2011年7月6日水曜日

七夕

 昨夜は久しぶりに梅雨前線の北側に入ったので「これはチャンス」と夜空を仰いだが、22時頃に織姫(ベガ)と彦星(アルタイル)がデネブと併せて「夏の大三角形」として見えたものの、その後だんだん雲が厚くなって見えなくなり、天の川は片鱗すら確認できなかった。(まあ期待もしていなかったが・・)

 そこで、今度は紙上天文家となって、7世紀~8世紀初頭の築造(製作)とされているキトラ古墳の星宿図を見たところ、当然のことに織女と牽牛はしっかり書かれていたが、一方、天の川の方は書き入れられていなかった。
 この星宿図は北緯39°にある高句麗の都の平壌(ピヨンヤン)で観測された原画に基づいているというのが多数意見のようであるが、とすれば、唐や高句麗では天の川の存在が必須である七夕伝説は政治的には重視されていなかったようである。
 それにしても、約350の星と68の星座をほぼ正確に記した古人(いにしえびと)に比べ、現代人がどれほど「進歩」したと言えるのだろうか・・・と、感心することが多すぎる。

 話が前後するが、昨日の朝、実母に天の川の写真(コピー)を持参した。(老朗介護のための小道具である。)
 「ほんとうに昔はこんなんやった。」「土手に寝転がって眺めたなあ。」と懐かしがったが、何時頃の何処の土手かは判らない。
 七夕飾りには、101歳の手になる曾孫の名前が記されていた。(この現代人には身内ながら感心する。)

1 件のコメント:

  1.  昨日の七夕、毎年歩いている平和行進であるが、どうも午前中の体の具合がすっきりしないのである。来年もある事だし、無理せず、今年は欠席。
     短冊のしっかりした字といい、何となくジーンとします。
      
      七夕や 秋を定むる 初めの夜 芭蕉

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