2012年7月31日火曜日

ひとつの夏祭り

  実母がお世話になっていた老人施設の夏祭りがあった。
  私は家族会の特別会員にして役員(?#$%?なんのこっちゃとお思いでしょうが引っ掛からずにお進みください。)を仰せつかっているので、ほんの少しだけ主催者的に“気だけ”は働いたつもりだが体はついて行かない。
  老人施設の主人公の皆さんの症状は千差万別だから、かつて経験してきた子供会や自治会の夏祭りにはない難しさもあった。
  しかし、どうにかして入所者を単なる祭りの観客で終わらせずに、祭りの主人公として参加した実感を得ていただきたいと工夫する過程でのその心配事の多くは杞憂だった。
  (よく敬老祭などで、出演者は『ヨカレと思って』嬉々として発表会を楽しんでいるが、高齢者は長時間の「見学」に疲れ果てているのを見るものだ。)

  台車の上に机を置いてタライを載せて、綺麗に飾ったのは『ヨーヨーつりの出前』。
  (そもそも車椅子の入所者は夜店まで来ることができないし、地面にあるビニールプールには手が届かない。)
  (だから一昨年まではこれは近所の子供用の夜店であって、入所者にヨーヨーつりを楽しんでもらうという発想は全くなかったようだ。)
  手の不自由な方がほとんどだから最初は躊躇されるが、元気よくお誘いして、家族の方々に手に添えていただいて丈夫なコヨリを持ってもらい、とりあえず高々とヨーヨーをつり上げて「おめでとうございます」と大きな拍手をお贈りすると、今まで難しい顔をしていた方も間違いなく嬉しそうな顔に変化した。
  盆踊りも車椅子を揺らして廻るだけだが、多くの方々は小さな動きであっても手が動いたし、最後まで手の動かなかった方に此方が少し落胆して終わってみたら、・・実は嬉しそうな顔であったりした。
  「同じ阿呆なら踊らにゃ損損」は夏祭りの絶対的真理だとやっぱり納得した一夜だった。

  イベントは主催者側で苦労した時に参加者が喜んでくれれば、どんな素晴らしいイベントに参加した時よりも充実感が湧くものだから、子供たちにもそのように育ててきたつもり。
  そして、そういうことの理屈抜きの先輩は実母だった。
  だから今年の夏祭りの賑わいを一番喜んでいるのは実母かもしれない。
  私は来年はちょっと寂しいが一参加者で踊ることになる。 
  ♪ ヨイト ヨイヤマカ ドッコイサノセ っと。

2012年7月28日土曜日

写真は忍耐とフットワーク

  突然蝉の鳴声がギギギギギギギっと悲鳴になった。
  予想どおりヒヨにくわえられている。

イソヒヨドリ親
  ヒヨはそれを電線の上で雛に与えている。
  餌をやっているというよりも採集のノウハウを教えているようだ。
  なるほど、5月6月の子育ては毛虫で行い、7月8月の子育ては蝉でするのか。
  蝉は蝉で、ヒヨの子育てのために何年間も土中に潜んでいたのだろうか。諸行無常、諸行無常。
  カメラを取りに往復しているうちに親子のヒヨは飛んでいってしまった。

  真昼に窓の外を見慣れない影がうろちょろする。蝙蝠である。
  昼夜逆転症?の蝙蝠で、無秩序に飛び回って隣家の壁にぶつかったりしている。
  一瞬隣家の庇に逆さまにぶら下がった。
  これは珍しい。
  これはすごいとカメラを取りに戻ったら、どこかに飛び去ってしまっていた。
  残念というよりも、動物の写真はこういう失敗の繰り返しだ。

イソヒヨドリ雛?
  庭から雀やヒヨの声に混じってきれいな声が聞こえてきた。
  イソヒヨドリだ。今度はカメラを持って飛び出した。
  しかし、蛾を捉えようと超高速の空中戦を展開し、何回かの失敗のあと餌をゲットして飛んで行ってしまった。
  シャッターを押さずじまいのうちに見事なショーは終了していた。
  正確に言うと『真夏の何もない空』だけが写っていた。
  暑さのせいにしたいが、己がフットワークの悪さだけを思い知らされた。

  という反省から、駅前で自治体の草刈作業が始まっていたことを思い出し、草刈後の空地は野鳥たちの天国(ビュッフェ)になっていることだろうと想像して炎天下出掛けてみた。
  『ダンドリ八分』、やはり予想と準備が大切で、以前から時々お目にかかっていたこの地のイソヒヨドリがやってきた。
  そして、飛び方その他の動作から雛と思われる子も連れている。
  ようやく写真が撮れてちょっとだけホッとした。
  だが、親子3羽が一緒にいるところや羽を広げて飛んでいる姿はまともな写真にならなかった。
  写真は忍耐とフットワークだと、解ってはいるが体がいうことをきかない。暑さはこたえる。
  イソヒヨドリは、抜群の音響効果を知ってか知らずか、高層の立体駐車場の中で涼やかに歌い続けて真夏を謳歌しているというのに。

2012年7月26日木曜日

なら町の地蔵盆

  NHKや東京キー局のテレビがよく言う「月遅れの盆」という言葉はどうも耳障りがよくない。
  僻みかも知れないが「未だに旧暦の影響を受けて8月にしている地方がある。」との意を含んでいるような蔑視の眼差しを感じる。僻みすぎか。
  「新暦7月の盆なんて東京だけと違うのん?」と言いたくなるような、こういう違和感は理屈の世界ではない。
  関西に育った者としては、お盆は8月でないとすっきりこないし、地蔵盆は「あ~あ、夏休みもあと1週間や」という無念さと表裏一体でないと地蔵盆でない。つまり8月23日。
  ところが不思議なことに、古都の『なら町』では現暦どおりの7月23日の地蔵盆がメジャーらしいので、見聞のために夕涼みがてら出掛けてみた。
  すると、町のお地蔵様の周辺とともに、少なくない寺院でも地蔵盆が行なわれおり、以前のブログで「感じのよい寺院だった。」と書いた福智院でも、総勢13名のお坊さんが揃って読経がされる中、「どうぞお上がりください。」というのでそれに参加させていただいた。後に行った十輪院でも「どうぞどうぞお上がりください。」で、このあたりが南都の好きなところである。最初に行った伝香寺は人が多くて境内だったが・・・・、ここは、裸地蔵の着せ替え行事があるのでカメラマンも多く少しだけメジャーなようだった。
  なお福智院では、読経の後、地蔵菩薩の御真言を唱えて大きな数珠を皆で廻していく数珠送りの行事にまで参加させていただいた。
  町なかの地蔵盆とはちょっと異なったものだったが、庶民参加型の落ち着いた宗教行事だった。
  余談ながら、あの、オン、カカカ、ビサンマエイ、ソワカって言う「(前述のは地蔵菩薩の)御真言」って、意味も解らず大きな声で唱えるのは、お坊さんには申し訳ないがいつも恥ずかしい。

2012年7月23日月曜日

夏は白胡瓜

   一坪農園以下の、花壇よりも小さな畑で毎年夏野菜を作るものだから、忌地(いやち)=連作障害が起こることは解っているのだが、と言って、トマト、胡瓜、万願寺、ササゲは外せないから、毎年懲りずに賭けのように高密度栽培を行なっている。
  トマトは数の採れない大玉、中玉は収穫量が寂しいので、フルーツトマト系のミニトマトにしたのはまあまあ「当たり」だったようだ。
  ただ、「当たりだ」「豊作だ」と言っても老夫婦二人の食材としては十分だと言う程度のことで、ままごとのような菜園である。正確に言葉を選べば「不作ではない」程度の出来だろう。
  散歩の方々が我が家のトマトを見て「ウチではうまくいきませんわ」とおっしゃるが、よく聞くと大抵大玉種で水のやりすぎのようだった。私も何回か失敗してきている。

  胡瓜は、今年は私の大好きな「半白」(黒イボ白胡瓜)の出来がよく、妻の好きな「四葉」(皺が特徴の白イボ青胡瓜)の出来はよくなかった。
  「半白」はこちらの収穫量(食事量)を超えた分が黄色く30㌢以上の瓜のようになるが、実は私は、その固くなった黄色い皮を適当に剥いて、この、種とジュースいっぱいの大きな胡瓜を糠漬けや塩漬けで食べるのが大好きで、妻は食費が安くつくと喜んでいる。
  白胡瓜の大きなのは絶対にスーパー等では売っていないから、白胡瓜は自家製夏野菜の雄だと決めて勝手に表彰している。

  万願寺は例年並みだから秋が楽しみだし(ちょっと夏休みの後でもう一度実が増える)、ササゲは65㌢級のがいっぺんに登場してきて、「ああ、お盆が近くなったなあ」と教えてくれている。
  反対に、オクラの成長は悪く、青紫蘇はオンブバッタの大集団に穴だらけにされている。青紫蘇はそれでも新しい葉を出すのでそれを収穫しているし、少々穴だらけであっても味は変わらないから笑って見ている。私も大人になったものである。
  こうして、我が家の無農薬有機夏野菜は、子供たちが来たときの最高のお土産になっている。

2012年7月21日土曜日

半化粧

  検査と薬のため28日に1回ずつ医院に行っているが、服薬によるコントロールがほぼできているので医師は「これは素晴らしい。」と体調に折紙をつけてくれた。・・と思ったら私の持参した血圧等の「グラフ」が「素晴らしい出来栄えだ。」と言うことだった。#$%&??

 そのアナログ度の高い医院の前に「ニオイバンマツリ」が“返り咲い”ていた。我が家ではどういうわけか2~3年で姿を消してしまった木であるが、名前のとおり「くちなし」に劣らず薄紫の花からよい香りを発散する。

  先日「ジャガランダなんて知らなかった。」とブログに書いたが、近所の庭に薄紫の花をいっぱいつけた美しい木があった。「なんていう木ですか?」と聞くと、「知らない」と言う、何年も花も咲かず目立たなかったが周囲の木々を剪定したら今夏きれいな花が咲いたらしい。
  すると、蓮華会式のあった法華寺にその木がきれいに咲いていた。
  ところが、ところが、帰ってみると「なんと言う名前やったかなあ。」という有様で、妻に「野菜みたいな名前の木やった。」とだけ報告した。
  で、いろいろ調べた結果判明した(思い出した)のは人参木(西洋人参木)。喉に刺さった小骨のような忘れ物が解決して一安心。・・・・・と言うほど大層なものではないが・・・・・。

  その法華寺にハンゲショウが咲いて?いた。(葉っぱがメーンであるから咲いていたもおかしいが。)
  夏至から11日目の七十二候・雑節の一つ「半夏生(ハンゲショウ)」の時期に茂るからそう言うらしい。しかし私は「その葉の様子から半化粧とも。」という由来の方が格段に気に入った。
  農業と縁遠かった私には半夏生の行事や行事食の記憶はない。そして、純粋の大和の農家の娘であった義母も、どういうわけか「そんなん知らんなあ。」という。
  しかし、この草は、葉っぱの半分に白粉(おしろい)を塗った見事に半化粧で、この雑節の名を健気に高めている。

2012年7月19日木曜日

去年と同じ蓮華会式

  思えば「進歩と成長」も神話の一種なのかもしれない。私などはその神話にどっぷり浸かって走り続けてきたような気がする。(偉そうなことは言えないがこの国の大多数もそうであったような気がする。)
  だから、『去年と同じシーンを同じように眺める贅沢』を、この歳になってようやく少し判ってきた。
  南都・法華寺の蓮華会式。
  県指定文化財の「光月亭」で「小豆粥」をいただき、尼寺に相応しい“造りの美しい”茅の輪をくぐって来た。何もかも去年と同じ小規模で落ち着いた行事だった。
  遠く道教~陰陽道に起源を持つ?厄除けと夏越の行事である。
  「光月亭」は大和の古い民家を移築したもの。
  「小豆粥」はもちろん其処の「おくどさん」で炊かれていた。大和の「茶がゆ」に小豆が入っている。それに100%自家製の梅干が美味しい。

  今年の新発見はただ一つ。
  報道関係のカメラマンも走り回る南都の有名寺院。それでも結構な参拝者数。鐘の音や鈴の音をバックに進行する落ち着いた行事の所作。そんな皆の頭の上に、全てを超越した女郎蜘蛛が夕風を楽しんでいたこと。 善哉、善哉。

  先日家族に怪我があった。皆がちょっとショックだった。しかし、この蜘蛛を見ていると、全てが「大難小難、大難小難」と思えてきた。この言葉は「大難になりそうなところが小難で済んでよかった。感謝、感謝。」と言う意味で、実母の口癖だったもの。
  法華寺、蓮華会式、大難小難、大難小難。


2012年7月16日月曜日

中央アジアの香り

   テレビの向こうに向ってぼやくのは老化現象の表れらしいが、やたらに生の野菜を齧っては「甘~い」とか、肉を食べては「柔らかい」としか言わないタレントにはほんとうに辟易する。
  具体的に批判するのも馬鹿らしい。ほんとうに辟易している。

  さて、我が家では、子供たちが帰って来たときに度々屋外でバーベキューをすることにしているが、たまには上等の肉をはりこんでやれと、肉の美味しいと評判の店で上等の霜降りロースを買ってきたことがあったが、食べ慣れていないせいか、脂っぽいというか水っぽいというか、もう一つ美味しいとは感じなかった。(人工霜降りではない国産黒毛和牛のミスジ等である・・??)
  そして昨秋、立派なホテルのパーティーで立派な器に乗った嘘のように柔らかい霜降り松阪牛のステーキが出てきたが・・・、正直に言うとこれも「頼りない」というほかなく、妻も「そうやなあ」という感想だった。夫婦の舌が貧乏生活に慣らされ過ぎたせいかも知れないが、何か牛肉の本質とは違うという違和感が残った。(私は肉の脂身大好き人間。念のため)

  だから、この頃、肉をガッツリ食べたい時の我が家はラムチョップに限ると思っている。(牛も豚も鶏も大好き。念のため)
  娘夫婦が帰ってくるときに「用意しておく料理は何がええ」と聞くと「ラム」と指定があるぐらいだ。
  和牛にもオージービーフにも特段その国の香りはしないが、ラムチョップには確実に遥か中央アジアの香りがする。
  ラムチョップを齧ると私の頭の奥にはボロディンの「中央アジアの草原にて」がほんとうに聞こえてくるのだ。これは理屈ではなく、どうしようもない幻聴に近い「思い込み」である。(ボロディンは駱駝の隊商をイメージしているらしいが、中学生の私は、教室の前方に置かれたレコードプレーヤーから聞こえてきたこの旋律を、羊の放牧地として最初に記憶の底に格納した?)
  そういう講釈を並べ立てて食べていると、「中央アジアっ? これってニュージーランド産て書いてるけど」と子供たちから反撃された。

2012年7月14日土曜日

夜店の匂い

  お昼であっても夜店とはこれ如何に!お祭りの屋台のこと。*******
  昔の夜店にはカーバイトを使ったアセチレンガス(ランプ)の匂いがしていた。もちろん今はお目にかからない。
  お面、綿菓子、射的、いろんな夜店を思い出してみても、私にはそれほど強烈な匂いの記憶は出てこない。
  先日、用事で大阪に出てみると、生國魂(いくたま)さんのお祭りだった。
  参道には、各種のフライのような揚物関係の夜店が数多く匂いを振り撒いていた。
  こういう一見時代に取り残されたような世界(夜店)でもなるほど変化しているものだと感心した。
  匂いではないが、・・・私だけが知らなかっただけかも知れないが「金魚すくい」ならぬ「亀すくい」の店が出ていた。
  夜店側が成立つように子亀が廉価なのだろう。
  ゲットできた子どもたちは、やがて持余し、川や田圃にそっと捨てるのだろうと想像する。解らない。
  「ひよこつり」の店もあった。大阪市内のど真ん中で、ゲットできた子どもはどうするのだろうか。
  どうせ、可愛い可愛い数週間で死んでしまうのを前提にしているのだろう。
  私はひよこを親にまで育てたことがある。最後はかしわ屋さんに買ってもらった。あの時の悲しさは今も思い出すことができる。
  同様の心配は大阪市内では要らぬお世話だろう。
  コケコッコーと鳴くまで育てたら、区役所に苦情が殺到するのではあるまいか。
  難波大社(なにわのおおやしろ)生國魂(いくたま)さんの夏祭りは、かつては「川の天神」に対して「陸のいくたま」と称されるほど賑わったらしいが、今は枕太鼓も神輿も御鳳輦等々も皆な大型トラックのパレードになっている。
  私は御旅所のある本町橋近くで働いていたことがあったので、その頃はこの枕太鼓や子供太鼓もビルの上から眺めていた。
  屋根も屋根代わりの布団もない太鼓台なのできっと古式なのだろうと思う。トラックでは寂しいが、ちょっといいものだった。
  生國魂(いくたま)さんは「曽根崎心中」の舞台である。境内には浄瑠璃神社もある。昨今の橋下市長の文楽(人形浄瑠璃)への悪口を苦虫を噛み潰して悲しんでおられるに違いない。

2012年7月11日水曜日

こうつと大学は介護民俗学

 
平成24年お正月の想い出
  ここ2年ちょっとの間の実母と義母の介護の現実から私が経験的に学んだことを、「老朗介護」等のラベルでブログ上に何回か書いてきた。
  例えば、最初は半分は思いつき程度の気持ちだったのだが、昔の上海の写真や奈良の写真を持参して話してみたり・・・、
  母の曾孫の名前から無意識的に始まった「夏は来ぬ」の合唱に驚いてから、いろんなジャンルの古い歌を何枚も印刷して持っていって歌ったり・・・、
  その都度、母や周囲の入所者の目が輝くのが判ったから、それまでの「ただの面会」から「もしかしたらこれも介護」へと私の意識も実践的に変化していった。。
  後にはそれらは、回想療法と呼ばれたり、音楽療法と呼ばれたりするものの一部であったり亜流であったりすることが判って自分自身少し驚いた。
  感想を言えば・・・、立ち読み程度の知識しかないので間違っているかも知れないが、 専門家に言わせれば、回想療法も音楽療法ももっと体系的なものであり、マニュアルに沿って行なわれるものらしい。しかし私は、そういう専門的な文章に出会 うたびにものすごく大きな違和感を覚える。〇〇療法論を知らないと介護はできないの?資格のある人は立派な介護が必ずできるの?というように・・・。
  例えば実母のときの音楽は、同じテーブルの数人がバラバラに別々の唄を歌ったりしたのだが、専門家に言わせれば「そんな音楽療法はない」ことになるのだろうが、私が帰るときに何人もから「楽しかった」「また持ってきてね」と言われたものだった。
  老人介護と言っても間違ってはいけないのは、日々それは生活であり人生なのだから、人はマニュアルに沿って生きているわけではないのだと、私は確信している。
  そんな経験の中で、あえて言えば回想療法の一部分なのかも知れないが、古い言葉や、農作業や、祭り等々の思い出を「教えてもらう」時間を『こうつと大学』と自称して重ねてきて「老人施設は民俗学の宝庫である」と、ちょっと感動しながらブログに書いてきた。
  そうしたら、先日、朝日新聞に大きなスペースを割いた六車由美氏の同様の大きな見出しを見つけて、「私の思いはあながちピント外れでもなかったんだ」と楽しくなり、早速著書の「驚きの介護民俗学」を購入した。
  著者は、もともと大学で民俗学を教えていたが今は介護の仕事についている両方の専門家である。もちろん、無手勝流の家族介護者とは視点も異なるが、著書の端々に「そうやそうや」という共感が沸き起こった。
  私は、高度成長、バブル景気、不況等々の資本主義社会を(に)生き抜いてきた(翻弄されてきた)都市の家族介護者に、戦中、戦前の記憶を持つ親たちが御存命なら、親たちの民俗学の頁を今すぐ開かれんことをお勧めする。
  こんな楽しいことを、どうしてもっと早くに気がつかなかったのかと悔やんでいる。
  「ひとに尋ねられている」「頼られている」と思ってもらうこと以上に効果的な老朗介護はないのではなかろうか。

2012年7月9日月曜日

梅雨の中休み

  昨日は、梅雨前線が南下して、大雨が中休み状態になって少しホッとした。
  すると、猛暑でもないのに、大雨前とは一変した夏模様が我が家の周辺に出現した。
  単なる気温の変化でもなく、このように季節がページをめくっていく・・・不思議である。

  先ず、空き地のあちこちからキリギリスが競うように鳴き出した。
  私の小さい頃は、焼け跡の空き地のあちこちでキリギリスが鳴いていたのを思い出す。
  キリギリスはそれほどいっぱいいたのだが、それでも玩具屋や夜店でキリギリスを売っていた。
  反対に、今のほうがキリギリスは住宅地から減っていると思われるのに売られていない。
  竹の虫かごに入れてキリギリスの鳴き声を楽しむ文化はもう滅びたのだろうか。
  今年の夏には、たまねぎでキリギリスを釣ってきて我が家で大合唱をさせてやろうかと思ってきた。
  しかし、真夏の昼のキリギリスは涼しさよりも暑苦しさを覚えてしまう。思案する。

  空き地の上を赤とんぼが旋回している。懐かしい。
  植木に止ったのはシメトンボだろうか。
  これから、高原で避暑をして秋に帰ってきてくれると嬉しい。
  環境問題などの学習会に行くと、決まって赤とんぼの激減が語られる。
  我が家周辺のこの環境は貴重なのかもしれない。
  赤トンボもヤンマも昔は住宅地の道路上を飛んでいた。
  そして、どういうわけか、十字路の上で旋回していた。
  それを、路上に持ち出した床机に座って眺めていた。
  このブログを書いていて・・・何か超高齢者が遠い昔話をしているようで複雑な気分である。
  だが、そんな風景を取り戻して孫に見せてやりたいものである。

2012年7月8日日曜日

山中のモンキアゲハ

  先日、と言ってもサツキの咲いていた頃、生駒の寶山寺を創建した湛海律師について調べたい(お寺の方に確認したい)ことがあり、寶山寺へ行ってきた。
  言い伝えでは役の行者の創建となっているが・・実際はもちろん寶山湛海律師開山である。
  わが国最古と言われるケーブルカーを6分間乗っただけだが、予想外にそこは十分に「山の中」だった。
  ケーブルカーの「宝山寺駅」を降りて参道を歩き、お寺に似ない大きな鳥居をくぐって、結局奥の院まで登ったが、息が上がって膝が笑って、我ながらそのバテバテ振りに情けなくなった。
  ひげ親父さんのブログの「立石寺の1,015段の石段を登れなかった話」を笑うことなど全くできない体たらくである。
  義父や義母と初詣に来たことがあるが、そのときの義父や義母よりも若いはずだが格段に根性なしである。

  ただ登ってしまえば、そこは線香とフィトンチッド溢れる別世界で、緑に覆われて姿は見えないが、すぐ目の前の木からひっきりなしにホトトギスとキビタキが大声を競い合うのを聞いているだけで心が落ち着く。
  ここでは四六時中歌い続けるウグイスも脇役である。
  写真のモンキアゲハも平地では見ない「山のアゲハ」である。
  参道前の「新地」もその裏寂れようが旅情であるが、「生駒聖天」同様妖しい雰囲気は微かに残っている。
  「鳥居前」に降りてきてから「ぴっくり通り」で名物「十三(じゅうそう)焼き餅」を探したが既に店を閉じていた。感慨深いが「しかたがないか」と納得する。町はずっと以前から観光地ではなく大阪のベッドタウンである。

2012年7月6日金曜日

リハビリは目が回る

  7月2日の朝日新聞の「私の視点」に「短期入所でもリハビリを」という福武敏夫医師の投稿があった。
  曰く「デイケアのリハビリで効果のあった高齢者が、ショートステイになると寝かされたままで、肺炎や床ずれの原因になっている。」と。
  この話は非常によく理解できる。
  特養になるとなおさらだ。現実の世界と乖離した制度の硬直した位置づけに問題があると、私も氏と同じように不満を感じている。(正確に言えば・・介護ヘルパーの資格を持つ妻の見聞からしても・・・施設によってその温度差は大きく、実母のお世話になった施設は非常に前向きだったので喜んでいるが、それでも感じるところはあった。)
  私は診療報酬に関する仕事の経験もあるが、「リハビリこそ過剰診療の温床だ」と言わんばかりの現行制度は非情であるし、結果として病人=医療費を増大させていると私は思う。
  そして、それぞれの症状により千差万別ではあるが、広義のリハビリは、専門家と家族がそれぞれ努力することで非常に効果を発揮すると信じている。(医師や理学療法士による本格的なリハビリを知ったなら、診療報酬は廉すぎるように実感する。)
  近頃、「家庭での介護が一番幸せな形だ」的な論調が時々見受けられるが、そんな幸せな姿を寡聞にして私は知らない。
  政府とメディアがキャンペーンを張り出したら眉に唾をつける必要があると私は経験的に学んでいる。 
  そんなことで、偉そうなことは言えないが、おおよそ2週間に1回の義母の外泊の際、その度に何か目新しい刺激を与えられないかと妻と話し合っている。
  そこで、先日の外泊の際は、体調の万全を期しておいて、思い切って回転すしに連れて行った。

  ジョッキのビール、あちこちの来客、そして寄せては遠ざかるお皿のいろいろ、この一連の刺激を、無意味な不安にとらわれ、一時はほとんど寝たきりのように衰えていた高齢者のリハビリと言わずしてなんとしよう。
  ただ、ビールを飲んだ上に、あまりに熱心にレーン上のお寿司を追いかけているうちに、「あ~目が回る」とほんとうに言い始めたので、大笑いをしてリハビリをストップした。
  ええっ! こんなのリハビリって言わないんですか。

2012年7月4日水曜日

くちなしの花の頃

  梅雨空に額紫陽花もよいけれど、どこからともなく漂ってくるくちなしの花の香りは雨空のうっとうしさを補って余りある。その香りをブログでお届けできないのが残念。

  我が家にも矮性くちなしが咲いているが香りまで「矮性」で面白くない。専ら近所の大八重くちなしの植え込みを楽しんでいる。
  本によると、日本人が桜を愛するように中国人はくちなしを好み、長江の渡し舟の船着場にはくちなしの花飾りを売る娘がいて、船の中はくちなしだらけになる・・とある。
  ただ惜しむらくは、この上品な白さが長持ちせず、すぐに黄ばんで・・なんとかの夢のあと・・という感じになってしまう。
  それに我が家の矮性くちなしにはオオスカシバのでっかい幼虫がついて、忽ちのうちに裸にしてしまう。オオスカシバが可愛いので最初は放っておくのだが、そのうちに耐えられなくなって摘まみ出すのを毎年の行事にしている。


  渡哲也のくちなしの花が流行ったのが1970年代。私は東京にいて長男が生れた頃だった。
  カラオケはほとんどなく、アカペラか、レコードを廻してマイクで歌うか、洒落たところならピアノバーだった。
  くちなしの花は宮崎出身のK田さんの十八番で、ボリュームのある体格で歌うこの歌には皆が一目置いていた。
  だから、毎年この花を見ると、マジックインクのように大きな指をしたK田さんが「今では指輪も廻るほど・・」と歌った姿を思い浮かべて一人で笑っている。


  植え込みの奥の方の花を妻が手折ってきた。
  いっぺんに家中の湿度が下がったような気にさせる芳香が拡がった。

2012年7月2日月曜日

山百々には塩をつけて

  山百々(やまもも)は「隔年着果」で豊作と凶作を繰返すので、我が家の周囲1kmでは今年は見事に不作である。去年は鳥も振り向かないほど成っていたというのに・・・・・。
  (だいたいが果物には確実に不作の年がある。)

  去年道路上を真っ黒に汚し、周囲に果実酒の匂いをぷんぷん振り撒いていたあちこちの〈馴染の〉木のほとんどが「実?って何のこと」と言わんばかりのそっけなさである。隔年着果お見事!と言うしかない。
  それでも、天邪鬼と言うか、個性的というか、「私は私」という木があって、そんな木を見つけて収穫するのは文字どおり収穫らしい収穫で楽しい。
  豊作の去年は収穫の意欲も減退したから、私というのも我ながら身勝手というかあまりに発想が凡人過ぎて恥ずかしい。反省。

  収穫は朝の5時から、スーパーのビニール袋をポケットに、早朝散歩を兼ねて夫婦で行なった。下の写真は器の手前に30cm定規があるのでお判りのとおり、それでも(不作にしては)結構な収穫だった。もちろん他人様のためにもたっぷり残してきた。
  それほどに・・・、不作だと言ってもこの街に 山百々(やまもも)の木は多い。(収穫する人が少ない?) 小粒の木、中粒の木、そして少ないけれど見事な大粒の木もある。この大粒の木の手の届くところは先客により坊主である。
  一般的には「雌雄異株のため街路樹には雄株を使う」と本にはあるが我が街では雌雄半々というよりも実をつける雌株が多い。この本の記述はいったい?$#&%???
  義母のところに持っていったら「おいしい」「懐かしい」と喜んでくれた。
  後はたっぷり砂糖漬けにして冷蔵庫に保管しておき、いつか来る子や孫たちを喜ばせたい。


  昼に買い物に行ったついでにさらに一盛採ってきた。(朝の分を全部熱を通して砂糖漬けにしてしまったので・・・、)

  そして今度は昼食前に塩をつけて老酒を飲んでみたら、これもなかなか乙な味だった。
  当然だ。あの大酒のみで有名な李白が・・・、
    玉盤楊梅為君設
    呉塩如花皎 白雪
    持塩把酒但飲之
「ヤマモモを用意した。呉の塩をつけて一杯やろう。」と吟じているのだから。

(注) ヤマモモは山の桃ではなく、山に(で)いっぱい実をつけるから山百々・・という説があり非常に説得力を感じている。真偽は知らない。