2013年10月30日水曜日

それは秘密です

  安倍自公内閣が25日に特定秘密保護法案を国会に提出した。
 防衛、外交、特定有害活動、テロなどの情報が対象だというのだが、悪い冗談でなく「どういうものが秘密事項なのか」と聞くと「それは秘密だ」というものである。ウソのようだがほんとうにそういうものである。
 何でも戦前になぞらえて「オオカミが来た」的に語る気はないが、「戦後レジームからの脱却」をいう安倍首相が戦前の国防保安法や治安維持法を肯定的にイメージしていることは間違いない。
 直接的には、イラク以後日本の直接的な軍事的貢献を強く求めてきたアメリカが、軍事戦略や情報が日本から漏れないよう対策を立てろと要求してきたものであることは周知の事実であるが、同時に、改憲に熱意を燃やす首相が、予想外の9条改悪反対、96条改悪反対の世論の反発を受けて、「それなら沖縄密約方式で事実上の改憲を進めて海外派兵をしよう」、「世論なんか“現地の日本人の命を助けるためだった”ぐらいのことを言っておけば何とでもなる」、「その情報が漏れないように法律を作ればいい」と考えた所産に違いない。
 特定秘密保護法案は偽装改憲である。
 ということをブログに書いたら懲役10年なのだろうか。
 
 政府・与党の修正協議では「正当な取材の自由には配慮することにした」らしいが、この文言はイチジクの葉っぱにもならないと思う。
 私は結構政府の報道管制やマスメディアの癒着ぶりも知っている方だと自負しているが、それでも、ネット(youtube)上で入手したフクシマ原発事故に関するドイツ公共放送テレビの報道を見ると、驚きの事実(直後の例の水素爆発と言われているものの嘘や日本で一切報道されなかった諸事実)の数々に目が回りそうだ。
 知る権利は今でもこの有様なのに、この法律後は懲役刑をもって情報を管制するのだ。
 報道が縛られる、公務員が縛られるというのは国民全体が縛られることである。

 まさに、『「ブレジネフは馬鹿だ」と言った男が国家機密漏洩罪で投獄させられた』という有名なロシアンジョークを笑うことができない。
 才能のない私などは『首相は嘘つきではない。IOC総会では原稿を読み飛ばしただけだ。原稿には「汚染水「の報道」は完全にブロックされている」と書かれていたのだ。』とか、
 『「フセインは核兵器を隠したらしい」と言ってもいいが「実は持っていなかったんだ」と書けば秘密漏洩で逮捕される。』というぐらいの駄作しかできないが、秘密保護法案は格好のロシアンジョークの題材ではなかろうか。
 素晴らしいロシアンジョークは、シュプレヒコール以上の効果を発揮しないかと密かに思っている。
 誰か作品をコメントしてくれないだろうか。

2013年10月28日月曜日

石焼芋

こんな感じ
  「安納芋が採れたぞ」と小・中学校の同級生が送ってきてくれた。(安納芋は流行りのブランド品らしい)
 ズシリと重い箱で、「なんぼ送ってくるのや」と妻がびっくりしたが、「実は一番おいしい石焼で食べて欲しいから」と土鍋と石ころまでが同封されていた。
 ここまでされると、落葉で作る焼芋の楽しみが減るが、真っ黒な灰にしてしまう心配はなくなった。
 『弱火で5分・中火で40分を目安に箸を刺してみるように』との手とり足とりのレシピまで付いていた。
 娘夫婦が来たので早速焼いてみたが完璧であった。(収穫から3週間から1か月間熟成させるようにとの指示には反したが)
 みんな異口同音に「美味しい」と称賛した。
 だから、「焼芋は焚火やろ」というような意地を張らずに美味しくいただこうと宗旨替えをすることにする。
 いや、ほんとうに焚火での焼芋は難しい。
 何回も焼き過ぎて後悔した。
 そういう失敗が今後なくなるのだが、確実に美味しく出来上がるというのもちょっと物足りないという寂しさを感じている。
 息子は「お父さんとこへ送ってブログに書いてもらおうと思ったんやろか」と茶化したが、同級生は絶滅危惧種のワープロ派である。
 このブログを印刷して送付しなければならない。
 
 私は、庭の猫の額のような菜園の草むしりさえふうふう言って、秋の深まりまで放っていた。
 もちろん、土を耕すのも必要最小限といった感じである。
 だから、「午前中は畑、そして昼食にビールをあおる」らしいが、春夏秋冬、相当な農作業をしているその気力と体力には敬服する。明日から、何十分の一かの真似事を!と思うのだが、日が替ると意思がなえている。

2013年10月26日土曜日

解らない 添御縣坐神社

三碓の・・・
  我が家では、お正月にはお屠蘇が醒めると、その地の産土神(うぶすながみ)に詣でることが多かった。どちらのご家庭でもよく似たものだろう。
 奈良市の西部に住んでいたときには、近く(三碓:みつがらす)の添御縣坐神社(そふのみあがたにいますじんじゃ)に行っていた。
 小山を背に、南北朝時代の社殿が綺麗に現存している式内大社で舞台もあり、小さいけれども立派な神社だった。
 トンドにあたりながらお屠蘇を戴いた。

歌姫の・・・
  その後奈良市の北部に転居した折には、近く(歌姫:うたひめ)の添御縣坐神社に行って、ここでもトンドやお屠蘇を戴いた。 しかし、添御縣坐神社だと?・・?#$%&??
 ・・・・、「何か前の神社とよく似た名前の神社やなあ?」「あちこちに八幡神社や春日神社があるように同じような名前の神社なのかなあ?」と気にはなりつつ、それほど気に留めずに・・・過ごしてきた。
 ほんとうはここで「おかしい」と気づくべきで、その辺が鈍感だった。

 そしてその後、・・・・少しばかり歴史を齧りだすと、当時のその疑問がやはり気になってきたのでここに書いてみる。

 県(あがた)とは大王(天皇)家の御料地のようなものらしい。
 なかでも、大和の高市、葛木、十市、志貴、山辺、曽布の六つの県は王権の中心地にあって歴史も古く、それ故にその御縣に坐す神々は大切にされていたように延喜式の祝詞には書いてある。
 そのため、各御縣には「坐す神社」があるのだが、・・・ハテ、なぜ、曽布(添)県(そふ(う)のあがた)だけには二つあるのか?
 少なくとも延喜式の時代には二つあるとは書かれていないから、とすれば延喜式の添御縣坐神社はいったいどちらなのか?
 この辺りのことについて最も詳しいのではと私が思う歴史学者千田稔先生も、「どちらが延喜式に書かれている添御縣坐神社なのかは解らない。」と書いておられるが、「平城京は添御縣に造られた・・という仮定にたてば大極殿の真北近くに鎮座している歌姫の神社かも。」と、やや歌姫寄りのように見受けられる。
 私の結論は、・・もう一度自分の目で確かめに二つの神社を廻ってみたのだが、・・結局よく解らない。三碓説も捨てがたい。
 で、ただ、ごくごく私的には、二つの添御縣坐神社で何回もお神酒を戴いてきた我が家としては「どちらでも構わない。」という、ええかげん無責任な立場に立っている。
 こういうことについて、昔なら徹底して自分なりの見解を主張するところだが、古代史あたりを散歩してみると、「判らないことは判らない。」と思えるようになってきた。
 それが、成長した結果なのか、ズルくなったからなのかはワカラナイ。きっと後者だろう。

 さて、歌姫の方は、氏子の長老が一年交替で神主となり、任を終えると十人衆と呼ぶ宮座に入るらしい。
 どう考えても中世のしきたりがそのまま連綿と受け継がれて今もある。
 全く「新日本紀行」の世界である。
 そして、どちらの神社もすぐ近くに住宅地が迫っている。そのコントラストがなんともあはれである。
 そして、私はといえばいつも迫っていく住宅地側の新住民で、こんな記事を書いていると、そんな自分の根無し草ぶりが少々寂しくなる。
  といって、伝統の重い田舎暮らしは窮屈そうで出来そうもないのだが。

2013年10月24日木曜日

浅葱斑がやって来た


  人間がひねくれているせいか、権威ある書物でさえ自分で確認できていないものは直ぐには信じ難くなっている。
 「アサギマダラはフジバカマ等に含まれる毒性のアルカロイドを摂取して敵から身を守っている。」などというのもそうであった。
 「私を食べたらえらいことになるわよ!と、あえて目立つような色模様なんだ」と。
 浅葱斑に聞いてきたような記述がある。ほんまかいな。

 ところが、ふわりふわりと、ほんとうにふわりふわりと藤袴に浅葱斑がやって来たので、夫婦で「ほんとうに藤袴には浅葱斑がやってくるんだ!!」と感嘆の声を上げた。
 浅葱斑は揚羽蝶のように大きいが、飛び方は文字どおりふわりふわりである。
 鱗粉のない羽根が浅葱色(ごく薄い藍色)で、その美しさからオオムラサキと最後まで国蝶の地位を争ったと本にあった。
 そして夏には八ヶ岳等のような標高1000メートル以上の高山で暮らし、これから台湾辺りまで越冬のため渡る途中らしい。
 ただし、精確には中部から北方の平地にも居たり、本州内で越冬するものもあるという。
 しかし、まあ、日本では唯一の長距離の渡りをする蝶として有名である。
 それに、北上してきた蝶と南下する蝶は世代が異なる(親と子)ようだが、それならどうして方角や、中継地である島々や、目的地を知っているのだろう。わずか10数gの蝶が偏西風に抗って2000kmも南下するエネルギーはどのように得ているのだろう。“偉そうな人間”の知らない自然はいっぱいある。(我々はほんとうは何も解ってはしない。)

 それにしても、その長旅の途中でどうして我が家の藤袴を見つけたのだろう。その能力の不思議さには言葉もないし、我が家を選んでくれた光栄を熱い胸で感じている。
 正直に言えば藤袴という野草そのものはパッとしない見栄えである。その割に場所をとるので妻の評価は低い。「抜いたらどう?」と。
 しかしこうなれば、浅葱斑の宿駅として絶対に途絶えさせることはできない。
 「浅葱斑御用達」の看板でも上げようか。
 このような珍しい自然界の訪問者を見つけると理屈抜きでワクワクして嬉しくなる。
 という気持ち、解ってもらえるだろうか。

2013年10月22日火曜日

山法師の実

  春(初夏)には涼しげな花を見せていてくれた山法師が秋には可愛い実を見せてくれている。
 我が家の大きな山法師の木の実は全て落ちてしまったが、小さな別の種類の方は写真のとおり未だ残っている。
 ヒヨドリが時々啄ばんでいるが、秋は草木の実(供給)が豊富なせいかそれほど売れ行き(需要)が良い訳ではない。・・ので、ただただ地面を汚しているだけだ。
 私や妻や時々外泊で帰ってくる義母が下を通るたびに摘んで食べているだけでは減っていかない。
 というのも、果物らしい酸味にかけるため、大量に食べる気がしないし、ジャムや果実酒にするにも酸味を加えなければならないようだから、そうなると純粋のヤマボウシジャムやヤマボウシ酒と言うのが憚られるから収穫せずに放っている。
 味を解説すると、① ほんわかと甘い、② ジューシーとは言えない、③ 皮が堅過ぎはしないが無視はしえない存在感がある、④ 気にはならないが種がある、⑤ 本にはマンゴーのような味と書かれているが、要するに不快なことは全くないがほんわかというかぼんやりとした微妙な味である。
 孫の夏ちゃんも2つ食べたが、「イヤ」と言うのではないが、「もうええ」という感じでそれ以上は手を出さなかった。その程度の味である。
 だから我が家では、食べるよりも実の成っている風情を楽しんでいる。
 
 風情といえば、私がだんだん横着になってきたので、この頃は手入れのいらない宿根草が増えている。

 今は、紫苑や藤袴がほんとうに無造作に伸びて咲いている。
 私は「野原の逞しさを演出しているのだ」と言うのだが、誰も賛同してくれない。
  
 
 

2013年10月20日日曜日

お練り

  春風や 巡礼どもが 練供養 (一茶) という句は、大阪、平野、大念佛寺の春の行事『万部おねり』を詠んだものである。
 大念佛寺を総本山とする融通念仏宗は、開宗900年という歴史ある主要宗派ながらあまり有名とは言えない。その理由は、信徒の多くが河内や大和、南山城等に偏っているためだろう。
 『家の宗旨』などという概念は古臭いかもしれないが、妻の実家がそうであった。基本的には旧村中がそうであった。
 だから、妻の実家の親戚中が集まった時に「まんぶ」がなんとかという話題が頻繁に飛び交っていたのだが、最初は何のことか判らないでいた。そしてそのうちに、それが大阪市指定無形民俗文化財でもある結構盛大な行事であることを知ったが、今日まで実際に足を運ばずにいた。

  19日に、そのお練り(ダイジェスト版?)が大仏殿で厳修されるというのでお参りに行ってきた。
 東大寺は基本的には檀家を持たないお寺なもので、数々の行事も結構少人数で行われているという経験からそのつもりで行ったのだが、さすが末寺や檀家を持つ融通念仏宗というべきか、朝の9時過ぎには大仏前は一杯であった。
 そして、お坊さんたちによる雅楽に先導されて今回は十菩薩がお練りになった。
 一言で言えば、来迎の世界をビジュアル化した宗教劇だろう。
 若い頃私は、正直に言うとこういう宗教行事が好きではなかった。親鸞聖人の説く精神性の対極のような感じがしていた。
 しかし、私も歳をとったのか、今ではこういう風に「教育宣伝」に腐心した先人の苦労と創造力に頭が下がるようになった。仏像を刻むのも伽藍を飾るのも声明も絵解きも節談説教やそしてお練りも、その折々の創意工夫だったんだと思えるようになってきた。

  創意工夫といえば、お練りの菩薩様は皆アジアンビューティーのロングヘアーというのが意外だった。やはり来迎は女性的なほうが好まれたのだろうか。
 観音様に千本の手を付けたのも、蝶に八本の足を付けた(写真)のも、その当時の精一杯の創意工夫だったのではないだろうか。

2013年10月18日金曜日

種を蒔く

  先日、水菜、ほうれん草、菊菜、豌豆等冬野菜の種を蒔いた。といっても私は少し土をほじくっただけで蒔いたのは妻であるから、「蒔いた」などと偉そうには言えない。
 どの種も立派に発芽したが、写真はその「サラダ水菜」である。
 半坪農園であるから、5株ほどで十分で、外側から“摘んでは食べ 摘んでは食べ”していくと春までもつ。
 つまり、あとの99.9%は間引くのである。それを惜しんで間引かないと生育不良になる。
 解ってはいる、解ってはいるのだが、いつも「もったいないなあ」と眺めている。
 そもそも、家庭菜園用にはもっと少量を安く売ってくれればいいのである。金銭の問題ではなく「もったいない」の問題で、金銭でいえばスーパーでいくらでも安く大きな完成品(野菜)が手に入るから、家庭菜園など手間暇や肥料のことなどを考えると無駄である。

 さて、豆類の種などは不自然な色(薬品で)にコーティングされていて「食べないでください」と書かれている。
 そんなことは農家ではずっと以前から常識なのかもしれないが、最初にこれを見たときには驚いた。こんな不自然な種を蒔いてもいいのだろうかと。
 大型スーパーには、寸法の整った大きくて綺麗な野菜が並んでいるが、ということ自体が不自然なことではないのだろうか。コーティングされた豆を見ながら、これが社会の進歩なのだろうかと首を捻っている。
 
 TPPが危険な段階を迎えているが、アメリカがしたがっていることは、アメリカ、アルゼンチン、インド、イラク、メキシコ、ハイチ等々を見ればよく判る。堤未果著「㈱貧困大国アメリカ」に詳しく報告されている。
 モンサント社のような一握りの種子や肥料・農薬の多国籍(アグリビジネス)企業が、遺伝子組換(GM)種子とその種子に特化した除草剤や農薬を絨毯爆撃のような価格競争で持ち込み、その後は一様に農民が没落している。そして数年後には土が荒れ、収穫量が落ちている。
 なお、モンサント社のGM種子を使用した農家は次のようなライセンス契約を結ばされている。
 ・ 自分の農地で採れた種子を翌年使用することを禁止する。
 ・ 毎年種子はモンサント社から購入する。
 ・ 農薬は必ずモンサント社から購入する。
 ・ 毎年ライセンス料をモンサント社に支払う。
 ・ トラブルが起きたときは内容を他者に公表しない。
 ・ 契約後3年はモンサント社の私設警察の農場立ち入りを認める。
 こんな怪しげな契約を詐欺的にさせておいて、その後そこの政府が遺伝子組換食品を規制しようとしたりすれば「知的財産権」や「高額賠償」で対抗するというのがTPPである。
 これらの国々で4~50年後にどんな身体の異常が出現するかも解らない。

 私は現在、日本の民主主義を願う人々が、地方自治や国政の民主化と同時に、多国籍企業を規制する国際的な取り決めについてもっと関心を払ってもいいのではないかと野菜の種を見ながら思っている。  
 
 

2013年10月16日水曜日

祝勝会にはクスダマでしょう

  「9月29日に投開票される堺市長選挙はちょっとした歴史のターニングポイントになるだろう」と語ってきたが、10月5~6日実施の朝日新聞の世論調査では維新の政党支持率が1%に凋落するなど、あまりに見事に社会が推移していくことを驚きながら喜んでいる。
  もちろん、大阪府知事、市長、そして府議会過半数等々の維新の影響力を軽視してはならないが・・・。
 “投票締め切り即当確”が打たれ、私の携帯にも「祝勝会をしましょう」とメールが入ったが、なんやかんやと手間取り、ようやく今夜の祝勝会と相成った。

  「祝勝会ならクスダマやろ」という発想自体には何の新鮮味もないが、お互い歳をとると何事によらずただ集まって酒を酌み交わすというマンネリに安住しがちなので、一念発起というほど大袈裟な話ではないが、クスダマの仕組みを調べ、使えそうな材料を調査するためにホームセンターを散歩し、結果的には、ボール2個、モール2本を・・百均で400円で仕入れてきた。
 あとは実験や試作を繰り返しながら嬉々として製作したが、妻が「何をごそごそ作っているかと思えば、またまたあ~」と冷やかした。
 ということで、10月の頭には完成し、約半月間この日まで熟成してきた?クスダマなので、大型台風26号の大雨ぐらいで止めるわけにもいかないから、大事に抱えて持参した。

 さて、作ってから「クスダマって何やろう?」と疑問が湧いてきたので思いつくまま綴ってみると・・、
 古代中国の道教の風習に端を発し、少なくとも平安初期には始まっていた「薬草や香料を入れて不浄を払い邪気を避けた薬玉」に起源がありそうで、それが“見た目”だけ発展して仙台七夕のクスダマになり、さらに近代、パフォーマンスの要素を加えて進化したものではないだろうか。
 “見た目だけ”とか“進化”と一言で言ったものの、七夕飾りのクスダマとパッと割れて飛び出してくるクスダマとの間にも質的な飛躍があり、牽強付会ではないかと自問しなくもないが、舞い散る紙吹雪はお祓いの要素を、パッと割れて瞬間に現れる垂れ幕は桃太郎の誕生に似た生産や繁栄を願う祈祷の精神を「覚えている」からなのではないだろうか。
 穿ち過ぎかもしれないが、最初に作った日本人?にはイグノーベル賞を進呈したい。
 なぜ発明者が日本人らしいと思ったかといえば、垂れ幕は日本、中国、朝鮮、モンゴル等の『縦書き』の文化であり横書き文字文化圏の発想ではないとしたら、近代の日本人である蓋然性は高いと私は考える。
 (割れて垂れ幕の落ちるクスダマの発明者をご存知のお方はご教示ください。)

 以上のとおり、「クスダマ割り」は、隧道や橋の開通式が一番似合った使い方であり、「優勝おめでとう」だとか「祝入場何万人目」というものもあるが、それとて、「さらなる高みに向けて幸多かれ」との祈念が基本にあるように思う。今日の「クスダマ割り」も同様に理解したい。

 で、祝勝会でどうなったかについては言わぬが華。基本的には皆さんに喜んでいただけた。私は安全神話の信奉者ではないから改善点が明らかになったらなったで次回には改良型をお披露目しようとやる気が出てきている。

2013年10月14日月曜日

祖母ちゃんの玩具

  大阪の「まっちゃまち」は今でも一部の店では「小売りはしません。」と貼り紙のあるような、玩具と人形の問屋街である。そこで電子オルガン?を買ってきた。
 行く前には「おもちゃのシロホンでもないかな」と思って行ったのだが、こちらの方が安かった。
 単純な構造=木の台に鉄板を打ち付けてあるような玩具の鉄琴よりもこの電子機器の方が安いのだが、それが頭で理解できても心で理解できないのは何故だろう。

 さて、2歳の孫はもちろんドレミも判らない。
 しかし、このごろはこの種の玩具が多いせいか、教えもしないのに一瞬のうちにスイッチの入れ方、各種ボタンの意味するところ(音色だとかリズム)を習得し、ボタンを押してドラムを遊んだり、リズムを自動演奏させて自由にダンスをしている。
 そういう現代っ子ぶりに爺バカは感心して目を細めている。
 これまでも書いたことだが孫はスマホで撮影するぐらいは朝飯前である。

 玩具が増えて部屋が狭くなるので、これは孫が来た時に遊べるようにと我が家に置いておくことになった。
 その結果、孫が帰ってからは妻(祖母ちゃん)がその後は遊んでいる。
 昔はエレクトーンや電子ピアノがあったが、モノにならずに棄て去った身には丁度ぴったりの玩具かも知れない。
 そして鍵盤を弾きながら「なんで楽譜の頭の♯やとか♭があるんやろう。」と忌ま忌ましそうに私に聞いたが、私も世間一般の答以上の回答しかできず、「そのうちに演奏前のボタン一つでイロハ・・が変えられるようになるんと違うか。」というようなことしか言えなかった。
 結局、ハ長調の歌だけを探し出してきて遊んでいる。
 孫に追い抜かされるのは時間の問題だろう。
 私といえば右手の人差指一本で「ちょうちょ ちょうちょ」としか弾けない。
 このブログも、右手一本で打っている。
 『もしもピアノが弾けたなら』ではないけれど、楽器のできる人々が羨ましい。

2013年10月12日土曜日

  小学校の担任の先生は作文を書くときに「常套句」が嫌いだったというか、常套句に逃げるような発想が良くないと私たちに繰返し教えた。
 という流れの中で高村光太郎の「冬が来た」という詩を讃えて教えてくれたので、そんなことが頭の片隅にあるものだから、毎年この季節になると、私は「きっぱりと秋が来た」という言葉が浮かんでくる。
 私の感覚で言えば、秋から冬よりも、夏から秋の区切りこそ「きっぱりと」という言葉が似つかわしい。
 この記事を書いているこの夜はまだ暑くてたまらない。だが、読者の皆さんが読まれる頃には、きっと「きっぱりと秋が来た」ように感じられているに違いない。天気予報はそのように言っている。
 
 という天気予報をクヌギの木は聞いているとしか思えない。
 さあ明日からは秋本番だ、と言わんばかりにドングリをまき散らしている。
 ボトッ ボトッ ボトッ と、すさましい勢いでドングリをまき散らしている。
 クヌギのどんぐりは大きく立派などんぐりだが、高齢社会の歩道上で演じられている風物詩を誰も注目もせず、もちろん拾うともしない。
 ただ私だけが、「今度孫に見せてあげよう」といそいそと拾っている。
 クヌギのどんぐりは食べたことがない。迷っている。

2013年10月10日木曜日

大黒さま

  以前に書いたことがあるが、私が小さい頃、我が家では甲子(きのえね)の日に大黒さまの掛け軸を掛けて「てんこ盛りの赤御飯」を供えていた。
 上に載せたお茶碗の蓋が湯気によってガチャンと落ちたら「食べてくれはった。」と安堵した。
  父母がいなくなった現在、これが直接的にどういう信仰(しきたり?)であったのかはいろんな考察をしてみたのだが判らない。
 またそれとは別に、母は出雲大社の信仰を持っていたので、今でも我が家には小さな木彫りの大黒さまがおられる。
  そんなことで、門前の小僧ではないけれど、孫のお宮参りにオオモノヌシ=オオクニヌシを祀る大神(オオミワ)神社に行ったときには、二礼四拍手一礼で「幸魂 奇魂 守給 幸給 (さきみたま くしみたま まもりたまい さきはえたまえ)の神語ぐらいは唱えることができていた。
 そもそもオオクニヌシの信仰は、アマテラスの信仰を戴き国譲りを受けた天皇族以前の先の大王の信仰であるが、現在庶民にイメージされているのはシンプルに心強い福の神だと思う。私としてもそれで何も不満はない。

左右にもっともっと並んでいる
  さて、私の好きな古書店のひとつに上六の天地書房がある。
 歴史の古書は奈良の東向き北・南、餅飯殿の古書店にも多いが、天地書房の方が値段が安いように感じていて贔屓にしている。
 先日、いつものように立ち読みをつづけた後に1~2冊を求めたが、その時、レジの後ろの棚の上の方に大量の大黒さまの並んでいるのを見つけた。ほんとうにすごい数である。
 尋ねてみたが「先代から引き継いだんです。」と言うだけで、集められたイワレ・イキサツ等は解らなかった。
 ほとんど全てが黒光りというか黒いので、荒神さんのように竈近辺の神さまだったのか、あるいは囲炉裏のため??、それとも、この古書店に来てからでさえ長い年月が経ってくすんだのかも判らない。
 なかなかの数であるから、一見の価値がある? 時間があれば覗いて見られることをお勧めする。
 
 世は活字離れと言われて古書店の経営も厳しいらしいが、去りゆく活字派のためにこの古書店が繁盛するよう大黒さまには天井近くから見守っていてほしい。

  余談ながら、古書店が集まって開催される『古本市』があるが、あまりに冊数の多いのもくたびれる。
 そして、「そうそう、やっぱりさっき見つけたあの本を求めよう」と思ってさっきの辺りに帰ってみても、同じような書架がいっぱいあって、さっきの本が見つからない。
 体力が消耗したときの古本市は、楽しさ半分、悔しさ半分のときが多い。

2013年10月7日月曜日

小さな収穫祭

  冬野菜の種蒔きどきを逸してしまうので、極小菜園の夏野菜類の整理にかかっている。
 ただ、満願寺唐辛子、加賀野菜の金時草、ササゲ等々猛暑をやり過ごしてから秋になって元気になるものも多くて、毎年のことであるが夏野菜を抜く時期が悩ましい。
 これを惜しがっていると、冬野菜が上手く育たない。

  青紫蘇も然りと抜いているが、その実が惜しいので少しばかり捨てずに収穫し醤油で佃煮にした。 
  料理に使うというよりも、普通のつくだ煮、あるいはフリカケの要領でご飯にのせて食べようと思っている。
  今年もシーズンが終わったが、大切な葉っぱは(100%無農薬栽培なので)年中オンブバッタにボロボロにかじられた。ただ、それでもそれでもと新しい葉っぱが出てくるので、その都度摘んで使用した。
 オンブバッタは孫が来た時に捕らせてあげようと思って放っておいたが、孫はあまりバッタを喜ばなかった。ああ。

  そういう日常の経験から、店頭で売られている大きくてきれいな大葉(青紫蘇)をみると、どうも不自然な感じがしてしまう。
  虫の入らないハウスで育てただけで決して薬づけではないとは思うのだが、どうしても見慣れた葉っぱと比べて「不自然にきれいだ。」と感じてしまう。思ってしまうので仕方がない。
 ただ、夏季全体を振り返ってみると、今年は毛虫やその他の害虫の発生が少なかった。
 嬉しいことではあるが、何か自然界のバランスが崩れているのでは・・・と要らぬ心配が頭をよぎる。
 ・・・・・紫蘇の実の美味しいレシピ、ご存知であればお教えください。

2013年10月5日土曜日

撮り鉄ちゃんを撮る

  通称:赤川鉄橋は大阪市都島区と東淀川区を結び淀川をまたいでいるJR貨物線の鉄橋である。
 鉄橋自体は複線用だがレールは単線しか敷設されていないので、空いた部分を大阪市が旧国鉄から借り受けて歩行者の生活道路になってきた。(自転車は押して・・と書いてあるがほとんどの人はそのまま走っている。)
 つまり、列車と人間が隣り合う鉄橋として知る人ぞ知る珍しい鉄橋なのだが、今般、JRが複線化するために、この10月31日をもって歩行者は通行禁止になる。
 淀川のような大河に懸る橋が一つなくなることは利用者にとっては大きな不便であるが、例によって橋下市長は、かつて架設が予定されていた代替人道橋の計画を中止した。
 
 という、あと1か月も命のない鉄橋を、秋空の下、OB達でハイキングに行ってきた。
 すると、平日にもかかわらず鉄橋には「鉄ちゃん」たちがいっぱい居て、それぞれが楽しそうに勝手にガイドをしてくれた。「先日は台湾の鉄ちゃんに説明した。」と嬉しそうに語ってくれたり・・・。
 そして、「あと30分ほどで列車が来る。」というので待っては見たがナカナカ姿を表さない。すると、「九州で人身事故を起こしたために4時間遅れている。」との情報も入ってきた。
 世はネット社会の上に鉄ちゃんのネットワークで、こういう情報まで私たちが知るというのも面白い。
 結局、1時間ほど待って鉄橋上で貨物列車とすれ違った。
 ・・・・・・ただそれだけだが、楽しい経験だった。
 鉄橋上のあちこちには「撮り鉄ちゃん」がカメラを構えていたが、私の写真の人々は「にわか撮り鉄ちゃん」である。
 でも、その一瞬、鉄橋上はお祭りのようなワクワク感が共鳴しているようだった。そのほとんどは男である。

  PS  上の写真だけでは「なんちゅうハイキングや。」と誤解を受けると困るので補足をすれば、赤川鉄橋に行く前に『毛馬の閘門(けまのこうもん)』と『蕪村公園』でしっかり勉強した。
 写真は(新)淀川から大川(旧淀川)へ『毛馬の閘門』を出てきた船。理屈はスエズやパナマ運河と同じ。
 こちらでは、先日の台風18号の爪痕があちこちにあって心が痛むと同時に、非常にメカニックな、・・・イメージとしてはロケットの司令室のような淀川水系全体の管理司令室も見て少し安心した。
  与謝蕪村のことはいつかまた。

2013年10月4日金曜日

星蜂雀(ホシホウジャク)

  同じ漢字の組み合わせでも、雀蜂(スズメバチ)は友達にしたくないけれど、蜂雀(ホウジャク)は「朋有遠方より来る」と歓迎したくなる。
 昔、探偵ナイトスクープで「ハチドリがいた!」と話題になったが、そういう誤解も納得できるハチドリ・チルドレンといった趣がある。

 ハチドリが蜂でないように蜂雀も蜂ではない。ホバリングをしながら花の蜜を吸う雀蛾(スズメガ)の一種である。
 私の好みで言えば大透羽(オオスカシバ)の方が好きであるが、写真の星蜂雀(ホシホウジャク)らしいのも好きである。
 飛び方にスピード感があり、満開の「花虎の尾」(はなとらのお)に来たかと思うと直ぐに他所へ飛び立って行くのでこんな程度でも撮影できただけで喜んでいる。

 一般には、蜂に擬態をして他の昆虫を追っ払っている・・あるいは鳥に食べられないよう防衛していると書かれているがほんとうだろうか。
 人間様にはスズメバチの親類あたりと思われて駆除されていないかと勝手に心配する。
 かく言う私も、孫が来ていたときなら「捕まえてじっくり見せてやろう。」と文句なしに補虫網を持ち出しているだろう。
 だから、その擬態が成功しているかどうかはわからない。
  そもそも、ハナアブなどで「お見事!!」としか言いようのない擬態は認めるが、ほんとうにこれが蜂の擬態なのだろうか。あんた!鳥にでも聞いてきたのだろうか・・と、ちょっと首をかしげている。虫や鳥の本などではこんな思いを抱くことが珍しくない。

 その幼虫は、我が家で言えばクチナシや自然薯で大きくなる。
 10センチ近くにもなる青虫である。その大きさと栄養価から、来るべき食糧危機の救世主と言っている学者もいるが私は試していない。(地球の未来に心配性の方は今のうちに試しておかれるのもよいかもしれない。)
 親が綺麗なのでそのままにしておくが、見事に葉っぱを丸裸にして、代わりに大きな糞をまき散らす。それでも放っておいている。
 それは、いつか帰って来てこんな写真を撮らせてくれるに違いないと思うからであるが・・、
 街行く人は「此処はなんとズボラな家だろう。」と顔に書いて通り過ぎていく。
 秋を告げる金木犀の香りを楽しもうともしないまま。

2013年10月1日火曜日

ギリシャの混迷とダンダリン

  昔、当時の大人の人から、「生活改良の運動なんかしているから社会が変わらないんだ。」「圧政によって庶民が貧しくなると人々は立ち上がるんだ。」と聞いたことがあるが、もちろんそんなことはない。
  ギリシャでは、厳しい緊縮政策と失業の激増という閉塞感の中から「黄金の夜明け」という政党が急伸した。公約は、「すべての移民を国外追放し、国境地帯に地雷を施設する」だ。シンボルデザインも鍵十字によく似ている。
 昨年6月の総選挙で7%、18議席を獲得、9月には13~15%の支持率だった。
 そして、同党党員が反ファシズムの歌手を刺殺する事件まで発生し、それまで黙認していた政府も、ついに党首と国会議員4人をその殺人事件関与の疑いで逮捕した。
 私は、ネオナチ、ファシズムの台頭はこういうものなのだろうと思うとともに、どうして日本のマスコミはこの「時代の警鐘」を十分に報じないのだろうと気を重くしている。
 あまり歴史を図式的に語るのは避けなければいけないが、戦前の軍国主義台頭の土壌も大恐慌、失業、豊作飢饉等々にあった。
 先日来、「大阪では何で松井氏や橋下氏のような人物が知事や市長であり得るのか?」という質問を受けるが、そこはやはり「明日のことなんかどうでもええ」というぐらいに心身が疲れた庶民の生活の状況があるのだと思う。
 言い換えれば、「十把一絡げに・・・既存の政党にはうんざりだ。」「何でもええから、何かやってくれそうな話に懸けてみたい。」といったところではないだろうか。
 その限りでは、全国共通の課題であり、他県では、多少タテマエが尊ばれ行儀の悪い様を恥ずかしく思う風土が僅かにそこへの転落を堰き止めているだけではないだろうか。
 以前に「恒産なくして恒心なし」という孟子の言葉を引いて、失業や不安定雇用は良識や道徳を崩壊させることを書いたが、つくづくそう思う。
 故に、労働政策の充実は民主主義擁護の背骨である。
 橋下維新の労働規制緩和特区の危険性もここにある。

 話はエーゲ海の向こうのことではない。今や非正規雇用労働者は労働者全体の3分の1を超え、1990年代半ば以降、特に15歳から25歳の若年層で急増している。

 そんな中、読売テレビ(日テレ系)で10月2日スタート、毎週水曜夜10時、ドラマ。
 『働くひとを守るために、働くひとがいる : ダンダリン : 労働基準監督官』が始まる。
 期待はしたいが、だらしない上司や同僚の方が目立たないかと、年寄りは何かとつまらぬ心配をしている。