流大学を卒業して一流企業に就職して心を病んだ多くの例のごとくになって、「私は裕福な家庭に取り違えられたことによって不幸せだった。」と訴えればそれは通らないのだろうか。
 男性は非常に苦労されたようでそのことを茶化す気などは全くないが、「幸せの代償」というようなものを全て貨幣価値で論ずることが正しいのだろうかと私は悩む。
 第二は、育ての親のことがほとんど論じられていないことが気にかかる。「感謝している」とのコメントはあったようだが。
 育ての親は、早くに母子家庭となって生活保護を受けていたという。そこまでして育て上げた育ての親は、「私を幸せにしなかった親」なのだろうか。
 もし裁判所が彼の「不幸」を認定するのであれば、その論理の帰結として、貧しさゆえに進学を断念する子が生じないよう、即時、国家が憲法の保障する健康で文化的な生活を保障するよう指摘し、真の被告は国家であることを宣言すべきだろう。
 それにしても、「幸せ」を裁くことができるのだろうか。結局私は解からない。
 私は青春時代、「貧乏人のぼんぼん」とあだ名されていた。

2013年12月3日火曜日

昨日の続き

  巨大与党の幹事長が「デモはテロに通じる。」とのたまわった。
 いみじくも特定秘密保護法案は「テロ対策は特定秘密で、知ろうとしたら重罰に処す。」としている。
 この法案の本質をポロッと垣間見せたものだろう。

 ただ、こんな不当な石破発言とタイミングが合ったものだから、私のデモンストレーションへの昨日の提言(というほど大げさなものではないが・・)が否定的な印象をもたれたかもしれないと心配するのでチョッと続きを書いてみる。

 国会や官邸前行動ではない御堂筋パレードのようなデモのことである。
 私が思うには、少なくない市民は「あれは公務員や新聞記者のことで私には縁遠い法案だ。」という感覚で今もいると思う。
 そういう人々の前を私たちは歩くのだ。
 そのとき、「秘密保護法ハンタ~イ」と唱和するだけで、私たちの思いが人々の「胸に落ちる」だろうかと思うことがある。「ああ、反対している人がいる。」で終わってしまわないだろうかと。

 だから、「市民の皆さん、フクシマ原発の事故のとき、私たちは『メルトダウンはしていない』『メルトダウンはしていない』とどれだけ騙されたことでしょう。」「秘密保護法はこういう嘘を制度化するものです。」とか、・・・
 「スピーディーの情報が秘密にされたおかげで、危険な地域、危険な地域に非難した方々も少なくありません。」「だから秘密保護法は庶民の安全に直結している問題です。」というような、
 ・・・一捻りしたスピーチと言うか、そんなアピールがよくありませんか?と私は言いたいのです。
 内容も方法も、みんなが考えて工夫しませんかと・・・昨日の記事では言いたかったのです。

 そして、沈滞した現状を変えようと思う人々が、デモンストレーションひとつ改善し工夫しようと思わないで、どうして明るく楽しい時代を用意できるのでしょう。
 まあ私の提案は往々にしてスベッテばかりいますが、どんな意見も最初は少数意見だとも言いますから、めげずに試行錯誤を続けたいと思っている。 チャンチャン。

2013年12月2日月曜日

御堂筋パレードで不評を買う

  12月1日は、実は義母の外泊の日だった。
 リハビリを兼ねた家族カラオケ大会も用意してあった。
 しかし、今のところ義母の方は2週間後にやり直すのも可能だが、秘密保護法は待ったなしの情勢に思えた。
 ということで、カラオケ大会は妻と妻の姉に任せて、秘密保護法反対の御堂筋パレードに参加した。天候は「集会日和」だった。
 金曜日に集会の情報を得て、何の指示も動員もないのにたくさんの市民が集まった。
 3時半に終了の予定が、私たちが流れ解散したのが5時近くだったから、自覚した市民の底力に確信を持つべきだろうと私は思う。
 用意したオールドファッションのプラカードは知らない参加者からも「いいですね」と好評だったが、私がパレードを飾ろうと用意したシャボン玉は「泡が服に付くとシミになる」と大きなブーイングだった。
 そして、ミニハンドマイクでそれぞれが市民にアピールしませんかという試行も、「音が小さい」とか「私はいいです」というように、今一つだったかもしれない。
 しかし私は、どうしたらデモンストレーションが市民に広がるだろうかと悩んでいるのだ。
 例えばシュプレヒコールとミニハンドマイクのアピールのことだが、一見したところ、大きなマイクでシュプレヒコールを唱和した方が確実に市民の耳には届くと思う。しかし私が言いたいことは、それが心に届いているかということだ。(国会前集会や官邸前集会ならそれもよい。)
 まだ試行錯誤の段階だが、40年前と全く変わり映えのしないデモをしていていいのだろうか。
 小さなマイクでもいい、一人一人が思うところをアピールし、周辺の参加者20人ほどでもそれに楽しく合の手を入れる。これって結構いいんじゃないのだろうかと自惚れているが、友人たちにも理解は得られていない。
 それに、マイクの音量や唱和の形を「費用対効果」のように考えるのも如何だろうと思う。
 そんなことを言えば、共感を得られるようなアピールもせずに交通を遮断しているデモなどしない方がいいことになる。
 重ねて言うが、市民の心に響く工夫を参加者それぞれが努力してみるべきではないだろうか。

 友人が自家製の柿のお菓子を持ってきてくれた。
 私もちょっとだけラムネとシャシャンボを持参した。
 ミニハンドマイクも何人もが使用してくれた。
 こういうのを「萌芽」というのかもしれないが、運動も新たな躍進を準備しつつあるように思っている。

 






  2日(月)の朝日朝刊社会面は、半面を使って御堂筋パレードを明るく報道していた。
 1面の「天声人語」も味のあるいい文章だった。

2013年12月1日日曜日

洋酒喫茶のオリーブの記憶

  遠い昔、何につけても背伸びをしたい頃、私たちが飲みに行っていたのは『洋酒喫茶』だった。ああ、なんとも懐かしい名前である。
 そのカウンターで、カクテルの名前を教えてもらったり、おつまみを教えてもらったりした。
 そのおつまみの中にオリーブの実があったが、当時は何とも変な味だと思っていた。遠い遠い昔の話である。(そういえばアブサンを飲んでひっくり返ったことも思い出す。)

 今、あまり深い訳もなく庭にオリーブの木を植えている。
 目隠し代わりの安い常緑樹ということで植えたものだ。
 だから、あまり大きくならないように乱暴に剪定したりして、放ったらかしである。
 その木に去年ぐらいから実が成りはじめた。
 本によると実を成らすためには2本以上植えなければならないそうだが、近所に植えておられる家があるので、異株で受粉したのだろう。
 数はそれ程でもないが、それでも数えてみると予想以上に多く、ざっと100粒ぐらいは収穫できた。(去年は全てそのままにして収穫していない。今思うともったいない。)
 それを、単純素朴に塩漬けにして3週間ほど経過した。

 遠い遠い記憶の味と比較してみるのだが、こちらが齢を重ねたせいか、今では全く変な味ではなく、とてもおいしく感じられた。作ってみてからわかったが、赤く色付く前の青いうちに収穫した方がそれらしく仕上がった。(写真は赤い方)
 安物の肉料理がいっぺんに引き立つ感じがする。
 安物のタスマニアビーフである。自家製の山椒の粉を少し掛けて焼いた。その上にこの自家製のオリーブを乗せて食べた。付け合せは、庭のルッコラとサラダ水菜である。
 読者の皆様は「なんと質素な食事だろう」とお笑いだろうが、我が夫婦はこれで結構満足している。

 追伸  
 孫の夏ちゃんがやって来た。
 早速、例の誰も採らないしゃしゃんぼ刈りに連れて行った。
 大喜びで7~80粒は食べた。
 古臭い、田舎くさい素朴な味だが、そういう野趣の判る娘である。
 また、爺ちゃん特製のクヌギのドングリグラッセを、「食べる~?」と見せたところ、美味しい美味しいと止まらないのでこちらが心配になった。なんと爺ちゃん孝行の孫だろう。
 孫の食べ物の嗜好はなかなかのものである。通である。
 食事時は、爺ちゃんの赤ワインに指をつけて「美味しいなあ」としゃぶっている。
 成人病になったら困るので、オリーブの塩漬けは見せていない。