2011年3月31日木曜日

佐藤忠良氏の作品『夏』

 昨日彫刻家佐藤忠良氏の訃報が報じられていた。
 実は、京阪奈のこの地にも佐藤忠良氏の作品(ブロンズ)がある。
 平城・相楽ニュータウンの高の原駅前の大階段に1976年の作品「夏」がある。
 平城ニュータウン側の街の完成に当ってのモニュメントであった。
 当時街づくりに集まった住民パワーは熱く、当時の住都公団もそれに応えて完成したもので、今から考えると些かバブリーな話かもしれないが、本来的に街づくりというのは土建だけで済むものではないはずで、私としてはあちこちのニュータウンや大規模マンションに散見される抽象的で幾何学的な「どうだモニュメントだろう」という感じのモニュメントよりも余程すばらしいと納得している。
 住都公団はその後URになり、都市開発で大もうけを考える民間業者からの声が「構造改革」に反映され、昨今で言えば「事業仕分け」の槍玉に挙げられた。
 私としては、少なくない不満もあるが、住民とともに街づくりの夢を具体化するURのような公団は大切だと思う。

2011年3月30日水曜日

現代霊異記・孝謙天皇陵前

 大阪では昔から当たり前のことであるが、近頃京都や奈良のこの辺りでも主要な道路以外の十字路等にも大きな住居表示が出されて便利になった。
 と思っていたら、度々通行している大和西大寺の近鉄百貨店のすぐ北の三叉路に「孝謙天皇陵前」と表示されており、むむっと、自分の勉強不足もあり驚いた。
 妻からも「成務天皇陵前と違うのん?」と聞かれて咄嗟には判らなかった。
 というのも、いくらかの観光マップでは「成務天皇陵」と「日葉酢媛命陵」が隣り合っているという風にしか記されてないし、道の手前側が「成務天皇陵」だからである。(もちろん宮内庁が指定している「伝〇〇天皇陵」ということだが・・・)
 で、少し調べてみると「成務天皇陵」の南側に西向きの小型の前方後円墳があり、それが「孝謙(称徳)天皇陵」とされていた。
 へ~ そうだったんだ。
 しかし、しかし、西暦600年頃を境に畿内の支配層は前方後円墳の築造をやめた(白石太一郎著古墳とヤマト政権)のではなかったか。

伝称徳(孝謙)天皇陵
 とすると、770年に亡くなった孝謙天皇が600年以前に築造された前方後円墳に祀られている不思議は、「日本霊異記」でコテンパンに叩かれた道鏡法師でさえも驚くだろう。
 奈良県?も、寝た子を起こすような住居表示をしたものである。
 この住居表示、森浩一先生が知ったら何と言うだろうか。
 森浩一先生は陵墓指定の学術的見直しを強く主張されている。

2011年3月29日火曜日

花喰鳥は復興の吉祥文様

  男のおしゃれは難しい。
 金ピカの成金趣味は嫌味だし、そもそもそんなにカネがない。
 その点、ひげ親父さんは若い頃のVANから今日に至るまで気配りが立派であるが、近頃は知って「隠居」を装っていて、ついていけない。

 この間から私にしては思い切ったのがハンチングに着けたピンバッチ。
 息子や娘が何のこだわりもなく着けているのを真似ただけ。
 私にしては思い切った装飾だったのだが、妻は「そんなの着けていた?」といたって無関心。


 ・・・・・・・・正倉院文様の花喰鳥。

ハンチングに着けたオシドリ

 この文様はシルクロードはおろか、ケルトにもある(中西進著古代往還)そうだ。
 こじつければ、旧約聖書創世記ノアの方舟のオリーブの枝をくわえた鳩であり、洪水からの復興のシンボルたる吉祥文様と解したい。
 残念ながら、古今東西、あらぶる原発を鎮める文様は判らない。






2011年3月28日月曜日

宇宙太陽発電所には夢がある

 本棚の奥から1976年発行の中島篤之助著「現代と原子力」(汐文社)を引っ張り出して読んでいる。
 今日の原発問題に通じる指摘も多い。というより「起きるべくして起きた」感がある。
 そして、この国の民主主義はこの(本の)時代から後退していないかとの印象を抱いた。
 また「反科学的な単純な原発反対論」ではアメリカも九電力体制も反動的利用をする者も免罪してしまう・・・には貴重な示唆を含んでいる。

 これからのエネルギー政策にはいろんな選択肢があるだろうが、その中の一つに宇宙太陽発電所もある。
 あまり有名でないが(?)夢がある。
 以前、このテーマの専門家である松本紘京大現総長に丁寧に教えていただいた。全くの私的な場であったので、地上へ送電するマイクロ波の中に入っても電子レンジみたいにならないんですか?というような低レベルの質問にも答えていただいたが、結論的にはもちろんOKなのだが理屈は詳しくは解らない。
 「原発を廃止すると江戸時代の生活に戻る」というような方もおられるが、宇宙太陽発電所は説得力のある対案の一つだと思う。
 関心のある方は次の動画を観賞してください。


 こんな時だからこそ、片方で夢を語りたい。

2011年3月27日日曜日

本でしか知らない キビヤック

 1986年発行の(そんな昔に購入した)「植村直己の冒険学校」という本にキビヤックのことが載っていて、その当時「ちょっと美味しいかも?」と思ったことがある。

 グリーンランド北部(この本ではエスキモーと表現されている村)でアパリアスというツバメに似た水鳥がタモで簡単に獲れ、あらかじめ獲っておいたアザラシの腹から内臓と肉を抜き、皮と皮下脂肪だけになった「ぬいぐるみのようなアザラシ」の中にアパリアスを詰め込み、約1年間寝かせる・・・・とある。

 約1年後に腹から取り出し、毛を簡単に抜いてそのまま食べる。特に、足を持ってグッとひろげ、肛門に口をつけて内臓をチューチュー吸いだすとすごく美味いんです。・・・・と書いてある。

 これは、世界で4番目に臭い食べ物らしい。

 植村直己も正直に告白している。

 若い娘がキビヤックを両手に持って肛門のところに口をつけて内臓を吸い込んでいる。この光景をはじめて見た時は、あっ、これは人間が違う。なにかあっち側の人間、一瞬人食い人種のようなことを最初は想像しました。それが村に入って何日も生活していますと、平気でキビヤックも食べられるようになり、そのうちもう虜になってしまった。・・・・と。

 しかし、これを食する機会が訪れることはないように思う。

 歳を重ねると「美味しいかも」と冒険をしたい感覚も薄れるのが、少し寂しい。





2011年3月26日土曜日

エイの肝(つづき)

 一昨日のブログの件で「エイの肝を鶴橋でもらったというが食い倒れの街大阪では食べないの?」というコメントをいただきました。

 想像ですが、エイの身は韓国料理によく使われますから、市場の店で大量に取扱う身に比べれば肝は浮いてくるのではないでしょうか。(あくまで想像です。・・・・偶々その日に浮いていた(余っていた)というのが真相かもしれません。)
 なお、エイの身を発酵させて刺身にするホンオフェは世界で2番目に臭い食べ物と言われていますが、鶴橋の屋台で出されるそれは日本人向きに少しだけあっさりしていてコチュジャンに絡めてなかなかグーです。
 一昨日のブログのとおり、エイのキラズは奈良の伝統食ですから、偶に魚屋で肝を売っています。
ホンオフェ(ネットから)

 私は、アンキモ風に食べたいと思って、軽くボイルし、土生姜とアサツキを加えたポン酢で食べたことがあります。ただその折は、料理のときに苦玉(胆のう(道))を破ってしまい、変に苦いエイキモになりました。(基本的には失敗でした。)
 
 夫婦も苔が生えるほど歳を重ねたので、此の頃は、妻も、魚の種類を問わず新鮮そうな肝や白子を見ると買ってきます。

  


2011年3月25日金曜日

妻は島崎今日子さんのファン

 妻は島崎今日子さんのファンである。
 今朝の朝日新聞の『キュー』も「ほんまにそのとおりや」と言って私に「読んで」と持ってきた。
 《 ・・・この事故に関して情報が規制されていると感じるのは、疑心暗鬼がすぎるか。
 ・・・ジャンクも含め情報の選択権は我々にあるべきだ。
 嫌な空気が流れている。
 私は放射能漏れを知ると新幹線に飛び乗り、関西に来た。以来、どうしようもない後ろめたさから逃れられずにいるが、
  ・・・スーパーモーニングで吉永みち子氏が、「東京から逃げ出した人は無責任だ」と発言したとき、余りにも予想された批判に暗澹たる気持ちになった。
 危機感を訴える人やメディアは「不謹慎だ」「不安を煽るな」とバッシングされる。日常を懐かしんだだけで、「こんな時に」と集中砲火を浴びる。「欲しがりません、勝つまでは」から外れた者は「非国民」と糾弾され、沈黙を強いられるという構図はいつか来た道のままだ。  ライター・島崎今日子 》
 私もこの論に同意する。
 付言すれば、「命がけで原発と対応している人々がいるこのときに、原発の危険性を指摘し過去の原発政策の批判をするのは人でなし」という風潮がメディアからは確実に流されている。
 そして、関西のラジオを(ラジコで)聴いた関東の視聴者から、言葉尻を捕らえたようなクレームが寄せられたと聞くと心が塞ぐ。
 被害者の言うことが何でも正義であるはずがないし、被害者の心は被害者以外には判らないというのもおかしい。
 歴史によると、『自粛、自粛』と言われたときにはその裏で『暴走』がすすんでいる。

2011年3月24日木曜日

エイのキラズ

 今夜外泊して来た義母と先ほどまでビールを飲みながら昔語りをした。
   「みんな忘れてしもうたな。」
   「食べてたんは畑のもんばっかりやった。」
   「魚けというたらエイの肝でキラズ(おから)を作ったな。」(豆腐は自家製)
   「エイの肝は近所に売りに来たんや。地面に広げて売ってたんや。」

 確かにエイの肝のキラズは、奈良の伝統食と書いてある本がある。
 そして、母から娘(・・妻)に伝承されたこの料理は、我が家では驚くことのない料理の一つとして定着している。

 以前、これを食べたくなって私が鶴橋市場を探した折、とある店先にエイがあったので「肝はない?」と尋ねると、「肝をどうするの?」と反対に聞かれ、「おからにする。」と言ったら、「ほなら持っていき。」とタダでくれた。
エイの肝(ネットから)
鶴橋はええとこや。

 エイの身の方は山椒を入れて煮付けた後冷蔵庫に仕舞って「煮こごり」にするのが大好きだ。

 そんな話を友人にしたところ、「釣り場では全くの外道として道端にいっぱい捨てられてるで。」とのこと、そんな話、滅多に食べられない魚料理の想い出を懐かしむ義母にするのは残酷だ。





2011年3月23日水曜日

当世「雀のお宿」事情

  一時、日本列島から雀が激減しているとの報道がありました。真偽のほどは知りません。
 昔は何処のお家の瓦の下も雀のスウィートホームだったのに今の建物にはその余裕がないからでしょうか。
 だからでしょう、ツバメの空き家をチャッカリと拝借しているのも無碍には責められません。厳しい当世「雀のお宿」事情。実母の施設の窓の上です。
 「雨が降り出したら、雀が一斉にこっちへおいでと誘い合ってうるさいねん。」と高度難聴の耳で聞いているようです。
 「みんなのおしゃべりを聞きに来ているのやから楽しいおしゃべりをせなあかんで。」と、入所の何人かで、この写真を見ながら楽しく話し合いました。
 
 ずーっと前のことですが、雨戸の戸袋に雀が巣を作っていたのを掃除の際に壊したので、これはチャンスだと、小さかった娘に鳥や卵の説明をして、雀の卵の目玉焼きを作って食べさせました。
 この話を同僚にすると奇異な目で見られました。こんなことってなんか不思議なことなのでしょうか。驚かれたことが奇異でしたが・・・・。



2011年3月22日火曜日

巨大前方後円墳の実像

 堺市主催の第2回百舌鳥古墳群講演会に参加した。さすが堺市、800名の予約申込みはすぐにオーバーしたらしい盛況ぶり。
 「徹底分析・仁徳陵古墳」がメーンタイトルで、「巨大前方後円墳の実像を探る」がサブタイトル。
 塚口義信氏の基調報告。「記紀は仁徳・履中・反正・顕宗・仁賢・欽明系の王統を是とし、允恭・安康・雄略・継体・安閑・宣化系の王統を非とする思想的立場によって貫かれている。」・・・定説とされているほど仁徳天皇は本当に聖帝だったの???
 樋口吉文氏の講演。「定説とされている明治5年に台風の土砂崩れで石棺や甲冑が発見されたというのは嘘。」・・・公人による故意・計画的発掘だった。(「これまで博物館で嘘(自然崩壊説)を言っていてすみません」には笑った。)
 森下章司氏の講演。「有名なボストン美術館所蔵・伝仁徳陵古墳出土鏡は同型(コピー)鏡のため、伝承の根拠はきわめて薄弱。」・・・里帰り展に行かれた方も多かったのでは・・・。
 加藤一郎氏の講演。「出土した形象埴輪は外堀の土手上にある陪塚のものかも知れない。」
 それぞれ新鮮な問題提起。聞きに来た甲斐があった。
 ほかに阪口英毅氏の講演もあり、椅子も狭く堅くて、午前から午後にわたる日程は些か疲れた。
 それに、奈良あたりの考古学の講演会等では「大仙陵は仁徳陵ではない」というのが常識なのに、ここでは地元の感情がそうさせるのか、まるで「仁徳陵であることは当然」という前提で話されているような気分が濃厚なような気がして気になった。(仁徳陵でなかっても一向に値打ちは下がらないと思うけど?)
 伝仁徳陵が(書紀等で子供とされている)伝履中陵より新しい築造という事実に目をつぶって、仁徳天皇陵と称しながら世界遺産登録を目指すのは肯定できない。
 非科学的な皇国史観に結びつくような態度と決別し、国民共通の遺産として大事にするのがいい。そのためにはタブーを設けてはならない。つくづくそう思う。
 
 
  
 

2011年3月21日月曜日

旬をいただきましょう

 妻と帰省していた娘が散歩がてらに土筆んぼを摘んできた。
 土筆、イカナゴ、若布、浅蜊、ワケギ等々で、早速、「春る~っ」というようなオードブルになった。
 昔読んだ本に、「種(発芽)や新芽には、炭水化物だとか蛋白質だとかビタミンだとかという栄養素の合計値では説明のつかない力がある。だから、そういうものを食べるのだ。」という学者の話があったが、感覚的には非常に共鳴する。
 春を待ちに待っていた土筆んぼ等の充実したエネルギーは、栄養素の合計値では計ることのできないパワーだと・・片目をつぶって信じたい。
 摘みたての土筆んぼ。その命を「いただきます」。少し元気になったような気配がする。


冬を〆ることとしましょうか


 写真は、アトリ類の中の・・イカルやウソの親戚のシメです。
 堅い木の実もなくなった春先の遊歩道に、いったい何を探しに来たのでしょうか。

 イカルは法隆寺あたりの地名になり、ウソは天神さんの御使いにまで「昇格」したのに、・・・・シメも結構可愛いにも拘らず、その割にはネームバリューがもう一つという可哀相な鳥だ。

  その頑丈なくちばしでかち割るに値する木の実もなさそうだから、イラガの繭(の中の蛹)を突いてくれれば嬉しい限りだ。そうすれば、個人的には益鳥第一として表彰してあげよう。(まあ、益鳥か害鳥かという分類もエエカゲンなものですが・・・)
 
 次の写真! 世間の評価が気になるのか、遊歩道の注意書きを読んでいる・・ように見えたのは穿ち過ぎ??
 
 実力が正当に評価されないシメよ、つまらぬ心配などせず大空に飛び立とう。
 私は応援するよ。 
 
  
 


2011年3月20日日曜日

カチハジキを探して

 1月28日のブログに書いたように、大正生まれの義母は生駒谷の農家の娘で、秋にはヤマモモ、グミ、ツルイチゴ、ヤマブドウ、アケビ、そしてカガミソ、コシキ、カチハジキ等の木の実を食べていたためオヤツというものを買った覚えがないらしい。
 ところで、このうちヤマモモからアケビまでは普通に判ったが、カガミソ、コシキ、カチハジキって、いったい何の木のことか判らず、それから探索の旅がスタートした。
 
 まず第一に、食べられる木の実が載っていそうな本をかき集め、義母の記憶に添いながらネットを検索し、カガミソというのがガマズミのことらしいことが判明した。これが1月のこと。
 その後は、ジュンク堂書店で「木の実」や「奈良の方言」の本を立ち読みしたり、何回もネットで検索したり、それらしい写真を義母の施設に持参して確認を求めたが、一向に進まなかった。これが2月のこと。
 
 第二に、関係ありそうな語彙を思い浮かべて各種の検索を続けていたところ、「明治大正昭和初期の和歌山県田辺西牟婁地方の子供たち」の中の「木の実とり」という中に、ついに、次の文章を発見した。
 「山で何喰た  コシキの実喰た  インデ何した  ビチ糞たれた」 品のあるセリフではないが、子供はよろこんで口を揃えて囃し立てたものである。
 インデは 「帰って」 ビチ糞は 「軟便」 の意。コシキは赤い実のなるカマツカ(バラ科)のこと。カマツカは一名ウシコロシともいわれている。
 コシキは無味であるが、茶紫色に熟すサセンボ(和名シャシャンボ、ツツジ科)は甘味も濃くてよろこばれた。 いずれも小粒で、口にはたまらず、小枝を折って持ち帰ることも多い。 また、実を手にせず枝に口を当てて食べていた。
 よし、シャシャンボなら近所にある。早速写真を持って義母に確認を求め、ほぼ間違いないことが判明した。これが3月上旬。

 第三に、このシャシャンボ確定後すぐ、先に尋ねていた生駒市立図書館から「紀州里域植物方言集に、こしき=カマツカとありました」と電話があったが、これは以上のとおり解決済み。
 併せて、「奈良方言集に、かっちん=アラカシとあり、かっちんばりき=オニハゼとあります」と教えていただいた。
 アラカシは問題外だが、カッチンバリキ===カチハジキ これは間違いなさそうだと推理し、鬼櫨の写真等を持って義母に尋ねたら、即座に「こんな櫨なんか食べんかった」と却下された。
 しかし、カッチンバリキ===カチハジキ には捨て去りがたい“臭い”がする。
 そこで、周辺の検索を書籍やネットで継続したところ、「ツツジ科のナツハゼは和製のブルーベリー」というのを発見した。紅葉の美しさからハゼといっているらしい。ハゼという名前までもらった木だからカッチンバリキという方言まで一緒にもらってもおかしくなかろう。
 このナツハゼの写真を義母に見せたところ、「これやこれや」と目出度くヒット

 カガミソ=ガマズミ、コシキ=シャシャンボ、カチハジキ=ナツハゼが、生駒谷の方言か、義母の勘違いもあるのかは判らないが、わが一家としてはこれで一件落着にした。
 書籍も偉い、ネットも偉い、生駒市立図書館も偉い。楽しい探索の旅だった。
 この間、義母にとっても有効なリハビリになったようだった。
 (以下の写真はネットから)

カガミソ

コシキ


カチハジキ


2011年3月19日土曜日

ドレスアップしてきたアカハラ

 今年はもう来ないのかと思っていたアカハラが近所の屋根にやってきた。
 それにしても腹の赤さと背の蒼さはどうだ。(陽のあたり具合ではその背はまるでコバルトのよう)
 こんなにドレスアップしたアカハラは初めてだ。(あまりにバードカービングみたいで引いてしまいそう)
 鶏か水鳥のように首を振ったりして、普通のツグミとはちょっと異なるしぐさも可愛い。
 昨日はカメラを持たず出かける途中で出会い、妻と二人で地団駄を踏んで悔しがったが、それを上の方から覚えていたのか、翌日もきっちり顔を出すとは律儀なものだ。
 お水取りも終わったし、山へ帰る挨拶に来たのかもしれない。
 今冬は、挨拶しなかった冬鳥が多くて心残りだが、貴方に逢えてよかった。

2011年3月18日金曜日

月は東に日は西に

 これまで何年も白菜や油菜を植えてきたので、毎年何かの「葉もの野菜」が庭の思わぬところから自然に生えてくる。
 多くは白菜と油菜のハーフだが、中には先祖返りして芥子菜風になったものがある。
 今年のこの写真の菜の味は“白菜の青いところ”。
 適当にむしって冬の間中たびたび鍋料理の具になった。

 どういう訳か我が家の土はルッコラと相性が良いようで、ルッコラも今では自生の趣を呈している。
 水菜とルッコラを適当につまんで生ハムで巻いたサラダが、この冬何回食卓に上ったことか。
 妻は「そのままサラダの盛り合わせで出さずに生ハムで巻いたところが料理であり愛情なのよ」と愛情の押し売りをしてくる。
 「はは~」っと頭を垂れるだけである。

 各種の菜の花も美味しいけれど、もう少し放置しておくと一寸した菜の花畑になり、道行く方々の目を楽しませることになるので食べるのを我慢する。
 そうすると、菜の花畑は郷愁を誘うものらしく、話しかけてくださる人もいる。
 この季節、ワンパターンだが ♪朧月夜 を口ずさみたくなりません?

2011年3月17日木曜日

ヤドリギを寄生木と書かないで

ムクロジに甘えた竹
 復興を願う皆さんに、自然界の(厳しさの方ではなく)逞しさの方をお伝えします。
 
 最初は奈良公園・春日大社参道・一の鳥居近く(社殿方向に向かって左側)のムクロジの大木に堂々と屹立する竹です。(知っている人には有名です。当たり前ですか・・・・)
 およそ60年から120年に1回だけ咲いた竹の実が、風か鳥か栗鼠かによって「蒔かれた」のでしょう。きっと。
 近頃、人間界では「想定外」という言葉が安売りされていますが、竹に言わせれば「120年に1回のチャンスを手放してなるものか」「岩の窪みだろうがムクロジの木の股だろうが当然でしょう」と言ったところでしょう。
 こういうのも宿木(やどりぎ)と言うのでしょうね? しかし、間違っても寄生木と書いて「やどりぎ」と読ませたりしないで欲しいものです。
サルスベリに甘えた松

 「ちょっと借りるよ」「おやすい御用でえ」と、どういうわけか江戸っ子弁で、ムクロジの親切に甘えた竹ってとこでしょうか。
 
 我が家の近所にも、街路樹のサルスベリの枝跡から芽を出した松がありました。
 いったい、この苛酷な環境で成長できるかどうか予想がつきませんが、一番高い可能性は、自治体の街路樹の剪定作業の際に「正しく手入れされる」という運命でしょうか。
 
 逞しい宿木を見ながら思う、・・・がんばれ東北、がんばれ日本



2011年3月16日水曜日

木偏に春

 その土地その土地には「〇〇になると春が始まる」というような常套句がありますが、この辺りのそれは「お水取りが終わると大和にも春が来る」というものです。

 にも拘らず今日は雪の舞う一日で、被災地のことを思うと気分が晴れませんが、木偏に春は椿。我が家の椿(勝手に我が家の椿と呼んでいます。正確には我が家の前の街路樹。でも剪定も毛虫退治も施肥も我が家でしています)も咲き始めました。

 お水取り(東大寺二月堂の修二会)の間は本尊十一面観音に練行衆が手作りした椿の花が捧げられ、奈良市内の和菓子屋にはその椿の花の生菓子が出廻ります。
 侘び助や五色椿もいいものですが、この単純な素朴さも捨てがたいものです。

 カマスゴ、蛍烏賊、寒中梅を揃えましたので、少しでも春を感じていただければ幸いです。


 追加の写真3点・・・蛇足の極みですか。
 春を食して元気を出そう・・との素直な写真とご理解ください。ふ ふ ふ

2011年3月15日火曜日

MADE IN CHINA のかんがるー

 先日、実母の入所している施設のシスターが「(クライストチャーチで)地震のあったニュージーランドの教会の皆さんを励ましたいから」「雪を知らない皆さんに先日(2月11日)の雪の写真を送りたい」と申されたので、「お易い御用」と私の写真を増刷して提供したら、「その代わり絶対に気を使わないで」とかたがた言っておいたのに壁掛けのようなものを「お礼に」と持って来られた。
 雪を知らない国々の同僚(シスター)に送付されたらしい。

 だから、ニュージーランドのはずが、壁掛けは、カンガルーの跳ぶ「オーストラリア」「シドニー」となっているが、まあ、丸めて言えば「オセアニア」でいいか・・・。
 ついでに、MADE IN CHINA となっているが、これも STYLED IN AUSTRALIA となっているからいいか・・・。

 写真のビーチ(ニュージーランド被災前)も地震後変ってしまったらしいが、いつかきっとこのように回復するに違いない。
 東北もきっと・・・・・・。

 今は支援に全力を尽くそう。
 しかし、落ち着いたら、この国の安全軽視・利益優先の政治を冷静に検証しよう。
 
 
 
 
 
 
 
 和蘭人某、始メテ、豪州ニ渡リ、何クレト見アルキテ、一々、手帳ニ留メケルガ、タマタマ、形、鼠ニ似テ、腹膨レ、大キサ、犬ホドノ獣ヲ見タリケレバ、「コレハ何ゾ」ト和蘭語ニテ尋ネケルニ、土人「かんがるー」ト答フ。ヤガテ、図マデ添エテ、本国ニ報ジヤリシカバ、かんがるートイフ獣ノ名、全世界ニ広マリヌ。近年ノ調ベニヨレバ、かんがるートハ、土語ニテ「御言葉ノ意味ガ分ラヌ」トイフコトナリケリ。(丸谷才一著「完本日本語のために」の中の坪内逍遥編教科書より)

2011年3月14日月曜日

「観光マップ療法」は現実的でしょう

 辛いニュースに押し潰されそうなので、あえて空元気を出してブログを再開したい。

 高度難聴の実母を見ていて思いつき、① 「百均」で老眼鏡を3つ(315円)購入し、② 近鉄奈良駅で「観光マップ」(無料)を手に入れて施設に持参した。比較的元気?な方々に配付して「座談会?」をはじめた。

 観光マップは当然ながら“明るい話題”が多いので、それぞれが「吉野山」や「山之辺の道」や「室生寺」などに行った思い出を、てんでばらばらに、数多くの勘違いを交えながら、楽しく語りだした。

 そして、「下の千本から奥の千本までは歩いて?行けますか」「元気なうちに?行ってみたい」「足の丈夫なうちに?歩いてみたい」と、・・・「おいおい、何を言い出すねん」といいたいほど、それぞれ車椅子に座っているのを忘れて大きな夢(注文)を訴え出した。

 地図に壷坂寺を見つけた方がおられたので、♪ 妻は夫をいたわりつ~♪ と壷坂霊験記の頭をサービスしたら盛り上がったのは言うまでもないアハハ。

 「また続きをしてくださいね」という入所者の声に送られて施設を後にした。これは廉価(基本的にはただ)で現実的なボランティアだと、心の中で自画自賛している。「観光マップ療法」って言うネーミングはどう・・?

 辛いニュース、不安なニュースが続くが、今朝、施設で今年初めて「ホーホケキョ」を聞いた。
 元気を出そう。

 
 
 

2011年3月10日木曜日

ゲーセンはキッズコーナーだと誰が決めたの

 義母の外泊を迎えに行った妻が、途中ショッピングセンターに寄って来たとのこと。
 そして、少しでも刺激のある世界はないものかと思ってゲームコーナーを覗いたが、近頃のゲームはどれも複雑で母には手に負えなかったらしい。
 だいたいが、ドライビングゲームなどは、そもそも足が届かない。
 コーナーの店員に尋ねてアタックしたのはボーリングゲーム。
 ビギナーズラックではないけれどストライクが出たらしい。
 その話を夕飯の席で義母から楽しく報告を受けた。本当に嬉しそうだった。

 これって大発見でないですか。・・・・?
 そう、ゲームセンターは高齢者のリハビリにピッタリでは。
 老人介護に携わっておられる多くの皆さん!
 一度、「ゲーセンリハビリ」って体系立てていただけないでしょうか。
 
 義母の施設は介護老人保健施設。
 複雑な感情で入所させたが、結果として明らかに家庭介護よりは元気になっている。
 家庭介護で疲労困憊の方々には、思い切って施設の利用をお勧めしたい。わが夫婦の実感です。

2011年3月9日水曜日

気の早い夏を見つけた???

 昨日のブログで「定説を疑え」なんてエエカッコしましたが、今日は頭の中がこんがらがっています。
 寒かった今朝、母の施設の門の陰で見つけた写真の花、これってアヤメじゃないですか?  でも、・・日当たりは悪くはないけれど、西風も北風も通り抜ける道路際の一角。こんなところに、こんな季節にアヤメって咲きますか?
 季語から解くのはナンセンスですが、それにしてもアヤメは夏の季語。シャガあたりとの交配種でしょうか、超早咲きの園芸種でしょうか、それとも全く別の園芸植物(アヤメ風のシャガ??)でしょうか・・・・・・???
 と、こんがらがっているのです。  知恵袋の皆さん、お教えください。本当に これってアヤメ?
 もし、そうだとしたら、きっと私は今年一番最初に夏を見つけた人・・・ちょっと威張れませんか。
 それにしても世の中って、少し目玉の中に?マークを入れて見渡すと、狭い世間の内側でも、なんとも不思議なことばかりです。・・・と、自分の教養のなさを棚に上げています。
 
 
 
 

2011年3月8日火曜日

定説を疑うことから学問は始まる

 今日、小笠原好彦氏の講義を受講してきた。日本列島の稲作、弥生社会の話。
 いつもどおり脱線部分の感想を一つ。
 先生曰く、弥生の環濠集落は堀がめぐらされ、その外に土塁と塀が築かれており、定説では防禦用の設計と言われている。しかし、防禦なら土塁と塀の外側に堀ではないか??と疑問に思った。雨の日に遺跡を見て「これは排水だ」とひらめいた。・・とのこと。・・・・・・・・・・・・こういう、定説とされていること・・に疑問を持つことから学問は発展するものだということを今更ながら納得させられた。

 この講義の場で旧友(先輩)と再開した。「奈良は歴史の話題が豊富で楽しいなあ」と語り合った。
 ただ古代史は、国民を戦争に誘導した皇国史観と今でも結びつきやすい危険性を自覚しておかないと、時代に掉さす歴史おたくになってしまう。注意、注意。
 定説を疑うことから学問は始まる・・・・この精神・・大事にしたい。

2011年3月7日月曜日

難波京に三山を

 中国の道教では、東方海上に蓬莱、方丈、瀛州(えいじゅう)の三神山があるとされ、それの発展形で、新羅、百済の各都、そして藤原京、平城京、平安京では、北と東と西の三山に守られた地に都を定めるとの思想に基づき都が建設された。・・・・・・らしい。
 藤原京の三山は、耳成、天の香久山、畝傍であり、平城京は幾つかの説があるが、平城山、春日山、生駒山というのが通説で、何よりも遷都の詔に「四禽図に叶い、三山鎮を作し(さんざんしづめをなし)」という有名なフレーズがあることから三山思想は間違いなく、平安京も定説に近いものは、船岡山、神楽岡(吉田山)、双ヶ岡とされている。
 問題は藤原京の少し前の難波京であるが、大極殿の左右に八角殿があるなど濃厚な道教思想が感じられるにも拘らず、三山思想が感じられないのは何故だろうか。北は河、東は低地、西は海である。

長男夫婦の家から望む耳成山

 あえて言えば、北に千里丘陵、東に生駒山を眺めていた設計者の頭の中には、後に出現する天保山が浮んでいたのかも知れない。そんなはずはないか。
 その昔堺に住んでいた実感からすると、高度成長の以前は、大阪の西側にはいつも淡路島が山のように見えていた。これで三山と見えないか。
 それとも、三山に守られなかった難波京は、故に短命に終わり、中世に至っても安土大坂時代であったにも拘らず安土桃山時代と称されて人々の記憶から遠ざけられ、現代でさえ「保身の会」の人士によりカジノをはじめとする下品な街に改造されようとしているのか。
 いやいや そんなに柔な大阪人ではない。 





2011年3月6日日曜日

いかなご漁は春を告げる

 3月3日に大阪湾と播磨灘の新子漁が解禁になり、テレビやラジオが「春の訪れ」との修辞を添えて盛んに報道しているが、いつも不思議に思うのは、テレビやラジオが言うように「本当に皆なそんなに釘煮を作っているのだろうか?」ということ??

 ラジオのリスナーから「いっぱい作って知り合いに配る」などとの投稿があるので、好きなお方のおられるのは間違いないだろうが、テレビやラジオが言うように、神戸から姫路の皆さんのほとんどが釘煮を作っているのだろうか???
 小さな子供が「皆な持っているから私も買って」と言うように、テレビやラジオは直ぐに「皆な作っている」と言いたがるので、ちょっとちょっと「皆なって誰と誰?」と聞いてみたいだけのこと。メディアによって作られた流行には意地でも乗りたくない天邪鬼の戯言、戯言。

 ちなみに、我が家は「釘煮にするなんてもったいない」という釜揚げ派。
 3月4日に近鉄デパートで求めて早速頂いた。妻はポン酢派だが、私は甘酢に土生姜派。「こんな美味しいものを釘煮にするなんて信じられんな」と言いながら、シーズンを過ごしている。


ネットから

 ① いろんな料理、いろんな好みの調味料がありますが、皆様のお好みや感想があればコメントください。
 ② 新子の大きいのはカマスゴですよね。ではカマスゴの親はカマスですか。ご存知の御方は御教示ください。それともYAHOO知恵袋に聞くべきでしょうか。

2011年3月5日土曜日

昨夜は落語の世界を楽しんだ

 長男夫婦から切符をもらって米朝一門会に行きました。

 米團冶には「七段目」を聞きたいと思っていたが、やはり「七段目」で・・ よかったよかった。
 ぼんぼんの米團冶のメリットが生きている。貴重な本物のぼんぼんは大事にしたい。
 「七段目の米團冶」と言われるようになればよい。
 知られている演目で唸らせてこそ本物だ。筋はみんな判っているのに大笑いしてしまう。

 南光は「佐野山」。
 横綱小野川が生涯一度だけおこなった人情八百長相撲。
 八百長づくしの枕といい、この演目を取り上げたタイミングがいい。
 テレビのコメンテーターもどきは もう一つだが、本職は非常によくなっている。トリの仕事をした。

 米左は、判りやすい泥棒ネタ。悪くはない。が、・・

 紅雀、そうば は、お客を自分の世界に引き込むまでには今一歩。此方が「酔わされた」感覚を持てなかった。

 偉そうな批評もどきだが、日頃の溜まった鬱が軽減される楽しい一時だった。
  

2011年3月3日木曜日

京の果ての上巳の節句

 近頃流行の催しらしいが、イベントともいえないような鄙びた田舎の(失礼)雛祭りは温かみがあっていいものだった。
 木津川市加茂船屋。明治後半から戦前までの賑やかな商店街の残像のような、なんとも味のある町である。
 紫宸殿?に入った雛飾りや、如何にも時代物の掛軸もあり、その昔の町の繁栄を覗わせる。
 小雪の舞う床机に座って、振舞いのにゅう麺を頂きながら、「これは結構いい取り組みだなあ」と心に“ほんわりと”思った。正直に言って私もそうだが、子供の大きくなった家では雛飾りを持て余しているはずだ。私の町内でも出来ないだろうか。
 「孤族」の時代を象徴するような新興住宅地で、「ご自由に中に入って見てください」というような催しは夢だろうか、しかし、できたなら、新しい街づくりが進むかもしれない。・・・・・・・・・む。
 この催しの存在は、むらき恵子さんのブログで知った。

 

 


KCN京都が取材をしていた



2011年3月2日水曜日

早春賦を聞きながら

 今日は、「寒の戻」を思わせる空の色でしたが、ようやく我が家にも春の使者が顔を出しました。
 写真は、“待っていた”山蕗の「蕗の薹の赤ん坊」と「芹」です。
 ラジオから「早春賦」が流れていて、タイミングのよいBGMとなっています。
 冬眠明けの山親父(熊)は一番最初に蕗の薹を食べてデトックス=解毒→快便するそうで、だから猟師は蕗の薹のところで待ち伏せをする・・なんてことを本で読んだことがありました。
 本当かどうかは知りませんが、「春の料理には苦味を添えよ」というのは健康上も一理ある・・ということを訳知り顔(声?)のパーソナリティーがしゃべっておりました。
 また、「山蕗の蕗の薹はアクが強いので炭酸水でアク抜きをすること。」と書いてある本がありますが、我が家では「アク(つまり、その芳香と苦味)が嫌なら山菜なんか食べなくていいのに・・」とか悪態をつきながら、いろんな素朴な食べ方をしています。そのうちに罰が当るかもしれません。
 去年は蕗味噌をつくりましたが甘味噌嫌いの妻には不評で、私一人で楽しみました。一番素朴な食べ方は、そのまま刻んで何にでもふりかけて食べることで、こんなのは料理ともいえませんね。
 なお、親の蕗ですが、あの葉を捨てる人がいるのは信じられません。商品になっていないものは食べるべきでないとでも思っているのでしょうか。内緒ですが、私は蕗の茎よりも葉のほうが好きです。 

ふきのとう
 
せり
 

2011年3月1日火曜日

旬の地物を愛でる幸せ

 門外漢ながら、鳥獣被害の原因は“人間が鳥獣の世界にまで踏み込みすぎたから”というほど単純ではないようだし、その農産物の被害の程度は相当深刻らしい。
 ところで、そのことを報じるメディアが、「だから皆で頂きましょう」と言わないのが不思議でならない。
 そんなことを書くと、動物愛護団体のパッシングの的になるのだろう・・、結局、正義の代表者面をした中途半端な良い子の主張に終わっている。日頃は「地産地消」だの「旬を味わおう」だのと言いながら・・。
 そも猪は、天武天皇が牛馬犬猿鶏を食べるのを禁じた折にも外されていたし、下って“生類憐みの令”からも外されていたらしい。
 彼我の適度なバランスを図りながら「ありがたく頂く」ことが自然保護にも繋がるのではないのか。人間も自然の一員ということで・・・。
 
 家から少し車で走ったところ(和束町中平田)に天然猪肉専門店がある(天然でない猪肉ってあるの???)。
 看板代わりの猪皮が壮観であるが、近寄りすぎると後悔する。(理由は不記する。)
  ロースと思しき綺麗な塊が1300円とあった。 安い
 「100g1300円です。」と言われて手を引っ込めた。

 もちろん我が家は今夜、山城地域の鳥獣被害の減少に貢献すべく、ほどほどの肉で牡丹鍋を頂いた。
 ポン酢もよし、すき焼き、焼肉、ホイル焼き、しぐれ炊き、大根炊き、猪汁もよしというチラシももらったが、極めてオーソドックスに、別売りの「猪鍋みそ」での牡丹鍋にした。いろんな野菜に加え大和野菜である宇陀金牛蒡を入れ、〆に中華そばをほおりこんで堪能した。

 「食の堕落と日本人」を著された小泉武夫先生にも、猪肉について1章を起して、「ししを食べて畑を守ろう」と論述してほしい。

壮観!ものすごい数の「看板代わり」

 [追伸]  自衛隊祝園(ほうその)弾薬庫(基地)に棲息する多数の猪が、夜な夜な畑を襲って農家に大きな被害を与えている。住民は「猪をどないかしろ」と基地に抗議しているが、都市近郊の弾薬庫の方をどないかしてほしい。







無題