2011年5月31日火曜日

楝の花、いとをかし

 ネットは便利になったものである。
 昔々「夏は来ぬ」の歌詞をワープロで打っていたとき、4番の出だしの♪楝散る川辺の宿の~の楝の意味も読み方も解からずに難儀をしたことを思い出した。
 いろいろ挑戦して、「おうち」で直ぐに変換できたときにはCASIOのワープロは偉い!と感心した。
(今ならネットで直ぐに解明できる話である。)
 昨日も、実母の施設に歌詞をプリントして持参し、4人の方々と楽しく合唱した。
 合唱・・・・少し正確には、各自のリズムもバラバラであったり、他の3人が「夏は来ぬ」を歌っていたときに母は「朧月夜」を歌っていたが、そんなことは何の問題でもない。
 そこで他の方から「楝とはどんな花ですか?」と尋ねられたので、「(あふち)とは栴檀の木らしいですよ」とだけ答えて帰ってきたが、・・・・家で妻に「そこで咲いている最中やないの」と指摘されたのが、この写真。
 台風の後で少しパッとしないが風情も香りも申し分がない。全景も良い。
 そしてこの木、真冬の寒天に白い実をいっぱい散りばめている様も捨てがたい。・・・が、木の幹、葉、枝ぶりは、安物の街路樹というか、丈夫だけが取り柄の輸入花木というか(輸入品ではないのだが)・・・。そういう面ではほんとうに情趣の漂ってこない味気のない花木である。
 ・・で気がついたのが、読み飛ばしていた枕草子。そこには、ズバリ、「木のさま憎げなれど、楝(あふち)の花、いとをかし。」と澄ました顔で判定してあった。
 参った参った清少納言。
 この人の観察力と感性には脱帽してひれ伏して五体投地して賛仰するしかない。

2011年5月29日日曜日

アリウム・ギガンチウム

 妻が「何を植えたん?」と聞いてきても「ナイショ・ナイショ」と言って、開花したなら感激させてやろうと思って植えておいたアリウム・ギガンチウム。

咲きかけのアリウム・ギガンチウム
来週にはもっと輝くはず

 その昔、日比谷公園で「おもしろい花やなあ」と記憶の奥に仕舞い込んでいたもので、ネットで調べたら「花葱」とある。ズバリ、美しい葱坊主である。

 そして、待ちに待った開花期を迎えようとした直前に、別の庭先に少し小ぶりの同様の葱坊主が開花した。
・・・それはないやろ。


ゴミ箱行寸前に植えられたニンニク
99%の人は園芸品種と信じている

  その花というのが、ナント冷蔵庫の中で忘れ去られていたニンニクで、スカスカになって芽を出しかけていたものを捨てるようにして妻が植えておいたもの。 
 この「スタート時の落差と結果の類似性」には笑うしかない。

 「反省を込めてブログに書いておけば・・」と妻は自慢げに鼻を膨らませている。

オダマキ(茶碗蒸し)の後残った百合根から・・
道行く人は「山百合ですか」と感心している
  「努力は必ず報われる」「とは限らない」ところは、ガーデニングも人生も一緒である。そんな時はカラカラと笑うことにしている。





(左は後日追加した写真)         たしかにお金を投じた園芸品種だけのことはあった。

2011年5月28日土曜日

大阪オリンピックがあった

 26日のブログを肝に銘じつつ、昨日、実母に遠い記憶を尋ねてみた。
 88年前、大正12年5月、大阪築港大競技場で開催された第6回極東オリンピック、800mリレー予選にアンカーで出場した思い出。
人見絹枝さん

 朝の4時半に堺を出発して、少しの電車利用と圧倒的にはただただ歩いて市岡の会場に到着し、ふらふらで出場したらしい。
 「あんなに足の動かなかったことはない」と悔しがる。
 その組では1位であったらしいがタイムに達せず予選落ちとのこと。 

 いでたちはスカート(袴?)をブルーマーのように加工したスタイル。
 「会場をトレパンをはいて動いていた人見絹枝さんの姿が眩しかったなあ」と昨日のことのようにため息混じりに目を細める。(トレパン姿の女性はごく少数のトップアスリートだけだったらしい)(オーラを放射した人見絹枝さんが瞼の裏に見えているような表情だった)
 山下さんという女性(アスリート?)もいたが・・名前は思い出せない。
 その年の9月1日、堺でも大きく揺れた。大正12年、88年前。


2011年5月27日金曜日

逞しさ?それとも焼け太り

 オーストラリア原産のこの花は、種をじ~っと手放さず、ひたすら山火事を待つらしい。
 山火事の時に種をはじいて撒き散らし、広々と開けた土地を優先的に占拠するという。
 これを「何という自然界の逞しさ」と捉えるか、復興の名にタカリ、増税や道州制や・・賃金や福祉の切り下げをもくろむ焼け太り(政策)みたいに感じるかは微妙。

 少なくとも畿内の風情には納まりきらない色彩と形状に、私は庭に植える気を起さないが、街には着実に増えてきており初夏の風物詩のように定着しつつある。

 それにしても「ブラシの木」とは、見事な命名というべきか、あまりに即物的で下品な名前というべきか、何もかにもが微妙で悩ましい花である。



2011年5月26日木曜日

ブログの薬効

 友人のブログが義母をたしかに回復させた。たしかに・・
 この話は以前に書いたことだが、友人のひげ親父さんが「梅酒の飲み頃は何時?」とブログに書いたのを受けて、私が、梅酒製造大先輩の義母にそのことを尋ねたのは4月14日のこと。
 その後の義母は、私の友人に「梅酒の飲み頃をキチンと教えてやらなあかん」との(いくらか強迫的な)使命感に燃えたようだ。
 外泊してきた今夜も「梅の入れ過ぎというのはないで」「梅酒はビールぐらいの色になったほうがええ」と唐突に説明してきた。
ひげ親父さんの梅酒の梅

 他人に尋ねられている。・・他人に頼りにされている。・・との意識がこの力を湧き起したに違いない。
 おまけに初曾孫とご対面。曾孫を落としたらあかんというので、自主的にリハビリ(杖なしの歩行や屈伸運動)を始めて我々夫婦を驚かせる。(1年前はほぼ1日中寝たきりだった)。

 老人介護の要諦は「静かに寝とき・・」ではなく「経験を教えて・・」等々と頼ることにある。
(こんなことは、いまさらながら)言われていることではあるが、じ~んと再確認。
 私がそうなった時も「お爺ちゃん元気やねえ」などと幼児扱いせず、嘘でもよいから「こんなことはどう思う」と尋ねてほしいものである。

2011年5月25日水曜日

「ゆり祭」を約束した

 実母と義母を違う性格の施設に入所させている経験から・・、ひとくちに老人介護の施設といっても、依って立つ理念、予算、保険等々から、実際には上から下まで大きな違いのあることがわかった。
 実母の入所している施設はリハビリ等の取り組みに不満がなくもないが、「家庭と同じように自由に過ごしてください」というのんびりしたところ。
 実母は難聴がひどくなったため筆談で話をするが、同程度の介護度の方お二人と計3人に私を加えた4人で小1時間のおしゃべりが弾む日と弾まない日があり、おしゃべりの弾んだ日は、此方の方がホッとする。
 今朝は、私が「庭のブラシの木が咲き始めた」と、ブラシの木の漫画的スケッチを見せたことからおしゃべりが始まった。
(ネットから)
 「夏が近づいたね」「百合ももうすぐ?」「6月になると大神神社の笹百合です」「大神神社は酒屋さんがお参りする神社?」「お酒は美味しいね」「大神神社や率川神社では百合祭があるね」「笹百合で飾った子供たちが行列をしたり踊ったり」等々とメモ用紙だけで20数枚のおしゃべりが進み、八十八夜の歌も何回か合唱した。
 そして、「笹百合が咲いたら、この部屋で百合祭をしましょう」「チョッとお酒も飲みましょう」とメモを廻したら3人とも指でOKを作り・・・、
 「6月が楽しみだ」「元気が出てきた」とワイワイガヤガヤ・・・・。こんなおしゃべりで元気が出るなら御安い御用であるが、こんなに弾む日はそんなにはない。今日はよい日だった。

2011年5月24日火曜日

八戸からの たより

 八戸在住の(元の仕事の)先輩から「わが家は無事でしたが少しハマの方へ降りると、そこはもう、当り前の風景ではありませんでした。」とのお便りを頂戴しました。
 周辺の被災された方々のことを思うと、とりあえず「先輩はよかった」と言ってよいものかどうか迷いますが、素直に「よかった」と安堵しました。
 著名な版画作家である先輩らしくカッパの蔵書票が添えられていました。
 たしか、遠野物語五八に「村中の者集まりて殺さんかゆるさんかと評議せしが、結局今後は村中の馬に悪戯をせぬといふ堅き約束をさせてこれを放したり。」とあるように彼の地の方々は心優しき人々でした。
 それだけに原発一族の「我が亡き後に洪水よ来たれ」的理不尽の下で口を噛み締めておられる方々を思うと心が痛みます。
 カッパは木から落ちない・・ため・・・・・オチのない話ですみません。

2011年5月23日月曜日

テレビを信じてはいけない

 今だから落ち着いて語れるのだが、昨年の夏はいろんな「心理的負荷の強い出来事」が重なり相当へこんでいた。
 妻は見かねたのだろう「チョッと冒険してみたら」とショッキングピンクのシャツを買ってきた。
 もともと私たちの世代は大勢に従うのを好とせず個性的であることを好む世代であり、論理矛盾のようであるが私もそうである。
 が、へこんで萎えた精神はショッキングピンク着用に力を要した。
 そして1年。
 今年こそ胸を張って着てやろうと思っていたら、過日のホンマでっかテレビで「還暦後のピンクの衣装の肯定は老化の末期症状の現われだ」と託宣していた。
 なに~。こういうテレビに抗いたくなるのが我が世代である。
 今年は胸を張ってこのシャツを着るぞ。と言ってみたが、その背中には疲れの影が表れ過ぎているかも知れない。
 他人の老化を笑ってはいけない。
 テレビは信じてはいけない。

2011年5月22日日曜日

山椒収穫祭

 一昨日、山椒の実を収穫した。小分けにして冷凍室へ放りこんだ。
 私にとっては念願の収穫祭となった。万歳、万歳、万歳。

 ほんとうに、山椒(木の芽)の木はこれまでに何本枯らしたことか、大げさではなくてほんとうに数え切れない。
収穫後の朝倉山椒

 これまでは1年から4年ぐらいで突然枯れ、山椒の収穫まで大きくなったことがない。

 原因究明はしていない。
 私が“木の芽”を採り過ぎたのかもしれない。
 妻が「揚羽(アゲハ)の幼虫は可愛い」とか言って飼っていたからかもしれない。
 そして何ら学習せぬまま、妻に「性懲りもなく又買うの?」と白眼視されながら苗木を植え続けてきた。それがようやく実ったのだ。万歳、万歳、万歳。
 
 私は、和食の席で、木の芽だけはパン!と思いっきり叩くのが礼儀作法と決めている。
 叩かずに食する人を見ると「木の芽に申し訳ないやろう」と思ってしまう。
 パン!という音と一緒に初夏が香ってくるのに。

 このブログ・・、「お手元に着いた時に一番香るように造っておます。」と懐石料理の調理師にはお叱りを受けることだろう。はい。スノウ仙人ごめんなさい・

 

2011年5月21日土曜日

初夏の声 再訪

 5月20日の朝、時鳥(ほととぎす)の忍び音が聞こえてきた。
 忍び音といいながら、いつもながらの鋭く激しい声である。
 万葉の頃からこれほど歌に詠まれ、民話に登場した鳥はないように思う。
 しかし、その多くが単純な「田植えを促す季節の声」に止まらず、「死出の田長(しでのたおさ)」的な憂いを伴っているのは何故だろうか。そのメンタルは「鳴いて血を吐く時鳥」の河内音頭にまで引き継がれている。

 孫引きだが、折口信夫が「先人は、あの声を名告り(なのり)と考え、魂を誘い出すもの(当然に防ぐべきもの)と思った」というように解釈していることにはいたく共鳴する。あれは魂を誘い出す鳴声と・・・ふむふむ。そんな気もする。

 とまれ、「鳥はほととぎす」「なほさらに言うべきかたなし」と絶賛する清少納言の感性はいい。あの声には、心の疲れを癒してくれる力強さが満ちている。私は、やっぱり清少納言派に組しよう。名告りは名告りでも“恋の名告り”のほうに解したい。

 姿はなかなか見えないが、あっ 南へ行った! あっ 西へ向かった! とはっきり判るので、首を廻し続けることが増えそうだ。
 今朝、“鳴きつるかた”には見事な“有明の月”が残っていた。
 これほんと。

2011年5月20日金曜日

エゴノキの咲きっぷり

 エゴノキが短い花期のピークを迎え、例年にない見事な咲きっぷりだ。
 「花には芳香あり」と書いてある本があったが、芳香を通り越してむせ返るぐらいというのが正直な感想。

 先日のブログで「藤の花の芳香にクマンバチが訪問」と書いたが、同じようにエゴノキにもブンブンと多くの訪問者。
 
 しかし、見分けはつかないが何所かが違う。
 撮影する私に対する殺気がない。
 ホバリングをしながら他人(虫)を追い払う気配がない。
 
 要するに藤の時のクマンバチは「ヤッタルゼー」という根性をプンプン発信していたが、今エゴノキを訪問しているのは一心不乱に花から花へと蜜を吸っている。

 私としてはこれは見事なコスプレ名人のハナアブと見たがどうだろう。
 気弱なクマンバチであったのかも知れない。



2011年5月19日木曜日

講演会自身が古代史の雰囲気だった

 昨日はウズベキスタン、トルクメニスタンを中心としたシルクロードの考古学の講演会だった。
 主な発言者は、金関 恕、胡口靖夫、菅谷文則、加藤九祚という豪華な先生方だった。

 いささか世間離れをした遠い地の紀元前1000年紀にまで遡る古い話だが、現実の発掘等に今も携わっておられる現役の一流の先生方の話はどれもが楽しかった。

 その外で驚いたのは会場の奈良女子大。 重文の建物での講演会。
 89歳現役(毎年3か月間気温45度下の発掘に参加)の加藤九祚先生とのマッチングが見事に心地よかった。
 因みに、腰掛けた長椅子は高さ37センチ、奥行き30センチの遺物のような備品であった。考古学の話から連想して、かつての袴姿の女学生の体格が想像された。

会場は重要文化財

2011年5月18日水曜日

見ないと見えない

 自宅から駅までの道路をこれまで何回往復しただろう。
 その道の、雪柳の荒れた垣根の中に、知らない・・特色のある・・綺麗な花を見つけたのは一昨年のことだった。
 いろいろ本を調べて名前に辿り着き「大発見大発見」と喜んだら、妻は「そこに忍冬が咲いているのは知ってたよ」。  ええっ!
 「見ないと見えない」という真理を実感した。

金色銀色
 古代史の書物や話の中でしばしば登場する忍冬唐草文様(にんどうからくさもんよう)。
 古代オリエントからシルクロードを経てこの列島の仏像の周囲や瓦や正倉院宝物等を飾り、下っては獅子舞の衣装やサザエさんに登場する泥棒の必須アイテムにまで進化したこの文様の名付け親たる忍冬ってこんな近くにもあったんだ。
 知っている人には他愛ない事実でも、知らなかった者(私)が新しい事実を知った・・・・瑣末なことながら感動感動。
 
この忍冬、一般的には吸葛(すいかずら)。今年もいつもの場所で咲き始めた。
 白色から黄色に変わっていき、黄色い花と白い花が混じって咲くから金銀花ともいうらしい。
 昔から子供たちが甘い蜜を吸ったから吸葛とあるが、「吸い込む唇の形に似ていることからきたともいう」との亜説の方が、話にほんのり艶があって記憶に残る。



2011年5月17日火曜日

大いに冢を作る

 今日は昼から、小笠原好彦先生の「古代国家成立」の講義であった。
 特に記憶に残った3点を記しておこう。
 ① 「箸墓古墳は壱与の墓かもしれない。」 これは共感。因みに水野正好先生は「箸墓は壱与の墓」「卑弥呼の宮は現大和神社の下を掘ったら出てくるはず。」と予言(失礼?)している。
 ② 『倭人伝は「鬼道に事え、」と書いているが道教は入ってきていない。』 これは疑問。文字の国の史書は軽くない。仏教僧と国粋的な神道学者によって「道教は入ってこなかった」論が一般化しているが、そうだろうか。
 ③ 「四世紀末から巨大王墓が河内に移ったが、これは王権の移動ではなく、王墓造りを通じての土地の開発であった。」 これも疑問。ヤマト王権の中で河内の勢力が主導権を握ったと考えるのが自然でないか。

 参加されていた“当麻のぼたん”さんに言わせれば「古代史は言うたもん勝ちみたいなところがあるからなあ」。ははは同感。
 シンポや講演会に参加したり本を読んだりするたびに、「なるほどそうかも知れん」と前言を翻して日和る日々である。それが又楽しい。

 

2011年5月16日月曜日

黒百合は恋の花

 有名な「モン・ブラン」もヒマラヤの「ダウラギリ」も漢字で書けば「白山」である。
 「日本百名山」を著した深田久弥氏はその中で、「古くから富士山・立山・白山は日本三名山と呼ばれていた」と書き、「白山ほど、威あってしかも優しい姿の山は稀だろう」と氏の故郷の名山を絶賛している。


 そしてこの山は、私が黒百合を見た初めての山で、南竜ヶ馬場に登り詰める手前で見つけたときの興奮は今でも覚えている。
 だから、降りてくる登山者に向かって次々に「その先に黒百合が咲いていますよ」と教えながらすれ違ったのだが、実はもっと上には群落があり、降りてくる登山者は今の今まで黒百合の群落を見ながら降りてきたのだった。・・・・***

 「君の名は」は、一つ上の世代以上の方の共通の記念碑だが、その映画の第二部の主題歌「黒百合の歌」の ♪黒百合は恋の花~ は、我々の世代なら誰もが歌えるほど流行ったもので、そんなことも初見当時の感動の裏にはあったのかもしれない。        この懐かしさに突き動かされて庭に植えた黒百合が開花したが、嬉しいことは嬉しいが、当時の感動からは遠く及ばず、植えたことを少し後悔している。

 兼六園前で購入した「黒百合を描いた九谷」を使いながら若かった頃を懐かしむほうが正解だったのかもしれない。




2011年5月15日日曜日

燕雀攻防戦顛末

 昨年秋に南に渡った燕の空家を雀がちゃっかり拝借し、戻ってきた燕を追い返したという第1ラウンドの実況はブログで中継した。

 その後数回、燕が明渡しを要求したが雀は居住権を盾に応じず、痺れを切らした燕は迫り来る子育ての期限切れという弱点を考慮して、別途新居の建設に踏み切った。
 以上のとおりの結果は「茅渟の海」さんの予想どおりであった。

 今朝、その巣のすぐ下に雀の雛がうずくまっていた。
 親雀が無事救出するのか、マリア像の前にも拘らずカラスや猫のディナーに上るのか、自然界の掟は無慈悲であるが仕方がない。
 それよりも「人間の臭いのついた雛を親鳥は養育をしなくなる」らしいから、いくばくかの「無事救出」の芽を摘んでしまうので「雛は拾わないで」が鉄則と言われている。
 カラスにも猫にも言い分はあろうが、見た目でいえば小雀は無事に親元で育って欲しい。

2011年5月14日土曜日

モダンガールを知っていますか

 実母は満で101歳。小学2年で父が亡くなり、赤貧の中を女学校を終え、昭和の初めにデパート「白木屋」の子供服売場に勤めたという当時のモダンガールであったらしい。

 北浜にあったその「白木屋大阪店」は、有名な東京本店の火事で閉鎖になり、その後はミシンができたので「松坂屋」の子供服売場に転職できたが、この二つのデパート勤めの頃が娘盛りといったところか。
 「白木屋」の頃は朝日新聞が写真を撮ってくれて長い間「白木屋」のフロアに飾られたらしいし、北浜の有名な森田写真館のショーウィンドウにもポートレートが飾られたとチョッと自慢する。

 「松坂屋」でも本社重役お越しの節に玄関先出迎係に選抜され、「大阪店にはすばらしい店員さんがいる」と誉められた結果、売場主任となって給与も破格の額を頂いたと楽しく語る。

 そんな頃、「松坂屋」が大阪のメーンストリート堺筋にあったため、「恵美須町の角にあった蒲鉾屋で美味しい天麩羅を買って帰った。」と懐かしそうに語ったが、・・・チョッと待てよ!その辺りで十日戎のときに賑わっている天麩羅屋を見たことがあるぞ! ・・で、恵美須町に行ってきたのが写真の勇蒲鉾店である。

モダンガールも見た看板

 「創業は何時ごろですか?」と聞くと、「私が60うん歳で、父の代からですから・・」ということで、母のことを話すと、「この辺で蒲鉾(天麩羅)屋はウチだけだったらしいから、きっとウチのことでしょう」とのこと、そして「屋根の看板は当時のもの」と付言してくれた。
 何かガムシャラであった勤労者生活を卒業し、落ち着いて老朗介護に向き合ってから、こんな楽しい歴史物語に接することが出来るようになった。


2011年5月12日木曜日

紅葉の竹とんぼ

 近所の街路樹であるモミジに咲いたタケトンボ。 いいですね。

 昨秋、モミジ(カエデ)の仲間とばかり信じていた「カナディアン楓」の実をアップしたが、それは如何にも北米大陸といった風体で、タケトンボとは似ても似つかぬものだった。
 それに比してのこのタケトンボ。「さすがにこの列島のモミジには風情が感じられる。」・・なんて言い始めたら歳のいった証拠かもしれないが、朝から孫の退院に付き添ってきた「祖父母」なんだから正真正銘の歳であるのは明らか。

 だがしかし、私の義母(曾祖母ちゃん)は、曾孫が生れて元気になっている。
 今夜外泊で帰ってきたが、『「夏は来ぬ」は曾孫の応援ソングやから、しっかり歌えるようになっとかなあかんで』と言ってみたところ、ほんとうに楽しい合唱が実現した。予想外だった。その表情を見ていたら、「さすが、音楽療法という言葉があるだけのことはある。」と納得したが、曾孫の誕生抜きにこの回復力は説明がつかない。
 義母は、その後も「さっちゃん」の替え歌を繰り返し唄って自分で笑っている。


昨秋のカナディアンメープル



 

2011年5月11日水曜日

園芸の許容範囲

 高山植物の盗掘がひどいらしい。
 CWニコル氏も講演で、黒姫の「アファンの森」での被害を、赤鬼の形相で怒っていた。
 いつもコーナン等の量販店で山野草の苗を見るとこのことを思い出すが、農園で何世代も増殖された苗の購入は許されるかも・・と、いささか自分を騙しつつ、購入した山野草や知人から分けていただいた山野草が、庭の片隅で開花している。
 クロユリ、エビネ、ミヤマオダマキ・・・・・
 もちろん道行く方々に喜んでもらえるよう外向きに植えているし、欲しい方にはお分けしている。
 「そうは言っても、遠いルーツは灰色じゃないか」と言われると心苦しいし、・・・・
 「自分の利便を物差しに(あえて言えば→)田舎の人々の原発被害や危険性に目をつぶっている」のと似ていると言われると恥ずかしいが、「まあまあ、今日のところは、そこまで言わないでも」・・と許されたい。


 

2011年5月10日火曜日

季節の推移

 一昨日のブログで 春過ぎて 夏来るらし ・・の歌に触れたが、テレビ等でも有名な上野誠先生は、この歌が「季節の推移を歌った現存最古の歌である。それまでの歌は、季節を対比的に歌うことはあっても、その推移を歌うことはなかった。」と『大和三山の古代(講談社現代新書)』に著述している。

 そして、今朝の実母は、曾孫の話をすると、「♪ 卯の花の 匂う垣根に 時鳥 早も来鳴きて 忍音もらす ぬ ♪」と嬉しそうに目を閉じて唄い始めた。

 先ほど、帰宅途中の道端に卯の花が街灯に照らされているのを見つけた。
 雨中のため匂いは判らなかったが、季節の推移をしみじみと実感した蒸し暑い夜である。

 *昼間の写真を追加しました。

昼間のウツキ
こちらは箱根ウツキ

2011年5月9日月曜日

親切とおせっかい

 近頃はあまり聞かなくなった「親切とおせっかい」のコマーシャル。
 最初は「人生訓のCM?」と思ったが、AC自身のコマーシャルだったらしい。
 「何で関西弁なの」「大阪弁の使い方がおかしい」等々のクレームもあったみたいだが、私としては「芸人かアナウンサーか知らないが、大阪の普通の若い女の子どおしの会話としてセリフが非常に滑らか」と評価していた。
 それにしても親切とおせっかいは難しい。

 少しずれるが、自治会の役員会で児童公園の使用方法について議論した。
 幼児の親、公園の近所の家、そうでない人・・・と多様な意見の集約は難しく、ともすると「球技も花火も禁止」に傾く。
 堪りかねて「子供は少し危険な環境で危険な遊びをしながら成長するのだ」と言ってみたが、善良な市民感覚からすると野蛮な意見のように“ひかれて”しまった。
 「その親切はおせっかいだ」と喉まで出かけたが我慢した。

2011年5月8日日曜日

こんな日に出逢える幸せ

 藤原京の古地に住んでいる長男夫婦に立夏の翌々日に長女が誕生。
 名は夏来(なつき)。
 春過ぎて 夏来るらし 白たへの 衣干したり 天の香具山 に因んだ由。
 我々4人の祖父母にとっても初孫。義母にとっては初ひ孫。実母は正月の書初めから楽しみにしていた。
 暗いニュースが少なくないが、この子の時代が幸せな時代になるよう決意新た。
 先日、変化球を知らないような「おっさん」(院主さん)のブログの中の、直球勝負の「じじ馬鹿ぶり」をコメントで冷やかしたが、今後は自重することにする。


*このブログ自体が「じじ馬鹿」ですか。 

2011年5月7日土曜日

草刈を待ってから散ってくれたんだ

 老人施設の庭のため、落葉の掃除も草刈の必要性も解かっているが、「落葉も草もあっての虫や鳥なのに」と、誰にも聞こえないように呟いている。
 草刈機のエンジン音を聞きながら、「落花掃くのは不粋じゃないか」と、これも聞こえないようひとり言。
 この花の絨毯、もちろん染井吉野ではない八重桜だが、それにしても今年の桜は長期間楽しませてくれた。
 堀内孝雄なら「サンキュー」と言ったところ。
 写真は、草刈後の強風で再び絵のようになった小道。再現されてよかった。この八重桜は律義者である。

2011年5月6日金曜日

今日は眼鏡屋さん

 老朗介護にセオリーってあるのだろうか。
 そりゃあ当然セオリーも理論もあるのだろうが、入所されておられる方もさまざまで、単なる家族としては、職員の奮闘振りにただただ頭が下がるだけ。
 ここはお礼を言いつつ、家族としては「できる時に、できる事を、無理をせず」がいいのだと悟ることにした。悟るまでに半年が経過した。
 この間から症状の似かよった方々と観光パンフの読書会(と勝手に名づけた)をしていて気になったのが、眼鏡の不調。
 で、今日は極細ドライバーを持参して皆の眼鏡の弦を締めたり、全体の歪みを直したり、そしてレンズを磨き上げてきた。
 この種のアナログ機器の修理は自分の趣味だから、ボランティアなどと言うものではなく、私のほうが楽しく遊んできた。
 このスタンスを大事にしたいと思う。
 頭の中では、次の修理の対象を探している。しかし、デジタルはもう駄目である。

2011年5月5日木曜日

世界は日本政府を信じていない

 春日大社の社紋ということもあり奈良公園には藤がたくさん咲いているが、これまでは、まあまあ「きれいなあ」としか思っていなかった。
 今朝早く行ってみたところ、春日大社の社殿から奥山に自生する藤が遠望された。
 その遠景には藤棚的な美しさを超えた感動が感じられた。これはすばらしい。
 妻も「この美しさは御巫さんの簪になるだけのことはある。」とコメント。ただし、定番「砂ずりの藤」を写メ。
 今朝は、声だけはキビタキやアオゲラに逢えたが、お目にはかかれず、鳥の写真は1回もシャッターを押さずに帰ってきた。
 世界遺産春日大社。藤が満開。しかし歩いているのは日本人ばかり。「へえ~、世界はこのように動いているのだ」と深く深く実感した。
 3.11前の感覚では外国人のほうが多かったぐらいである。

2011年5月4日水曜日

誉められたことのないコレクション

 先ほど魔法のレストランに法善寺の「たこ坊」が出ていて、懐かしいので年寄りの昔語りをする。
 正確には、懐かしいのは法善寺の「たこ坊」ではなく、本家に当る今はなき道頓堀の「たこ坊」である。
 料理は「くわ焼き」。丸ままのピーマンの肉詰め(半割ではない)、レンコンの肉詰め、椎茸の肉詰め、とん平焼き、海老パン、とりハンバーグ等々々々。なにしろ安かった。
 鉄板の周りの油の滓の土手、汗だくで働く親父さんの醸す雰囲気。「〇〇円戴きま~~す」という、まるで「おたやん」みたいなお婆さん。トータルでなんとも気持ちのよい店だった。
 だから20歳そこそこの頃、親孝行のつもりで母親を連れて行ったこともあった。
 その頃、あちこちのお店で食べて美味しかったものを必ず家でチャレンジしてみたのも楽しい思い出。
 そのために道具屋筋で購入したのが写真のコテ。
 「家でくわ焼き」という機会もめっきり減ったが、生のアナゴをフライパンでくわ焼きにするには必需品。アナゴがそっくり返って、これなくしては料理は不可能。このおかげで美味しく仕上がる。自慢の道具(コレクション)である。
 しかし、実際には1年に1回使うか使わないかのため、妻は「邪魔やなあ」とぼやいている。

2011年5月3日火曜日

格付け番組を笑えない?

 先日、自動車の点検に行った折に聞いてみると、「震災で納車が出来ないので売れないんだ」と嘆いていた。
 詳しく聞くと、電装部品の東北の下請工場が被災し、西日本方面の工場で99%組み立てができたとしても100%にはできないので、ほとんどの車種を完成させることが困難とのことだった。

 以前にロケットや航空機等の、ある種の部品で圧倒的なシェアをもつ東大阪市の㈱アオキの社長が、NASAあたりから「災害対策・危機管理のため別の地域に別工場を造るよう求められている」と言っていたが、それを思うと、わが国のカンバン方式等を誇っていた経営陣はすべからく考えが甘かったように思う。

 先日、予想外のことだったのは、朝陽閣でアサヒ黒生が飲めなくなっていたことだ。これも北海道、福島、茨城、神奈川等にある工場の被災等のためとのこと。吹田や西ノ宮の工場では黒生を造っていなかったとは知らなんだ。

 私は発泡酒が発売された頃は「この紛い物めが」と言っていたが、そのうちに第三のビールが出、大型スーパーが韓国やベトナムの会社と提携した第四のビールが廉価で出現するに及んで、自粛ではなく、こっそりと「第四のビール党」に寝返っている。(この事実は家族以外に知る者はいない)
 その(馴らされた)結果だろうか、妻はプレミアムモルツやエビスは「焦げ臭い」と評論する。
 このため食文化を語れる資格はもはやないと深く反省しているが、「一流芸能人」もたいした味覚ではないので格付けの番組を笑って見ている。

2011年5月2日月曜日

蜂蜜の香り

 嗅覚は五感の中でも本能に近いらしく、バラの香りで石鹸を思ったり、金木犀でトイレを連想したりと、解かっちゃいるけど主客転倒した脳内処理が行われるように思うが、これって私だけ? 

 久しぶりの気候のため実母の車椅子を押して散歩をした。
 施設の庭でも、満開の藤棚の下で「蜂蜜の匂いだ・・」と感じて(花の蜜が集まっての蜂蜜なのにと)我ながらおかしかった。
 母は耳は遠いが鼻は普通らしく「とてもいい匂い」と喜んでいた。

 この、むせ返るような蜜の匂いに誘われて藤棚の周囲を乱舞しているのはクマンバチ。


 体に似ず草食系のやさしい蜂だが、カメラに向かって威嚇するような感じも度々あった。

 「もう少し不審な行動をしたなら一刺ししてやろう」という殺気を確かに感じた。
 そのため、「私は友人である」というテレパシーを強力に送り返して写真を撮った。